2013年12月5日

スペインの前世において、実際にあなたが十字架のヨハネと共にあったのです。


2011.3.24 パーソナル・リーディング No.11656 

【質問1】今年(2010年)の新年会の色紙に「十字架のヨハネと共にあった人」というお言葉をいただきました。今この時期にこのお言葉をいただきました意味とその内容の解説をお伝えください。

【ソース】新年会の色紙などARIにおいて頂くお言葉が外れることはありません。ただその場合、文字通りお言葉の通りである事と、象徴的な意味合いである事と、この2通りがありえます。具体的に今回あなたが頂いたお言葉に当てはめて説明するならば、文字通りということはつまり、スペインの前世において実際にあなたが十字架のヨハネと共にあったという事実があった。これが文字通りの意味です。

もう一つお言葉を頂いてありえるのは、外れているということではないのですが、もっと広い意味合いで、前世においてスペインで十字架のヨハネと一緒にいたというよりも、現在、更には時を越えて十字架のヨハネと同じ方向で学んだり取り組んでいる、十字架のヨハネの側にいた人。十字架のヨハネをしていたことを始め、その実体が生まれ変わりながら行ってきたことを理解し、大きな観点で見てその側に身を置き続けてきている人、そのような意味合いです。

今はこの文字通りか象徴的かの結論を述べる前に、もう少し話を進めます。例えば90人参加した席の中で、「十字架のヨハネと共にあった人」このお言葉が当たっている人が10人いたとしましょう。その10人の誰が引いても当たっているわけです。では、90人の中の10人の該当者のうち、誰にその1枚がいくのが、神様のご意思なのでしょう。それはただ当たっている当たっていないということを超え、今年の2月の時点でそのことを知る必要がある人のところに行きます。

他の人たちは既にスペインの前世で、十字架のヨハネと共にあったことを知っているので、そのお言葉を頂く必要性がありません。既にわかっているからです。あるいは、事実一緒にいたけれども、まだ気づいていない、しかし、今年はまだ気づくべきでなく、例えば3年後にそのことに気づく必要がある。そういう人はまだ気づいていないけれども、今年はそのお言葉は頂けません。

あなたは時期的に今年の2月に知る必要があり、それが今後のあなたの人生やARIでの学び、また使命を遂行したり、カルマを果たしていく上で役に立つので、神様が10人の中のあなたにそのお言葉を賜ったのです。事実としてそうであったかどうかだけでなく、このような事があるということです。あるいは、人によっては十字架のヨハネと共にあったけれども、今世では最後まで知らないほうが良い人には、その事は知らされないままで終わるでしょう。

あなたは知る必要があり、知るとためになるのです。これからのあなたの生き方や学びや使命を遂行する上で知るとためになるので、あなたに行き渡りました。しかも、新年会の色紙という形が良かったのです。ちょうどあなたの学びや模索の中で、タイミングよく絶妙にその事が知らされ、あなたはハッとはせられ、感ずるものがあり、確認もできました。例えば、そのお言葉を頂かなかったら、このリーディングも受けなかったかもしれません。たとえ受けても、この質問はなかったはずなのです。

そのように人間の運命というものを見る場合、起きることでその後の自分の動きや体験が左右されてきます。その全体を神様が導かれます。神様は信仰深き者、やる気のある者を、こうして導き育てられ、人生を全うさせるお方だということに気づかされたことでしょう。

ここで解釈ですが、まず重要なのは現時点においてあなたは十字架のヨハネであった実体と共にあるということです。ARIとのご縁を頂いて、ある程度の学びを授かり、自分の中に落ち着きや確信が得られた所での、この啓示でした。例えば、昨年ではちょっと早過ぎたでしょう。来年では少しタイミングを逸し、殊更来年に頂くほどのお言葉ではなかったのです。ちょうど波に乗って程よい時に頂いて、後押しになります。

また、次の質問とも関連することですが、あなたが普段信仰し、学んでいるところとの関連で、あなた自身も十字架のヨハネということは聞き知っており、それが一つの準備になって、ARIにも導かれ、しばらく学んで核心を得て会員さんとの繋がりもできてきたところで、更に学びを深めようとしていたところでした。「やはり自分は十字架のヨハネとも一緒にある」そのような実感が湧いてきています。

共にあるという意味は、一緒に活動する一緒に学ぶ、さらに十字架のヨハネのしている事に賛同している、その側に身を置いている、味方である、立場がほぼ同じである。そのように、無縁ではなく、その周囲に身を置いて理解し賛同し支えている。体験を共有している。心も理解し合い、共有し合っている。それが共にあるという意味です。

いずれにせよ、十字架のヨハネの系統にあなたは身を置いており、いつもいつも一緒に生まれ変わっていたということでなくても、大筋の流れとして、十字架のヨハネが辿ってきて、更にそれ以上にこれから辿っていくであろう方向にあなたは身を寄せ、そこでカルマを解消し成長を遂げ、使命を遂行して生まれてきた目的を遂げられるのです。

もちろん、あなたが普段信仰しているところは、あなたにとって主軸なのですが、それと共に、このARIの系統でも学ぶと更に得られるものがあり、特にあなたにとって必要であるということが示されたお言葉でした。そして実際、あなたが普段学ばれているところでも、スペインの十字架のヨハネとその先輩であるアビラのテレサの2人は、神秘主義の観点でも霊体験の面でも高く評価され、その教えの一部として出てくるのです。それによって、あなたは具体的に実際の十字架のヨハネにも会うようになり、神秘的で奥深い神の奥義を聞き知る機会を与えられました。

では、実際に400~500年前のスペインにあなたは生きていたのか。確かにあなたは文字通りの意味でも生きていました。あなたの中にキリスト教的なものがあるのです。そうであるからこそ、基本的にキリストの系統であるARIに入ってきて馴染めるのです。ARIは超宗派であり、系統を超えた根源的なものを志向しています。それでも基の系統というのはあるのです。それがキリスト系です。あなたの中にキリスト系がもしなければ、ONEという根源的なものを志向していても、そこまでは馴染むことは難しかったでしょう。

そして、その前世の根拠がスペインの前世にあったのです。そして、その時に主にあなたが親しかったり、共に励まし合った者たちがARIに大勢いたので、ARIに引き寄せられて、そして、ARIの中でもお友達や仲間が出来やすかったのです。「なぜ自分はARIに馴染めるのだろうか。自分の性格が外交的で人と仲良くなり易いからだけなのだろうか」。そればかりでなく、あなたの中に当時のお友達や知り合いがARIの中にいたから、すぐに親しくなれたのです。

あなたが十字架のヨハネというお言葉を頂いたことで、これを機にスペインのカトリック神秘主義を学んでいくことでしょう。それがまたあなたが大筋として学んで信仰を深めて来ていたことを肉付けし、それを完成する上で役に立っていくことでしょう。全体を根本の神様が導かれ、あなたはそのように仕込まれ、育成されつつあるということが、この一コマでも明らかになりました。

【質問2】今世においてARIにご縁をいただき深い学びを得、その教えに心より惹かれております。前世においてARIとのご縁がありましたら、お教えください。

【ソース】あなたが普段学び信仰しているT神社の方々とARIとは生まれ変わりにおいては、それほど重なり合ってはいないのです
が、霊的な系統やその持っている特質はかなり似通っています。更に社会的に果たすべき役目、立場、目指す目標はほとんど同一です。
そのために、あなたはARIにも入ってくることができました。そればかりでなく、ARIのほうの生まれ変わりともあなたは重なって
いる部分がありました。

T神社の方々の生まれ変わりの中に、もちろんあなたを見出すことができます。そればかりでなく、ARIの生まれ変わりのほうにも、あなたの前世をいくつか見出すことが出来るのです。その一番目は具体的に言うと、鎌倉時代初期です。京都のほうと関東のほうと、両方に地縁が、それぞれのグループでありました。あなた自身は京都などの関西との地縁は当時見出せません。あなたは鎌倉時代、関東の人間でした。

栄西は中国の宋に渡って、禅を日本にもたらしました。九州の福岡、それから京都、そして鎌倉幕府といったように、栄西はいくつかの拠点を持って、座禅を本格的に広めていました。あなたは完全な内弟子ではありませんでしたが、道を求める心が強く、噂を聞き知って座禅の修養に連なったことが何度かありました。

栄西は鎌倉でも武士たちや公家たちの座禅を指導していました。あなたは道を求める心が大きかったので、当時関東で活動を始めている僧侶は珍しかったのですが、念仏系の親鸞の活動も耳にする機会がありました。親鸞は鎌倉幕府を避け、その周辺地域で念仏の信仰を伝えていたのです。あなたは栄西の臨済宗を学びながら、若き親鸞の念仏の信仰の噂を聞き知って、学ぶ機会があったのです。

日連や一遍は、更に後の時期に関東で活動するようになりました。あなたは日蓮や一遍ほど後の代ではなかったので、栄西や法然、そして法然の系統の親鸞と直接交わるようになりました。法然のことはあなたは直接は知りませんでしたが、というのは、法然の地盤は関西だったからです。それでも法然の噂は聞いていました。現在のF.Yさんです。あなたは親鸞の真摯な信仰の中に深い教えを見出し、大いに参考にしました。そこでご縁が生じ、次のスペインにも共に生まれ変わっていくご縁が結ばれました。

あなたはカトリックに関して、根本の神様ということで共鳴していました。十字架のヨハネから教えを受け、その周りのシスターたちと共に学ぶようになりました。鎌倉時代以前では、古代のエジプトにおいて、アクナテンが多神教から一神教に基づく宗教改革を行っていた時代に生きていました。その時がARIのグループとの最初のご縁でした。

あなたは当時、彫刻を手がけていました。美術の方面で自分の腕を磨きました。アクナテンのエジプトの国で宗教が変わったことを、芸術を通して人々に知らしめる。その芸術表現が採用されていたので、あなたの信仰に対する熱意と芸術的な可能性が目に留まり、あなたは新しいひとつなる神様を、芸術的に表現するために働くようになりました。

あなたはインドに生きていたこともありましたが、それは龍樹の時代です。その後を追うように唯識の世親が登場し、それがARIのグループソウルをなしています。その時は世親の時代というより、その前の龍樹の時代のインドでした。

また、平安時代初期にも生きており、これもT神社のほうの系統のあなたの生まれ変わりです。特徴としては、T神社のほうが大抵の場合早くに手がけ、その後に出てきて教えを完成させ仕上げる役目を、このARIのグループが引き受けているということです。生まれ変わりでも、従って少しずれて後の時代に活動が引き継がれているのです。直系の中でというより、その周辺で独自に引き継いで完成させる事を行っているという関係にあります。

【質問3】 夫・K.T (19**年6月*日生、神奈川県**町出生)とのご縁をお教えください。彼の前世とこれからの人生における注意点や留意点、アドバイス、困難の乗り越え方をお教えください。

【ソース】彼は気さくでハキハキしており、物分かりが良い人です。何でもよく出来る人です。器用であり、気転が利き、ヒラメキのある人です。あなたとは前世で夫婦だったこともありますが、友達であったことのほうが多かったです。

いつもいつも夫婦として生まれ変わってきているわけではありません。しかし、順縁であり、お互いに分かり合い、支え合い、信頼し、尊びあっている関係です。あなたが使命を遂行したり修行するために、彼は理解を示し適当な距離を保って、あなたがやりやすいような環境を提供してくださってきています。

彼は前世の時も器用で気さくで気転が利き、主に人のお手伝いをして、自分の才能やアイディアや腕前を他の人を助けるために使っていました。知恵や技術を他の人のために役立てて喜ばれ、他の人がそれで助かって、それで彼自身も成り立たせていただいていました。

場所や仕事の種類を問わず、求められれば何処までも出かけて行って用を足す、便利屋的な働きをしていたことが多かったです。ほとんど技術職に就いていました。また知恵やアイディアを活かす仕事に就いていたり、人と人との交渉の取りまとめや取次ぎなどもしていました。また情報伝達など、ある所から別の所へと重要な任務を与えられて、機密情報を携えて伝達したこともありました。

さて、現在の仕事についてのことですが、今はインターネットのメディアの時代ですので、お店で売るばかりでなく、どれだけインターネットを活用するかが鍵になっています。もちろん、現場のお店が基本には違いないのですが、インターネットを活用してどれだけ良いホームページを作るか、そして、すぐに対応していけるかにかかってきます。

その際、お店の現場ももちろんですが、特化すること、つまり雑然といろいろなものを並べるだけでなく、商品を特化し、こだわりを持たせることが必要です。そして、それがネットや噂で伝われば、日本全国から****のお店に、その方面の関心があるお客さんがやってきます。日本でもそのお店にしか無いというこだわりを一つ二つ持ちましょう。また、期限決めで特集を組むのも良いかもしれません。その特集に誘われてお店にやって来たら、他にも良いものがいろいろあったということなら、お客さんがその時だけでなく定着します。

お客さん商売ですので、お店の雰囲気が明るく親切で信頼がおけること、良心的であること、即座に対応して心配を解消したり、欲しいものを手に入るようにしてあげること、例えば、「こういう商品が欲しい」というお客さんがおられたら、今お店に無くてもそれを探す手配をして手伝って差し上げるとか、出来るだけのことを誠実にして対応してあげれば、お店の評判が高まります。また、類似のお店とも連携し、協力し合って商品を交換したり、引き受けたりすれば、連携を図ってさらに強力になります。自分の所だけで頑張っていても限界があるのです。

お店は入りやすくしましょう。お店の雰囲気作りや全体を整えるということで工夫を要します。もちろん店員さんという人間が、一番の決め手です。今の時代、続かないことはありません。

また日頃、お祈りをして仕事に価値を置いていれば、アイディアが授かり、それを実行に移していけば開かれていきます。神様のお導きが働くからです。何より、今繋がっているお客さんを大切にすること。現状から出発し、今のお客さんを本当に大切にしてよく面倒を見てあげること。そうすれば上向きになり、今を土台にしてそのような誠実対応をどの瞬間もすれば、着実に伸びて行きます。

日頃のお祈りで、神様に仕事を通して世のお役に立つことをお願いし、お店をお祈りの中で神様に捧げましょう。そして深く頭を下げて「何とぞよろしくお願い申し上げます。神様の心の通りになりますように」。そのように神様にお伝えしましょう。

「今世、私が生まれてきた目的が神様のお心に沿って正しく遂げられますように。それによって、世の多くの方々のお役に立てますように、どうぞ宜しくお計らいください」。そういった主旨のお祈りを日々捧げて、仕事に感謝し、精一杯今の機会を大切に励まさせていただきましょう。あなたも妻として、よく夫の相談に応じ、力を合わせましょう。

【質問4】神様のお導きとお守りをいただきまして2010年2月11~15日に国立の***・ギャラリーに於いて無事に13回目の個展を開催し、終えることが出来ました。来客数こそ減少したものの、お客様とのあたたかい大切な交流が多くございました。今後、創作活動におきましては、これまでのスタイルで良いのか、あるいはどのように活動していったらよいか具体的にお教えください。

【ソース】変えないほうが良さそうです。今までのものを一貫した姿勢で続けるのが良いのです。一貫性を基本軸にしつつ、その中で時代状況やニーズ、あるいはあなたの成長や変化に応じて自ずと変わる部分が変わるということならば、それは良いのです。しかし、基本方針とか自分のスタイルとか信念とかは変えないほうが良いのです。自分ならではのものを大切にすることです。自分にしか出せないものを丁寧に一つひとつ仕上げましょう。自分にしか出来ないものを作ること。自分だからこそ出来ることを真心を込めて一つひとつを仕上げていくことです。

自分に与えられた使命とは何なのか、そのことに思いを致す時です。自分の腕を磨く、技を磨く、もっと根本のところでは、自分という素材自体を磨く。仕事上の技術とか技を磨くばかりでなく、自分という人間の素材そのものを磨く、作り上げる、整える。さらに生活も整える。身体と心の健康にも留意していく、人間関係や環境も整える。いつでも万全の態勢で気持ちよく仕事に打ち込める。そのようなことのために信仰があり、また教えを学んで指針にしているわけです。

自分やその周りが整い、良くなってくれば、そして健全な目標や願いを持って神様といつも繋がらせていただいていれば、自分という素材が目一杯活用されます。また、目一杯活用されるような状況や機会が与えられます。そうしたら、すかさず与えられた機会に感謝して充分に機会を活かさせていただくことです。

そして感謝し、超作で捧げながら無心になって取り組んで、一体化して挑んでいけば、神様が導かれ、最善の結果を授けて下さります。そのようなプロセスであなた自身が成長を遂げ、自ずとカルマも解消し、自分の限界自体が打破され、今まで以上の仕事が出来るようになり、喜びや確信、感謝が湧いてくることでしょう。あなたのものが良いとわかり、そして評価してくださるお客さんを始め、仕事で繋がっている方々と共に、それらの方々に素直に感謝し大切にさせていただいて共に歩んでいきましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
                    <了>

2013年11月7日

新年懇親会やクリスマス会で私が頂いたカードの意味は?


2012.3.8 パーソナル・リーディング No.12747  

【質問1】2012年2月5日、新年懇親会に参加させていただきました。その会で、先生からメッセージカードを頂きました。私が頂いたカードは『主に愛されている人』でした。このメッセージを私が頂いた出来事の意味をお教え下さい。またクリスマス会でも同じような御言葉『あなたは神と共にあります』を頂きました。もしこの御言葉も関連があるなら、合わせてお教え下さい。

【ソース】あなたはこれまで生きてきた中で、自分は人からあまり愛されていない。そもそも自分は人から愛されるに足る人間ではない。そのように捉えていた節がありました。自分の中での動揺があり、自分自身に対する価値に疑いを持って生きてきました。仕事にしても、人間関係にしても、生き方全般において、あなたの根本のところにその事が潜んでいたのです。そしてそれがいろいろ妨げになって、生きるのが辛く、それが仕事や人間関係にも表れていました。

そのような自分に対する疑いや、生きたり働いたりして辛い思いの中、自分を見つめるセミナーを知らされ、感ずるものがあって受けたことでしょう。それから少しずつ気持ちが楽になったり、ふっきれたり、自分の魅力や価値に気付けて、自分を受け入れられるようになってきました。さらに奥深く霊的な所まで分け入り、神様や霊的な観点から自分を見つめ直したくなり、リーディングを受けたり、キリスト教に親しみがあるので、ARIのイベントにも参加するようになりました。

そのように、これまでの辛い人生と、願い求める気持ちで取り組んできたこととで準備がほぼ整って、そのメッセージを頂いたのです。そのメッセージを頂けるところまでようやく来れたのです。その少し前には、静岡でヨハネの祝日の会に参加し、貴重な体験も頂きました。またその少し前には、クリスマス会でARIの温かいファミリー的な集いの一部になり、思うところ感ずるところがあったことでしょう。

そのように神様に導き育てられ、年明けて新年会の御祝いの席にて、ありがたくもったいない御言葉を賜ったのです。あなたは人々から確かに愛されており、愛されるに値するものを持っているんだということ。その根底に神の愛があり、神の純粋の表れであるイエス様から愛されているという事実があったことに気付かされました。人々から愛されている。それで自分でも自分を受け入れてあげていい。そこまであなたは来ていましたが、さらに主から愛されているということ、その本質に関わる重要なことが今ようやく明かされたのです。そこまであなたは時間をかけて神様に導き育てられてやってきました。

もし、いきなり〝主から愛されている〟と言われても、ピンと来ないし、到底受け入れられない御言葉だったことでしょう。でもこれまで数カ月から数年かけて、探し求め、学びに取り組んできたおかげで、自分は自分を受け入れてよいし、自分は人から愛されているし、愛されるだけのものが自分にはあるんだと思えるところまで来ていたので、霊的な次元での愛の本質にかかわる、〝主から愛されている〟という御言葉が受け入れられました。また、それだけ有難く大切にも思えました。人々から愛されるだけでなく、根本のところで、主からも愛されているんだとわからせられました。自分にはそのようなものが備わっている、また与えられているということが、自分で認められるところまで来ていました。

