2013年6月13日

定年退職後は、自分を試すことで世のお役に立つことが良いのです。


2012.6.29 パーソナル・リーディング No.12903

【質問1】夫、○○○(1947年*月*日生)が○○○○大学を無事定年まで勤めさせていただき、その後、夫の力を活かすことができる仕事、また人生の後半にあたってした方がいい仕事が与えられますことを祈っております。夫は定年後、どのような仕事をしていったらよろしいでしょうか。また妻として、私はどのようなサポートを心がけていったらよろしいでしょうか。お教えください。

【ソース】今世における義務と仕事は定年退職を迎えることで成し遂げられると見ることが出来ます。ということは、その後は自由で、自分を試すことで世のお役に立つことが良いのです。こうでなければならないというものはありません。元々の自分の持てるものと、これまでの経験によって得られたものが活かされることで世のお役に立ち、自分でもそれが喜びとなれば良いのです。

基本的に人間は自分が最もしたい事をするのが良いのです。何故なら神様は現実に起きる事を司っておられるばかりでなく、神様の思いは人間一人ひとりの内面にも顕れ出るからです。現実の動きや状況が出来事メッセージということで神様の思いの顕れであることはいつも説明されている通りです。そればかりでなく、人間一人ひとりの気持ちや願いにも神様の思いが顕れ出るのです。神様のその人に対しての促しは、その人の気持ちや願いに顕れ出るということです。だから、自分の中の純粋な願いに素直になって、それを行うと良いということです。またその時最も自分が活かされ、周りのお役に立てます。

もちろん人間は複雑で、自分の中に湧いてくる思いや願いの全てをその通り行うのがいいとばかりは限りません。その為人生では自分の願いの通りには行かず、落胆したり悲しんだりするわけです。一人ひとりが自分が思う様に行っては世の中は成り立たないし、当人の為にもなりません。ただの我がままが通用するわけではないし、それが叶うのが良いとは限らない。それは人間が不完全で偏りがあるからです。それでも尚、その人の中の一番の願い、純粋な思いは神様の思いの顕れであり、神様がその人に促されていることであることは確かです。

そのまましないほうが良い事、そして叶わない事というのは一番の願いというよりも、その人の中の仮の願い、或いは偽りの願いのほうです。そういうものは叶わないほうが良いし、実際、現実的に叶わない場合が多いです。でも、本人の中の魂や霊から湧いてくる思いは純粋であり、神様の働きかけで湧いてくるものです。また本人が前世から計画してきて、今世の目的となっているものが純粋な願いとして湧いてくるのです。そういうものは叶い易いし、叶うと良いものです。関わる人にとっても当人にとっても叶うと良い性質の事柄です。それが本人の使命に関することなのです。自分の純粋な気持ちからして「やむにやまれぬ思い」は、神様からの働きかけによる場合が多いです。

ただ人間の場合は純粋な願いと、そうでもない願いや思いとが混じり合って一つの思いとして湧いてくる場合が多いです。それ故、純粋な願いだけを取り出すということは難しいので、取り敢えず自分がやりたいし、やると良いと思える事に取り組みながら、混じり気のある部分が整理されたり浄化されたり鍛えられたりするプロセスを辿ります。

また純粋な部分も周りからすぐ理解され受け入れられる場合は少なく、その意味で諦めず、自分も素直で謙虚になりながら周りの意見や要望を聞き、また自分を内省しつつ、本当のものは貫きながら、そうでもない付着している部分を整理しつつ、周りとも調整を図りながら進んで行くことです。自分の中の「こうである」という確信や願いはすぐに分かってもらえず通用しにくくても、内なる導きと内なる声に促されてこそ使命が達成されます。そういうものを乗り越えながら、周りとも調整が図られてこそ実現します。

ご主人の場合ならやり甲斐のある事、つまり使命は、これまでの経験を活かして、しかしこれまでは為されなかった事として、大学を中心とした学校の改革や建て直しに関わっていくことでしょう。それが自分の中で分かっているので、そうしたいと思うのです。

人間は自分がこうだと思うことの全てが正しいということではないにしても、重要な真実は含まれている場合が多いです。それ故、本当のもので行うと良い部分と、本人のエゴとか面子とか捉え違いとか、本人のカルマや癖に根差す部分をよく見分けて、本当のところはよく汲んで実現する様に関わってあげ、一方そうでもない付着した部分は本人の課題やカルマですから、それは受け入れられない場合が多いし、周りから抵抗があるものです。

中には純粋な本当のものでさえ、周りから理解されず受け入れられないこともあります。そういう時は本人は諦めず、乗り越えて行かねば叶いません。そのうち周りも分かり、「それで良かった」と受け入れる様になります。重要なことで新しいものを行い、実現させる人は、どの分野でも先見の明があり、その為周りから分かってもらえず反対に遭います。しかしそれを乗り越えてこそ実現するのであり、諦めてしまうと叶いません。発明家にしても大きな貢献をする事業家にしても改革者にしても、周りからは分かってもらえず、しかしそこで諦めず、しかも周りと調整を図って、乗り越えて実現させていった人達です。

