2014年2月19日

昨年他界した主人の「あの世」での様子を教えてください。

2011.3.18 パーソナル・リーディング No.11642

【質問1】主人・○○○○[1953年**月**日生]が、昨年4月5日に他界して以来、積極的にARIのイベントや講演会に参加させて頂き、お蔭様で、エッセンスコースやフォローアップセッションも受けさせて頂き、感慨深く、感謝の気持ちでいっぱいです。5月の神戸での講演会のテーマは「あの世とこの世」になり、今まで以上にチームワーク良く、あの世の主人も一緒になって準備が整ってきている気がしています。また、主人の友達に、「主人は、あの世でも元気ですよ」とお伝えすると、本当に喜んでくださいますし、私も、とても嬉しくなります。現在の主人の様子と、今回「あの世とこの世」というテーマで、神戸で講演会を行う意義をお教えください。

【ソース】今度の、神戸における講演会のテーマが「あの世とこの世」に定まったことは、良いことでした。講演会のテーマなどは、取ってつけたものであっては不適当です。まず、主催する自分たちや、自分たちが特に関わらせて頂いている方々、つまり、講演会に来てくださるであろう方々にとって興味があり、価値が感じられるテーマ選びであることが必要です。

2点目は、最近の自分たちの周りの現実の動きや流れに合ったものが望ましいのです。この2点を満たしていれば、テーマとして合っており、生きた内容の良い講演会となります。「あの世とこの世」というテーマは、この2つの条件を満たしているので、良いテーマ選びなのです。つまり、取ってつけたようなテーマではなく、1番目の、自分たちにとって興味が湧き、関心のあるテーマになっています。

元々あなたは、死後の世界や宇宙に興味があるので、自分の気持ちに正直になって臨めます。人様にも正直な気持ちで、興味深くお誘いができます。自分が元々興味があり、価値を感ずるテーマだからです。そうすると、まず自分たちが、その講演会から学べます。自分の気持ちに正直に、意欲的に取り組めます。それでこそ、周りの方々にも確信を持ってお誘いでき、それを神様が喜んで受け取ってくださって、良い講演会となるのです。

2点目の、最近の自分たちの周りの動きや流れにも応じたテーマ選びが良いということも満たしています。主催する自分たちが、興味があるテーマであるばかりでなく、何よりも、あなたの御主人が亡くなったばかりで、しかも、亡くなった直後というより、少し間を置いてからというのが大事であり、それが配慮です。

それで、ちょうど喪が明けて、少し落ち着いたところでこのテーマというのは、時期相応で、神様からの御主人の死という出来事メッセージに応じたテーマ選びになっているので、具体的であり、神様の行われたことに即しています。自分自身はもとよりのこと、自分の友人、知人にとっても関心事であり、この機会に、このテーマで学ぶというのは、神様のお導きに沿っていることです。ご主人への弔いにもなります。

現実の動きに合わせることは大事なことなのです。こういう世界の学びは、現実とマッチしたものが生きたものとして働き、身になり、役立ちます。似たようなこととして、お祈りがあります。お祈りの場合も、取ってつけたような、自分が思ってもないようなことを祈っても、あまり意味がありません。神様は、カルマの反映としての出来事を通して人間を育て、鍛え上げ、導かれる御方です。地球学校は、体験学習を特徴としています。起きる出来事が、地球学校の学び方です。その出来事を起こすのは、神様です。

ですから、お祈りの場合も、その時その時、現実に自分が困っていることや、問題になっていることや、気がかりをこそ神様にお祈りしながら、その現実の課題や気がかりに取り組むことで、カルマが果たされ、その事を通して教訓を学んで、成長を遂げられて、カルマも果たされ、神様に導き育てられるという仕組みです。困っていることがあったら、御利益信仰ということでなく、それが今の自分の必要な学びだと捉えて、迷わずに、現実の事柄に取り組み、その中で学んで、成長を遂げ、カルマも解消する、その中で神様に育て、導かれる。

祈りもそれとタイアップして、その時の気がかりをこそ祈り、「この事の元にあるカルマと霊障をお解きください。あるいは、この事を通して教訓を学んで成長を遂げ、その結果、苦境を脱却できますように。そのようにして、神の愛と平安、喜びと恵み、幸せと健康が頂けますように。よろしくご助力、ご支援ください」。そのように祈りながら、現実の気がかりに取り組んでこそ、成長し、学びが身になるものなのです。その結果、問題も解決し、前に進めます。