神様のなさることは絶妙です。時期や場所を選んでメッセージを下さります。クリスマス会やヨハネの祝日の会、また、個人リーディングを受けたり、そういった事を経て、あなたが素直で、ありのままになってきたところで、〝あなたは主から愛されている人なんですよ〟という、この上もないメッセージが授かったのです。ただ人から愛され、人々から愛されてるだけでなく、霊的にも価値があり、神様から愛されているんですよ、ということです。

主から愛されている人という表現ですぐ思い浮かぶのは、十二使徒のヨハネです。ヨハネによる福音書に表れている通りです。また、エドガーケイシーのリーディングでも、ポールソロモンのリーディングでも、ヨハネのことを〝主に愛されている人〟と表現して出てきます。それで思い出したのは、あなた自身、大学の時洗礼を受け、ヨハネというお名前を頂いていたことです。ヨハネの祝日の会に参加し、一緒に同朋たちと歌を歌い、セレモニーの一部となり、自分もヨハネというお名前を授かっていたことを思い出し、何か身近に感じ、神のお導きや御計らいを感じたことでしょう。

大学の時に洗礼を受けて、ヨハネというお名前を授かり、とくにそれを意識して求めたのではないけれども、素直に現実の流れに従っていたら、ARIのヨハネの祝日の会に参加し、その一部に自分がなり、そして年明けてヨハネに固有の表現である、〝主に愛されている人〟という御言葉を授かったわけです。

そこには偶然を超えた、神の熱い御意志とお導きが感じられます。あなたにはそれが必要なのです。あなたはそれを願い、それで癒されたりさらに自分らしくなって輝けるからです。あなたが本当に自分を受け入れられ、素直になって輝けるのは、最後は霊的なところまで入っていって実現することによってです。あなたにはそのような霊的なものがあるからです。

しかも、いろいろな宗教に惹かれるものがあるけれども、キリスト教に馴染みやご縁を感じています。またそれぞれの宗教は、根本は一つであるという認識にも惹かれるものがあります。そういったことは十二使徒のヨハネに固有の認識や、生き方なのです。それで自ずとARIに導かれ、そしてしっくりくるものが感じられます。自分の中にそのような思いがあります。

人は自分で考えたり、いろいろ検討して取捨選択します。それとともに無意識のうちにも、神様や霊的存在の影響が及んでいるので、結局は、自分の系統や、生まれてきた目的に従うようになっていくものなのです。人は次第に自分に気付き、目覚め、自分を取り戻し、自分になっていく存在なのです。素直で自分に正直であればあるほど、それがスムーズに起きてきます。あなたにはそのような素直さや、主の言われた幼子の心があります。それがヨハネの精神と魂と生き方です。

あなたは前世において、霊的なものを求め、実践もしていました。あなたには実際的・現実的な面と、霊的な面との両方があります。前世でそうだったのです。それで自ずと生まれ変わっても霊的なものを求めるようになり、求めるだけでなく現実にそれが与えられて、自分の生活の一部になり、欠かせないものとなってきているのです。

人は前世を思い出さなくても、また前世を特に意識しなくても、結局は前世と似たようなものになっていくのです。そうでないものは長続きしないし、成り立ちにくいし、辛いのです。あなたにそのような〝神様と共にある〟部分があって、それがとても自分の中で重要なので、それがないうちは辛かったり居心地が悪かったのです。自分が求めたにせよ、周りから進められ与えられたにせよ、必ず自分を取り戻していくようになります。

あなたに霊的な面があることがクリスマス会のメッセージにも表れました。〝あなたは神と共にあります〟というメッセージです。例えばダビデはそのように表現されています。ダビデは〝主が共におられる人〟と説明されているからです。ダビデが十二使徒のヨハネに生まれ変わったので、ダビデと使徒ヨハネは一つです。ダビデも〝神と人々に愛された人〟と表現されています。あなたはそのような精神を持って、その系統で何度か生まれ変わってきていたので、自ずとARIに引き寄せられ、そこで自分を取り戻し、心からの安らぎや充足感が感じられるようになりつつあります。

最初にリーディングを知らされ、勧められた時は、特に霊的なことまでは求めておらず、もっと実際的な仕事に関することや、自分の現実的な側面についてリーディングを受けたことでしょう。しかしあなたの奥深い部分は、もっとそれ以上のものを求めていたのです。また神様もあなたにそれを与えようとして、リーディングにご縁を下さったのです。それで自ずと、現実の動きもそのような運びになってきているのです。

皆、その時の自分に相応しく、合った所に導かれ、実現することが起きるのです。それが自分の体験となっていくのです。世の中はその様に割り振られ、動いています。

あなたにヨハネの性質や精神が宿り、その系統の魂でもあったので、自ずと大学時代にヨハネというお名前を付けられたのです。現実に起きることは気まぐれに見えたり、時に非合理に見えることもありますが、必ず導きの中で起きてくることで、最終的な落ち着きどころは、自分に縁がありしっくりくる、自分に見合うものになるのです。人はそういうところでしかおれないし、生きられないし、成り立たないのです。

こういったことは、自分でも一人静かになって思いを巡らせば、確かにそうだと思えることです。そうでないことは無理があり、長続きせず、自分でもそう思えなかったり、辛くなったりするのです。自分が深く関わっていく人は、自分と何か似たものがあるものです。また共鳴し合います。それでヨハネ・ペヌエルとも何か通い合うものがあって、「あぁ、ここなら学んだり、お祈りが自分なりにできそうだ」と思えたことでしょう。それがヨハネの性質や精神として共通しているものなのです。

あなたは人を愛することにためらいがある場合が時々あるかもしれません。でも、まずあなたは主から愛され、受け入れられていること、それに気付けば、自分らしくいられて、まず愛される、受け入れられる、それから自然に、自分も周りの人を愛したり、周りに対応していけるようになるのです。

愛される喜びや至福感を十分に感じましょう。それが今のあなたに最も必要で大切なことです。神はその様に今のあなたにピッタリで効果的なメッセージを下さって、育て導いてくださりつつあります。メッセージの背後にある、熱き御意志と働きかけを感じ受けとめましょう。

【質問2】2011年12月28日に『ヨハネの祝日』に参加させていただきました。そのイベントに参加させていただくにあたって、私のクリスチャンネームも「ヨハネ」であることに気が付きました。偶然のような、でもすごく意味があるような気がしました。この出来事の示す意味を私の前世とも関係があるならば、合わせてお教え下さい。宜しくお願い致します。

【ソース】現実に起きることほど確かなことはないのです。出来事はすべてを物語ります。出来事に語らせるのが最も確実で間違いがありません。出来事が真実を「こうである」と物語ってきます。

波動の法則が現実に働いており、現実とは神の生きて働く場です。人間も考えて行動し、結果を作り出しますが、深いところで神が関与し、現実を司って導いておられます。その時点の自分の波動の高さと種類に応じたことを人は体験するのです。全く場違いなことは実現したり体験したりしません。良くも悪くも、その時のその人を表すことが起きて、体験し、それが自分の一部となります。

人は自分に合う場にしかおれません。自分に相応しいことを体験もします。それで、あなたがまだ自覚していないうちから、クリスチャンネームとして、自分の性質がヨハネ的なものがあったので、自ずとヨハネと命名されたのです。そして準備が出来てきたところで、ARIという会に引き寄せられ、招かれたのです。そしてメッセージを頂くばかりでなく、自分でも思うところ感ずるところがあってリーディングを申し込み、このような解説も聞くようになったのです。起きることは神様と霊的世界からの働きかけです。だから出来事はメッセージなのです。

あなたはローマ帝国に生きていました。おとなしく、敬虔(けいけん)深く、真面目な人でした。恥ずかしがりで、人に自分の思いを表現することに困難を覚えていました。普通の職業に就いていたのですが、思うところ感ずるところがあって、キリストの愛の教えを学び、一人で密かにお祈りも捧げていたり、聖書も読んでいたのです。

周りから愛されている人でしたが、自分ではそうだとは捉えていませんでした。それで人の態度や反応が気になり、それを気にかけて、自分の態度や応答を決める人でした。そのように生き、周りを気遣って生きていましたが、ある時からヨハネ共同体の存在を知って、出入りするようになりました。それから少しずつ自分が楽になり、自分で居られるようになって、朗らかで優しい人になっていったのです。

十六世紀から十七世紀にかけてスペインにも生きていました。そこでもキリスト様に祈りを捧げる熱心なクリスチャンでした。あなたにはそのような側面があるので、今でもそれを求めており、それによって初めて楽になり、自分で居られるようになるのです。

【質問3】私のライフシールをお教え下さい。

【ソース】ライフシールの真ん中には、あなたの正面の顔が見えます。胸から上の正面の姿です。その下には「自分であることの大切さと尊さ」、そのように記されています。

ライフシールの、向かって右側には、自然ののどかな光景が映し出されています。草原に野の花が咲いていて、小鳥たちもさえずっています。その下には「心を育み、命を大切に、生かされて生きる」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの左の位置には、多くの人達の中にあなたがいて、自分らしく居られ、周りの人達と上手くコミュニケーションしている光景が見えます。その下には「人々に愛されている、そのことを確信せよ」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの下の位置には畑が見えます。季節ごとに色々な野菜が採れます。畑はあなたの心を表します。色々な収穫物が採れるのは、心の豊かさを表しています。また、様々なアイディアとか、理解とか、知恵とか、優しさが、あなたの心に生じることを表しています。それが多くの人を潤し、助けます。ちょうど畑から採れた野菜が、多くの人の命の糧になるのと同様です。その下には「心を耕し、収穫物を周りと分かち合おう、喜びがあるだろう」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの上の位置には、神様の御光の中にイエス様とマリア様の御姿が拝されます。その下には「主が共に居られる。安心して恵みの中で生きよう」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールは円の形です。背景色はイエローです。輪郭の色は紫色です。ライフシールのテーマは、「かけがえのなさ。互いに通い合う普遍的な愛」。

【質問4】いつもお導きいただき、支えて下さりありがとうございます。私にふさわしいONEの祈りをお教え下さい。宜しくお願い致します。

【ソース】「神様いつもありがとうございます。こうして生かさせていただいております。日々、奉仕の機会、カルマを果たす機会、学びの機会、恵みの機会をどうぞお与えください。

今世生まれてきた目的が、神様の御心に沿って滞りなく遂げられ、天寿を全うし、神様の御許へと還らせていただけますように、日々御守りお導きください。

神様の御心の通りになりますように。神の御業が私を通しても行われ、顕れますように。日々、ご助力御支援ください。

多くの人を愛し、為になっていけますように。そのような自分になれますように。日々、育みお育てください」。


リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2013年10月10日

次回の個展のテーマや題材は何を扱えば良いでしょうか?

2013.1.16 パーソナル・リーディング No.13210

 質問1  
昨年、黙示録完結篇として全ての章を描き上げ個展を致しました。次回は2014年5月に個展を致します。ONEの教えを広めて行きたいのですが、次回のテーマや題材は何を扱えば良いでしょうか?聖書の創世記や、ヨハネの章とも考えたのですが、キリスト教の普及と誤解されそうで、躊躇しております。その他、7つの大罪や美徳、日本神話なども勧められましたがピンと来ておりません。残る後半生、神様のご計画を限られた時間で描くには、何を手掛けて行けばよろしいでしょうか?お教えください。

【 ソース 】 
普通に見ると、ONEということですので、インターフェイスの方向でキリスト系の黙示録が完成した後は、神道であるとか仏教、あるいはインドやネイティブアメリカンの題材など、ONEということでキリスト系を終えた後は、別の宗教に向かっていくのが良いように見えます。それがインターフェイスになり、バランスも取れて、一つに偏(かたよ)らず、誤解も招かずに済むからです。但し、そのように平均的に平らにインターフェイスということで、キリスト教へということなら、次は別の宗教をということが良いように見えますが、それでは薄められてしまいます。

多くの人々の動き方としては、インターフェイスで、そのようにいろいろバランスよく取り込んでいくのが、良いことはあるのですが、個人の動き方としては、それではあまりにも一般的すぎて、自分に馴染みません。やはり自分の独自性というのがありますので、自分を活かしましょう。全体でインターフェイスになればよいのであって、自分の動きとしては自分の特徴を極め、遺憾なく発揮していくのが筋です。

あなたはあなたに徹する。別のONEの動きの人はその人のものに徹する。そのようにONEの学びをしている人がそれぞれ自分のものに徹してこそ、ONEが全体にできてきます。そういった複数の人たちが集まると、全体が補われ、広い範囲をカバーしているとなるのです。インターフェイスのONEは、単なる薄められた無難な教養講座であってはなりません。自分だからこそできること、自分にご縁があること、それに徹することが各自必要です。

皆無難な線を狙って中途半端に終わったらどうでしょう、単なる素人の好事家(こうずか)の集まりにすぎません。そういうものは世間で求められず、相手にされません。やはり自分が秀でている部分、自分の思い入れがある部分に徹してこそ、その部分が抜きん出るので、評価され、注目され、役立ちます。自分も達成感や充実感があり、行いながら成長できます。それこそ「超作」です。

そのように自分が自分のものに徹底することで抜きん出ることができ、周りから求められ、役立ち、そうすると自分も成り立って生きていけます。迷わないこと、周りを気づかい過ぎないことです。所謂(いわゆる)、人間としての配慮は必要ですが、そわそわして、周りから人受けするような行いをしたり、誤解を避けようと意識し過ぎないことです。

一人ひとりがその人の得意なものに徹して極めていく、そういうプロ集団の集まりでこそ輝きを放ち、世間から注目評価されます。それぞれが自分の最も得意とするものに徹すれば、良いものができてきます。AさんはAというものに徹する、BさんはBに徹する、つまりあなたは黙示録とか創世記とかヨハネの章に徹する。

別の人は絵ではない別の分野で、例えば、日本神道に徹する。別の人は仏教にご縁が深く、仏教に魅かれ、仏教が得意なので仏教に徹する。ONEを学んでいる人がそれぞれ自分のものに徹する。そういう人たちの集まりなら注目され、評価されます。ONEを学んでいる人はそれぞれ自分独自のものを持っているので、それぞれが自分のものを行えば、それらを集めればカバーし合えるわけです。 

自分の中でいろいろ補うということよりも、ここまで来たら徹するのが良いです。本当に自分がピンときて興味があり、やれそうなこと、やり甲斐のあること、自分の特色が最も出せることや活かせることに自分を投じてこそ達成でき、充実感も伴います。極められるし、行いながら成長でき、生まれて来た目的が最も良い形で遂げられます。

ONEという場合、例えば、富士山をイメージしてください。富士山の裾野の広さ広がりはインターフェイスですが、富士山の山の高さは、ONEという頂(いただき)、頂上です。広がりを目指すと、広く浅く流れることになりかねません。寧ろ高さを目指しましょう。極めるということ。完成度合いです。

山の広がりより、山の高さを目指しましょう。徹底する、完成度を上げる、より優れたものを作り上げることです。そうすると自ずと広がりとか包容力もそれなりには伴ってきます。自分の全てを総動員すれば、それ相応の広がりも結果としてついてきます。広がりは結果としてついてくるのであり、目指すものではありません。目指すのは高みです。少々の誤解されることがあってもよいです。気兼ねし過ぎないこと。寧ろ徹することです。自分の世界に入ることです。自分だからこそ首尾よくでき、成就できることに自分を向けていきます。

黙示録としては完結できました。それは必要で良いことでした。何でも途中までというのはよろしくありません。特に自分が得意で大切なことは達成するべきです。最後まで終えて良かったです。その上で見てみると、もう少し広い範囲に立って眺め直すと、黙示録としては完結しましたが、もう少し広い範囲ではまだ完結していないことが見えてきます。仕事には一貫性がなければなりません。それこそ中途半端はよろしくありません。

黙示録が完成したなら、やはり次は黙示録に対応する創世記です。聖書の始まりと終わりだからです。終わりの部分を完成させました。黙示録です。聖書の始まりの章は創世記です。終わりだけでなく始まりも描いて完結します。今度の完結は黙示録の完結というより、それ以上のものです。聖書の完結になります。始まりを描くことで。

黙示録には神様が自らを次のように名乗られておられます。「私は始まりであり、終わりである」「アルファであり、オメガである」。そのようなものである、と。黙示録の内容や啓示は聖書を完結する内容であり、創世記に対応して創世記を完成させるような内容だったので、聖書の最後に位置付けられたのです。

また一方、黙示録を完結させるという別の切り口を見ると、ヨハネによる福音書が浮かんできます。ヨハネの黙示録とヨハネによる福音書はセットです。同じヨハネ文書としてヨハネ系の重要で欠かせない文書です。ヨハネによる福音書だけでもヨハネの黙示録だけでも不十分です。その両方がセットで与えられて完結しました。

福音書ということで4つの福音書を一つに見る捉え方があります。その一方で、ヨハネ系の使命の成就ということで、ヨハネによる福音書と黙示録を一つの関連した作品として完結させられると見ることもできます。あなたが自分のルーツや興味、今世で果たせる役目というものを考えた場合、自分の独自性をどこで活かすかということになります。自分の立ち位置や自分だからこそ成し遂げられることや成し遂げたいことが浮かんできます。

一般的なことというのは人受けしますが、あくまで外の視点であり、表面的です。本人は充実しません。やはり自分の奥深い魂を偽らないこと、これを成し遂げるために自分は生まれて来たし、これは自分しかできない、そこに自分の固有の存在価値がある。そのように思えることに徹するのが、「本当にやった」という思いがします。そうすると、生きていけるのです。 

「創世記」を次選ぶか、それとも「ヨハネによる福音書」を選ぶか、それはあなたが決めて良いことです。自分の感覚やニュアンスとして、またルーツや生まれて来た目的として、ライフワークとして、どっちのほうがしっくりくるかです。好きなほうを選んで良いのです。できるほうを。またやりたいほうを。

仮にあなたが、ある人から勧められたように、日本神話がピンときて、日本の神々と繋がりを感じ、「それを是非したいし、自分なら首尾よくやれそうだ」と思うなら、日本神話を描くと良いです。でもそう思えないなら、しないほうが良いです。日本神話を描いている画家は何人か既にいます。もちろん、キリスト教の絵画も外国人をはじめ、多く描かれてきていますが、それでもあなたのタッチでスタイルで描くということは未だなされておらず、手付かずです。また、順番というものや時期というのがあります。

このリーディングを聴いて、あなた自身の心の中に、「そういうことなら一生のうちに、これから創世記も描きたいし、ヨハネによる福音書も描くのが必要だと思える」そのように感じた場合、順序としてどっちを先行するかです。次は、黙示録の後は、創世記が良いように思えるし、創世記が描きやすいとか、逆にヨハネ系の黙示録を描いた勢いで今度はヨハネによる福音書が描きやすいし、福音書のほうを描きたい、そのほうが順序として良いように思える、そのように思ったら福音書のほうになります。

もちろん他のものもあり得ることでしょう。例えば、あなたの中の思いとして、ルカによる福音書が浮かんでくるとか、お釈迦さんの生涯が浮かんでくるとか。そういうことなら、それでももちろん良いのです。自分の心の実感に従うことです。自分の実感が伴わないことは行っていて迷いが伴ない、つらいです。うまくいきません。根性がないとか、忍耐力がないとか、中途で挫折しやすい性格だとか、そういうことでなく、取捨選択を間違えなければ、やすやすと喜びのうちに達成できるのです。工夫し、うまく自分の本質と同調すれば、他力も加わり、導きがあり、予想以上の好結果が出ます。

あなたは自分を抑える傾向があります。前世から頑張って我慢して取り組んできた人です。努力家です。楽しく朗らかに柔軟に、それでいて一貫性をもって、お計らいの中で身を任せ、身を委ね、行っていきましょう。黙示録を描いたことを弾(はず)みにして、また励みにして、穏やかに気持ちよく次に向かっていきましょう。楽しんで取り組みましょう。更にイマジネーションを働かせましょう。


【質問2】2月で50才となります。今は両親と暮らし、自活せずに食べて行かれる状態ですが、この先の不安な社会情勢や保障のない絵の仕事を考えますと、自分の将来も不安です。これからは心の時代とは言われてますが、絵で身を立てる難しさを感じております。これからの50才、両親とのこと、仕事のこと、結婚のことを含めて、今後の展開、過し方をお教えください。