またその様なことを達成した人の傍には配偶者であるとか仕事上の良きパートナーが付いている場合が多いものです。ちゃんとそういう人には福徳があったり役目があるので、その様な相応しい人が付いている場合が多いです。その様な人のお陰もあって大成するのです。あなたはその様な妻になれば、ご主人の為になれます。

単にそのまま叶えるということでも無く、よく本質を見抜いて、そして本人の課題や調整したり整理するべき部分はその様に妻として関わっていって、そして根本のところでは良き理解者や協力者、相談相手となってあげることです。その様になったらあなたは、ご主人が生まれてきた目的を達成させてあげることが出来ます。またその様にすることで、特に期待しなくても、今度は自分自身の使命を遂行する上で何かとし易くなり、ご主人も助けてくれたり見守ってくれる様になることでしょう。お互い様ということで、相互の関わりで人生は進んで行くのです。

スピリチュアルなことというのは特殊なことではなく、物事の奥深い面や人の心の奥深い部分まで理解し、考慮していくということです。深い理解や深い思いやりを以て現実に取り組んでいくことです。背景となる部分も考慮し、含めていくことがONEということです。物事や背景の全部を理解し考慮し、含めていくのがONEです。あなたはその様なことを学んでいます。また教育者として自分の仕事の場でそれを応用し、活かしていくことが出来ます。そして家庭においては夫との関わりでそれを応用し、役立てていくことが出来る立場にあります。

あなたは賢い面があり柔軟な面もあるので、既成の観念や常識だけに依らず、本当のものをすくい取って、ご主人のライフワークが遂げられる様にしてあげられることでしょう。自分の中の感覚に聞けば、どういうことであり、どの様にしたら良いのかが分かることでしょう。またすぐに分からなくても、取り敢えず分かるところに従って行っているうちに残りの部分も分かったり、最初は出来ない部分が出来る様になり、取り組む中で新たな気付きや学びが伴って、調整が図られ、ご主人もあなたも成長を遂げ、カルマも解消し、前世を乗り越えて社会に寄与していくことでしょう。

ご主人がやりたいと思うことの本質や価値を見抜き、それがより良い形で叶っていく様に相手役を務めたり、バランスを取ってあげながら協力してあげましょう。

【質問2】私が現在の職場に移る直接のきっかけを下さった○○○○○先生(1943年*月*日生)とは、どのような前世からのご縁があるのでしょうか。彼女は○○の大学で学科長でした。大学側の差別に裁判をおこし、私は彼女に精神的な支援しかできませんでした。現在、彼女は学長のブレーンとして大学改革に携わっており、私は頼りなくも、彼女を支え、プライベートでは親しい友人としてつきあう関係です。とても恩義を感じていますが、強引なやり方に時々反感も覚えます。

【ソース】その方は正義感が強く、自分の信念があって、一方的なところがあります。しかし正直で、思うところ感ずるところがあると人を助けたり世話をする人で、徹底しています。ハッキリしている人です。我がままで一方的で自分流儀のところはあります。でも誤魔化しが無く、こうだと思うことを正直に押し通していくので、不正を正したり誤魔化しを無くすことで刷新を図ることが出来る人です。馴れ合いとか同調とか譲歩とか柔軟に合わせるとか現実を見て妥協するとか、そういうことが出来ない質です。

あなたにも少し似た性質ややり方がありますが、あなたはもう少し柔軟で優しく、良くも悪くも甘いところがあります。現実を見て、それに合わせていくというものをあなたは持ち合わせています。「現実にも意味があり、現実に合わせていってこそ壊れず、無理が無く、穏やかに改革が出来る」とあなたは感ずるからです。しかしそのお友達はそういったことが一切無く、自分の思いだけで突き進みます。あなたはその様な在り方に感心したり羨ましく思うところと疑問を抱くところとがあります。

大きく捉えれば似た者同士なのですが、似ている上で違っている部分があるのです。あなたはそのお友達を尊敬出来、同時に反感も覚えます。それぞれに良さと課題と果たせる役目があります。どちらが良いとは言えず、それぞれの持ち味と気質に依ることです。ただお互いに関わると学べることやバランスを取り合える面はあります。近付き過ぎず、遠退け過ぎず、ちょうど良い距離を保ちながら、バランスを取ることでお互いに啓発され、確認も出来、得られるものがあります。あなたは感覚的に優れているので、どういった関わりをしたり、どのぐらいの距離を保つのが良いか分かります。

その人は自分の思い通りにしたがるし、自分の思いを実現するのが良いという信念があります。周りの状況や動きを余り考慮しません。しかしその分、本当に大切なことは行う実行力があります。周りを見て考慮する余裕が無い人でもあります。あなたは周りを気遣うほうです。あなたも正義感が強く、こうだと思うことは実行に移しますが、しかし周りを気遣い考慮し合わせるという面があります。

特に日本の飛鳥時代において、それぞれが自分の置かれた状況で周りを改革する教育の面で働きを為していました。その様な働きの中で出会い、一時関わり、参考になるものが得られました。あなた方の様なタイプの女性は、そう多くはないので、その人にとってあなたは数少ない期待出来る後輩の一人です。また頼りにもなると見られています。