お祈りの場合、いつでも変わらない、大きな普遍的お祈り、たとえば「霊界と顕界に、霊的進化と調和がもたらされ、地上に神の国が実現しますように」、こういったお祈りは、大きな普遍的なお祈りですから、まずそのことを祈るのです。ちょうどイエス様が、『まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、他の具体的な必要なものは添えて与えられるであろう』と言われたことに通じます。

それゆえ、お祈りの時も、まず全体の為の普遍的お祈りを捧げ、そのあと、今直面している個人的具体的な気がかりなことにしっかり向き合って、そのことを祈り、お願いし、現実的にもそれに取り組みながら、神様のお導きやお力添えを頂いて、対処して、乗り切って、片づけていく。そういう生き方が、神様と共に生かされて生きるという、現実的な生きた信仰です。

講演会の学びも、そのような現実的な、地に足が付いた学びであると良いのです。そして皆、縁のある人は、連動して関連し合っていますから、自分が今、関心があり、ここで、このテーマで学んでおくと、次に進めるというものを自分が感ずると、自分の周りの人たちも大体同じなのです。その時関心があったり、必要な学びは。ですから神戸において、今の時期「あの世とこの世」のテーマで、しっかり学んで、クリアしておくと、それが御主人へのはなむけにもなります。

これからもこういうことで、実際的、具体的なテーマ選びにすると、テーマ選びで迷わないし、テーマ選びでズレたりもしなくなります。要するに、その時興味があって、自分も学びたい、知りたい、整理をつけておきたい、この時期にクリアしたいという自分の気持ちや、周りの動きに合わせて、素直に、自分に正直に選べば良いのです。机上の学問が観念的で、現実に即さず、あまり役立たないように、宙に浮いたようなテーマ選びだと、あまり意味がなく、魅力や関心もそそらないのです。そういうことで、難しいことではなく、その時自分が思うテーマ選びに、これからもしましょう。

亡くなられた方を御供養するには、ポイントが2つあります。一つ目は世間でもよく行われている先祖供養です。命日などを中心に、お花や、生前のその方の好物だった食べ物や飲み物をお捧げし、生前のその方、亡くなられた方の信仰に合ったお祈りを捧げてあげることです。そのような先祖供養、あるいは、お墓をきれいにしたり、お墓にお花を添えてあげたりして、真心を込めて手を合わせて差し上げること、こういった先祖供養が役立ちます。

もう一つは、一般には気づかれておらず、あまり為されていないことなのですが、大事なことです。それは、残された縁者や遺族がこの世に残って、世の為に良い働きをしていき、役立っていくことです。価値のある生き方を、この世に残された者が、責任をもって果たす生き方をすることです。そして、それによって周りから喜ばれ、幸せになることです。それが、先に逝かれた方への慰めとなり、功徳を巡らすこと、回向になるのです。この世で自分を生かして多くの方々の為になること。

そうすると、自分の子孫や遺族がこの世で喜ばれ、活躍したことになりますから、自分とつながりのある先に逝かれた方々が、あの世で安心されたり、誇りに思われたり、喜ばれるので、功徳を神様が、先に逝かれたあの世の方に差し向けてくださる、これが何よりの御供養になるのです。

その意味で、あなたがARIで学んだり、ARIの神様のことや真理を周りの方たちにお勧めしているのは、とても良い働きです。また、ボランティアで、オカリナやハープを演奏して差し上げるのも良い働きで、あの世の御主人の為になっています。そして「○○○介護サービス」を、御主人の遺志を継いで、あなたが頑張っていることが、何よりの御主人の安心や、納得や、慰めや、喜びになっています。何よりも妻のあなたが、この世で自分を活かして、世の役に立ち、世の中の人に喜ばれて幸せになっていることが、あの世の御主人にとっての喜びや誇りになります。

そういうことで、あなたは御主人の死を無駄にすることなく、御主人の分まで命を大切に、自分を活かして、多くの方々に希望、慰め、喜び、平安、確信をもたらしつつあるのですから、御主人が成仏するのに大層助けになっているのです。

御主人は時期が来て、あの世に移られました。あなたは寂しくなりましたが、その前にARIに出合わされて、このようなことを受け止める態勢が創られていました。また、御主人が亡くなられたことで、本当に死後の世界があり、人は死んでも生きていると実感できる体験を頂きました。そして、それによって周りの人に確信をもって伝えたり、あなたが後半生で常々関心のあった、神様のことや、霊的なことを学ぶ時間や機会を与えられるようになったのです。

