2013年3月6日

ダンススタジオ15周年記念パーティが無事終了。そのことに関するメッセージをお願いします。



2012.11.21 パーソナルリーディングNo.13138 

【質問1】夫、(○○○○さん1940、*、*生)のダンススタジオ15周年記念パーティが、○○○ロイヤルホテル○○にて、*月*日、台風16号が北九州に最接近という中、少しそれてくれた為、無事催されました。350名もの方々のご参加を頂き、皆さまにも喜んで頂けたようで、主人も心から満足しております。小中学校の同級生、パイロット時代の先輩御夫妻や同期生の方々をお招きし、家族や親族も集まり、思い入れの強いパーティでした。私も這ってでも行かねば…との思いで参りましたが、妻の役目もなんとか果たすことができ、ありがとうございます。このパーティは主人はもちろんのこと、私たち家族や親族にとっても節目となる大きなことだったように思います。メッセージをお願い申し上げます。

【ソース】今年9月のご主人のダンスパーティー、ダンススタジオの15周年のお祝いは、ご主人にとっての今世の集大成とも呼べるほどの意義深いパーティとなりました。ダンススタジオを中心としつつ、しかしそればかりでなく、一人の人間として、これまで数十年もの長きにわたって生きてきた全てが結集されたような、ご主人を象徴するイベントとなったのです。

人は誰でも、その人らしい人生を歩んでいくようになります。自分が作り出し、もたらすものばかりでなく、外からやってくるものや、偶発的なもの、自分の意志を超えることや、不本意なことも含めて、結局現実になったことというのは、その人の何かを象徴的に表しています。ご主人のこれまでの努力や功績、魅力や頑張り、人間関係や人に対してしてあげてきたことなどが、集約されたイベントとなりました。350名もの方々が集まられたということは、それだけの力量やご縁、人を大切にしてきたことを如実に物語っています。

人は、自分で自分を作り上げてきている存在なのです。人との関わりで、自分が行った通りの結果に遭遇します。同時に、神様から与えられるその人に相応しい状況や出来事にもなるのです。自分が努力して作り上げたばかりでなく、神様から自分に相応しいものとして与えられたものとなったのです。ご主人が一体どういう人で、どういうことをなしてきたか。どれだけの人望や信頼やご縁があるか。そういったことが、具体的に表れ出たイベントでした。それで一区切りがつき、一つのカルマや目的が成就しました。

ちょうど竹が伸びていく時に節を作りながら伸びていくように、人生においても一つひとつを集めて形にし、それを体験し、こなすことで終了でき、それを踏まえて次のことに取り組んでいけるのです。節目節目を作り上げ、体験して通り抜けながら、他のまだ終わっていない部分に向かって行きます。同じことでも、取り敢えず一区切りとし、それを踏まえてまた、続けていくようになります。そのような節目として、10周年とか、15周年とか、20周年、30周年というのはわかりやすく、周りからも受け入れられやすい節目とできる時なのです。

一人の人を創り上げている構成要素は複数あります。その人を構成する要素が何と何で、それぞれの割合はどの程度か、それに応じた出来事や体験となっていくのです。なぜ、人並に一つの家庭で産まれ育ち、小学校や中学校で体験した。職業としてはパイロットとして活躍した。では、それだけで終わりかというと、ご主人の場合は、ダンスのスタジオを持つようになった。生徒さんも多く集まり、それが九州で行われてきた。そういったところに、ご主人ならではの在り様が表れ出ています。

人、それぞれの辿る運命が違ってくるわけです。学校時代、同級生でも、その後、それぞれの道を歩みます。職業として、パイロットになる。自衛隊に勤務する。そういう人も一つの共通項があるから同じところに勤め、体験を共にするのですが、ではそういう人達は全部が同じかというとそうでもなく、パイロットだけの人生の人もいるでしょうし、ご主人のように仕事は仕事で済ませて、それで終わりではなく、ダンスのスタジオを持って、それにやり甲斐や喜びを見出し、自分の職業とは別の面を発揮していく。そういう部分が大きかったわけです。それで、自ずとそのような人生の展開になりました。