自分が出来る事やすると良いと思える事をすれば良いのです。精神的な理解や支援でも充分お役に立っています。自分で納得いく形でこれからも関わり、お互いに得られるものを与え合い、活かし合う形でこれからも進んでいきましょう。

【質問3】現在、担当する科目が新しいものばかりのせいか、あるいは所属する子ども福祉専攻の責任者という中間管理職のような立場のせいか、劣等感やストレスにおそわれます。神様に鍛えられている証拠だと思っています。ここで、このような体験をすることはどのようなカルマがあるのでしょうか。お伝えいただける前世がありましたらお教えください。

【ソース】劣等感やストレスを感じない人はほとんどいません。99.9パーセント以上の人が、何らかの形で、ある一定の分量、劣等感やストレスを感じて生きていたり物事に取り組んでいます。その意味で、そういうものを感じたほうが人の気持ちや大変さが分かり、共感も出来、一緒にやっていけます。また相手を理解し、受け止め、手を差し伸べられます。

また自信は良いものですが、自信過剰になると支障を来します。劣等感やコンプレックスは課題だと見なされがちですが、謙虚さや素直さや向上心と密接不可分です。自信自体は良いものですが、傲慢さや人に対する厳しさと繋がり易いです。

人を分かり自分が謙虚になり、人を助ける知恵が湧くのは自分の劣等感や苦しみによって鍛えられる時です。更にそれが神様や仏様を認め、大いなる存在との関わりで生かされて生きる方向に向かえば、自分の中の弱点や課題やカルマが活かされる様になるのです。人間はその様になり易いところがあります。その為、法然や親鸞は「善人以上に悪人のほうが救われる可能性が高くなる」と言ったのです。それ故自分の中の課題や妨げになると見られる部分を良いほうに転じ、それが豊かさになれば、必ずしも悪いものとは言えなくなります。

あなたは新しい場で行うのがかなり出来るほうの人です。その様なあなたでも劣等感やストレスを感じるということは、ほとんどの人が新しい所に置かれると、そういうものを感ずるし、上手く出来ないという不安を抱くものだということ。そのことが分かったことでしょう。

もしあなたが新しい所に置かれて、ほとんど不安やストレスが無く、ほぼ上手くいくとしたなら、それはそれで結構なことですが、それが当たり前となってしまい、自分は出来ると思ってしまい、上手く出来ない人、特に新しい事に適応出来なかったり新しい事を習得するのに手こずる人に対してよく分からず「何故出来ないのだろう」と感じてしまうことでしょう。それは好ましくないことです。それがちょうど善人は救われ難く、悪人のほうが救われ易いという論理です。

あなたにも人間的な面や弱点があったということ。それがあなたを支え救います。多くの人の為になる人になれます。自分の負の部分を自覚することで謙虚で素直になり、また自分だけの努力で成るものではなく、大いなる存在のお陰、また周りの方々のお陰だと捉えられます。そしてどんな手こずる人に対しても、よく分かって受け止めて、応じていける人になります。人間は負の部分があるほうが成長し易く、問題意識を持って取り組んで向上し易く、その様な中で知恵が湧いてくるのです。それが多くの人の為になっていきます。それがONEの教育、全人教育です。

またあなたが更に上のレベルに上がる為の手続きです。今迄のレベルのものならば出来るしクリア出来ます。応じられます。しかし、その上のレベルに今チャレンジされているので、すんなりはいかないということです。しかしそこで四苦八苦しながら調整が付き、そこで出来る様になれば、自分のレベルが更に上がったことになるのです。それに今取り組んでいるところです。それで知恵や力が付けば、そして愛も大きくなれば、更に多くの人のことが分かって、見てあげたり育て導ける教育者になれます。それが神様に訓練を受けているということです。

それは取り組み甲斐のあることです。今までよりも難しい問題に取り組まされている、それが訓練になるということです。その様に捉えましょう。それによって励みになり、神様はその人がその時点で乗り越えられないことは与えないことが分かり、今の自分に相応しく効果的な事が与えられていると思えることでしょう。その様に思えることで安心し、感謝も湧いてきて、事態を余裕を持って受け止め、対応していける力が付いてきます。その時点の自分のものを総動員すれば良いのです。無我夢中で取り組んでいるうちに超作になり、力が付いてカルマも解消していきます。それによって、上手くいくようになります。

前世のカルマによって起きてきているというよりも、もっと未来的なチャレンジとして、あなた自身が鍛錬を受けているということです。それによって更に出来る事の分量が増え、質も高まることでしょう。いつもこの様なことで納得し、安心し、現状を受け入れられる様になります。そして安堵感と共に感謝と喜びが湧いてきて、明るく希望に満ち溢れ、現状が楽しくなって、自分の良さが戻ってきて、現状を改めて受け入れ、応じていける様になることでしょう。

周りの人のことも考慮し、よく見ていってあげてください。人生は明るく尊く素晴らしいものだと、益々思える様になることでしょう。あなたがその様になってくる程に周りにも良き感化が及びます。そのようにして、使命が着々と果たされていくことでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