【ソース】社会情勢や自分の周囲の状況に合わせて実際的になり、また柔軟に応じていくということは、必要ではあります。しかし、自分を下げたり、妥協したり、譲歩するようなことになると、自分の価値を低め、不本意であり、そういうことはうまくいきそうでいてうまくいかない場合が多いです。ちょうど商売をしている人の場合なら、価格崩壊のようにコストダウンして、自分を安売りして、世間の状況に合わせて、うまくいかないのに似ています。ある程度譲歩したり、社会の情勢に合わせていくことは必要ではありますが、一貫性も大事なのです。

例えば、リーディングなら、リーディング料金を下げていくとか、周りの求めに応じて切り売りし、1問にも応じて、1問で15000円のリーディングを作るとか、そういうのに似ています。そういうことは、一部の人から喜ばれ、一時は受ける人が増えるでしょうが、自分を下げ、神さまをも悲しませたり、ガッカリさせることになります。

プロ意識をもって高品質のものを描き続けましょう。ある程度の譲歩や合わせていく柔軟性は必要ですが、一貫性があってこそ、ある程度の柔軟性も生きてくるのです。一時喜ばれ安心され人受けしても、次第に自分が軽んじられ、消費され、飽きられ、捨てられてしまいます。悪循環にはまってしまいます。そういうふうに自らしてはいけません。

お金の法則というのが働いています。お金と心の動きの関連性があります。安く設定すると、それだけのものに実際になるのです。逆に高くしたり高くキープしていると、それだけの内容が伴うのです。常識的に見ると、安くするのが親切で神さまの働きに見えます。ボランティア的に行うなど。そういうことにも真理はありますが、それだけが神のなさり方ということではありません。自分の本質で納得いくように、今世の使命を貫きましょう。合わせるということに走ると、形体が崩れていき、限(きり)がありません。成り立ち難くなり、自分の本質が喜ぶということが減ってきてしまいます。

世間には、精神世界に興味があって、一つの自分の専門だけではやっていくことが厳しくなったからネットワークビジネスに加入するとか、治療やヒーリングを始めるとか、少しでもお金が入って生活できるよう、人を削るほうに向かっていく人たちが多くいます。それはその人の生き方で悪くはありませんが、要は、「自分の場合はどうしたら良いのか」ということを自らに問うこと、また神様に問うことです。

他の人が絵を描いてるだけではやるのが困難になったから自分もそうするというのは、答えになっていません。皆異なります。自分の場合は絵を描き続けて成し遂げるのがいいのかもしれないのです。自分の中に答えがあります。自分の実感に答えのヒントがあります。本当に自分が喜べて納得できるというのが答えの示唆(しさ)になっています。

人生は予想の通りいくとは限りません。肯定的な予想の場合でも、否定的な予想、心配や懸念(けねん)の場合でも、そのとおり現実が動いていくとは限りません。自分の両親も次第に年とってきて弱ってくる、今は家である程度保障されているし、自分の体力も気力もあるから生活できるけれども、これからもずっと絵を描いていけるだろうか。自分の身体の状態や気力、あるいは生活状況、そういうことで心配が出てきます。

でも、元々人は使命を達成するために生まれて来ています。現実の動きは霊的世界との関連で動いていきます。それゆえ、本当に神様や霊的世界を尊び、祈ったり瞑想しながら、自分が成すべき務めを忠実に遂行していけば、成り立つようになっているのが現実です。このように言うと、それは非現実的で甘いと見られるかもしれません。現実はそんなに簡単ではない、と。しかし、自分に徹すれば、そのほうが叶いやすいのです。自分から逸(そ)れないことです。徹底していけば、難しいと思うことでも活路が開かれます。逃げの態勢や受け身の態勢に、心配から始まると、かえって事態を困難にしてしまいます。

仕事を成就するということがどんなにか大事でしょう。周りの様子を見ながら、これからも研鑚(けんさん)に励み、人のつながりを大切に挑んでいきましょう。そうすれば、使命を遂行している限り健康も伴うし、家の事情などもちゃんと自分が一生生活していけるようになっていくことでしょう。迷って妥協しないことです。周りに合わせすぎるのも善し悪しです。自分の使命や仕事を理解し、協力したり、求めてくる方をとことん大切にし、その輪を広げていきましょう。また自分でも努めて人間関係を開拓し、これから広げていきましょう。そういう方々と共に、支えられながら行っていきましょう。


【質問3】先生の新刊書で「仕事の成就」のメッセージを頂きました。数年前に霊能者の方より、私の絵は海外で求められており、まずはニューヨークで発表し、その後、フランス、スペインで求める人々がいると言われました。昨年、○○画廊でのコンクールがあり、海外での発表のチャンスも大賞者にはありましたが、落選致しました。今後、海外での発表の可能性はあるのでしょうか?昨年6月ニューヨークの画廊から個展の誘いはありましたが、いろいろ考え、お断り致しました。


【ソース】まずは日本でしっかりした基盤を作り上げることです。海外での可能性について見てみると、イタリア、ギリシャ、ベルギー、オランダ、スペイン、それからブラジル、メキシコ、韓国、台湾、中国などで可能性が感じられます。外国でも小国、小さな国で評価され、注目され、求められることが起こり得ます。

それゆえ、視野を広げ、絵に関して普段から見ていてください。絵に関する海外の動きを見ていてください。また、外国人と交流したり、連絡を取り合えていれば、そういう情報も入って来やすくなります。思わぬところから誘いや依頼が来たり、あなたの絵に注目してくる小さな国の動きがあったりするかもしれません。

日本で十分にやれるようになりながら、海外での可能性も前向きに見続けましょう。そして、自分でも気乗りしたり、無理がないし、「やりたいなぁ」と思う、「やれそうだ」、「効果もありそうだ」、そのような時は今度は断らず実現させましょう。


【質問4】2010年のリーディングで精神世界の個性派の人たちを目覚めさせ、その特性を引き出す役目があると述べられました。私の周りには、やはり精神世界系の個性派の人々が多く、その様な方々とのご縁がすぐに出来ます。今後、私の具体的な役目をお教えください。また、バランスを図る事でも、一般的な方々との交流も、もっと図っていく方が宜しいのでしょうか?


【ソース】いろんなところに出席し、顔を出しましょう。もちろん、どこに顔を出すかはあなたが選んで決めれば良いことです。あまり気乗りしない、また効果も期待できそうもない、そういうところには出向く必要はありません。「自分で行きたい」、「効果もありそうだ」、「求められたり、役立てそうだ」そういうところには出向いて行きましょう。そして、新しくお友達を作ったり、開拓しましょう。

すぐに仕事につながらなくても、行って意味がなかったとか無駄足だったと、早くに決めつけないでください。勘を働かせ、日々祈り求めながら、仕事第一に生きていれば、神のお導きが働き、自分も勘が働き、開拓されていきます。一般的なところでも、自分に合う感じで、違和感や抵抗がなければ、そして出向きたいなら参加したり出席しましょう。無理矢理広げたり一般化する必要まではありません。自分にしっくりきて、自分が損なわれず、ほぼ歓迎されるところなら行くと良いです。そして、絵のことを話題にし、相手の興味のあることもちゃんと聞いて受け止め、自分のものを話題に出せるようにしていけば、お互いに助け合う関係ができます。

世の中には潜在的に絵に興味があり、絵とご縁のある人達がある一定人数います。また、精神世界に関心がある人達も大勢います。特にあなたの絵に魅かれたり、注目したり、大切に思う方々が居られます。そういう方々を大切にし、更に開拓し、増やしていきましょう。ポイントポイントで連絡を取り合い、報告し、確認させていただきましょう。

また、精神世界の人達とも輪を広げ、開拓していきましょう。絵を通して多くの人に喜ばれ、役立つようにしましょう。すぐに買っていただかなくても大切にし、交流を続けましょう。でも明らかに無意味なつながりや無駄だと思える関わりは減らしていきましょう。自分を求めてくださる方、評価してくださる方のほうに自分を向けていきましょう。そうすると開拓されていきます。

絵を受け入れ喜んでいただくことが、役立っているということの原点です。必ずしも美術的なことがわからない人達でも、ともかく「いいなぁ」と思って喜んだり、意識を高揚させたり、安らかになっているということが、絵を通して使命を果たしていることです。また一方、プロの美術界とのつながりも持ちつつ、専門家から評価されたり評論されたりすることも期待し続け、取り組んで行きましょう。絵に関してできることは何でも手を打ち、行っていきましょう。

神に願い求め、今世の使命がより良い形で達成されるように、そこに焦点を当てながら生きていけば、そのような人生になります。神様や指導霊や先祖霊の後押しも来て、ちゃんと導かれ達成されることでしょう。
                                        リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉

   

2013年9月11日

アトランティスの頃からの系統で、科学者、そして技術者として始まった人です。

2002.4.4 前世リーディング No.6321

【質問】私の前世をお知らせください。

【ソース】それでは、判明してきたことから順にお伝えしていきましょう。先ず、理知的なタイプの人であることが判ります。後で見ていくことになりますが、チャクラとしてはアジナーが最も発達しており、アジナータイプの人です。真理の探究に前世から没頭してきた人です。真実を探究し、解明するのが好きな人でした。理性を発達させてきているのです。論理力、分析力、理解力、解析力等において、優れている人でした。技術系の魂で、機械技術、工学等、科学の方面にアトランティス以来随分、献身してきました。
 
アトランティスの頃からの系統で、科学者、そして技術者として始まった人です。その内、精神力に興味を持つようになり、生まれ変わりの中で次第に霊的方面に関心を寄せる方向に向かい出しました。その間、治療とか生命の法則、又、宇宙の原理等にも目を留めるようになった人です。そして段々、神官、祭司等、宗教職にも関わるようになっていきました。一方、マントラ等、言葉の力、可能性にも目を留めるようになっていき、言語学、言霊等も研究するようになり、論理力や分析力、理解力も備わっていった人です。

その辺りは古代のエジプトからイスラエル、又、ギリシャにかけての諸転生であなた自身が培っていったことです。一方、そのような探究のプロセスの中で、ビジュアルなことにも目を留め、映像、例えば、神様を描いた絵とか図柄、デザイン等にも関心を寄せるようになり、瞑想、或いは、観想との関わりで、曼荼羅にも関心を寄せ、ビジュアルな能力も発達させていきました。自分でも描いたりしたし、又、図柄ばかりでなく、彫刻や物を創る作品のような方面にも向かっていきました。

一方、一部ではありますが、転生のプロセスの中では、染織業等、衣服や布の色染め等にも関わり、染料の研究や化け学的な実験も行ったことがあります。又、生まれ変わりのプロセスの中で、音楽的なことや身体を動かす体操等も、多少関わっていきました。リズム体操や生命に備わるバイオリズムとの関連で生命を整えること、そして、生命を蘇生させる技術等にも関わったことがありました。

前世からの、真理の探究の中で、研究や探究、調査、実験等を繰り返して来た人ですが、そればかりでなく、それを応用し、役立てていったり、人々に伝えたり、教えたり、解説したり、マニュアルを作ったり、或いは、人の作ったマニュアルを基に解説したり、翻訳したり、解釈したり等、教育や啓蒙の方面でも随分力を発揮してきた人です。

又、一部生まれ変わりの中で、農業技術の改良、開発、改善等も行ったことがありました。前世から、科学技術の方面、教育、啓蒙の方面、宗教、霊的探究の方面、美術、工芸の方面等が主でした。他には事務系において、事務処理を始め、一部法律や政治、商業、製品開発等にも関わりましたが、そう多くはありません。又、語学の方面での解釈、解説、翻訳、解読等も割と行ってきた方の人です。

教育と研究、又、技術、そしてそれが主に霊的な方面に向かって行ったという人ですが、一部、宗教や教育との関連で、福祉的なこと、奉仕的なことにも関わりました。何れにせよ、献身的な面も出てきて、人に尽くすということも行っていきました。秘書のような役目も随分果たしてきています。どちらかと言うと実業、実務的なことよりも、やはり理論面、原理面の探究や、又、構築が多く、認識や理解において、優れている人です。

研ぎ澄まされた精神の持ち主でしたが、自分を突き詰める厳しさの余り、非常に神経を消耗させてきた傾向が見られます。非常に厳格であったり、シリアスであったり、退廃的で空虚になってしまったり、隠遁的になったり、罪悪感を抱いたり、心配性になったり、不眠症に陥ったり、神経症のようになったというのが、何度か前世において見られます。

以上のようにこれまでの生まれ変わりのプロセスの中での大方の傾向や、あなたの特色、カルマ等を見てみたのです。個々の具体的な前世を区分せずに全体の流れから、あなたの趨勢、特質、並びに留意点が浮き彫りにされたわけです。しかし一方、非常にはきはきして、切れ味が良く、愛想も良く、ユーモラスであったり、明るく元気で活力の人であった時もあります。

ただ、人に対しては非常に気遣う余り、気疲れして自分を消耗させることが多かったのです。又、自分の感情を抑止する傾向、そして物事を判断し過ぎる余り、裁く傾向、判断し過ぎる傾向がありました。自分を追い詰めて行く所があったのです。それは科学技術にアトランティス時代に関わっていた時ばかりでなく、段々治療などに関わっていた時も生命に関して、果たしてこういうことでいいんだろうか?どうなんだろうか?と、問い掛けていきました。それは時に社会体制に対する批判としても働きました。

あなたの特徴は変革していくエネルギーです。理解力と改革していくエネルギーとにおいて、優れている人です。他の人達にも判らせることが出来る人です。導き手として、又、先見力の目もある為、先を見越し、準備させていく先駆者としての役目もあり、新しい事態に備えさせ、他の人達の指導者として、そして、新しい時代への扉を開く人として、今世も生まれてきました。

あなたは大抵、どの前世でも理解力において抜きん出ており、人の三歩も五歩も先を歩んでいた人です。その意味で目ざとい人だったのです。マイナスに出た時は、退廃的であったり、空虚であったり、傍観者的になったり、批評家的になり過ぎた所があります。しかし、プラスに出た時は非常に活力に富み、献身的で、他の人達のお世話を行い、そしてよく教育し、導きました。又、器用であるのも特徴だったのです。創意工夫の面で優れた人です。そして、実験を好み、試しながら明らかにしていく、そして選り分けていく、真偽の判定をしていく、そのようなことに関わった人です。

エジプト以降、宗教に関わるようになってからは、極めて厳格な僧侶であったりして、律法や戒律を厳しく守っていた時がありました。僧侶や神官、又、宗教的な教育者や指導者、その補佐官等、霊的精神的な方面に従事していたのは、あなたの前世の内30~40%にわたります。古代のエジプト、チベット等が主です。他にはイスラエル、ギリシャでも宗教的なことに関わりました。又、中国や日本においては武芸、武術、精神統一、座禅等に関わりました。

チベットにおける前世では、僧侶の一人でした。解読が得意でした。聖典を解読し、解釈しました。周りの人達にも翻訳したり、解説して、判り易く伝えました。でも、尋ねられればそれを行ないましたが、積極的ではなく、むしろあなたの興味と関心は研究そのものにありました。自分で真実を掴み取りたい、明らかにしたい、自分が判りたい、という方に重点が置かれていました。

一人で思い通りに取り組むのが好きな人でした。それで、一つの僧院に限定せず、一応所属している僧院、寺院がありましたけれども、旅をしながら行脚し、他のお寺も回って座禅を組んで内観を深めました。一宗一派に囚われるのが嫌いだったのです。一応、他の僧侶達に合わせましたが、しかし媚びたり、ただ愛想良く合わせたりするのは、自分を偽ること、真実を捻じ曲げることだと思い、極力避けました。人と関わると、どうしても合わせるようになってしまい、その結果ごまかしが入ると思って出来るだけ他の人を敬遠しました。

お寺ばかりでなく、自然の中も回り、自然そのものの中のエネルギーや生命に感じる所が多かったのです。そして、一人でよく物思いに耽り、回想しました。そして、気付いたことは、覚書のように用紙に筆記し、それを携えていました。出来るだけ簡潔に纏め、真実を圧縮していきました。それによって、あなた独自の金言集が出来上がっていきました。しかし、それを作ろうとしたわけではなく、自分で瞑想したり、座禅したり、自然を散策したり、人生を生きて過ごしている間に、そのようなものが蓄積され、結果的に出来上がっただけです。余り、他の人達と分かち合うことはしませんでした。

又、宇宙の法則や天体、星々にも興味を持ち、測量、測定等も出来る人でした。星の配置等も捉えられる能力があり、幾何学的な頭を持っていました。観音経、理趣経、浄土経等を主に読誦していました。余り、家族を持たず、出家して一人で自由に思うままに探究し、生きていました。

中国における前世では、中国では何度か転生しており、その内の一つでは、上海の辺りでしょうか、海岸沿いに住んでいて、中国の中ではやや南方部です。例えば貝殻を眺めて、貝殻の模様に魅せられ、自然の神秘に惹かれました。貝殻というのは全部違う模様になっているものです。何故、そのようになるのだろうと、不思議に思う人でした。他の人が目を留めないような所に目を留められる人でした。

謎解きや解明することが好きでした。周りの人達は漁業を営んでいました。あなたも手伝う時がありましたが、余り乗り気ではなく、一人静かに宇宙の法則と構造に思いを致し、それを解明したり、それを考えたり、想像したりしているのが好きでした。しかし一方、子供達が好きで、子供達を相手に自分が判ったことを優しく教えてあげたり、語り伝えてあげたり、又、物語や昔話、伝説等を子供の夢を育む為に聞かせてあげたこともあります。そのような時、あなたは心が安らぐのでした。

又、ビジョンやイメージを見たり、感じたりする時もありました。それは心が無になり、透明になり、リラックスし、自然と一つになった状態で、自分本来の有り様が作られた時です。そうすると、何かを感じたり、イメージが湧いてきたり、天女が目の前に現われたりしました。そして、大事なことを示唆したり、伝えてきたりしてくれました。そのようなことがヒントになったことがありました。それによって「ああ、そうなのか」と宇宙について、法則について、神について判るのでした。

古代の日本に生きていた時は道具作りの職人でした。非常に器用な人で、金属棒のような物を手にして木を削り、棒のような物を作ったりしました。木の周りを金属のナイフのような鑿のような物で削っていくと、木材が段々、一本の棒のようなものになり、それが家庭用具として使えるようになるわけです。そのような物を沢山拵えました。勿論、木の棒だけを作っていたのではありません。その時に応じて、家庭用具として必要な品々を道具を使って作り上げていった人です。又、器も作りました。陶芸と言いますか、陶器作りにおいても、優れた手腕を発揮しました。

あなたは工夫の人であり、アイディアの人だったのです。技術の改良において、あなたは優れています。一方、人間関係に煩わされるのは、無駄だと思われ、出来るだけ回避し、無難に済ませていました。人間関係に関わるとくたびれると感じていました。思うままに、納得のいく作品を作ることに専心している方がやりがいもあるし、成果も見られるし、人間と違って嘘をついたり、裏切ったりしないので、打ち込むのが好きでした。それで、周りからは余り、取り付く島のない、味気ない人だと見られていました。

でも、興味のあることになると、非常に輝いて明るくなり、愛想良く話し始めました。そして、中々話も上手で、惹きつけるものがあり、周りの人達も感心したものです。しかし、話が終わると又、がらっと変わって元に戻り、表情が無くなって何かに打ち込み始めました。又、何かに燃えていても、急に熱が冷めてしまって、急に退廃的になったり、冷めてしまい、人生を空しいものと捉える所もありました。周りの人達はハラハラしてあなたが急に表情を変えるので、何を思って、これからどう変わるのか、不安であなたとの関わりで悩んだり、困ったりしていました。

あなたはただの気分屋ではありませんでしたが、その次に何かが自分の中に起きてくると、それに忠実であろうとしていたのです。あなたは時に二宮金次郎のように、背中に芝や木の枝を背負って歩いたり、歩きながら考えたり、本を読んだりしていた人でした。自然は好きでした。