一生を終えてみると、その人がどういう人かが表れ出ます。ちょうど作品に作者の内容や意図、人間性が反映するように、人生も大きな一つの作品であり、例えば90年なら90年生きたとして、その90年の内容がどういうものだったのかに、その人の持てるものが具体的に表れ出ているものです。生まれて来た目的や前世、そして今世での意図や願い、長所や短所、そういったものが人生の隅々に表れ出ていきます。

また、そのような人と夫婦になり、夫婦であるけれどもご主人は退職後、ダンスを中心に生きたい。それで、夫婦では別居して、それぞれの生き方をするようになった。あなたは浜松で、そのまま主婦として過ごし、神様のことや霊的なものに関心を持つようになった。鬱(うつ)を抱えながら自分の課題を自覚し、しかし、それで成長しようと取り組んでいる。そのようになるのも偶然ではなく、あなたの持てるものやご主人の持てるもの、前世からのカルマ的な関わり、今世の生まれて来た目的や願いが表れ出た結果なのです。

人生は自分を体験し、知る機会です。自分を活かし、調整する機会にもなっています。わかりやすく言うと、人は自分が行いたいことを持っていて産まれてきて、それぞれ行いたいことが幾つかあって、それぞれを気が済むまで行うと、ちょうどその頃に寿命となり、他界していくのです。いろいろやりたいことがある。それぞれでやりたい分量も決まっている。神様がそれを認め、計らって下さる。そういう中で、一つひとつを気が済むまで行って人生が終えられるのです。

そして、霊界に還って、振り返って反省し、味わい、それを踏まえてまた次の来世の計画を練り直し、神様のご計画に従ってまた、残りのやりたいことや学ぶことや果たすべきことを携えて産まれてくるのです。その際、単独で人は自分と取り組むばかりでなく、縁の中でそのドラマが展開していくので、縁の深い人とそれぞれ接点のあるところで関わって、共有しながらそれぞれが自分のことに取り組んでいくことになります。

あなたも、そのような人と夫婦になるようなものを接点としても学びやカルマや願いとしても持っていて、ちょうど合うものがあったので、夫婦になったのです。でも、何もかも共有するほどの似た者同士ではなく、それぞれの楽しみや課題、縁や目的があるので、夫婦でありながらもそれぞれ中年期以降は生きるようになったのです。

人はすぐに「いい」とか「悪い」とか、「うまくいった」とか「失敗した」と言いますが、その人の持てるものが表れ出てくるのであり、それによって自分が知られ、自分を体験していくのです。それ故、自分のものも人のものも、あまりいい悪いの判断を下さず、事実は事実として受け止めて、静かに感じながら通り過ぎていけば目的が遂げられ、ちゃんと神様に育て導かれて前に進んで行きます。

今、述べたように割り切って、解釈して現実に応ずるということが苦手な面があったので、心の中に不安や悲しみ、こだわり、妬み、未練、そういったものが渦巻いたのです。それが蓄積してきて、鬱(うつ)をもたらすようになったのです。現実はやはり法則に従ってなるようになっていくのですが、そのように見なして割り切って対応することが苦手だったのです。

それで、あなたは前世でいろいろ感情が渦巻き、不安や悲しみ、愛着、嫉妬、誤解、そういったもので感情が制御できにくく、感情のエネルギーが心に渦巻ました。そして、何とか自分が思うような方向に現実を収めようとしたのです。でも、実際は自分にしても、関わる人にしても、自分のものを表し出していくので、自分が思うようにはなりません。

それでまた、あなたは動揺したり、喜んだり、落ち込んだりして、感情のエネルギーが蓄積され、それが心のしこりとなって辛さが増し、鬱という症状を招きました。超作というのは、自然体で現実とタイアップしながら通り過ぎていくということで、カルマやエネルギーを解消する道です。

