2010年10月10日

何故このような病気になったのでしょう?




リーディングNo.6486


質問1  
私は、何故このような病気(身体)になったのか、私のカルマについてお教えください。またこのことから何を学び、今後どのように進めば良いのか、お教えください。 

ソース  
あなたは前世で霊的・精神的なことを重んじていました。それ自体は良いことなのですが、しかしその分、この世的・現実的・実際的、そして物理的なことに関しては疎かになっていました。それは自分自身に関しても当てはまることです。つまり自分の中の霊と精神、それに対する肉体との関わりです。自分自身に関しての地上的・物理的なこと、実際的なところといえば肉体です。

また人間の体というのは、とても象徴的に出来ています。周りに起きてくる出来事も象徴的に起きてくるのですが、自分の体に関してもそのことが当てはまります。それで例えば足とか腰、さらには股関節のところは、どういう意味合いかと言いますと、現実的になる、行動的になる、実際的になることを教えてくれています。

それでもし股関節のところに異常が発生したとしたならば自分の中で実際的・行動的な面、この世的な応用面においての基礎があまり出来ていないことの反映です。表れです。自分の中にそのような弱点がカルマとして顕れ出てきて見せてくれているのです。そのようにして自分自身に教えてきてくれているのです。

偶然起きる事はこの世の中にはありません。必ず然るべき理由や根拠、あるいは意図があってのことです。それは自分自身の体に関しても同じことが当てはまります。したがって起きてくる事柄や状態、症状などによって読み解けるのです。解読できるのです。意味や意図が。

そのようにして学び取り、その方向で改善したり留意する。その方向で対処していったり関わっていく。その中で自分の元にある弱点や欠点や悪習慣や癖が補われたり改められていく。そのようにして成長していく。そのような意味合いや意図があるのです。

それで人間は現実に実際に起きてきている事柄、出来事とか状況、状態に向き合い、そのことを検討して、そのことから学べること、学んだほうがよいことに気づいて、それを学習し習得できるように努力したり工夫する、あるいは調整する。そのような取り組みの中で自分が成長を遂げ、欠点が補われていく、傾向が是正されていく。そのような導きとして情況なり状態があるとさえ言える程です。そのように宇宙が仕組まれているのです。

したがってどんな事が起きた場合でも、特に不都合が生じた場合などは、〝何ゆえこの事が起きてきているのか、この事から私は何を学ぶ必要があると言われているのか。どのように捉え、どのように対処していくとよいということなのだろう〟。そのように探りを入れて出来事や状況から学ぶ。その取り組みの中で元にある欠点や問題が是正、解決されていく、そして成長を遂げていく。それが起きてくる出来事や状態の意図です。

そのようにして出来事や状態と取り組む中で自分が成長を遂げ、元にある原因となっているカルマや自分の弱点や欠点が埋め合わされていく、浄められていく。そのようなことです。つまり問題となっている状態とか起きてくる出来事というのは教材・テキストです。体験学習をこの世で行う際の。その為に生まれ変わってきたのです。

世の中の人を見てみてください。誰でも必ずといってよい程どこかには問題や欠点、悩みを抱えて生きているものです。一見すると幸せだけで問題が無く見えたり、人格が出来ていて良い人に見えたりしていても必ずどこかに悩みとか人間的な問題とか欠点が誰にでもあるものです。そのような人はそこにカルマが顕れていて、その人の弱点を表します。そしてそれを神様が示してくださっているのです。

それによって本人が気づいて、それに取り組みながら自分を改め、成長を遂げていく題材として使う。悩む為、落ち込む為にそれを障害物とするのではなくて、逆にそのことを通して成長を遂げる良いきっかけに用いてしまう。前向きに捉える。そのことを嫌なことと見做さず自分が成長する糧としていく。そのことを通して成長を遂げ、元にある欠点や弱点を補っていくように自分を仕向けていく。そうすると、内面的な魂がそのことを通して成長を遂げられるわけです。

人はそもそも何故生まれてきたのでしょう。前世からのカルマを果たし、さらにカルマを超えて成長を遂げ、神様に還っていく道を辿る為に生まれ変わってきているのです。

あなたの場合の自分を高め、磨き、向上させる題材は、例えば象徴的に右足の股関節のところにそのような徴として表れています。それはあなたの魂の弱点をそのまま映し出しています。

