2013年5月15日

素晴らしい始まりの手前に、試みや試練があるのが法則です。


2012.6.12 パーソナル・リーディング No.12878

【質問1】いつも神様に育て導いて頂けていることに、ただただ感謝です。4月末より、約1ヵ月間の内面的試練を通過した後の変化について、ご説明をお願い致します。そして、私は今、どのような成長段階にあるのでしょうか。どうぞお導きください。

【ソース】人間にしても、人間が住んでいる世界の方にしても、単なる物の世界ではありません。人間も、肉体だけの存在ではありません。心の世界が広がっています。更に奥には、魂や霊もあるのが人間です。人間が住む世界も、多重次元をなしていて奥深いです。心の世界、更に、霊的な世界が広がっていて、物質の中にも、肉体の中にも、心や霊が入り込んで動かしています。

そのため、家族やグループソウルなどの縁の深い人たちは、心で思ったり、心に変化が生じたりすると、連動し、影響を及ぼし合います。そうであるからこそ、教えを学んで留意したり、お祈りをしたりすることで、周りの支えや助けにもなってあげられるのです。また、縁のある人たちの大変なところを理解し、受けとめて感じ、解消したり、担い合うことで、痛み分けが生じたり、カルマを解消したりできます。相互の関連の中で、良い影響を及ぼして助けになれるのです。

でも、その際、お互いに大変なところを分け合い、関わる人のつらさや、悲しみや、恐怖がやってくることもあります。しかし、それでカルマを果たし合い、お互いに次に向かっていけるのです。カルマを果たすのは、物理的な領域において主になされ、カルマを解消するのは、主に心の次元でなされます。そのようにして、多重次元の人間という生命存在は、関わりの下(もと)、互いに悲しみや痛みも、喜びや、理解や、成長も分かち合いながら、命の本源へと誘(いざな)われていきます。

愛ということで、互いの関わりの中で助け合い、カルマを解消したり、良いものを分け合って前進できたりするところに意義があります。神は、愛です。そのような利他的な愛を持って取り組めば、大変であっても、力が湧いてきます。自分が神様という利他的な愛の方向付けをとりさえすれば、神様の御心に沿うことなので、大変であっても力が湧いてくるのです。

それは、家族や周りの人の為にという、想う気持ちが神の御心に適(かな)うので、自分を捧げる想いや行いによって、自分の中に神様が入ってきてくださり、神様が自分を通して働かれ、難しいことでも、必要で良いことなら出来てしまうし、それによって自分も浄化され、育成され、引き上げられていくのです。

自分の中の命と、自分が利他的な愛という神の方向付けをとったことで、神様が自分の中に入ってきてくださって、自分の力と、神様の入って来られた御力が、一つになった時に、引き上げられるようなことが起きてきます。自分の実感としても、また、内面的な霊体験としても、内と外との御力が一つになった時に、引き上げられていくことが起きてきます。それがONEの神秘的な力です。内と外との神の御力が、一つになったところで起きることです。

しかし、その前に試みがあり、古い自分、カルマ的な自分、肉の部分の自分が恐怖を感じたり、抵抗をします。前に進もうとすると、反作用が生ずるのです。作用と反作用は、鏡に映すように同時に生ずるのです。

それは、イサクの子に双子が生まれたことにも表れています。エサウとヤコブです。「信じたい」と自分を向けていくと、疑う心が双子のように同時に出てくるのです。しかし、その疑いの部分を理解し、癒し、受けとめることで、解消し、それが原動力になっていくのです。役目とカルマも、双子です。表裏一体です。カルマを理解し、受けとめて、感じて、癒すことで、カルマが養分になって、役目が果たされ、それによって、カルマも解消するというのがONEの道です。

グループソウルとして、4月下旬から5月下旬にかけて、新しい始まりの手前のところの試みを、通過したのです。4月末から5月末にかけての1ヵ月間は、ヨハネ自身、減量し、自分を浄化して、整え直していた1ヵ月間でした。グループソウルとして、そのような最後の調整期間だったということです。