古代のエジプトには3回位は生まれ変わっています。ピラミッドとスフィンクスが建てられていた時代にも生きていて、アトランティスから流入してきた人達を始め、世界各国からの人達を受け入れる所があり、そこで働いていました。通訳をしたり、ガイドしたり、受け入れ態勢のある所で働いていました。環境に適用できるように難民を救済したり、移民の人達の世話をしたりする導き手でした。お世話役でした。やりがいもありましたが、十分には満足できませんでした。もっと自分は他のことをしたいし、出来ると感じていました。それで、そこを辞めてしまいました。

半分解雇された形で、しかし、調度良い機会が訪れたと、清々して、そこを後にしました。そして、今で言うアルバイトのようなことを色々しながら、エジプト中を巡り、その時その時、作業を手伝ったり、翻訳や通訳の仕事を手伝ったりしながら、過ごしていったものです。
リーディングを終了します。      
(ありがとうございました)
<了>

2013年8月9日

頭と心の思いが、体にまで浸透してくると、体もついてきてくれます。

2008.7.2 パーソナル・リーディング No.10625

【質問1】4月2日のリーディング(№10458)を繰返し聴かせていただきました。ありがとうございます。何度も何度も聴かせていただく中で、徐々に心が柔らかく解され素直に前向きになっていき、相当な意気地なしの私も、ようやく重い腰を上げる気になり、地元でのイベントを1~2年のうちには初回を立ち上げていこうと、心が定まりました。お蔭様です。とはいえ、去年の友人との関わりでは、大分カルミックな行為が目立ち、お諭しいただきました。子供の頃の嫌な記憶も未だ引きずっておりますので、今後の地元での活動においてのお導きを賜りたく存じます。よろしくお願い致します。 

【ソース】人間には、頭と心と体とがあります。それゆえまず、心の面で気持ちとして「行いたいな」という思いが湧いてきて、その気になってくることが必要です。気乗りしなかったり、感情的に恐れがあったり、嫌だったりすると、上手くいかない場合が多いです。

このように感情や気持ちが、まず一つのポイントです。同時に頭もありますので、頭でよく納得し理解し、受け入れられるようになることが必要です。「ARIの地元でのイベント開催が必要でためになる、意味がある」。そのことが論理的にも道理に適っていて、納得できるようになると、確信が持てます。

ARIの教えが素晴らしいと思われ、自分も縁を感じ、自分もためになったという体験があり、ARIの教えやメッセージに対して確信があること。そのように自分の内なる確信と、気持ちとしての情熱や熱意が、まず自分の中に必要です。そして「なぜ行うのか」「行う意味があるのか」「なぜ自分が行うのか」そのようなこともちゃんと整理されて腑に落ちれば、体も動いてくれます。

頭と心の思いが、体にまで浸透してくると、体もついてきてくれます。理屈の上でも感情の面でも「そうだ」と思えると、体も動いてくれるのです。後は、地元の周りの方たちとの人間関係の形成や、信頼関係です。そこで、日頃の自分の人望や人間関係が、問われることにもなります。

ARIのイベントを主催する場合、問われるのは、ARIの内容そのものと、もう一つは主催者の日頃からの人望や信頼の二点です。同じことを人に話したり勧めても、反応が違ってくるのは、その人の日頃からの態度や人望、人をどれだけ大切にしたり、交流をしているかにもよるからです。

例えば、船井幸雄さんが「ヨハネリーディングや浅野信はいいですよ」と言われて周りの人に勧められれば、多くの人たちが「船井先生がおっしゃることならそうなのだろう」と捉え、その方向で動きます。しかし普段から問題が多く、周りから疑問視されたり、快く思われていない人が「ヨハネリーディングはいいですよ、受けてみたらどうですか。イベントもありますよ」と言っても、「この人が言うことだから、どうせろくなものではない。とてもいいものとは思えない」と、捉えられてしまうことでしょう。

これほど極端ではなくても、多くの方たちがそれぞれ同じヨハネリーディングであったり、浅野信の講演会を開催する場合、そこに開きが出るのは、一つには本人の日頃からの人望や、人間関係を作って大切にしてるかどうかによります。そしてもう一つは、本人のARIに対する熱意や理解の程度です。また、その人がどの程度ARIとご縁があるかどうか、また動く役目があるかどうかにも、多少関わることでしょう。

本人がある程度人望があって、人間関係を持っていても、そしてARIの教えをほぼ理解していても、熱意や、いい意味での思い入れがないと、やはり周りは動かないでしょう。「これはいいですよ」と他人事のように勧めるだけでは、人は動かないものです。やはり、よほどの熱意と覚悟があって初めて、人様は動きます。そこで本人の人望や、日頃人のお世話をしていれば、それらの人たちはその方向で動いてくださるでしょう。

それはあなたも、これまで自分が関わったり見てきた方たち、特に主催してきた方たちを観察してきて、頷けることでしょう。やはり多くの方たちが集まる所は、本人に人望があるのと、ARIに対する理解があるのと、そして熱意があるからです。多くの方たちを集められる、そのような土地の磁場というのもあるかもしれませんが、一番は本人の熱意と理解と行動と、日頃の人望です。

これまでにも多くの方たちを、講話やリーディングにお誘いされてきている方は、その熱意や他の人に伝える思いは、半端ではありません。それはNさんを見ても、Aさんを見ても、Uさんを見ても、共通している点です。そのぐらいでないと、他の人はお誘いしたりリーディングを受けるようには、なかなかならないものです。

浅野語録の中でも、「ヨハネ自身が若くて、まだ自分が未熟なうちは、何も持っていない、人間的にできていないし、特別な能力も深い教えもない。そのような時は誠意を示すしかなかった」と語られています。頭を下げたり、心からお願いしたり、熱意と素直さを示すしかなかったのです。それで、未熟で何も持っていない青年に対して、何人かの方たちが動いてくださって、そして今日のような会になりました。

ある程度自分を守った上で、自分の知っているものの一つを紹介する程度では、なかなか人様を動かせないものです。情報通でいろいろなものを知っていて、「ほら、このようなものもありますよ」といった程度では、傍観者的で自分を守っているので、なかなか人様はついてこられません。安全な感じにも見えますが、やはり自分が飛び込み、自分をある意味で犠牲にするぐらいで初めて、人様は動いてくださります。それはUさんを見ても、明らかでしょう。

しかし、人にはタイプや、置かれた状況や立場もありますので、あなたはあなたの置かれた状況や立場や特性、また信念や気持ちに正直に行うのが良いのです。Uさんだったり、Mさんだったり、NさんだったりTさん、あるいはKさんやKさん、Mご夫妻、そのような方たちを拝見していて、参考になるものが得られることでしょう。

同時にその上で、「さて、自分の場合はどのようにするのが相応しく上手くいき、神の御心に適うものなのだろうか」と、「自分の場合は」ということで問うてみることが必要です。他の人のようには、必ずしもいかないからです。参考になるものは多く得られますが、やはり自分は自分です。「自分の場合、どのようにしたら良いのか」それを自己調整しながら、愛と知恵の両方を使って、探っていきましょう。

自分のこれまでの地元のお友だちや、霊的なことの学びで関われそうな方たちを大切にし、インターフェイス的な精神で、やはり行うことになるのでしょう。ARIそのものということだけでは、最初は難しいですから、他の会や他のことに関心がある方たちとの連携で、インターフェイス的に行うのが、実現の可能性があるのでしょう。

最初は初心者一般向けの講演会か、あるいはお茶会的な座談会で、講師とざっくばらんにお茶を飲みながら、質疑応答ができるという形も、良いかもしれません。一般向きの開かれた講演会の形式を取るか、あるいはざっくばらんな話を何でもできる、質問して答えてもらえる、そのようなお茶会ふうの座談にするか、それはあなたが地元の様子を見て、決めましょう。

地元の方たちを一番大切にさせていただき、その上であなたのARIのお仲間やお友だちで、**に来てくださる方たちもお誘いして、協力していただいたり、テコ入れしていただきましょう。あなたはいろいろな所に赴いていますので、あなたが地元で開催するということになれば、恩義を感じているARIの会員さんたちも、何人か駆けつけてくださることでしょう。お互い持ちつ持たれつで、それぞれの地域で花が咲き、ONEの木が生えて、しっかり根を下ろすように協力し合いましょう。

また、そのような場合はやはり、一つにすぐ絞るのは難しいので、ある程度枠を広げて、系統や考えは異なっている方たちも参加できるような形が必要になってくることでしょう。また、あなた自身が学ぶつもりで開催しましょう。自分は単なる主催者にならず、自分も学びたいしこれを聴きたいというので行うと、熱意が出ますし、アイデアも浮かぶし、自分に正直なので上手くいきます。

主催は主催、自分が学ぶときは学ぶときと分けずに、むしろ自分が一番聴きたかったことや学びたかったことをテーマにしたり、「自分がこういう形態や形式を望んでいたんだ」というのが密かにあれば、それをこそ自分の所で、実現させてみるのです。「なぜ他では、こういう形態を採らないのだろうか。自分はこういう形態が良いと思うし、それを望んでいるのに」そのようなものがずっとあなたの中に温まって、もしあったならば、それをこそ行いましょう。

あなた自身が学んでためになり、そしてあなたが主催していくプロセスを楽しめることが、上手くいく秘訣です。義務や仕事で行うのではないのですから、あなたが自分でワクワクしたり楽しめるような、それが近づくにつれ心が胸踊り、楽しいようなことになれば上手くいくし、たとえ小規模で終わっても、悔いは残らないでしょう。

「自分や自分の大切にしているお友だちが一緒に、自分が学んでいるものを学べた」そのような充足感があることでしょう。「自分が日頃学んで感動していることを聴かせたい」という思いが原点です。それが思いやりだからです。そこで神様が働かれます。

人は自分が良かったと分かり、感動したことは、「自分の大切な人にも聴かせ、共有体験をしたい」という思いに駆られます。自分が感動した本とか、映画とか音楽などを、自分の愛している大切な人にも体験して欲しい、知って欲しいと思うのが、人の心だからです。それと同じです。その原点を忘れずに行えば、上手くいきます。

「人事を尽くして天命を待つ」という超作の精神で取り組めば、気楽です。「この世的物理的には、自分が動いて行うのだけれども、霊的には神様がなさることなのだから、神様を信じてお任せしよう」それでいいのです。行いながら自分も成長し、勉強できます。自分の実力や人望が試される、とも言えます。しかしそれは、辛いことや怖いことではなく、楽しく張り合いがあることだと、捉えましょう。

【質問2】父が亡くなってから7ヵ月余りが経過しました。位牌に母と並んで戒名を刻んでいただき、3月**日の父の誕生日には仏壇も改まり、いい感じで収まっているように見えます。亡くなった後、父の様子はいかがでしょうか。お許しいただける範囲でお知らせください。(父・○○○○ 1926年3月**日生~2007年11月**日没/生誕地:**県**郡)

【ソース】お父さんは生前のお名前のとおり、優秀な人でした。利発で知識も幅広く、勘も働きました。よく考える人で思索家でした。考える傾向が強い人でした。教師は天職でした。前世でも人に教えたり説明したり、人の面倒を見たりしていた人です。教えたり分からせたり、面倒を見てあげるのが好きです。

今霊界では、落ち着いてきています。落ち着かないところもあった人ですが、今霊界では落ち着いてきているのです。何でも小まめに動いて行う人だったのです。霊界に来てからはむしろ落ち着いて、安らぎを感じ、しみじみと味わっています。思うところ感ずるところがあるようで、霊界では言葉少なです。むしろ静かにしみじみ味わって、感慨に耽っています。

生前のことを反芻し、噛み締めて消化しています。魂の次元でも食べたものを消化することが、人間には必要なのです。それで初めてこなされ、養分にもなります。人生について、しみじみと味わっているところです。それは霊界への備えにもなりつつあります。そのような待機期間、備えの期間を今通過中です。

まだ、霊界の共同体の中には入っていません。しみじみと味わって、準備中です。しかし、落ち着いて安定していますし、内省の気持ちが働いているので、いい感じです。生前のことに対しては反省もあれば、感謝もあります。

特に娘のあなたには感謝していて、ありがたいと思っています。「やはり愛情が全てだ」と思い始めています。理屈や正義や正しさなどが、世の中では先行しがちです。自分の正当性とか正義とか、論理とか理屈とか面子とか、自分の優位性、正しさなどが世の中では優先されがちです。

しかし本当に大事なのは、互いに理解し思いやり、事情を察する愛です。そのようなことを、今しみじみと確認し、味わっている最中です。「結局のところは愛なんだなぁ」と、思っています。根底に働いていた愛に、目を留め始めています。そしてその愛の命こそ、神であり仏なのです。霊界はそれで動いています。

落ち着いて静かに内省しつつ、霊界に備えつつあります。時々自分のパートナーであった妻も、やってきています。様子を見に、時々やってきています。まだ完全に一つになっているのではありませんが、時々現れ、様子を見て、二人で会話も始めているところです。

これからもこの世から、娘のあなたは手を合わせ、感謝し、礼拝し、お祈りを捧げ続けてあげましょう。子孫や縁者が、家の中に霊的な拠点を設け、そこを小ぎれいにしてその前で正座し、合掌し、頭を下げ、お祈りを真心からお供えすると、やはり家系のカルマが浄化されたり、家が浄化されたりするので、必ずこの世にも良いことが起きてきて、整ってくるものです。

そのようなことを今の日本は軽んじて、後回しにし過ぎたので、世の中が殺伐としてきてしまっているのです。そのようなことはカットしてはいけません。自分が大切な存在たちのためになることで、それがひいてはこの世の家や家族のためにもなってくるのです。この世は霊界との関連であるのです。特に日本の場合は、それが著しいです。

あなたは家を守る立場です。土地や家との関わりで、これからもよくご両親のことを霊的に見ていってあげましょう。霊的にというのは、愛をもってということになります。愛自体は、霊的とか魂的とか体的というのを超えた、一番の源泉なのです。

【質問3】母が亡くなって丸5年が経過しました。その後の母の様子はいかがでしょうか。お許しいただける範囲でお知らせください。(母・○○○○○ 1926年5月**日生~2003年6月**日没/生誕地:**県**市)

【ソース】お母さんは生前のお名前のとおり、俊敏で物事に長けていました。○○というのは俊敏だという意味です。物事に聡いということです。今霊界では活発に動き回っていて、元気です。活躍して飛び回っています。自由です。大分気持ちが整理され吹っ切れて、霊界で自由に動き回れています。あちこちに出向いて、他の霊たちとコミュニケーションしたり、働きかけたり、教えたり世話をしたりしています。また、自分で内省する時間も持ったり、自分があの世で修行する時間も持っています。それぞれのするべきことを自分の中で配分し、バランスを取って過ごしているのです。

お母さんはなかなか現実主義です。今はすっかり霊界にも慣れてきて、霊界で居心地が良く、霊界のことを思っています。しかし時々ふっと生前のことも思い起こされ、しみじみと感じたり感謝を感じています。かけがえのない独特の体験だったと、生前の人生を捉えています。この世がいいか霊界がいいかとは一概に言えないことで、比べられません。それぞれの味や意味合いがあるからです。

お母さんは現実主義のところがあるので、今は霊界に没頭しています。しかしたまに、この世のことも思い出しては、良かったと思ったり、味わいを感じて感謝を抱いています。そしてその分、霊界でも励もうと思い立って、また霊界で励みます。そのような形でこの世の人生も位置づけているのです。

飛び回っていますので、あちこちの霊界の様子やどこにどの霊がいるのかも、大分分かってきています。生前のパートナーであった夫も、霊界に来たことを知りました。そして、時々様子を窺いにやってきています。まだ夫は待機していて、内省したり霊界に適応できるように備えているところなので、ちょっかいは出し過ぎず、時々様子を見て確認し、安心してまた自分の所に、お母さんは戻っていきます。

しかしもう少し後になったら、完全にお父さんの霊も霊界に入り、夫婦で一緒にいれるようになる可能性が高いです。前世から縁が深い夫婦です。夫婦であったことがありましたし、また、きょうだいだったこともありました。身近な存在として、生まれ変わってきている者同士です。

お母さんは娘のあなたを自立させました。厳しい面もありましたが、その厳しさも優しさの表れでした。お父さんは娘のあなたに頼っているところがありましたが、お母さんのほうはしっかり者でしたので、娘のあなたに頼るというより、自分が気丈でしっかりしており、娘のあなたも自立するように仕向けました。今の娘のあり方や信仰心に満足し、誇りに感じています。やはり自分の娘であり、自分の娘であってよかったと思っています。

この世での関係は一代限りではあります。しかし大抵の場合は、多少形を変えながら存続していきます。あの世でも再会する場合が多いのです。次どのような関係に組替えられるか、それは心配に及びません。神様が一番良いように計らわれるからです。

大抵の場合は、前世からのご縁は引き継がれて続いていきます。霊界に行っても、生き続けています。存在としては消えないからです。関係性も断ち切られません。それゆえお父さんやお母さんの存在を感じてみて、「日々お父さんとお母さんがあの世で、自分への思いや囚われから脱却し、あの世でもカルマを果たし、成長を遂げ、神様に導き育てられて、救いに与らせていただけますように」と、よくお祈りし、神様に両親のそれぞれの御霊をお委ねしましょう。

「神様、何とぞよろしくお願い申し上げます」と神様に一任し、ご両親の御霊を託すればよいのです。後は神様が一番良いように、受け取って計らってくださることでしょう。それが愛する者に対する、人間ができる最善のことです。神様を信じて、お任せする、お委ねするということです。神様がそれを受け取られ、一番良いように計らわれるのです。

愛をテーマとして、これからも輪廻転生が必要な限りは転生し、縁のある者たちと共に愛を育み、学び、今後とも感謝と喜びと安堵感をもって、生きていきましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2013年7月5日

今世では、太い柱を一本築き上げるように心掛けましょう。


2012.12.24 パーソナル・リーディング No.13297

【質問1】12月**日で51歳を迎えます。誕生日にあたり、メッセージを何とぞよろしくお願いいたします。

【ソース】これまでに、何か所か場所が変わってきました。自分の住む場所や活動する場所が移り変わりやすいのは、あなたの特徴の一つです。そのこと自体は良いとも悪いとも言えません。大事なことは、それは偶然ではなく、自分の特質に基づくことであり、その特質を神様が上手に用いてくださって、自分を育て導き、また磨き、活かしてくださろうという方向で、いろいろと場所が変わって来たということです。

その事に気付いて、ありがたく受け止め、確信と信頼と感謝と喜びを持って、素直に、自分らしく、自分を活かしていくとよいのです。そのように捉え、より良い方向付けを取れば、自分の持って生まれた特質が活かされるようになります。何でも「活かそう」とすることです。

変えようとすることも時には必要ですが、変えようとすることは無理があるため、苦しく、辛く、うまく行かない場合が多いです。問題だから、あるいは、このままではだめだから変えるということは、初めから否定的なものが含まれているので、恐れや不安や焦りを招き、自分の良さが活かされにくく、また、反作用を引き起こします。

それよりも、気持ちよく自分の特性の方向で伸びて行って、発展解消する中で次の在り方を迎え、よりグレードの高い段階で自分が調整され、自分の全てが良きに転じて、気持ちよく、無理なく、自然体で活かされるようになるとよいのです。それが神様の愛に基づく、人を育て導くというなさり方です。

自ずと改善されるということも、その中に含まれてきます。意図してというより、結果としてそれが伴うので、気持ちよく行えて、無理がありません。そのため、うまく行きやすいです。

教育においての無理強いは辛さや不安を招き、反動や反作用が引き起こされがちです。それは丁度、人工的な薬を服用して、薬の副作用があることに似ています。時には薬にしても、教育における改善や矯正などにしても必要ではありますが、それは必要最小限に留められるのが理想的です。

短所や問題も育て伸ばすという方向で発展解消させましょう。問題だから変えるというのは、イメージとして、左のものを右に曲げるという感じです。それよりも、上に引き上げ、育て伸ばすという垂直の方向を主にして、調整されながら伸びて行けば、短所や問題もその中で発展解消して、むしろ活かされる程にもなってきます。消すというより、否定的な部分さえ活かされるように持っていけるかどうかです。