何故でしょう。そもそも、肉体といいますのは自分自身ではなく、自分が作り出したものです。自分の魂が作者、肉体はその作品です。作品を見れば、その作者の人となりや作った意図が推し量られるものです。この作品はどんな作者が作ったのだろう。それは作品を見れば大体推測できるものです。それとちょうど同じように肉体を見ればその人の本体、その人自身である魂の在り様、弱点、優れたところがそのまま反映しているので推し量られます。魂が作った乗り物なのです。肉体は。

あなたは肉体ではありません。肉体はあなたが作ったものです。あなたの本体が宿る乗り物です。偶然そのように出来るということは有りそうにもないことです。やはりそこに弱点を作り出してしまうような、魂自体にそのような欠陥とか、まだ充分でないところがあるからなのです。

あなた自身の魂という原因のところを見て点検し、魂を育成したり、向上させたり、バランス化させることに取り組むこと、そのようにして段々これからはより完全な肉体を自分の本体が作り出せるようになっていきます。

肉体は一度作ったら変わらないように見えますけれども、そうでもなくて、瞬間瞬間、細胞は死に、そして新しい細胞に生まれ変わっています。再製造です。七年で肉体の細胞は全部入れ替わります。それゆえあなたがこれから魂を磨き、向上させることに、そのことを題材にして取り組むならば、段々により完全で健康的で丈夫な肉体を再創造していき、少しずつ健康で元気な体になれます。それは今からでも遅くはありません。いつかはそのように、そのことをきっかけにしていくとよいのです。

それとあなたの場合、自分で自分を責めたり、傷めたりするところがあります。それゆえあなたの学びとして自分に優しく接してあげること、自分のことをケアーしてあげること、自分で自分のことを認め、愛し、受け入れてあげること、そのようなことも必要です。そのような教訓もそのことには込められています。

現実的・物理的なこと、実際的なことを重んじること、同時に一方、自分に無理を掛け過ぎないこと、自分で自分を評価してあげること、自分で自分を認め、受け入れてあげること、自分を愛し、自分に優しく接し、自分との折り合いをつけ、自分を労り、思いやりながら自分とよりよい関係を形成して生きていくこと。それらもそのことから教えられていることです。

そのことをあまりしていないので、して来なかったので、それがあなたのカルマとなり、そのような肉体を作り出してしまっているのです。その意味でそのような状態は警告です。体さんは叫んでいるのです。〝もっと何とかしてくださいよ〟と、あなたの本体(霊魂)に訴え掛けているのです。体のほうが。

また右側に出ているということは、脳で言えば左側に対応します。交差しているので体の右半身は左脳が司り、一方、体の左半身は右脳が司ります。右側に出ているというのは左脳のほうに何か問題があることを表しています。脳自体に問題があるということではなくて、左脳が担当している機能・働きの面で、あなたの心に気づくべきことがあるという意味です。

右脳はイメージ脳、アナログの面です。それに対して左の脳はデジタル、論理的・実際的・現実的・物理的なほうです。論理的で分析する理性や知性の面、デジタルの面、現実的な面、この世的な面、それらを左の脳が司っています。あるいは社会的な面、建て前の部分です。右脳は本音です。

それで左の脳が司る右側の体の部分にそのように出てきているというのは、あなたの理性や論理、現実的・社会的な面で、どこかまだ足りないところがあったり軽んじているか、そのような現実的なことを。あるいは逆にその方面で無理を自分に掛け過ぎているか、そのいずれかです。

あなたの場合はその両方があります。つまり現実的・実際的なことや自分の論理や理性とあなた自身とが噛み合っていない、無理があるのです。それが体の右側にそのような形で反映してきています。

ここで一方、霊障ということも考えられます。それはあなたばかりでなく家族4人とも何等かの形で体の足のところにそのような徴が表れているからです。しかも体質とかで先天的に出ているというよりも、むしろ特にお父さんとか弟さんは後天的に事故とか怪我によって出てきているというのは単なる体質とか傾向によるということだけでは説明し切れないものがあります。お母さんもびっこを引かれたり、やはり足がお悪いということです。これは偶然とはとても言い切れません。