人間というのは、肉体のエネルギーと精神のエネルギーからできていて、そのエネルギーの動きが、自分の身体の状態や心の状態を作り出しています。でも、神様のお計らいで、自分がエネルギーの渦を作りながらも、それがレッスンとなってしだいに浄化され、育成されて、命の本源に還れるように必要なプロセスを辿らせられているのです。それを理解して受け入れ、素直に従い、必要なプロセスを辿っていけば、自ずと浄化され、整理され、楽になり、回復へと向かうのです。

自分の特徴や癖を知りましょう。あなたは、何とか現実を自分の思うようにしようとして、うまくいかなかったのです。でも、今世では、前世の反省に立って、少しずつこういうものの道理に気付き、自分の欠点や特徴も知り、少しずつは自然体ででき、焦らなくなってきました。

ご主人のことは、それはそれとして認め、受け止め、適当に距離を置いて、関われるように共存できるところにまで来ました。前世ほど嫉妬深くはなくなり、ご主人が多くの人に囲まれて、人気があっても、それはそれとして喜び、受け入れ、ダンスのパーティーにも妻として列席できるようになったのです。

これからも自分で自分を育て、癒し、感じながら生きていきましょう。まだすぐには治らなくても、以前から見ると随分成長し、良くなってきているのです。その部分を自分で気付いて評価し、大切にし、励みにしましょう。自分で自分を評価し、労り、少しの成果をちゃんと評価して励みにすれば、元のところでは神様に計らわれているのですから、着実に良くなって脱せられます。

人生を生きるとは、浄化のプロセスです。苦しんだり、うまくいかなかったりを通して浄化され、育成されつつあるのです。そう思えば、すぐに良くならなくても意義深い体験の連続だと自分で信頼でき、評価できるようになることでしょう。誰でもその時の自分の課題や目的に取り組んでいるのが人間の姿なのです。それを理解して、応援したり、見てあげましょう。

【質問2】北海道イベント、聖徳太子巡礼にも、仲間の○○さん、○○さんに支えられながら、ようやく参加することができました。神さま、ありがとうございます。心身不調のため、今回は○○○○さんとのご縁、○○○○さんとのご縁を重んじることにして、ULCコース、クリスマス会は断念致しましたが、無理を押してこれらのイベントに参加させて頂いた神さまのご意向や深い意味、意義がございましたらお教え下さい。又、飛鳥時代の前世のことは、私にとって重要だと伺っておりますが、どのようなことなのでしょうか。聖徳太子との関わり、夫との関わりもお教え頂ければ、と存じます。

【ソース】人生は、取捨選択の連続です。現状の中で何を選び、何を捨て、どちらに自分を方向付けるかです。その時点のその人の取捨選択に、その人の価値観、縁、好み、必要性や学び、人生目的や果たすべきカルマが自ずと表れ出ています。そのため、今年に関して見るならば、身近な方とのご縁を優先して、北海道の巡礼、そして聖徳太子の巡礼、それ以前のご主人のダンススタジオの記念パーティーなどを選び、体験し、その一部となりました。

一方、ARIのULCコースとクリスマス会は、今年に関しては断念しました。そこにあなたの思いやご縁や目的、方向性が表れ出ています。それは良いとか悪いとかということではなく、あなたの中身や方向付けを表しているものの一つなのです。

それが自分の体験を作り、自分を彩(いろど)って形成していきます。一番の基では神様に育て、導かれて、人生が動いています。ただのあなたの好みとか意志だけで、そのように今年が動いたのではなく、やはり○○○○子さんや○○ご夫妻、また周りの方々とのご縁がそれだけ深く、目的も共有し合っていたので、そして巡礼ということが自分に合っていて、しっくりくるので、そのように現実がなったということ。それで、自分がわかります。

それを踏まえて、次はどのようにするかを見ていけばよいのです。神様は寛大で、一人ひとりを見通し、良きに計らって下さる無限の愛の御方です。そのような御方の下(もと)で支えられ、自分がするべきことやしたいことをしながらカルマを果たし、役目も果たし、育て導かれていくのです。身近な人たちとの関わりで動いている部分が大きいわけです。