あなたは、そのことをまったく知らずに、同じ期間の1ヵ月間、不安や恐怖などの内面的な葛藤を体感して、通過していたのです。素晴らしい始まりの手前に、試みや試練があるのが法則です。バランスの法則とも言えます。素晴らしいことの手前で沈むからです。沈まないと、上がれないとも言えます。

イエス様も、洗礼を受けられてからすぐに伝道を開始せず、洗礼を受けてから荒野に導かれ、40日40夜、断食して、悪魔の試みに遭われました。しかし、次々に悪魔の試みをクリアし、アダムであった時の試みを通過できました。そのようにして、試練を乗り越えられたので、山を下りて来られ、奇跡と共に伝道が始まったのです。

また、最後の総仕上げとして、3年間の伝道のあと、逮捕され、鞭打ちの刑に遭われ、その前にはビアドロローサを、十字架を引っ張っていかれました。そして、裁判にかけられ、十字架刑に処せられて、殺されました。3日間、墓場で死を体験し、死を克服、解消して、復活を遂げられたのです。そのようにして、創造神と完全に一つに合一されました。それがONEの完璧な状態です。

これは法則であり、イエス様が最初に実現させたことです。そのイエス様に見習い、イエス様との関わりで、イエス様のように一人一人が成れるということが、本当のキリスト教です。イエス様は、お手本を示され、そう成れる道を設けられ、自らまず実現されたのです。それが多くの人の励みや目標になり、また、イエス様との関わりで、一人一人もそう成れるのです。

あなたも、そのようなONEの道を志しているので、その法則が働くのです。その時に、イエス様のことを、このように思い出し、理解することで、安堵感と、感謝と、勇気と、確信が湧いてきます。4月末から5月末にかけての内面の葛藤ということで、自分の弱点や自我に向き合わされ、自分では確信があったのですが、自分の中のカルマ的な部分、肉の部分、弱点の部分が動いたのです。

しかし、どうにかそれを受けとめて体験し、通過して、ほぼ乗り越え、5月末の横浜でのヨハネの講座に参加できました。それは、あなたにとって、とても重要なものでした。あとの質問に出てくる通りです。

言い替えると、キリスト時代を対象とする、そのヨハネの講座に出席するためには、その直前に、イエス様の死のような、内面的試練を通過しなければならなかったということです。それをどうにか乗り越えて、参加できたのです。そして、6月1日にARIが新たになり、そして、6月の2日と3日に、東京ワークショップと歎異抄講座を受けることができたのです。

このように、4月末から6月始めにかけては、とても重要な時をグループとして通過したので、グループと密接不可分で、一体化して歩んでいるあなたにも、あなたに即して、あなたに相応(ふさわ)しい形で、それが起きたのです。今は、胎蔵界を踏まえて、金剛界が形成され、金剛界も動き出す時です。それに、あなたも取り組み出しているのです。

自ずと、そのように動くようになるものなのです。現実に動くものは偶然でなく、奥深い領域の表れです。外界は内面の現れ、反映なのです。こういう時の為にも、リーディングがあったり、教えがあったり、お祈りをすると良いということです。神様との関わりで無事通り抜けて、乗り越えられるのです。そうすると、教えが益々深く実感され、理解され、自分の中で生きて作用するようになります。

あなたが、そのようなところを通過すると、自分が自ずと変わり、力を付けます。そう成るほどに、周りの人のことがよくわかり、助ける力が増すのです。自分の態勢がそのように整ってくると、状況も自ずと変わり、自分が変わった度合いに応じて、周りにも変化が生じ、自分が力を付けた分、以前よりも多くの方が求めて訪ねて来るようになるのです。多くの人をわかり、助け、導けるように、自分が成るからです。

現実は、自分次第なのです。自分を投影するように周りは動くのです。これは、誰の観点から見ても、そうなっています。皆、自分のその時点の状態や方向付けに応じた現実の動きになっているのです。