例えば上に10センチ伸ばせば、左を右に3センチ正すということもその中に含めて斜め右に進んで行けば、自ずと左から右に3センチ正されていることが含まれています。そのようなイメージを持ってみましょう。変えるというより調整すること。また、横にシフトさせるというより、それ以上に上に育て、その中にシフトさせることも含めてしまえば、シフトさせられたことに気付かないくらいで、抵抗もありません。

人は伸びたいというものを自分の中に含んでいます。伸びる力を活かして、伸ばす中で、矯正することも合わせて、知らず知らず行ってしまいましょう。伸ばす中で、正されることも含めて、徐々に徐々に行えば、伸びているというのは動きですから、止まっているものをぐいと曲げて正すということの無理がありません。

今までの全部を糧としていきましょう。短所や欠点にしても、過失や具体的な問題や課題にしても、全てが今後のための糧となるように仕向けましょう。

では、どのようしたら、今述べたようになるのでしょう。それは、宗教的に言えば、神や仏との関わりで、信仰と祈りによって為されます。神の御助力やお導きやお引上げの作用の中で、それが為されるし、否定的なものが肯定的なものに転換することが、神が触媒のように介在することで起きます。

宗教的な説明に抵抗がある人には、愛とか命とか配慮とか思いやりとか、ケアとか、そういった事を触媒にすれば、否定的なものが肯定的なものに転換すると説明できます。あなたの言葉や表現で、また、その場に合った説明にすればよいのです。説明を求められる時は説明すればよいし、説明以上に大事なのは、その実践です。教育的な実践のことです。

以上の事を、まず自分に実験してみましょう。そして、自分でやって、やり方が分かり、効果も上がったら、少なくとも自分に関しては通用し、立証されたのですから、他の人にも応用が利く可能性が出てきます。後は、一人一人個別的なので、相手に合った形で、それを応用していけば、役に立ちます。理論がただの理論(理想)ではなくなり、使える方法になります。それをあなたが科学的、学問的に扱って、立証していけばよいのです。

また、今説明された事ばかりでなく、これまでのあなたの経験や実績や、心にあるアイデアなども合わせて行っていきましょう。そのようにして、今世のこれからのあなたの学問的な業績ができてくることでしょう。

新しい土地に移されたということは、その土地での、できる役目が待ち受けていることを表しています。場所というのは使命を遂行する舞台です。環境が変われば、同じ人でも、環境の影響を受けて、自分の違った面が引き出されます。場所や環境と人は相互に影響を及ぼし合います。あなたは多面的なところがあるので、いろいろな所に移って行くようになるのです。柔軟だとも言えるし、前向きだとも言えるし、好奇心が旺盛な面があるとも言えます。いろいろやりたいほうなのです。

前世では、ただいろいろやるという人でした。今世では、一つの事をいろいろに行うことで補っていき、一つの事を一貫して追究しながら、いろいろな側面をその中に含めていって、太い柱を一本築き上げるように心掛けましょう。あちこち分散してしまうと、一つの体系をしっかり築き上げることが難しいです。今世では、大きな一つの体系を作り上げることが念願になっています。

人は誰でも、前世から思うところ、感ずるところがあり、ある事を願って、それに挑んで生まれて来ているのです。あなたの場合でしたら、前世でいろいろできたし、また、いろいろやりたいほうだったので、体験としては豊富になりましたし、自分としても面白く、満たされたのですが、その一方で、「果たして、こういうやり方や生き方でよいのだろうか。何か足りないように思う」、そのような思いが残りました。

前世でも場所が変わりやすかったのですが、その度に、行う事も人間関係も移り変わって行きました。今世では、一つの事を貫く中で、環境が変わることを有利にさせ、補い、助かるように、一つのものを補完して生きるように仕向けましょう。

場所が変わると、行う事も人間関係も変わりやすく、あなたは前世でそのような生き方でした。そのような人間関係の中には、家族関係、例えば夫婦関係も含まれていました。もし、あなたが前世の通りになったとしたなら、例えば、夫婦関係も、場所をあなたが移動したことで、終わっていたことでしょう。今世でもそうなりかかったのです。

でも、前世の時に、自分で思うところ、感ずるところがあり、何もかも変わるのではいけないという反省が生じました。その事をリーディングでも言われ、自分でもハッと思い出させられた気がして、何でも変わってはいけないのだ。変わらないものが一貫してある中で、変わるものがあれば、変わるものが意味を成し、積み上げられていく。例えば、人間関係で変わる部分があってもよいけれども、新しい人間関係が加算されていくこと。古い関係は必要なものは残っていくこと。それによって、本当の豊かさが待ち受けていると捉えるようになったのです。

古い人間関係で解消する部分があってもよいですが、全部が終わってはいけない。特に夫婦関係はそういうものではない。変わらないものがあってこそ、変わるものが活きてくる。夫婦関係も、それであなたは繋ぎ止められ、自分の心に初めて充足感と安定と静かな喜びが感じられ、天に感謝したり、具体的な人にも感謝したり、思いやる人になってきました。

前世で変わりやすく、それを割り切っていたところがあり、そのために投げやりだったり、心が冷たくなって、それに対して自己批判が生じたりしました。そういう葛藤を癒し、多くの人のために本当の愛をもって自分を差し出せるようになりつつあります。

今述べられた事を一つの試金石にして、これからの人生を生きていきましょう。また、今言われた事ばかりでなく、根本は神様によって、その時その時必要なものを、経験や気付きを通して与えられていきますので、そういうものをその都度頂きながら、育て導かれて行くようにしましょう。

そして、他の人達もそうなのだということを知って、改めてその観点で見てあげれば、深い認識や理解が得られ、共感も伴って、尚いっそう役立ってあげられることでしょう。

【質問2】福山クリスマス会、巡礼に参加することができましたことをうれしく思っております。福山、鞆ノ浦は、潮目の変わるところ―そのようなARIにとって大切なところに居合わせていただけること、また、ARIの流れと方向性にぴったり合うように、東と西、南と北を結ぶような動きをしていることを強く感じます。神様に何かをせよと求められているように感じます。神様の御意志にそっていけるよう、どのようなことに心がけていったらよろしいでしょうか。

【ソース】神様のなさり方の特徴に、神様の性格や思いが偲ばれます。神様は一人一人の人生に関与して、鍛え、育て導いてくださっておいでです。それが一人一人に起きて来る事の説明になっているはずです。いわゆる体験学習です。個別学習にもなっています。起きることで訓練され、育て導かれているのです。

その際、神様のなさり方の特徴として、全てが活かされるように計らってくださっていることがあります。先程説明された事と同じです。一人一人のこれまでの過失とか問題や咎(とが)、あるいは欠点とか課題、そういう事さえ報われるように、今後の糧になるように、携えていくことをしてくださります。何でも活かそうとすることが、神様の御心に沿うことになるのです。

自分が体験した事でも、他の人が体験しつつあることでも、自分を見てあげる場合、人のことを見てあげる場合、どちらの場合でも、その人を活かしてあげよう、その人のこれまでの事が全部活きるように計らってあげよう、そういう観点で、自分にも人にも関わると、神様の関わり方と同じになります。その人のこれまでの全てが活かされるように仕向けよう、それが愛なのです。全てを活かそうということが愛なのです。神は愛です。 

ですから、神の働きかけは愛そのものです。その人に対する限りなき信頼と尊重があって、はじめてそのような愛の働きかけが出て来れます。そのような働きかけによって人は蘇生し、全部が報われ、活かされていくのです。そのような神の働きかけのお陰で人は支えられ、過去の経験が全部無駄ではなく、活きて来るようになって、成長し、生まれ変わりながら、徐々に、着実に、命の本源へと誘(いざな)われつつあるのです。そのような神の愛を体現し、自分にも人にも関わって、見てあげたり、付いてあげましょう。

あなたの場合は、それが、職業としても、学問的に人に関わるということでなされることが求められているのです。自分の立場や役目、また、特性に合う形で、その神の愛の働きが自分を通しても周りに及ぶようにしましょう。そうすれば、あなたは心から喜べて、周りからも、本当に受けが良くなり、慕われ、求められる人になることでしょう。

行いながら、今述べられた事を念頭に、ここで述べられた事が実際はどういう事なのか、現場の中で試しながら検証し、コツを掴み取って行ってください。

【質問3】12月**日の結婚記念日を、また夫と2人で迎えられ、一緒に過ごすことができました。すれ違いがあっても、2人とも心の奥で一緒にやっていこうと思えることは本当にうれしく、神様のおかげ、先生の御導きと、感謝しております。12月**日には○○○に共同名義のマンションを購入しました。メッセージをいただけるようでしたら、お伝えください。

【ソース】前世を生きていた時点では、自分の特性が活かされた場合と、あまり活かされなかった場合と、それぞれありました。活かされた時は、周りから認められたり、喜ばれ、自分の中にも確信や喜びや充足感が伴いました。一方、うまくできず、自分の特徴が活かされなかった場合は、「何か変だ。どうしてこうなってしまうのだろう。これではいけないように思う。でも、どのようにしたらよいのかまだよく分からない。でも何とかしたいと感ずるし、しなければという思いがある」、そういう思いが伴っていました。

そして、少しずつ、神様からの働きかけやお導きのおかげで、経験を通して、また、周りの人達からの働きかけも手伝って、少しずつ気付くようになり、気付くだけでなく、調整もなされてきたのです。そのようにして今世を迎えました。

特に前世では家庭縁が薄いところがあり、家庭面で満たされることが少なく、投げやりになっているところがありました。多くの人は、家庭や家族に対する思い入れが強いのですが、あなたはそれがどうしても分からなかったり、時に、妬ましく感じたり、自分はそういうタイプではないと思えたりして、落ち着きませんでした。でも、そんな事ばかり思ってもいられず、何とかしたいし、何とかしなければという思いが付きまとっていたのです。そういう中で次第に見えてきて、自分を好きになったり自分を認めてくださる人のことは大切にしたほうがよいと思えてきたのです。

以前はあまりそうは捉えなかったのです。あまり人に対する信頼が無かったのです。人は勝手にこちらを好きになったり嫌いになって、その人独自の動きをしてくるだけだと捉えている節がありました。でも、そういう捉え方は極端だと気付き、自分と相手との関わりで人生は作っていくものだと捉えるようになっていきました。そして、人からよく思われたり目を留められたら、それはそれで素直に喜び、受け入れてもよいのではと思うようになりました。

そういうふうに思うようになった頃、御主人から最初に目を留められました。それで、自分でも思うところがあり、これは無下に断ったり、無視してはいけない、相手の気持ちも大切にしたいし、自分でも素直に喜んでもいいように思えたのです。そういうことで結ばれました。

しかし、すんなりは行かず、前世の特徴や弱点も出て、何度か迷ったり、気持ちが遠のきました。でも、そのまま離れて終わってはいけないという反省が前世での学びであったので、お互いの気持ちを大切にして、御縁をこれからも大切にしようと思えたのです。そのようにして乗り越えて来れました。

そうして乗り越えたからこそ、クリスマスイブの結婚記念日を今年も共に一緒に過ごすことができたのです。乗り越えてはじめて待ち受けている素晴らしい体験があるのです。そのような体験が人を変えます。あるいは人を豊かにします。それがあなたを成長させ、あなたの魅力を増しました。

体験が人を形成し、背後で神が導いておられるのです。「人は大切にするといいな」と、心から素直に思えるようになり、家庭の味わいや充足感も、前世では味わえない程のものが出て来て、あなたの心に変化が出て来ています。体験が人をそのように変えるのです。そうすると、今度は人を改めて見た場合、人から受ける印象が変わり、人への応じ方にも変化が出てくることでしょう。神はそれを意図し、あなたがそうなってきていることを喜ばれ、安心されておいでです。

【質問4】現在、大学では保育や幼稚園教諭になる資格科目を多く担当しておりますが、来年度からはアートを中心とした内容をしていきたいと考えています。福祉施設でのアートの活用や、援助職・教員のセルフケアのアートセラピー、若者や女性の自立のための夢やアート、物語の活用を考えています。このような方向性について、アドバイスをいただけるようでしたらお教えください。ありがとうございます。

【ソース】あなたの強みや良さは、科学的、学問的な面と、アートの面が兼ね備わっている点です。前世から、科学的精神に富む人でした。技術系の魂です。真理を探究するのが好きな人として生まれ変わっています。その一方で、情緒も豊かで、可能性を秘めていました。

しかし、真実を重んずる心が強いあまり、自分の中の感性や情緒の面を追いやったり、大切にすることをしてこなかったのです。そのため、心が荒れてきたり、悲しみが生じたり、不安定になったり、現実に割り切って対応して、自己矛盾を抱える人になって、葛藤が生じて来て、辛くなりました。

次第に、情緒の面もあってよいし、大事なのだと思うようになっていったのです。それによって、持って生まれた感性豊かな面が自分の中で喜び、癒され、発揮されるようになって来たのです。そのようにして、生まれ変わりの途中から、情緒の面も認め、取り込み、次第に、自分の中の科学的な面と、それとは対照的なアートの面とを融合する使命を担うようになっていったのです。

また、古い前世では子供とは無縁で、子供には無関心で、自分とは繋がりが薄いという印象だったのですが、子供や子供を見る役目の人達に不思議と目を留めるようになり、応援したいという思い、また、自分のアイデアが活かされる場かも知れないと感じるようになったのです。

あなたは、実は理知的な面と同じかそれ以上に、感性や情緒の面で優れたものを持っているのです。むしろ、芸術的な感性を主軸に据え、科学的な、学問的な部分は手段や方法と見てはどうでしょう。芸術的な感性は魂から来るのです。それは神様と直結している愛と命そのものです。芸術を通して人が育て導かれ、本当の人になっていくのです。「本当の人」とは何でしょう。神の子です。それは子供にこそ可能性があります。

あなたならではの、あなただからできる、そういう情操教育とか人間性の教育がなされるよう、取り組んでみましょう。それをどのように定義付けたり表現するのであれ、自分に合う形で、それを行って行くのです。それを楽しみに、これから向かって行きましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉

2013年6月13日

定年退職後は、自分を試すことで世のお役に立つことが良いのです。


2012.6.29 パーソナル・リーディング No.12903

【質問1】夫、○○○(1947年*月*日生)が○○○○大学を無事定年まで勤めさせていただき、その後、夫の力を活かすことができる仕事、また人生の後半にあたってした方がいい仕事が与えられますことを祈っております。夫は定年後、どのような仕事をしていったらよろしいでしょうか。また妻として、私はどのようなサポートを心がけていったらよろしいでしょうか。お教えください。

【ソース】今世における義務と仕事は定年退職を迎えることで成し遂げられると見ることが出来ます。ということは、その後は自由で、自分を試すことで世のお役に立つことが良いのです。こうでなければならないというものはありません。元々の自分の持てるものと、これまでの経験によって得られたものが活かされることで世のお役に立ち、自分でもそれが喜びとなれば良いのです。

基本的に人間は自分が最もしたい事をするのが良いのです。何故なら神様は現実に起きる事を司っておられるばかりでなく、神様の思いは人間一人ひとりの内面にも顕れ出るからです。現実の動きや状況が出来事メッセージということで神様の思いの顕れであることはいつも説明されている通りです。そればかりでなく、人間一人ひとりの気持ちや願いにも神様の思いが顕れ出るのです。神様のその人に対しての促しは、その人の気持ちや願いに顕れ出るということです。だから、自分の中の純粋な願いに素直になって、それを行うと良いということです。またその時最も自分が活かされ、周りのお役に立てます。

もちろん人間は複雑で、自分の中に湧いてくる思いや願いの全てをその通り行うのがいいとばかりは限りません。その為人生では自分の願いの通りには行かず、落胆したり悲しんだりするわけです。一人ひとりが自分が思う様に行っては世の中は成り立たないし、当人の為にもなりません。ただの我がままが通用するわけではないし、それが叶うのが良いとは限らない。それは人間が不完全で偏りがあるからです。それでも尚、その人の中の一番の願い、純粋な思いは神様の思いの顕れであり、神様がその人に促されていることであることは確かです。

そのまましないほうが良い事、そして叶わない事というのは一番の願いというよりも、その人の中の仮の願い、或いは偽りの願いのほうです。そういうものは叶わないほうが良いし、実際、現実的に叶わない場合が多いです。でも、本人の中の魂や霊から湧いてくる思いは純粋であり、神様の働きかけで湧いてくるものです。また本人が前世から計画してきて、今世の目的となっているものが純粋な願いとして湧いてくるのです。そういうものは叶い易いし、叶うと良いものです。関わる人にとっても当人にとっても叶うと良い性質の事柄です。それが本人の使命に関することなのです。自分の純粋な気持ちからして「やむにやまれぬ思い」は、神様からの働きかけによる場合が多いです。

ただ人間の場合は純粋な願いと、そうでもない願いや思いとが混じり合って一つの思いとして湧いてくる場合が多いです。それ故、純粋な願いだけを取り出すということは難しいので、取り敢えず自分がやりたいし、やると良いと思える事に取り組みながら、混じり気のある部分が整理されたり浄化されたり鍛えられたりするプロセスを辿ります。

また純粋な部分も周りからすぐ理解され受け入れられる場合は少なく、その意味で諦めず、自分も素直で謙虚になりながら周りの意見や要望を聞き、また自分を内省しつつ、本当のものは貫きながら、そうでもない付着している部分を整理しつつ、周りとも調整を図りながら進んで行くことです。自分の中の「こうである」という確信や願いはすぐに分かってもらえず通用しにくくても、内なる導きと内なる声に促されてこそ使命が達成されます。そういうものを乗り越えながら、周りとも調整が図られてこそ実現します。

ご主人の場合ならやり甲斐のある事、つまり使命は、これまでの経験を活かして、しかしこれまでは為されなかった事として、大学を中心とした学校の改革や建て直しに関わっていくことでしょう。それが自分の中で分かっているので、そうしたいと思うのです。

人間は自分がこうだと思うことの全てが正しいということではないにしても、重要な真実は含まれている場合が多いです。それ故、本当のもので行うと良い部分と、本人のエゴとか面子とか捉え違いとか、本人のカルマや癖に根差す部分をよく見分けて、本当のところはよく汲んで実現する様に関わってあげ、一方そうでもない付着した部分は本人の課題やカルマですから、それは受け入れられない場合が多いし、周りから抵抗があるものです。

中には純粋な本当のものでさえ、周りから理解されず受け入れられないこともあります。そういう時は本人は諦めず、乗り越えて行かねば叶いません。そのうち周りも分かり、「それで良かった」と受け入れる様になります。重要なことで新しいものを行い、実現させる人は、どの分野でも先見の明があり、その為周りから分かってもらえず反対に遭います。しかしそれを乗り越えてこそ実現するのであり、諦めてしまうと叶いません。発明家にしても大きな貢献をする事業家にしても改革者にしても、周りからは分かってもらえず、しかしそこで諦めず、しかも周りと調整を図って、乗り越えて実現させていった人達です。

またその様なことを達成した人の傍には配偶者であるとか仕事上の良きパートナーが付いている場合が多いものです。ちゃんとそういう人には福徳があったり役目があるので、その様な相応しい人が付いている場合が多いです。その様な人のお陰もあって大成するのです。あなたはその様な妻になれば、ご主人の為になれます。

単にそのまま叶えるということでも無く、よく本質を見抜いて、そして本人の課題や調整したり整理するべき部分はその様に妻として関わっていって、そして根本のところでは良き理解者や協力者、相談相手となってあげることです。その様になったらあなたは、ご主人が生まれてきた目的を達成させてあげることが出来ます。またその様にすることで、特に期待しなくても、今度は自分自身の使命を遂行する上で何かとし易くなり、ご主人も助けてくれたり見守ってくれる様になることでしょう。お互い様ということで、相互の関わりで人生は進んで行くのです。