あなたの場合は、それが前面に出ています。具体的には、イスラエル統一王国時代の前世のご縁、スペインの前世のご縁、それから飛鳥時代のご縁などです。他にもありますが、あなたがARIの中で身近に感ずるお友達との繋がりは、今、列挙された前世でのご縁が強かったのです。特に聖徳太子巡礼ツアーは、そのままそのことを謳(うた)い、目的としたツアーでしたから、当然、その飛鳥時代のものや大阪や奈良の土地や神々とのご縁が表れ出ました。

あなた自身、今世だけ見ても、奈良の土地とのご縁があって、自分でもそのことを自覚しています。そういうものがあったので、参加したのでしょう。また、参加できるようになったのです。自分で願い、意図しただけでなく、実現したことは確かなものがあるのです。

ご主人とは、飛鳥時代にも確執がありました。愛着や未練、妬み、悲しみ、自分の思うようにならない苛立ち、また、そのように感じてしまう自分の気持ち、そういった感情の動きの中で自分の中に精神的エネルギーが蓄積されてきたのです。自分が愛する人を取られる恐れや悲しみ、自分が一人になってしまうことに対する恐れや懸念などです。

でも、同時に一方、前世の時も、霊的なことや神様のことを大切にする自分がいました。それで具体的に今世では、ARIとのご縁で霊的なことを追求することが続いているのです。前世は今世の基盤にあるので、前世のものが自ずと表れ出て、現世を規定してくるのです。前世の時も神仏を尊び、求める気持ちが人一倍強く、飛鳥時代は仏様に手を合わせ、その時の仲間たちが、聖徳太子を中心にいたのです。その時のご縁が今、あなたの周りに、具体的にはARIの仲間たちとしているのです。当時、家族だった者もいました。

今世でもそのため、自ずとご主人との感情的な葛藤の一方で、霊的な支えや励みをもって取り組むようになっているのです。前世のものが表れ出て、辿り直すことで浄化され、自分が育成されつつあるのですから、単なる繰り返しではないし、滞っているのでも虚しい努力をしているのでもないのです。

前世の時も、焦りがちなところがあったのです。気長に、鷹揚(おうよう)に、自然体で楽天的になって、取り組んでみて下さい。着実に成果は上がりつつあるし、カルマも解けつつあります。

【質問3】今回の長びくうつの試練について、どうぞメッセージをお願い申し上げます。又、このところ、うつに関してオステオパシー療法に限界を感じていた折、思わぬことで、目と鼻の先の「○○○整骨院」の○○先生の本を読み、こんなに近くで、うつも治すという、○○○ヒーリング(チャクラやエーテル体、アストラル体、メンタル体も動かす)療法を知り、もしかしたらこの療法で私の心身を回復させて下さるという神のご意向かと思い、すぐに受けてみました。しかし、2回とも効果はまだ余り分からず、これまでのオステオパシーの○○先生の誠実なお人柄と良きご縁と感じており、やはり迷いがあります。私には今、どちらの療法が必要で合っているでしょうか。お教え下さい。

【ソース】オステオパシーにしても、ソーラヒーリングにしても、効果はあるし、すでに効果は出つつあるのですが、すぐにそれが目立って表れ出ないのは、あなたの鬱(うつ)が重いからなのです。程度がかなり大きい症状なので、一度や二度受けたり、数か月や一、二年受けても、解けない程の分量なのです。

例えて言えば、借金があると一口で言っても、十万円の借金の人と、一億円の借金の人との違いのようなものです。十万円なら、少し頑張って働けば返済して解決します。しかし、一億円となると、長い間頑張ってもなかなか返しきれません。それでも、着実に返しつつあるのですが、何分元の額が大きいだけに、なかなか完全に返しきれていないという状況です。

病の重さもそれに例えられます。あなたの鬱が例えば、ARIで代行御祈願を受けて後押ししてもらったり、自分でも長くお祈りしている。また、その傍らオステオパシーを受け続けている。最近では、ソーラヒーリングも受けるようになった。でも、目に見える効果が感じられない。そうすると、自分が行っていることに迷いや疑いが出てきてしまいます。仮にそこでやめると、もっと停滞して、下手をすると逆戻りしてしまいます。