今年の4月末から5月末にかけて、ちょうどイエス様が荒野に導かれ、40日40夜、断食して、悪魔の試みに遭われたことに相当します。それを無事クリアして、山を下りて、使命という社会的な活動が始まったのです。その前に、イエス様は洗礼を受けられました。洗礼を受けるというのは、ペンテコステの成就です。ペテロが、聖霊が降臨して、威厳を語り、その場にいた数千人が感銘を受けて、次々に洗礼を受けて教会ができたことが、ペンテコステの成就です。そのことは、2011年から2012年の初頭にかけて、ARIも、あなた方も体験し、実現させていただいたことです。一人一人が皆、その時の必要性や、自分の状態に相応(ふさわ)しい形で体験し、通過していくのです。

そのようにして、大きく脱皮を遂げました。ヘビが脱皮する時のように、死んで生まれ変わる時は、それまでの自分が通用しなくなって、自己否定され、古い自分が抵抗し、恐怖や葛藤を覚え、体調を崩したりもします。しかし、それで浄化され、古い自分が死んでいき、新たにされて生まれ変わり、引き上げられます。一度死んで、神様との関わりで新たに生かされた時、まったく新しい、より素晴らしい自分となって生きるようになる、それが法則だからです。その究極が、イエス様の死と復活です。

ともかくも、その大変な時期を通過できました。大変な時こそ楽しみです。そのあと、素晴らしいことが待ち受けているからです。意味や必要性のないことは、最初から起きません。特に、このようなことを学んで、大切なことを志している者においては、尚更(なおさら)です。このようなことを、あなたがあらかじめ体験して理解し、会得しておけば、多くの方々の苦難や、不安や、大変さを理解し、助けられるようになるのです。自分が体験して、通過して、乗り越えたことは身に付くので、他の人の助けになれるのです。

【質問2】 5月27日、第一回ヨハネの黙示録講座に参加した折、浅野先生が、ヨハネ、マルコ、マタイ、ルカについて話され始めたら、涙が出てきました。そして、当時、私は生きていたのだと実感しました。その後、吐き気がし、お腹の調子が悪くなり、一時退席しました。私は、お腹が丈夫な方なのに、何故このような事が起きたのでしょうか。また、当時の前世について明かして頂けることがありましたら、お教えください。

【ソース】人間は、表面的に見たり、一般常識で思われていたりするよりも、奥深い宇宙的な存在です。頭と心と肉体は、連動しています。お祈りする場合も、口や声だけで祈っているのではなく、体の全身を使うし、更に、心や魂も全部使って祈っています。

聖書の中には、イエス様のお言葉として『全身全霊をもって祈りなさい』と出てきます。自分の全存在をかけて祈り、神様とつながらせていただく場合は、胸にある心だけが神様とつながるのでなく、自分の全身が、丸ごと神様に受け取られ、体の全部で、神様とつながらせていただかねばなりません。

霊体験にしても、心だけとか、頭の理解とか、そんなちっぽけなものではなく、体にも変化が生ずるし、生活にもいろいろ起きてくるし、全存在をかけたものが修行であり、会得(えとく)することも体得(たいとく)と言われるように、体が関わり、体にも異変や変化が生ずるのは、ヨハネの黙示録に記されている通りです。

ヨハネの黙示録は、ヨハネの行体験です。体験報告記です。本当の霊体験の場合、必ず体にも異変が生じ、体も目覚めていくし、体も浄化されるし、日常生活や、仕事や、人間関係にも変化が生ずるのです。半端ではないわけです。頭だけで学ぶとか、理解したり納得するとか、心で味わったり、愛情を育てるとか、そのような部分的なものでは済みません。全存在、全生命をかけた取り組みです。それがONEです。

特に、奥深いところのものは、体や心にもいろいろなものが反映し、表れ出るので、キリスト時代という、最も重要な核の部分となるところを扱ったので、自分の体にも反応が出てきたのです。また、4月末からの異変が、まだ完全には終わっていなかったので、その最後の部分が表れ出たのです。