スピリチュアルなことというのは特殊なことではなく、物事の奥深い面や人の心の奥深い部分まで理解し、考慮していくということです。深い理解や深い思いやりを以て現実に取り組んでいくことです。背景となる部分も考慮し、含めていくことがONEということです。物事や背景の全部を理解し考慮し、含めていくのがONEです。あなたはその様なことを学んでいます。また教育者として自分の仕事の場でそれを応用し、活かしていくことが出来ます。そして家庭においては夫との関わりでそれを応用し、役立てていくことが出来る立場にあります。

あなたは賢い面があり柔軟な面もあるので、既成の観念や常識だけに依らず、本当のものをすくい取って、ご主人のライフワークが遂げられる様にしてあげられることでしょう。自分の中の感覚に聞けば、どういうことであり、どの様にしたら良いのかが分かることでしょう。またすぐに分からなくても、取り敢えず分かるところに従って行っているうちに残りの部分も分かったり、最初は出来ない部分が出来る様になり、取り組む中で新たな気付きや学びが伴って、調整が図られ、ご主人もあなたも成長を遂げ、カルマも解消し、前世を乗り越えて社会に寄与していくことでしょう。

ご主人がやりたいと思うことの本質や価値を見抜き、それがより良い形で叶っていく様に相手役を務めたり、バランスを取ってあげながら協力してあげましょう。

【質問2】私が現在の職場に移る直接のきっかけを下さった○○○○○先生(1943年*月*日生)とは、どのような前世からのご縁があるのでしょうか。彼女は○○の大学で学科長でした。大学側の差別に裁判をおこし、私は彼女に精神的な支援しかできませんでした。現在、彼女は学長のブレーンとして大学改革に携わっており、私は頼りなくも、彼女を支え、プライベートでは親しい友人としてつきあう関係です。とても恩義を感じていますが、強引なやり方に時々反感も覚えます。

【ソース】その方は正義感が強く、自分の信念があって、一方的なところがあります。しかし正直で、思うところ感ずるところがあると人を助けたり世話をする人で、徹底しています。ハッキリしている人です。我がままで一方的で自分流儀のところはあります。でも誤魔化しが無く、こうだと思うことを正直に押し通していくので、不正を正したり誤魔化しを無くすことで刷新を図ることが出来る人です。馴れ合いとか同調とか譲歩とか柔軟に合わせるとか現実を見て妥協するとか、そういうことが出来ない質です。

あなたにも少し似た性質ややり方がありますが、あなたはもう少し柔軟で優しく、良くも悪くも甘いところがあります。現実を見て、それに合わせていくというものをあなたは持ち合わせています。「現実にも意味があり、現実に合わせていってこそ壊れず、無理が無く、穏やかに改革が出来る」とあなたは感ずるからです。しかしそのお友達はそういったことが一切無く、自分の思いだけで突き進みます。あなたはその様な在り方に感心したり羨ましく思うところと疑問を抱くところとがあります。

大きく捉えれば似た者同士なのですが、似ている上で違っている部分があるのです。あなたはそのお友達を尊敬出来、同時に反感も覚えます。それぞれに良さと課題と果たせる役目があります。どちらが良いとは言えず、それぞれの持ち味と気質に依ることです。ただお互いに関わると学べることやバランスを取り合える面はあります。近付き過ぎず、遠退け過ぎず、ちょうど良い距離を保ちながら、バランスを取ることでお互いに啓発され、確認も出来、得られるものがあります。あなたは感覚的に優れているので、どういった関わりをしたり、どのぐらいの距離を保つのが良いか分かります。

その人は自分の思い通りにしたがるし、自分の思いを実現するのが良いという信念があります。周りの状況や動きを余り考慮しません。しかしその分、本当に大切なことは行う実行力があります。周りを見て考慮する余裕が無い人でもあります。あなたは周りを気遣うほうです。あなたも正義感が強く、こうだと思うことは実行に移しますが、しかし周りを気遣い考慮し合わせるという面があります。

特に日本の飛鳥時代において、それぞれが自分の置かれた状況で周りを改革する教育の面で働きを為していました。その様な働きの中で出会い、一時関わり、参考になるものが得られました。あなた方の様なタイプの女性は、そう多くはないので、その人にとってあなたは数少ない期待出来る後輩の一人です。また頼りにもなると見られています。

自分が出来る事やすると良いと思える事をすれば良いのです。精神的な理解や支援でも充分お役に立っています。自分で納得いく形でこれからも関わり、お互いに得られるものを与え合い、活かし合う形でこれからも進んでいきましょう。

【質問3】現在、担当する科目が新しいものばかりのせいか、あるいは所属する子ども福祉専攻の責任者という中間管理職のような立場のせいか、劣等感やストレスにおそわれます。神様に鍛えられている証拠だと思っています。ここで、このような体験をすることはどのようなカルマがあるのでしょうか。お伝えいただける前世がありましたらお教えください。

【ソース】劣等感やストレスを感じない人はほとんどいません。99.9パーセント以上の人が、何らかの形で、ある一定の分量、劣等感やストレスを感じて生きていたり物事に取り組んでいます。その意味で、そういうものを感じたほうが人の気持ちや大変さが分かり、共感も出来、一緒にやっていけます。また相手を理解し、受け止め、手を差し伸べられます。

また自信は良いものですが、自信過剰になると支障を来します。劣等感やコンプレックスは課題だと見なされがちですが、謙虚さや素直さや向上心と密接不可分です。自信自体は良いものですが、傲慢さや人に対する厳しさと繋がり易いです。

人を分かり自分が謙虚になり、人を助ける知恵が湧くのは自分の劣等感や苦しみによって鍛えられる時です。更にそれが神様や仏様を認め、大いなる存在との関わりで生かされて生きる方向に向かえば、自分の中の弱点や課題やカルマが活かされる様になるのです。人間はその様になり易いところがあります。その為、法然や親鸞は「善人以上に悪人のほうが救われる可能性が高くなる」と言ったのです。それ故自分の中の課題や妨げになると見られる部分を良いほうに転じ、それが豊かさになれば、必ずしも悪いものとは言えなくなります。

あなたは新しい場で行うのがかなり出来るほうの人です。その様なあなたでも劣等感やストレスを感じるということは、ほとんどの人が新しい所に置かれると、そういうものを感ずるし、上手く出来ないという不安を抱くものだということ。そのことが分かったことでしょう。

もしあなたが新しい所に置かれて、ほとんど不安やストレスが無く、ほぼ上手くいくとしたなら、それはそれで結構なことですが、それが当たり前となってしまい、自分は出来ると思ってしまい、上手く出来ない人、特に新しい事に適応出来なかったり新しい事を習得するのに手こずる人に対してよく分からず「何故出来ないのだろう」と感じてしまうことでしょう。それは好ましくないことです。それがちょうど善人は救われ難く、悪人のほうが救われ易いという論理です。

あなたにも人間的な面や弱点があったということ。それがあなたを支え救います。多くの人の為になる人になれます。自分の負の部分を自覚することで謙虚で素直になり、また自分だけの努力で成るものではなく、大いなる存在のお陰、また周りの方々のお陰だと捉えられます。そしてどんな手こずる人に対しても、よく分かって受け止めて、応じていける人になります。人間は負の部分があるほうが成長し易く、問題意識を持って取り組んで向上し易く、その様な中で知恵が湧いてくるのです。それが多くの人の為になっていきます。それがONEの教育、全人教育です。

またあなたが更に上のレベルに上がる為の手続きです。今迄のレベルのものならば出来るしクリア出来ます。応じられます。しかし、その上のレベルに今チャレンジされているので、すんなりはいかないということです。しかしそこで四苦八苦しながら調整が付き、そこで出来る様になれば、自分のレベルが更に上がったことになるのです。それに今取り組んでいるところです。それで知恵や力が付けば、そして愛も大きくなれば、更に多くの人のことが分かって、見てあげたり育て導ける教育者になれます。それが神様に訓練を受けているということです。

それは取り組み甲斐のあることです。今までよりも難しい問題に取り組まされている、それが訓練になるということです。その様に捉えましょう。それによって励みになり、神様はその人がその時点で乗り越えられないことは与えないことが分かり、今の自分に相応しく効果的な事が与えられていると思えることでしょう。その様に思えることで安心し、感謝も湧いてきて、事態を余裕を持って受け止め、対応していける力が付いてきます。その時点の自分のものを総動員すれば良いのです。無我夢中で取り組んでいるうちに超作になり、力が付いてカルマも解消していきます。それによって、上手くいくようになります。

前世のカルマによって起きてきているというよりも、もっと未来的なチャレンジとして、あなた自身が鍛錬を受けているということです。それによって更に出来る事の分量が増え、質も高まることでしょう。いつもこの様なことで納得し、安心し、現状を受け入れられる様になります。そして安堵感と共に感謝と喜びが湧いてきて、明るく希望に満ち溢れ、現状が楽しくなって、自分の良さが戻ってきて、現状を改めて受け入れ、応じていける様になることでしょう。

周りの人のことも考慮し、よく見ていってあげてください。人生は明るく尊く素晴らしいものだと、益々思える様になることでしょう。あなたがその様になってくる程に周りにも良き感化が及びます。そのようにして、使命が着々と果たされていくことでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉

2013年5月15日

素晴らしい始まりの手前に、試みや試練があるのが法則です。


2012.6.12 パーソナル・リーディング No.12878

【質問1】いつも神様に育て導いて頂けていることに、ただただ感謝です。4月末より、約1ヵ月間の内面的試練を通過した後の変化について、ご説明をお願い致します。そして、私は今、どのような成長段階にあるのでしょうか。どうぞお導きください。

【ソース】人間にしても、人間が住んでいる世界の方にしても、単なる物の世界ではありません。人間も、肉体だけの存在ではありません。心の世界が広がっています。更に奥には、魂や霊もあるのが人間です。人間が住む世界も、多重次元をなしていて奥深いです。心の世界、更に、霊的な世界が広がっていて、物質の中にも、肉体の中にも、心や霊が入り込んで動かしています。

そのため、家族やグループソウルなどの縁の深い人たちは、心で思ったり、心に変化が生じたりすると、連動し、影響を及ぼし合います。そうであるからこそ、教えを学んで留意したり、お祈りをしたりすることで、周りの支えや助けにもなってあげられるのです。また、縁のある人たちの大変なところを理解し、受けとめて感じ、解消したり、担い合うことで、痛み分けが生じたり、カルマを解消したりできます。相互の関連の中で、良い影響を及ぼして助けになれるのです。

でも、その際、お互いに大変なところを分け合い、関わる人のつらさや、悲しみや、恐怖がやってくることもあります。しかし、それでカルマを果たし合い、お互いに次に向かっていけるのです。カルマを果たすのは、物理的な領域において主になされ、カルマを解消するのは、主に心の次元でなされます。そのようにして、多重次元の人間という生命存在は、関わりの下(もと)、互いに悲しみや痛みも、喜びや、理解や、成長も分かち合いながら、命の本源へと誘(いざな)われていきます。

愛ということで、互いの関わりの中で助け合い、カルマを解消したり、良いものを分け合って前進できたりするところに意義があります。神は、愛です。そのような利他的な愛を持って取り組めば、大変であっても、力が湧いてきます。自分が神様という利他的な愛の方向付けをとりさえすれば、神様の御心に沿うことなので、大変であっても力が湧いてくるのです。

それは、家族や周りの人の為にという、想う気持ちが神の御心に適(かな)うので、自分を捧げる想いや行いによって、自分の中に神様が入ってきてくださり、神様が自分を通して働かれ、難しいことでも、必要で良いことなら出来てしまうし、それによって自分も浄化され、育成され、引き上げられていくのです。

自分の中の命と、自分が利他的な愛という神の方向付けをとったことで、神様が自分の中に入ってきてくださって、自分の力と、神様の入って来られた御力が、一つになった時に、引き上げられるようなことが起きてきます。自分の実感としても、また、内面的な霊体験としても、内と外との御力が一つになった時に、引き上げられていくことが起きてきます。それがONEの神秘的な力です。内と外との神の御力が、一つになったところで起きることです。

しかし、その前に試みがあり、古い自分、カルマ的な自分、肉の部分の自分が恐怖を感じたり、抵抗をします。前に進もうとすると、反作用が生ずるのです。作用と反作用は、鏡に映すように同時に生ずるのです。

それは、イサクの子に双子が生まれたことにも表れています。エサウとヤコブです。「信じたい」と自分を向けていくと、疑う心が双子のように同時に出てくるのです。しかし、その疑いの部分を理解し、癒し、受けとめることで、解消し、それが原動力になっていくのです。役目とカルマも、双子です。表裏一体です。カルマを理解し、受けとめて、感じて、癒すことで、カルマが養分になって、役目が果たされ、それによって、カルマも解消するというのがONEの道です。

グループソウルとして、4月下旬から5月下旬にかけて、新しい始まりの手前のところの試みを、通過したのです。4月末から5月末にかけての1ヵ月間は、ヨハネ自身、減量し、自分を浄化して、整え直していた1ヵ月間でした。グループソウルとして、そのような最後の調整期間だったということです。

あなたは、そのことをまったく知らずに、同じ期間の1ヵ月間、不安や恐怖などの内面的な葛藤を体感して、通過していたのです。素晴らしい始まりの手前に、試みや試練があるのが法則です。バランスの法則とも言えます。素晴らしいことの手前で沈むからです。沈まないと、上がれないとも言えます。

イエス様も、洗礼を受けられてからすぐに伝道を開始せず、洗礼を受けてから荒野に導かれ、40日40夜、断食して、悪魔の試みに遭われました。しかし、次々に悪魔の試みをクリアし、アダムであった時の試みを通過できました。そのようにして、試練を乗り越えられたので、山を下りて来られ、奇跡と共に伝道が始まったのです。

また、最後の総仕上げとして、3年間の伝道のあと、逮捕され、鞭打ちの刑に遭われ、その前にはビアドロローサを、十字架を引っ張っていかれました。そして、裁判にかけられ、十字架刑に処せられて、殺されました。3日間、墓場で死を体験し、死を克服、解消して、復活を遂げられたのです。そのようにして、創造神と完全に一つに合一されました。それがONEの完璧な状態です。

これは法則であり、イエス様が最初に実現させたことです。そのイエス様に見習い、イエス様との関わりで、イエス様のように一人一人が成れるということが、本当のキリスト教です。イエス様は、お手本を示され、そう成れる道を設けられ、自らまず実現されたのです。それが多くの人の励みや目標になり、また、イエス様との関わりで、一人一人もそう成れるのです。

あなたも、そのようなONEの道を志しているので、その法則が働くのです。その時に、イエス様のことを、このように思い出し、理解することで、安堵感と、感謝と、勇気と、確信が湧いてきます。4月末から5月末にかけての内面の葛藤ということで、自分の弱点や自我に向き合わされ、自分では確信があったのですが、自分の中のカルマ的な部分、肉の部分、弱点の部分が動いたのです。

しかし、どうにかそれを受けとめて体験し、通過して、ほぼ乗り越え、5月末の横浜でのヨハネの講座に参加できました。それは、あなたにとって、とても重要なものでした。あとの質問に出てくる通りです。

言い替えると、キリスト時代を対象とする、そのヨハネの講座に出席するためには、その直前に、イエス様の死のような、内面的試練を通過しなければならなかったということです。それをどうにか乗り越えて、参加できたのです。そして、6月1日にARIが新たになり、そして、6月の2日と3日に、東京ワークショップと歎異抄講座を受けることができたのです。

このように、4月末から6月始めにかけては、とても重要な時をグループとして通過したので、グループと密接不可分で、一体化して歩んでいるあなたにも、あなたに即して、あなたに相応(ふさわ)しい形で、それが起きたのです。今は、胎蔵界を踏まえて、金剛界が形成され、金剛界も動き出す時です。それに、あなたも取り組み出しているのです。

自ずと、そのように動くようになるものなのです。現実に動くものは偶然でなく、奥深い領域の表れです。外界は内面の現れ、反映なのです。こういう時の為にも、リーディングがあったり、教えがあったり、お祈りをすると良いということです。神様との関わりで無事通り抜けて、乗り越えられるのです。そうすると、教えが益々深く実感され、理解され、自分の中で生きて作用するようになります。

あなたが、そのようなところを通過すると、自分が自ずと変わり、力を付けます。そう成るほどに、周りの人のことがよくわかり、助ける力が増すのです。自分の態勢がそのように整ってくると、状況も自ずと変わり、自分が変わった度合いに応じて、周りにも変化が生じ、自分が力を付けた分、以前よりも多くの方が求めて訪ねて来るようになるのです。多くの人をわかり、助け、導けるように、自分が成るからです。

現実は、自分次第なのです。自分を投影するように周りは動くのです。これは、誰の観点から見ても、そうなっています。皆、自分のその時点の状態や方向付けに応じた現実の動きになっているのです。

今年の4月末から5月末にかけて、ちょうどイエス様が荒野に導かれ、40日40夜、断食して、悪魔の試みに遭われたことに相当します。それを無事クリアして、山を下りて、使命という社会的な活動が始まったのです。その前に、イエス様は洗礼を受けられました。洗礼を受けるというのは、ペンテコステの成就です。ペテロが、聖霊が降臨して、威厳を語り、その場にいた数千人が感銘を受けて、次々に洗礼を受けて教会ができたことが、ペンテコステの成就です。そのことは、2011年から2012年の初頭にかけて、ARIも、あなた方も体験し、実現させていただいたことです。一人一人が皆、その時の必要性や、自分の状態に相応(ふさわ)しい形で体験し、通過していくのです。

そのようにして、大きく脱皮を遂げました。ヘビが脱皮する時のように、死んで生まれ変わる時は、それまでの自分が通用しなくなって、自己否定され、古い自分が抵抗し、恐怖や葛藤を覚え、体調を崩したりもします。しかし、それで浄化され、古い自分が死んでいき、新たにされて生まれ変わり、引き上げられます。一度死んで、神様との関わりで新たに生かされた時、まったく新しい、より素晴らしい自分となって生きるようになる、それが法則だからです。その究極が、イエス様の死と復活です。

ともかくも、その大変な時期を通過できました。大変な時こそ楽しみです。そのあと、素晴らしいことが待ち受けているからです。意味や必要性のないことは、最初から起きません。特に、このようなことを学んで、大切なことを志している者においては、尚更(なおさら)です。このようなことを、あなたがあらかじめ体験して理解し、会得しておけば、多くの方々の苦難や、不安や、大変さを理解し、助けられるようになるのです。自分が体験して、通過して、乗り越えたことは身に付くので、他の人の助けになれるのです。

【質問2】 5月27日、第一回ヨハネの黙示録講座に参加した折、浅野先生が、ヨハネ、マルコ、マタイ、ルカについて話され始めたら、涙が出てきました。そして、当時、私は生きていたのだと実感しました。その後、吐き気がし、お腹の調子が悪くなり、一時退席しました。私は、お腹が丈夫な方なのに、何故このような事が起きたのでしょうか。また、当時の前世について明かして頂けることがありましたら、お教えください。

【ソース】人間は、表面的に見たり、一般常識で思われていたりするよりも、奥深い宇宙的な存在です。頭と心と肉体は、連動しています。お祈りする場合も、口や声だけで祈っているのではなく、体の全身を使うし、更に、心や魂も全部使って祈っています。

聖書の中には、イエス様のお言葉として『全身全霊をもって祈りなさい』と出てきます。自分の全存在をかけて祈り、神様とつながらせていただく場合は、胸にある心だけが神様とつながるのでなく、自分の全身が、丸ごと神様に受け取られ、体の全部で、神様とつながらせていただかねばなりません。

霊体験にしても、心だけとか、頭の理解とか、そんなちっぽけなものではなく、体にも変化が生ずるし、生活にもいろいろ起きてくるし、全存在をかけたものが修行であり、会得(えとく)することも体得(たいとく)と言われるように、体が関わり、体にも異変や変化が生ずるのは、ヨハネの黙示録に記されている通りです。