あなたの場合は、鬱は重い方なのです。カルマにも規模があります。でも、どんなに病やカルマが大きくても、神様の方がもっと大きいので、神様の大きく純粋なエネルギーをそこに投入することで、どんな重い病も、深いカルマも、いずれ解けていくのです。ローソクの火は、小さく弱いけれども、太陽の光と熱なら相当の効果があるのに似ています。神様は、太陽のような存在なのです。太陽に照らしてもなかなか溶けないというのはよほど大きな氷の塊なのです。でも、着実に解けつつあるのです。

知るべきことは、治療法以前に、生きて苦しんだり、取り組んでいること自体に意義があり、苦しんだり、考えたり、ともかくも生き続けていることでカルマが解けつつあるという事実です。神様が根本のところで解いて下さるために、必要なプロセスを辿らせて下さっています。浄化と成長の過程です。何千年もかけて作り上げてきたカルマです。気付いて取り組んで、三年、五年、十年で全部を尽くすということは難しいのです。でも、三十年、五十年苦しんだり、取り組んでいる内にはしだいに尽くされ、清められ、それに応じて浮上し、回復してくるのです。一生懸命取り組んだり工夫するところに、意義があるのです。

それ故、迷ってやめてはならないのです。また、囚われる心から離れられるように祈ることです。例えば、お祈りの言葉として「私が鬱になった元にあるカルマと霊障をお解き下さい。お清め下さい。神様のお力が注がれて、自分への思いや囚われから離れて、癒され、苦境を脱することができますように。その結果、神の愛と平安、喜びと恵み、幸せと健康が訪れますように。日々、お守り、お導き、お育て下さい。鬱を通しても成長し、カルマが遂げられ、生まれてきた目的が果たされますようにご助力、ご支援下さい。今世生まれてきた目的が、神様の御心に沿って滞りなく遂げられ、成就し、天寿を全うできますように日々、お守り、お育て下さい。全て神様の御心の通りになっていきますように」。そういったお祈りです。

後は例えば般若心経を唱えるなら、般若心経に成り切って般若心経の内容や自分の唱えている声と一つになるように心掛けることです。神様に委ね、一つになって無心になってお唱えすることです。

オステオパシーとソーラヒーリングのどちらに相性が良く、見込があるかということについて見てみると、ソーラヒーリングをもう少し重点的に受けてみると良い感じです。でも、オステオパシーとの縁も切る必要は無く、今しばらくはソーラヒーリングを試してみて下さい。自分を受け止め、労り、感じてあげながら、自分を育て直し、癒してあげましょう。

【質問4】私のライフシールをお願い申し上げます。

【ソース】ライフシールの真ん中には、銀メダルが見えます。金メダルではないし、銅メダルでもなく、でもちゃんと入賞し、第二位に輝いているのです。入賞しただけでも凄いことなのです。また、銀色は、自分の地道な努力が成果を収めつつあることを表しています。その銀メダルの下には、『堅実、努力、誠意を神は評価し、応えて下さる』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの向かって右側には、知恵の輪が見えます。人生は、謎解きのゲームです。課題や問題が生じたら、取り組みながら知恵を使い、問題解決に挑みましょう。『課題を通して、育成され、導かれる』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの左の位置には、美しい花園が見えます。その下には、『心を清め、育て、美しい世界を作る』。そのようなメッセージが見えます。
ライフシールの下の位置には、小動物の家族が見えます。皆、それぞれ個性が異なりますが、共通した部分で結束し、助け合い、庇(かば)い合って生きています。あなたの家族や、周りの繋がりのある人たちを表しています。『助け合い、支え合い、励まし合い、労り合う』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの上の位置には、イエス様とマリア様が見えます。そして、後ろには、神様の光が輝いています。その下には、『神はおられる。常に良きに計らい、救いへと誘う』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールは、円の形をしています。背景色は、紫色です。輪郭の色は、イエローです。ライフシールのテーマは、『歩みの大切さと尊さ。自分を感じ、育て、深める』。
                   リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
                   〈了〉