【質問2】ARIにご縁を戴き、光栄にも講演会をさせていただくようになりました。周りの方々にも、浅野先生の事や、ARIで学んだ事をお伝えしたいという熱い思いがこみ上げてきています。また、この人には特にお伝えしなくては!という強い思いが湧く友達が何人もいます。この思いは、どの前世の、どのような状況からのものなのでしょうか。現在、強く影響を及ぼしている前世をお教えください。

【ソース】そのような影響をあなたに及ぼしている前世は、いくつかあります。1つ目は、古代エジプトのアクナテンからツタンカーメンにかけての時代です。アクナテン王は、多神教の偶像崇拝のエジプトにあって、愛と命と恵みと平安、調和が、本当の神様であることを伝え、それを太陽になぞらえて『アテン』と呼びました。アテン神は、その前からあったのですが、アクナテンは、神様本来の性質や理想をアテン神に盛り込み、エジプトの国を一新しました。そして、芸術的な表現を通して、愛と命と光の理想を王の立場で出来る限り国民にわかるように、芸術の表現を通して、また、宗教の詩を通して表現し、伝えました。

あなたは、最初はよくわからなかったけれども、その芸術的な表現や雰囲気から、とても素晴らしい本当のものだと思えたのです。その時の喜びや、感動や、驚きがあって、また、国の方針としても、周りに伝えるように言われ、あなたは心からそう思えたので、「伝えねば」という想いが湧きました。

2つ目は、イスラエル統一王国時代の、ダビデからソロモンにかけての時代です。サウル王のあとを継いで、ダビデが王になりました。そして、ONEの神様を中心とした国家体制を造るためにまい進しました。宗教的な神への賛美と、自分の罪の懺悔告白を、素直に表明する人間としての理想的なあり方を、王の生き様や態度や行動に、あなたは見ました。

国民全体としては、何十万人から何百万人もいたのですが、あなたは、ただの国民の一人以上の存在でした。王の家族やお友達、そして、一つなる神様を信奉する、そのような直接の輪の中にあなたは居たのです。そのため、その国の改革や運動は、あなたにとって非常に身近であり、直接の体験となりました。そのため、衝撃も大きく、非常に大切な精神と教えだと、心から納得し、それを感動と感謝と共に伝えたいという想いが、その時代にも湧きました。

3つ目は、ローマ帝国の前世です。4つ目は、日本の飛鳥時代の前世です。これについては、既に述べられています。聖徳太子が仏教を日本に普及することが決まり、四天王寺が建てられました。そこで福祉や介護、治療などの部門も、お寺の中に設けられ、あなたはそこで奉仕的に働き、仏教の慈悲の精神の大切さをひしひしと実感して、このような愛と平和の慈悲の精神を、やさしい、思いやりの心でもって伝えねばという想いがあったのです。

5つ目は、日本の鎌倉時代のことです。あなたは関西に生きていて、親鸞の教えを耳にし、その確信と、感謝と、喜びに満ちた信仰に打たれるものがありました。安らぎと、確信と、感謝と、喜びを湧きたたせる信仰は、人間が生きる上で要(かなめ)であり、人間を蘇生させ、神仏に立ち返らせる最も重要なものだと思えました。

6つ目はスペインの前世です。修道院での学びと修業を通して、あなたはヨハネから、指導や訓育を受け、信仰や、神様に関する真髄を学び受けました。

【質問3】主人の後を引き継ぎ、「○○○介護サービス」の代表となりましたが、利用者さんは減少し、売り上げは激減しています。しかし、私としては無理せず、今の利用者さんや、ヘルパーさんとのつながりは大切にしつつ、仕事と共に、ARIでの活動や地域活動、ヘルマンハープ等でのボランティア活動に力を入れて行きたいと思っています。この方向で良いのでしょうか。また、○○○○○・フィットネスのアドバンスコースを受講する事は、有意義な事なのでしょうか。

【ソース】何でも加減が大事です。多すぎても、また、少なすぎても好ましくありません。いわゆる〝中道〟です。御主人がおられた頃は、御主人が主軸になって一生懸命動かれていたので、あれだけの仕事がなされていたのです。あなたはもちろん、その仕事に感謝し、大切にして、今でも一生懸命働いています。ただ、やはり、それでも御主人がおられるのと、おられなくなったのとでは、差が出ます。それがおのずと、現実の状況となって出ているのでしょう。また、世の中の変化や不況なども影響しているのかもしれません。