ヨハネの黙示録は、ヨハネの行体験です。体験報告記です。本当の霊体験の場合、必ず体にも異変が生じ、体も目覚めていくし、体も浄化されるし、日常生活や、仕事や、人間関係にも変化が生ずるのです。半端ではないわけです。頭だけで学ぶとか、理解したり納得するとか、心で味わったり、愛情を育てるとか、そのような部分的なものでは済みません。全存在、全生命をかけた取り組みです。それがONEです。

特に、奥深いところのものは、体や心にもいろいろなものが反映し、表れ出るので、キリスト時代という、最も重要な核の部分となるところを扱ったので、自分の体にも反応が出てきたのです。また、4月末からの異変が、まだ完全には終わっていなかったので、その最後の部分が表れ出たのです。

あなたはその当時、特に、人生の中盤期以降、使徒ヨハネと一緒に伝道し、旅をしたのです。そして、教えを深め、学びに専心した余生を過ごしました。輪廻転生の中で、特に重要なものは、キリスト時代の人生と、今世、この2つです。特に、あなたにとってはそうです。それゆえ、一番重要なイエス・キリスト様が生きて活動した時代、また、その直後の弟子たちの活動期が、あなたにとって重要です。

イエス様は輪廻転生され、イエス様の前世は、たくさんありますが、やはり最後のキリストとなられたイエスの時が、完成していて重要です。それと同様に、ヨハネは今世が最も重要です。そして、あなたもキリスト時代を経て、今世が重要で本番です。それを、あなたの奥深くの部分が悟り、感じたのです。ちょうど、ローマ帝国の前世で、あなたが目覚め、献身し、行っていたことが、今のあなたの想いや活動に直結しているので、本能が表れたのです。

【質問3】5月2日に霊的な夢を見ました。ARIの主な会員の方々の集会があり、トイレに行き、帰ったら、既に集いが始まっていました。一人の方が「途中から入って良いか、浅野先生にお聞きした方が良い」と言われ、「トイレに入っている間に、時間の流れが変化したようだ」と先生に話すと、浅野先生はハッとされ、奥の部屋に行くよう促され、イニシエーションの準備が始まりました。この夢の解説を、お願い致します。

【ソース】グループソウルとして、2011年から2012年にかけては、本当に重要で、イニシエーションを通過中の時期です。遡れば、2009年6月の、イタリア・バチカンツアーから始まっています。あなたは、重要なところに、ほとんど参加し、共有体験をしてきています。重要な時に参加して、共有体験をすることこそ、イニシエーションの通過となるのです。

たとえば、イエス様の時代にも、ペテロとヨハネとヤコブの3人の主要な弟子が、イエス様の主な、重要な出来事に参加することを許され、イエス様と共有体験をしているのです。更にヨハネは、イエス様の裁判や十字架刑にも側(そば)にいて立ち会い、共有体験をすることを許されています。

このように、あなたは重要なイニシエーションの始まりの時を、今、通過中です。自分の古い部分が試みられ、死ぬこと。その時に、悲しみとか、動揺とか、恐怖が湧きます。しかし、それでカルマが解消していくのです。そして、神様とつながらせていただいて、新しい自分となって目覚め、生き始めるようになる、そのような転換期です。

それが、夢に表れたのです。奥深い部分が動き出し、浄化され、新たにされ、目覚め出しているということ、そのことを理解させ、無事通り抜けられるようにと、夢で知らされ、心がけを創らされたのです。一人一人が、神の愛によって試され、練り上げられ、新たにされるのです。神の子として設(しつら)えられ、ONEの子、すなわち神の子として、神様と合一することを求められます。それは、単純で容易(たやす)いことではないので、いろいろなことが伴ってくるのです。

【質問4】もう一つの新しい組織「○○○○」(○○○)を創るためには、いろいろな方々と会ったり、リサーチなどが必要になってくると思います。今までの仕事は、胎蔵界的であり、組織創りは、社会との関わり、金剛界的な事が増えます。私の中で、うまくバランスが取れるか不安です。留意点などを、お示しください。

【ソース】あの世とこの世でセットであり、ONEです。夫婦にしても、両親にしても、2人で一セット、すなわちONEです。夫と妻、父と母といったように、2人でONEです。

胎蔵界と金剛界もそうです。この世においては、あるいは、宇宙においては、胎蔵界だけでも、あるいは、金剛界だけでも成り立ちません。一人の人間の場合も、女性といっても、男性性が入っているし、男性といっても、女性性が、その中に含まれているのです。だから、男性も女性も、もう一つの性に生まれ変われるのです。陰と陽です。

この世で活動する場合も、胎蔵界だけとか、金剛界だけとかということは、あり得ません。胎蔵界のところでも、金剛界が何らかの形であるし、金剛界といっても、胎蔵界という心や魂が背後に控えていてこそ、金剛界の展開もなされます。

とりあえず、胎蔵界は家庭、職場や会社は金剛界というように分けられますが、それらの中にも少しは、もう一つの側面が含まれているものです。特に、金剛界的な活動には心がないと、実際は働きをなせません。社会的にONEを実現させるなら、ONE自体、胎蔵界と金剛界を含んでいるのがONEですから、胎蔵界だけというのでは、金剛界の活動がなされません。

それで、自分たちに相応(ふさわ)しく、自分たちに応じた金剛界が必要になってきて、それが自ずと、自分たちの場合は「○○○○」という所として始まろうとしているのです。自分たちに実現可能な、無理のない規模と形にすれば、ちゃんと行っていけます。身の丈に合った規模や形態にすれば、ちゃんとやっていけます。あまり大きく構えずに、気楽に、自分たちが金剛界でもやっていける媒体や手段ぐらいに捉えておいた方が良いかもしれません。負担に感ぜず、行う手段として見なせば良いのです。

行う時は、何にしても「自分がやろう」とか、「自分がこれを今やっている」とかというふうには思わないで、ただやれば良いのです。それが超作です。何をする場合も、そのようにしてください。自分がやっていると捉えずに、行うべきことをただするだけで良いのです。そうすれば、そこに神が働かれ、成るようになって、一つ一つが実現していくことでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2013年4月11日

山並みが連なっているところは、それだけパワーが集中しているところなのです。


2011.8.7 パーソナル・リーディング No.12410

【質問1】今回、長野に集まった仲間たちには、どのような意味があり、この場にご縁を頂いたのでしょうか。前世ではどのようなご縁があったのでしょうか。今日を含め、御嶽山でも公開リーディングが行われました。長野県在住の参加者が少ない中、なぜ長野で公開リーディングが行われるのでしょうか。長野県車山という土地を神様が選ばれた霊的意味、公開リーディングが行われる目的、今後の展望をお教えください。

【ソース】地球は一つの生命体です。地球という生命体の体は、物理的な地球そのものです。その地球の中でも、細かく分けて見ていくことができます。その一つに日本列島があります。日本列島も一つの形をした体です。物理的なものはすべて魂が宿っていて、生きています。

まず魂があって、その魂が物理的な形を魂に応じて創り出すのです。広くは、神様が霊的世界を創られ、霊的世界のイメージが物理的な宇宙になったのです。そのように何でも、まず魂という隠れた世界の生きた存在があり、その魂がそれに見合う物理的な形を取って表れ、その物理的な体に魂が宿るのです。物理的な体を見れば、その元にある魂の性質や目的や願いや特徴が自ずと推し量られるわけです。

日本列島を見た場合も、日本の国の魂がまず神様によって創られ、その日本の魂が、それに応じた日本列島を創り出しているのです。そのため、体としての日本列島を見れば、その元にある日本の国の魂が推し量られます。日本列島自体、人体のような形をとっています。これを見ても、日本列島が一つの独立した魂を持つことがわかります。

その中ほどの中部地域は山が多く、森林が密集しています。当然気に満ち溢れていて、いわゆるマイナスイオンがたくさん創られています。それによって日本列島が生きていられて、元気でいられるのです。自然の体としての日本列島の中部地域が、日本の生命の根源です。パワフルです。そのためにたくさんの気を創り出し、清らかな気が日本に息吹を吹き込んでいるのです。山並みが連なっているところは、それだけパワーが集中しているところなのです。

昔から、それを感じ取っている日本人たちは、御嶽山を始めとする中部地域に登り、山の気を頂き、そこに住む人間もまた、国の魂のパワーを授けられていました。山岳信仰、のちには修験道が盛んになった所以です。太平洋岸には、富士山がそびえ立っています。雄大で、男性的にも見えるし、女性的にも見えます。魂には女性も男性もありませんが、その特性からして、どちらかが前面に出ることもあります。富士山の場合は、その眺める角度によって、女性の富士山、また別の角度からは男性の富士山が拝めます。

人体で当てはめれば、マニピューラ・チャクラやアナハタ・チャクラというとても重要で、その生命体を維持し、生命力を創り出し、体全体にめぐらす機能を与えられているところです。当然、チャクラなので、生命が湧き出ずる、そのために火山が噴火したり、湧き水があったり、清らかな川が流れていたりします。大地は生きていて、心が宿っているのです。それを感じ取った日本人たちは、昔から中部地域の山に詣で、その気を頂いてきました。

元々そのように、日本では中部地域にパワーが集まっていて、山岳信仰があったのですが、時代が西から東へと移り、京都を中心とした藤原の時代、平安時代を境に、東国の関東に武家政権が創られました。その頃はまだ始まったばかりで、依然として西に文化の中心はありました。それでも少しずつ少しずつ東国が開拓され、鎌倉幕府から室町時代、戦国時代、そして江戸時代と、東国が開拓され、次第に東が優勢になってきました。

西と東の勢力関係の最初の転換となったのが、鎌倉時代の承久の乱です。それによって、東の武士が勝利し、力を持ち始めました。江戸時代から明治維新を迎え、皇室まで京都から東京に移ってきたのです。これによって、完全に東中心の日本が創られました。西から東に移った発端となった鎌倉幕府では、背後の山を大切にし、鶴岡八幡宮を自分たちの守り神として崇めました。懐深く背景に山を頂き、東国の文化は着実に伸びていき、ついには天皇まで東に引き寄せたのです。

鎌倉時代以降、東京を中心とした文化が創られるようになった現代に至るまで、東国の文化の奥の宮は長野にありました。鎌倉時代以降、室町時代でも、江戸時代でも、明治時代以降の現代においてさえ、東京を中心とした金剛界の文明の奥の宮として、山梨から長野にかけての山岳地帯は、とても大切なパワーの源であり、背後で守る力です。

昔から日本では、森や山に神や精霊が宿ると言われています。それはちょうど、北欧のアイルランドやスコットランドにおいて、ケルトの文化で森に妖精が宿り、不思議な生き物たちが集っていることと共通しています。白馬や不思議な一角獣、ユニコーンなども生息しています。

この車山は、近くに白樺湖があります。川や湖や湧き水のあるところは重要であり、それらが地形的な徴となっています。白樺湖と言われるくらいですから、その周囲には白樺の樹がたくさんあります。それはホワイトブラザーフッドの白い御光に共鳴し合う相性の良い磁場です。冬には白銀の世界になります。なだらかなスロープは、イスラエルのガリラヤ湖畔の周囲の、主が山上の垂訓を話され、5000人分のパンと魚を増殖した奇跡を行った場にも似ています。

ARIにおいて、ギザ・イスラエルツアーに赴いた際も、最もARIと相性が良く、景観が素晴らしかったのは、ガリラヤ湖畔でした。そのイスラエルの、主が最も愛し、奇跡を多数起こされたガリラヤ湖畔に、この車山周辺は、その波動やロケーションが似ています。そのため自ずと、あなた方の理想のイメージが、この場を現実化させたのです。

前世との関わりで具体的に見るならば、インドの前世において、あなた方の多くが共に修行のために自然の中で集い、ヨーガの瞑想や心の修練に励んでいました。心が現実に投影して、現実を創っているという唯識のユガ行に、あなた方の多くが取り組んでいたという前世のルーツが、あなた方の中に見出せます。

また、イスラエル統一王国時代、ダビデの家族として、またダビデの友として、山や森を移動し、谷間の滝のあるところでキャンプを設けて、そこで食事をし合い、そしてまた移動したり、国のために体制を創ることに共に取り組んでいた前世もありました。共に移動しながらキャンプを設けて野営し、食事を共にし、パンを分け合っていました。

またスペインにおいて、慎ましやかな修道院の中、共にひっそりと神を想い、心を見つめ、整えることに取り組んでもいました。また鎌倉時代、親鸞の一行が新潟から現在の茨城へと向かう途中、長野を通り、長野が気に入って、土地の人たちと共に自然の中でお祈りをし、念仏を唱えたこともありました。

また一部、あなた方の中には、古代のエジプトにおいてONEを学び、一つなる真理を自然の中で、太陽の恵みを頂いて取り組んでいたこともありました。そのような背景があって、今世で理想と目的を再び自覚し、時期が来て、似たような景観と波動の気の清らかな生命に満ち溢れるこの白樺湖畔の高原に集められたのです。

ここは、東京を中心とする現代の日本の文明の奥の宮に相当します。ここに退き、ここの日本の根源のパワー、しかも清らかなパワーを頂いて、天なる天津神とホワイトブラザーフッドの白い御光を授かりつつ、自分たちの思いを確認し、温め合っているところです。これを携えて、現代の文明のそれぞれの地にまた帰っていき、ONEの命と愛の教えを、自分のおるべきところで、それぞれが発揮していくことが願われています。

【質問2】昔、日本の国の穢(けが)れから、大雨が降り続き、人々の言葉が乱れた時、イザナギノミコトとイザナミノミコトが人々の罪、穢れから助け出す言霊「アワ歌」を与えられたと聞いています。この物語は真実ですか。もし真実ならば、言霊の系譜を引く私たちは、この「アワ歌」を現代にどのように活用できるでしょうか。

【ソース】昔から人間の特徴として、神が人間に言葉を授けたということがあります。動物と人との違いは、言葉を持っているかどうかにあるのです。言葉は命であり、祈るために言葉を授けられたといっても良いほどです。また、人間同士も言葉によってコミュニケーションがなされます。言葉はとても重要であり、人間の特徴なのです。言葉が乱れることは、人間の尊厳に支障を来たしていることを表しています。言葉を大切にする人は人間性を保つのです。

聖書にも、バベルの塔を高く造り過ぎたため、神が喜ばれず、その塔を壊し、言葉が乱れて、人々のコミュニケーションがなされなくなった話が残されています。現代の日本において、東京の下町の墨田区にスカイツリーを建てている最中に東日本大震災が起き、国が乱れ始めています。その象徴が、東京の永田町の政治の政党争いに見られています。

世界中にさまざまな人種や民族がいますが、特に言葉において重要なのは、昔ならイスラエルのヘブライ語、インドのサンスクリット語、ヨーロッパのラテン語、そして日本の言霊の宿るひらがなです。それぞれの民族性に応じた言葉を与えられました。特に、神に通ずる愛と真実の言葉として、へブル語やサンスクリット語や日本のひらがながあります。それが神の民です。心が乱れると生活が乱れ、それが言葉の乱れともなって表れます。

「アワ歌」がそのまま、イザナギ、イザナミノミコトの時代の事実を表すものではなくても、その精神は「アワ歌」の中に反映しています。日本は方言が多いのも特徴です。それぞれの土地の魂の特徴を、その土地の方言は表しています。それだけ日本には、デリケートで多様な精神が織り込まれているのです。

「アワ歌」は一種の方言であり、素朴なある民たちの一団が「アワ歌」を神様から授かり、イザナギ、イザナミノミコトの時代の罪穢れを祓い清める精神を、その独特のニュアンスの言い回しを通して、初めて表現しています。方言は、その土地の魂をそのまま表しているものです。「アワ歌」は、その土地の精神性が最も言葉の乱れを正す、素朴な日本の精神性を留めているのです。そのため、その土地の魂に同化し、なり切って唱えましょう。

現代語訳すると、元の意味とニュアンスとずれてしまうものです。例えば、英語を日本語に完全に置き換えることは不可能です。意味はほぼ伝えられても、元のニュアンスは、その民族性や民族の魂と深く結び付いているからです。神道において、なぜ昔ながらの言い回しを使うかというと、それが神との通信においてフィットするからです。祓詞や大祓にそれが典型的に見られます。そして神様のお名前は、神様のニュアンスや特性、願いや目的を留めています。

【質問3】8月6日といえば、広島の原爆を思い出します。この日に車山に集まることは、神様からのお示しだと感じています。静岡に位置する富士山の裾野のように広がりを意味し、長野県車山に集結する必要性があったことは、まさに金剛界の目標でもある広がりが富士山から始まるように思え、そのことを祈願したく思います。富士山の魂と命が喜びに満ちるためには、どのように祈願すれば良いでしょうか。具体的にお教えください。

【ソース】日本の神話に出てくる高天原が実際はどこにあったのか、学説では幾つかあって、未だに決着がついていません。九州の宮崎の辺りだとか、奈良の辺りにあるとか、山梨から長野にかけてのところにあるとか、中には東北にあるという説も出てくるほどです。ちょうどノアの洪水があったところやエデンの園が物理的にどこにあったかと調べていることに似ています。

物理的に調べることにも多少意味がありますが、もっと重要で本質的なことは、霊的世界と物理世界との対応が見られ、ちょうどフラクタル性の理論で説いているように、一つのものをたくさんコピーして、あちこちにそれが投影するような、あるいは反射板を使って、同じ太陽をあちこちに映し出すように現実は創られています。華厳経で述べていることです。たくさんの網の目の網を繋ぐ玉と玉が反射し合い、それぞれを映しとっているという表現が見られます。そのため自ずと日本にも、何ヶ所かに高天原、あるいは高天原的なものが出現しているのです。

一つに決着をつける必要はありません。九州には九州のための高天原が、近畿には近畿のための、そして東国には東国のための高天原があるのです。特に東国中心の日本の文明になってからは、長野の高天原、あるいは山梨の辺りに奥の宮があり、確かに東国の高天原がそこにはあるのです。

それならその場を大切にし、そこで自分を取り戻し、活性化させましょう。いいも悪いも、ともかくも、現代の日本では、東京中心の文明になっており、それを活性化させ、正すためにも、東京の奥の宮であり、富士山の奥にも位置するこの地に集まり、日本の国のため、さらには世界のために、この高天原でホワイトブラザーフッドの祈りを唱えることで、富士山という日本のパワーも和らぎ、日本の国の土地が全体として整ったり、活性化してきます。

川が多い日本列島です。それぞれの川は人体にたとえれば経絡であり、血液を始めとする体液が循環するところなのです。その源に還って祈ることで、日本の地理的中心の心臓部に位置する富士山も喜ばれます。

「高天原に神留(かむづま)り坐(ま)す 皇親(すめらがむつ)神魯岐(かむろぎ)神魯美(かむろみ)の命以(みことも)ちて 皇御祖(すめみおや)・・・」と唱えると、それは九州の高天原ばかりでなく、現代の中心である東京の奥の宮で、日本全体を活性化し、生命の流れが川となって日本中を流れます。ダビデの歌にもヨハネの黙示録にも、そしてアダムとエバのエデンの園にも、川が流れていました。そこに清らかな実がなっているのです。

【質問4】この公開リーディング参加者の共通のライフシールをお教えください。

【ソース】ライフシールの真ん中には、エデンの園が見えます。それは人類の原点になっています。アダムとエバがそこで幸せに暮らしています。

ライフシールの向かって右側には、東国の高天原、日本の高天原が見えます。この長野の地です。

ライフシールの真ん中のエデンの園の下には、「人類の故郷」と記されています。

ライフシールの右側の東国の高天原の下には、「関東の奥の宮」と記されています。

ライフシールの左の位置には、近畿の奈良にある高天原が見えます。「西の奥の宮」、そのように記されています。

ライフシールの下の位置には、日本列島が見えます。特に淡路島の辺りが目立ちます。その下には「日本の親、イザナギ、イザナミノミコト」、そのように記されています。日本の神話では、神様がオノコロ棒をかき混ぜたら、そしてそれを垂らしたら、最初に淡路島が創られたと出ています。

ライフシールの上の位置には、ケルトの土地が見えます。妖精やユニコーン、一角獣など、翼をはやした白い馬が飛んでいます。ガゼルなどの生き物もいます。そして、上のほうには北斗七星が柄杓型をして見えます。その下には「北方の地を仰いで」、そのような言葉が見えます。