体質の遺伝ということならある程度わかるのですが、別々の原因やきっかけで家族4人ともそのように結果的になってしまっているというのは、やはり別のカルマというのが考えられます。今直ぐ断定することはできませんが、何か家系的にご先祖さんが他の人の足に関わることでカルマを作ったということがありそうなことです。それが絶対あったとまでは言いません。でも何か、そのようなものもにおいます。

その意味で先祖供養や罪障消滅、祈りなどを行うことをお勧めします。あまりに宗教的になることは勧めませんし、先祖供養とか罪障消滅の為に何十万も何百万円も掛けたり、お墓を造り替えるとか、そのようなことは特に勧めません。霊障とか、ご先祖さまの因縁とか罪に原因があって、家族が皆そのようになってきていると言いますと、それに拒否反応を示すか、あるいはそれを怖れ、信じて、ある人たちはその為に何百万もつぎ込むとか、どうもこのようなことになりますと人間は極端に出やすくなりがちです。しかし、それは好ましくありません。

ただそれにしましても、そのような話は全く荒唐無稽ではなくて、ある場合は確かにそのようなことはあるのです。あなたの場合もあるような感じです。その意味で念の為、ご供養とか祈りは念入りに行うことをお勧めします。良心的に信頼のおけるところで。それ程お金が掛からないで出来ることをお勧めします。

この事をあまりに重大視して、怖れてのめり込むことはお勧めしません。基本的には先ほどまで詳しくお伝えしたような趣旨が本筋ですので、自分自身が体のことを通して魂を磨いたり成長させる。そして体を労ってあげる。そして元気良く明るく安心して生きていくというのが本筋ですから。

あまりに心配したり、〝こういうことがあったからこうなんだ〟ということには引っ掛からないようにしてください。今後とも。

質問2  
私の前世及び、私は何の為に生まれてきたのかお教えください。 

ソース  
あなたは前世で霊的・精神的なことに関心を寄せ、惹かれてきた人です。とても頑張る生真面目な人でした。でもおおらかで優しい思いやりに満ちた面、穏やかな面、静寂を湛えている面もあった人でした。なかなか大人しいながらも賢く、しかし神経質で強情で極端な面もあった人です。

古代のエジプト、イスラエル、ギリシャ、イギリス、中国、日本と生まれ変わってきています。フランスからイタリアにかけての地域での転生も見られます。アトランティスにもかつて生きていました。
大抵静かで我慢強く、賢くて温和な人でした。生きるのはあまり上手ではなかったようです。でも一生懸命頑張って生きてきた人です。

豊臣秀吉から徳川家康にかけての時代に生きていました。家で商売を営んでいて、あなたも手伝っていました。あなたは静かでしたが、なかなか勝ち気な面もありました。現実に適応するのが少々困難なところがありました。でも頑張って行っている人でした。少々無理をするぐらい行うところがありました。

古代の日本、紀元4世紀の頃にも生きていました。布を作ったり、ものを書く為の用紙、紙を作ったりしていました。それを手作業で行いました。真面目にこつこつと努めていました。より完全に出来るように意識を傾注していました。

日本の中世の時代には旅行をしたり行脚していました。その時代の前世で歩き過ぎたことがあったようです。自分の体を労ることが当時から必要な学びです。何でも行き過ぎますと支障を来します。またその人生では、お客さんをもてなしたり楽しませたり、奉仕的に働いていました。

古代のエジプトでは地位や権力のある人の言うことを聞き、命令に従い、その指示を待って必要なことを行いました。あなたの中に恐怖心が作り出されました。また素直で従順な面も作り出されました。モーセの頃のエジプトです。

ギリシャにおける前世では針仕事をしていました。織物業を営んでいました。また筆記をして書記、記録係りを務めてもいました。他に治療にも興味を持っていました。

イスラエルにおける前世では自然が好きで、動物や土、水、空気、風、植物などに惹かれました。なかなかのロマンティストで神様を信じていました。しかし現実と少々遊離しているところがある人でした。精妙な心の持ち主でした。

中国の前世は忍耐が多く、与えられた作業をこなすので精一杯で、体がしんどい時もありました。

フランスからスイスにかけての前世では絵を描くのが好きでした。また魚とか生き物も好きでした。

イギリスの前世では文学や小説が好きでした。ロマンティックな人でした。大人しい人でした。自分を押さえる傾向がありました。その時も現実と少々遊離しているところがありました。