あなたが、そのお仕事を大切に感じ、使命感を持ちながら、しかし無理をしすぎることなく、これからも仕事に感謝し、周りの方々を大切にして共に取り組んでいくことは、当然、今後の生きる上でも基本となります。その上で、仕事だけという人生ではなく、このぐらいがちょうど良いという加減を見ながら、自分の人生設計をして、仕事と共にバランスを取ってARIの学びや普及、オカリナやヘルマンハープのボランティア活動等に精を出すということは、これからのあなたの生き方として大切で、望ましいことです。御主人も、あなたがそのように生きる事を、あの世で喜ばれることでしょう。

人は、なぜ生まれ変わって来るのか。前世からのカルマを果たし、学びを得て成長を遂げるため、そして、自分を周りの役に立たせて、自分も生きていけるためです。それと共に、天からの贈り物、つまり恵みとしても、人生を送る機会を与えられます。それゆえ、上手に楽しんで、この世で幸せになること、それでこそ神様は恵みを与えてくださる御方だと思えて、神様に素直になれて、感謝と喜びが湧くのです。そういう生き方をしましょう。

そして、自分の気持ちにも神様が反映しますから、「こういうことをしたい。そして、それに価値や使命を感ずる」。そのように思えるのは、偶然でなく、神様からの働きかけや促しによって、そう思うのです。また、そう願うだけでなく、周りの動きにも、その機会や状況が与えられるものなのです。そして、確かにそのようになってきています。ARIの学びや、奉仕活動もそうですし、演奏によるボランティア活動も、それが心に願えるばかりでなく、機会も与えられ、あなたが求められているからです。

仕事をきちっとして、仕事を大切にして、御主人の遺志を引き継ぎながら、しかし仕事一辺倒の人生ではなく、無理をするということでもなく、仕事を大切にし、ありがたく感じつつも、あなたならではの、自分が動くと喜ばれる、そして、あなた自身の本質も喜ぶ事をしていくと良いのです。それが自分の気持ちに正直になることであり、自分の気持ちに正直になることが、神に対し、また、周りの方々に対する誠実な生き方なのです。心から喜べて、神様を感じられるようになります。周りの方々の恩恵や愛も感じられてきます。自分が「こうだ」と思う事を行動に移すと良いのです。内なる導きです。

質問に出てくる学びのアドバンスコースを受ける必要があるかどうかということについてですが、どうしてもあなたが今の時期、受けねばならないというものではありません。しかし、受けてはならないということでもなく、あなたの気持ちの中で「受けたい」とか、「受けると役に立つと思う」そのような促しが来たらば、受ければ良いです。客観的に見たら、どうしてもあなたが今の時期、受けねばならないというものではないのですが、あなたの気持ちとして「受けたい」とか、「受けると為になるように思う」そういう促しが来たらば、受ければ良いのです。受けなければいけないから、受けるということではありません。しかし、それほどそう感じなければ、受けないままで支障を来しません。

人生において、何かに直面した場合、3つがあり得ます。1つ目は、考えるまでもなく、どうしても必要な場合、好むと好まざるとに関わらず、必要だということがわかり切っている事に関しては、迷う余地がなく、しなければならないことです。2通り目は、これも、好むと好まざるとに関わらず、全くする必要がない、自分の役目や必要がない、そういう事は、好むと好まざるとに関わらず、その事をやりたいとか、やりたくないとか、そういう感情の動きに関わりなく、どう見ても自分にとって必要がない事ならば、迷いようがありません。しない方が良い部類です。

この両者の間で、人は迷うわけです。本当に必要かどうかわからない、必要でないかどうかもわからない。そのように、どっちつかずの、よく見えない部分の間のもので、人は迷うわけです。確実に言えることは、迷う場合は、どうしても必要だというほどではないということです。

ですから、迷う場合は、どうしてもしなければならないことではないので、保留にしていてもかまいません。気乗りしない事は、しなくて良いのです。少なくとも気乗りしないうちは、しない方が良いのです。しかし、本当に想いが募ってきて、確信も出てきたらば、迷いから脱し、するようになればいいし、あるいは、する必要がないと意識上に判明してきたら、せずに済ませられます。自分の気持ちを窺いながら、祈りつつ、今後様子を見ていけば、おのずと判明することでしょう。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました)                                                                    <了>