ライフシールは円の形をしています。背景色は紫色です。輪郭の色は白銀色です。ライフシールのテーマは、「聖なる大地、自然の妖精たち、自然と人間のハーモニー、交響」。
                   リーディングを終了します。
(ありがとうございました。)
                   <了>

2013年3月6日

ダンススタジオ15周年記念パーティが無事終了。そのことに関するメッセージをお願いします。



2012.11.21 パーソナルリーディングNo.13138 

【質問1】夫、(○○○○さん1940、*、*生)のダンススタジオ15周年記念パーティが、○○○ロイヤルホテル○○にて、*月*日、台風16号が北九州に最接近という中、少しそれてくれた為、無事催されました。350名もの方々のご参加を頂き、皆さまにも喜んで頂けたようで、主人も心から満足しております。小中学校の同級生、パイロット時代の先輩御夫妻や同期生の方々をお招きし、家族や親族も集まり、思い入れの強いパーティでした。私も這ってでも行かねば…との思いで参りましたが、妻の役目もなんとか果たすことができ、ありがとうございます。このパーティは主人はもちろんのこと、私たち家族や親族にとっても節目となる大きなことだったように思います。メッセージをお願い申し上げます。

【ソース】今年9月のご主人のダンスパーティー、ダンススタジオの15周年のお祝いは、ご主人にとっての今世の集大成とも呼べるほどの意義深いパーティとなりました。ダンススタジオを中心としつつ、しかしそればかりでなく、一人の人間として、これまで数十年もの長きにわたって生きてきた全てが結集されたような、ご主人を象徴するイベントとなったのです。

人は誰でも、その人らしい人生を歩んでいくようになります。自分が作り出し、もたらすものばかりでなく、外からやってくるものや、偶発的なもの、自分の意志を超えることや、不本意なことも含めて、結局現実になったことというのは、その人の何かを象徴的に表しています。ご主人のこれまでの努力や功績、魅力や頑張り、人間関係や人に対してしてあげてきたことなどが、集約されたイベントとなりました。350名もの方々が集まられたということは、それだけの力量やご縁、人を大切にしてきたことを如実に物語っています。

人は、自分で自分を作り上げてきている存在なのです。人との関わりで、自分が行った通りの結果に遭遇します。同時に、神様から与えられるその人に相応しい状況や出来事にもなるのです。自分が努力して作り上げたばかりでなく、神様から自分に相応しいものとして与えられたものとなったのです。ご主人が一体どういう人で、どういうことをなしてきたか。どれだけの人望や信頼やご縁があるか。そういったことが、具体的に表れ出たイベントでした。それで一区切りがつき、一つのカルマや目的が成就しました。

ちょうど竹が伸びていく時に節を作りながら伸びていくように、人生においても一つひとつを集めて形にし、それを体験し、こなすことで終了でき、それを踏まえて次のことに取り組んでいけるのです。節目節目を作り上げ、体験して通り抜けながら、他のまだ終わっていない部分に向かって行きます。同じことでも、取り敢えず一区切りとし、それを踏まえてまた、続けていくようになります。そのような節目として、10周年とか、15周年とか、20周年、30周年というのはわかりやすく、周りからも受け入れられやすい節目とできる時なのです。

一人の人を創り上げている構成要素は複数あります。その人を構成する要素が何と何で、それぞれの割合はどの程度か、それに応じた出来事や体験となっていくのです。なぜ、人並に一つの家庭で産まれ育ち、小学校や中学校で体験した。職業としてはパイロットとして活躍した。では、それだけで終わりかというと、ご主人の場合は、ダンスのスタジオを持つようになった。生徒さんも多く集まり、それが九州で行われてきた。そういったところに、ご主人ならではの在り様が表れ出ています。

人、それぞれの辿る運命が違ってくるわけです。学校時代、同級生でも、その後、それぞれの道を歩みます。職業として、パイロットになる。自衛隊に勤務する。そういう人も一つの共通項があるから同じところに勤め、体験を共にするのですが、ではそういう人達は全部が同じかというとそうでもなく、パイロットだけの人生の人もいるでしょうし、ご主人のように仕事は仕事で済ませて、それで終わりではなく、ダンスのスタジオを持って、それにやり甲斐や喜びを見出し、自分の職業とは別の面を発揮していく。そういう部分が大きかったわけです。それで、自ずとそのような人生の展開になりました。

一生を終えてみると、その人がどういう人かが表れ出ます。ちょうど作品に作者の内容や意図、人間性が反映するように、人生も大きな一つの作品であり、例えば90年なら90年生きたとして、その90年の内容がどういうものだったのかに、その人の持てるものが具体的に表れ出ているものです。生まれて来た目的や前世、そして今世での意図や願い、長所や短所、そういったものが人生の隅々に表れ出ていきます。

また、そのような人と夫婦になり、夫婦であるけれどもご主人は退職後、ダンスを中心に生きたい。それで、夫婦では別居して、それぞれの生き方をするようになった。あなたは浜松で、そのまま主婦として過ごし、神様のことや霊的なものに関心を持つようになった。鬱(うつ)を抱えながら自分の課題を自覚し、しかし、それで成長しようと取り組んでいる。そのようになるのも偶然ではなく、あなたの持てるものやご主人の持てるもの、前世からのカルマ的な関わり、今世の生まれて来た目的や願いが表れ出た結果なのです。

人生は自分を体験し、知る機会です。自分を活かし、調整する機会にもなっています。わかりやすく言うと、人は自分が行いたいことを持っていて産まれてきて、それぞれ行いたいことが幾つかあって、それぞれを気が済むまで行うと、ちょうどその頃に寿命となり、他界していくのです。いろいろやりたいことがある。それぞれでやりたい分量も決まっている。神様がそれを認め、計らって下さる。そういう中で、一つひとつを気が済むまで行って人生が終えられるのです。

そして、霊界に還って、振り返って反省し、味わい、それを踏まえてまた次の来世の計画を練り直し、神様のご計画に従ってまた、残りのやりたいことや学ぶことや果たすべきことを携えて産まれてくるのです。その際、単独で人は自分と取り組むばかりでなく、縁の中でそのドラマが展開していくので、縁の深い人とそれぞれ接点のあるところで関わって、共有しながらそれぞれが自分のことに取り組んでいくことになります。

あなたも、そのような人と夫婦になるようなものを接点としても学びやカルマや願いとしても持っていて、ちょうど合うものがあったので、夫婦になったのです。でも、何もかも共有するほどの似た者同士ではなく、それぞれの楽しみや課題、縁や目的があるので、夫婦でありながらもそれぞれ中年期以降は生きるようになったのです。

人はすぐに「いい」とか「悪い」とか、「うまくいった」とか「失敗した」と言いますが、その人の持てるものが表れ出てくるのであり、それによって自分が知られ、自分を体験していくのです。それ故、自分のものも人のものも、あまりいい悪いの判断を下さず、事実は事実として受け止めて、静かに感じながら通り過ぎていけば目的が遂げられ、ちゃんと神様に育て導かれて前に進んで行きます。

今、述べたように割り切って、解釈して現実に応ずるということが苦手な面があったので、心の中に不安や悲しみ、こだわり、妬み、未練、そういったものが渦巻いたのです。それが蓄積してきて、鬱(うつ)をもたらすようになったのです。現実はやはり法則に従ってなるようになっていくのですが、そのように見なして割り切って対応することが苦手だったのです。

それで、あなたは前世でいろいろ感情が渦巻き、不安や悲しみ、愛着、嫉妬、誤解、そういったもので感情が制御できにくく、感情のエネルギーが心に渦巻ました。そして、何とか自分が思うような方向に現実を収めようとしたのです。でも、実際は自分にしても、関わる人にしても、自分のものを表し出していくので、自分が思うようにはなりません。

それでまた、あなたは動揺したり、喜んだり、落ち込んだりして、感情のエネルギーが蓄積され、それが心のしこりとなって辛さが増し、鬱という症状を招きました。超作というのは、自然体で現実とタイアップしながら通り過ぎていくということで、カルマやエネルギーを解消する道です。

人間というのは、肉体のエネルギーと精神のエネルギーからできていて、そのエネルギーの動きが、自分の身体の状態や心の状態を作り出しています。でも、神様のお計らいで、自分がエネルギーの渦を作りながらも、それがレッスンとなってしだいに浄化され、育成されて、命の本源に還れるように必要なプロセスを辿らせられているのです。それを理解して受け入れ、素直に従い、必要なプロセスを辿っていけば、自ずと浄化され、整理され、楽になり、回復へと向かうのです。

自分の特徴や癖を知りましょう。あなたは、何とか現実を自分の思うようにしようとして、うまくいかなかったのです。でも、今世では、前世の反省に立って、少しずつこういうものの道理に気付き、自分の欠点や特徴も知り、少しずつは自然体ででき、焦らなくなってきました。

ご主人のことは、それはそれとして認め、受け止め、適当に距離を置いて、関われるように共存できるところにまで来ました。前世ほど嫉妬深くはなくなり、ご主人が多くの人に囲まれて、人気があっても、それはそれとして喜び、受け入れ、ダンスのパーティーにも妻として列席できるようになったのです。

これからも自分で自分を育て、癒し、感じながら生きていきましょう。まだすぐには治らなくても、以前から見ると随分成長し、良くなってきているのです。その部分を自分で気付いて評価し、大切にし、励みにしましょう。自分で自分を評価し、労り、少しの成果をちゃんと評価して励みにすれば、元のところでは神様に計らわれているのですから、着実に良くなって脱せられます。

人生を生きるとは、浄化のプロセスです。苦しんだり、うまくいかなかったりを通して浄化され、育成されつつあるのです。そう思えば、すぐに良くならなくても意義深い体験の連続だと自分で信頼でき、評価できるようになることでしょう。誰でもその時の自分の課題や目的に取り組んでいるのが人間の姿なのです。それを理解して、応援したり、見てあげましょう。

【質問2】北海道イベント、聖徳太子巡礼にも、仲間の○○さん、○○さんに支えられながら、ようやく参加することができました。神さま、ありがとうございます。心身不調のため、今回は○○○○さんとのご縁、○○○○さんとのご縁を重んじることにして、ULCコース、クリスマス会は断念致しましたが、無理を押してこれらのイベントに参加させて頂いた神さまのご意向や深い意味、意義がございましたらお教え下さい。又、飛鳥時代の前世のことは、私にとって重要だと伺っておりますが、どのようなことなのでしょうか。聖徳太子との関わり、夫との関わりもお教え頂ければ、と存じます。

【ソース】人生は、取捨選択の連続です。現状の中で何を選び、何を捨て、どちらに自分を方向付けるかです。その時点のその人の取捨選択に、その人の価値観、縁、好み、必要性や学び、人生目的や果たすべきカルマが自ずと表れ出ています。そのため、今年に関して見るならば、身近な方とのご縁を優先して、北海道の巡礼、そして聖徳太子の巡礼、それ以前のご主人のダンススタジオの記念パーティーなどを選び、体験し、その一部となりました。

一方、ARIのULCコースとクリスマス会は、今年に関しては断念しました。そこにあなたの思いやご縁や目的、方向性が表れ出ています。それは良いとか悪いとかということではなく、あなたの中身や方向付けを表しているものの一つなのです。

それが自分の体験を作り、自分を彩(いろど)って形成していきます。一番の基では神様に育て、導かれて、人生が動いています。ただのあなたの好みとか意志だけで、そのように今年が動いたのではなく、やはり○○○○子さんや○○ご夫妻、また周りの方々とのご縁がそれだけ深く、目的も共有し合っていたので、そして巡礼ということが自分に合っていて、しっくりくるので、そのように現実がなったということ。それで、自分がわかります。

それを踏まえて、次はどのようにするかを見ていけばよいのです。神様は寛大で、一人ひとりを見通し、良きに計らって下さる無限の愛の御方です。そのような御方の下(もと)で支えられ、自分がするべきことやしたいことをしながらカルマを果たし、役目も果たし、育て導かれていくのです。身近な人たちとの関わりで動いている部分が大きいわけです。

あなたの場合は、それが前面に出ています。具体的には、イスラエル統一王国時代の前世のご縁、スペインの前世のご縁、それから飛鳥時代のご縁などです。他にもありますが、あなたがARIの中で身近に感ずるお友達との繋がりは、今、列挙された前世でのご縁が強かったのです。特に聖徳太子巡礼ツアーは、そのままそのことを謳(うた)い、目的としたツアーでしたから、当然、その飛鳥時代のものや大阪や奈良の土地や神々とのご縁が表れ出ました。

あなた自身、今世だけ見ても、奈良の土地とのご縁があって、自分でもそのことを自覚しています。そういうものがあったので、参加したのでしょう。また、参加できるようになったのです。自分で願い、意図しただけでなく、実現したことは確かなものがあるのです。

ご主人とは、飛鳥時代にも確執がありました。愛着や未練、妬み、悲しみ、自分の思うようにならない苛立ち、また、そのように感じてしまう自分の気持ち、そういった感情の動きの中で自分の中に精神的エネルギーが蓄積されてきたのです。自分が愛する人を取られる恐れや悲しみ、自分が一人になってしまうことに対する恐れや懸念などです。

でも、同時に一方、前世の時も、霊的なことや神様のことを大切にする自分がいました。それで具体的に今世では、ARIとのご縁で霊的なことを追求することが続いているのです。前世は今世の基盤にあるので、前世のものが自ずと表れ出て、現世を規定してくるのです。前世の時も神仏を尊び、求める気持ちが人一倍強く、飛鳥時代は仏様に手を合わせ、その時の仲間たちが、聖徳太子を中心にいたのです。その時のご縁が今、あなたの周りに、具体的にはARIの仲間たちとしているのです。当時、家族だった者もいました。

今世でもそのため、自ずとご主人との感情的な葛藤の一方で、霊的な支えや励みをもって取り組むようになっているのです。前世のものが表れ出て、辿り直すことで浄化され、自分が育成されつつあるのですから、単なる繰り返しではないし、滞っているのでも虚しい努力をしているのでもないのです。

前世の時も、焦りがちなところがあったのです。気長に、鷹揚(おうよう)に、自然体で楽天的になって、取り組んでみて下さい。着実に成果は上がりつつあるし、カルマも解けつつあります。

【質問3】今回の長びくうつの試練について、どうぞメッセージをお願い申し上げます。又、このところ、うつに関してオステオパシー療法に限界を感じていた折、思わぬことで、目と鼻の先の「○○○整骨院」の○○先生の本を読み、こんなに近くで、うつも治すという、○○○ヒーリング(チャクラやエーテル体、アストラル体、メンタル体も動かす)療法を知り、もしかしたらこの療法で私の心身を回復させて下さるという神のご意向かと思い、すぐに受けてみました。しかし、2回とも効果はまだ余り分からず、これまでのオステオパシーの○○先生の誠実なお人柄と良きご縁と感じており、やはり迷いがあります。私には今、どちらの療法が必要で合っているでしょうか。お教え下さい。

【ソース】オステオパシーにしても、ソーラヒーリングにしても、効果はあるし、すでに効果は出つつあるのですが、すぐにそれが目立って表れ出ないのは、あなたの鬱(うつ)が重いからなのです。程度がかなり大きい症状なので、一度や二度受けたり、数か月や一、二年受けても、解けない程の分量なのです。

例えて言えば、借金があると一口で言っても、十万円の借金の人と、一億円の借金の人との違いのようなものです。十万円なら、少し頑張って働けば返済して解決します。しかし、一億円となると、長い間頑張ってもなかなか返しきれません。それでも、着実に返しつつあるのですが、何分元の額が大きいだけに、なかなか完全に返しきれていないという状況です。

病の重さもそれに例えられます。あなたの鬱が例えば、ARIで代行御祈願を受けて後押ししてもらったり、自分でも長くお祈りしている。また、その傍らオステオパシーを受け続けている。最近では、ソーラヒーリングも受けるようになった。でも、目に見える効果が感じられない。そうすると、自分が行っていることに迷いや疑いが出てきてしまいます。仮にそこでやめると、もっと停滞して、下手をすると逆戻りしてしまいます。

あなたの場合は、鬱は重い方なのです。カルマにも規模があります。でも、どんなに病やカルマが大きくても、神様の方がもっと大きいので、神様の大きく純粋なエネルギーをそこに投入することで、どんな重い病も、深いカルマも、いずれ解けていくのです。ローソクの火は、小さく弱いけれども、太陽の光と熱なら相当の効果があるのに似ています。神様は、太陽のような存在なのです。太陽に照らしてもなかなか溶けないというのはよほど大きな氷の塊なのです。でも、着実に解けつつあるのです。

知るべきことは、治療法以前に、生きて苦しんだり、取り組んでいること自体に意義があり、苦しんだり、考えたり、ともかくも生き続けていることでカルマが解けつつあるという事実です。神様が根本のところで解いて下さるために、必要なプロセスを辿らせて下さっています。浄化と成長の過程です。何千年もかけて作り上げてきたカルマです。気付いて取り組んで、三年、五年、十年で全部を尽くすということは難しいのです。でも、三十年、五十年苦しんだり、取り組んでいる内にはしだいに尽くされ、清められ、それに応じて浮上し、回復してくるのです。一生懸命取り組んだり工夫するところに、意義があるのです。

それ故、迷ってやめてはならないのです。また、囚われる心から離れられるように祈ることです。例えば、お祈りの言葉として「私が鬱になった元にあるカルマと霊障をお解き下さい。お清め下さい。神様のお力が注がれて、自分への思いや囚われから離れて、癒され、苦境を脱することができますように。その結果、神の愛と平安、喜びと恵み、幸せと健康が訪れますように。日々、お守り、お導き、お育て下さい。鬱を通しても成長し、カルマが遂げられ、生まれてきた目的が果たされますようにご助力、ご支援下さい。今世生まれてきた目的が、神様の御心に沿って滞りなく遂げられ、成就し、天寿を全うできますように日々、お守り、お育て下さい。全て神様の御心の通りになっていきますように」。そういったお祈りです。

後は例えば般若心経を唱えるなら、般若心経に成り切って般若心経の内容や自分の唱えている声と一つになるように心掛けることです。神様に委ね、一つになって無心になってお唱えすることです。

オステオパシーとソーラヒーリングのどちらに相性が良く、見込があるかということについて見てみると、ソーラヒーリングをもう少し重点的に受けてみると良い感じです。でも、オステオパシーとの縁も切る必要は無く、今しばらくはソーラヒーリングを試してみて下さい。自分を受け止め、労り、感じてあげながら、自分を育て直し、癒してあげましょう。

【質問4】私のライフシールをお願い申し上げます。

【ソース】ライフシールの真ん中には、銀メダルが見えます。金メダルではないし、銅メダルでもなく、でもちゃんと入賞し、第二位に輝いているのです。入賞しただけでも凄いことなのです。また、銀色は、自分の地道な努力が成果を収めつつあることを表しています。その銀メダルの下には、『堅実、努力、誠意を神は評価し、応えて下さる』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの向かって右側には、知恵の輪が見えます。人生は、謎解きのゲームです。課題や問題が生じたら、取り組みながら知恵を使い、問題解決に挑みましょう。『課題を通して、育成され、導かれる』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの左の位置には、美しい花園が見えます。その下には、『心を清め、育て、美しい世界を作る』。そのようなメッセージが見えます。
ライフシールの下の位置には、小動物の家族が見えます。皆、それぞれ個性が異なりますが、共通した部分で結束し、助け合い、庇(かば)い合って生きています。あなたの家族や、周りの繋がりのある人たちを表しています。『助け合い、支え合い、励まし合い、労り合う』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの上の位置には、イエス様とマリア様が見えます。そして、後ろには、神様の光が輝いています。その下には、『神はおられる。常に良きに計らい、救いへと誘う』。そのようなメッセージが見えます。

ライフシールは、円の形をしています。背景色は、紫色です。輪郭の色は、イエローです。ライフシールのテーマは、『歩みの大切さと尊さ。自分を感じ、育て、深める』。
                   リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
                   〈了〉