前世のあなたを見てみますと非常に自分の体を酷使し、我慢し、無理をしていた時と、ロマンティストで現実離れして、実際的面が稀薄だった時との両方を体験してきているのがわかりました。

今生の目的は調和とバランスを学び、現実と適合しながら自分にも優しく接し、自分のライフスタイルを確立し、人生を明るく、肯定的な展望を以て眺め、自分の良さを思いやりと共に発揮していくことにあることがわかりました。

質問3  
私にはどのような職業が向いているのか、お教えください。 

ソース  
将来的にはあなた自身思い描いているように治療などの資格を取得し、マッサージとか何か奉仕的に人の健康の為に役立つことをしてあげることが良さそうです。

やはり人間というのは自分の体験から学ぶことが多いもので、それによって似たような人たちの悩みとか課題がよくわかり、その助けになってあげられるものです。その意味であなたは人の何倍もそのような方面で苦労したり、知恵をつけてきたりしているのです。

それをベースに腕を磨き、資格を取得して自分のペースでライフワークとして治療の方面で、自分との折り合いをつけながら他の人の希望と健康をもたらすことが使命と言えます。

リハビリを欠かさないようにしてください。昼間と夜と両方、仕事をすることはあまり勧められませんが、現状からして経済的に止むを得ないのなら致し方ありません。出来るだけ負担が掛からないように、自分の体も労りながら取り組んでいきましょう。

心と体のケアーをしていくことに適性と役割がある人です。

質問4  
幸せな人生を送る為に、私はこれから何に気をつけていけばよいのか、気を付けなければならない点をお教えください。 

ソース  
自分の直感を信じましょう。それは盲信ということとは違います。自分の中に〝こうだ〟と思っていることの中には思い込みとか取り違えも含まれてはいます。偏りと傾向性も。それでも尚、自分の中の気持ちとか感覚、特に表面の感覚と言うよりもっと奥深いところに根差す感覚です。そこには一貫性があり、静かで穏やかです。単なる我がままとか思い込みとは異なるものです。それは周りとも調和し、全体の役に立ちます。自分自身も含めて。そして自分自身の内なる良心も、それを認め、尊重できるような内容です。

あなたにはそのような精神や感覚があります。それを大切にしていくのです。つまり自分の中で〝こうするといいと思う。こういう点には留意したほうがいいと思う。これはしないほうがいいと思う〟などといった内なる声、響き、感覚のようなものが出てきたならば、それを尊重し、現実と突き合わせながら出来るだけそれを採用し、その方向で行ったり、あるいは行わないほうがいいという響きが来たら行わないようにするということで、出来るだけ内なる感覚と声を採用し、それに従うことです。これが単なる我がままとか誤魔化しでないことはおわかりでしょう。

現実に合わせていく、調和するということは大事です。しかしそれが単に周りに気を使い過ぎるあまり、合わせていたり、自分が我慢しているだけですと無理があり、いずれ支障を来します。やはり自分と対話し、〝どうしたらよいのか〟と問うて、自分の本質に従う。その為には自分の内なる感覚に目を留め、それを信じられることが必要です。謙虚でありつつも自分を信じ、自分に自信を持つのです。そして自分の過去の経緯、体験を認めてあげるのです。

自分のユニークさを愛しましょう。自分でそれを認めてあげましょう。人と必ずしも同じである必要はありません。人のことも認めねばなりません。そして尊重し、仲良く調和してやっていくことが必要です。でも何でもかんでも人に合わせたり、人と同じように自分がなる必要はありません。人が体験してきたようなことを体験していかなくても構いません。一方、人が体験してこなかったのに自分が体験してきたことは自分で認めてあげましょう。何らかの意味や理由、必要性があったからです。

一方ではもちろん、反省も必要です。しかし自分を責め過ぎることはしないことです。しないほうが良いのです。穏やかに優しく生きていきましょう。自分の場合はどのようにするとよいのか、その観点から考え、行動し、決断します。

自分なりの幸せや生き方を作りだしていきましょう。夢を大切にしましょう。一日一日を穏やかに精一杯生きましょう。自分の中の良い感じのニュアンスを大切にして生きていきましょう。過去から学び、留意点を自分の中で見付けましょう。そしてそれに従って生きていきましょう。自分で納得のいく自分らしい生き方で充分です。そして人を認め、人とも調和して生きていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

<了>