あなたはその当時、特に、人生の中盤期以降、使徒ヨハネと一緒に伝道し、旅をしたのです。そして、教えを深め、学びに専心した余生を過ごしました。輪廻転生の中で、特に重要なものは、キリスト時代の人生と、今世、この2つです。特に、あなたにとってはそうです。それゆえ、一番重要なイエス・キリスト様が生きて活動した時代、また、その直後の弟子たちの活動期が、あなたにとって重要です。

イエス様は輪廻転生され、イエス様の前世は、たくさんありますが、やはり最後のキリストとなられたイエスの時が、完成していて重要です。それと同様に、ヨハネは今世が最も重要です。そして、あなたもキリスト時代を経て、今世が重要で本番です。それを、あなたの奥深くの部分が悟り、感じたのです。ちょうど、ローマ帝国の前世で、あなたが目覚め、献身し、行っていたことが、今のあなたの想いや活動に直結しているので、本能が表れたのです。

【質問3】5月2日に霊的な夢を見ました。ARIの主な会員の方々の集会があり、トイレに行き、帰ったら、既に集いが始まっていました。一人の方が「途中から入って良いか、浅野先生にお聞きした方が良い」と言われ、「トイレに入っている間に、時間の流れが変化したようだ」と先生に話すと、浅野先生はハッとされ、奥の部屋に行くよう促され、イニシエーションの準備が始まりました。この夢の解説を、お願い致します。

【ソース】グループソウルとして、2011年から2012年にかけては、本当に重要で、イニシエーションを通過中の時期です。遡れば、2009年6月の、イタリア・バチカンツアーから始まっています。あなたは、重要なところに、ほとんど参加し、共有体験をしてきています。重要な時に参加して、共有体験をすることこそ、イニシエーションの通過となるのです。

たとえば、イエス様の時代にも、ペテロとヨハネとヤコブの3人の主要な弟子が、イエス様の主な、重要な出来事に参加することを許され、イエス様と共有体験をしているのです。更にヨハネは、イエス様の裁判や十字架刑にも側(そば)にいて立ち会い、共有体験をすることを許されています。

このように、あなたは重要なイニシエーションの始まりの時を、今、通過中です。自分の古い部分が試みられ、死ぬこと。その時に、悲しみとか、動揺とか、恐怖が湧きます。しかし、それでカルマが解消していくのです。そして、神様とつながらせていただいて、新しい自分となって目覚め、生き始めるようになる、そのような転換期です。

それが、夢に表れたのです。奥深い部分が動き出し、浄化され、新たにされ、目覚め出しているということ、そのことを理解させ、無事通り抜けられるようにと、夢で知らされ、心がけを創らされたのです。一人一人が、神の愛によって試され、練り上げられ、新たにされるのです。神の子として設(しつら)えられ、ONEの子、すなわち神の子として、神様と合一することを求められます。それは、単純で容易(たやす)いことではないので、いろいろなことが伴ってくるのです。

【質問4】もう一つの新しい組織「○○○○」(○○○)を創るためには、いろいろな方々と会ったり、リサーチなどが必要になってくると思います。今までの仕事は、胎蔵界的であり、組織創りは、社会との関わり、金剛界的な事が増えます。私の中で、うまくバランスが取れるか不安です。留意点などを、お示しください。

【ソース】あの世とこの世でセットであり、ONEです。夫婦にしても、両親にしても、2人で一セット、すなわちONEです。夫と妻、父と母といったように、2人でONEです。

胎蔵界と金剛界もそうです。この世においては、あるいは、宇宙においては、胎蔵界だけでも、あるいは、金剛界だけでも成り立ちません。一人の人間の場合も、女性といっても、男性性が入っているし、男性といっても、女性性が、その中に含まれているのです。だから、男性も女性も、もう一つの性に生まれ変われるのです。陰と陽です。

この世で活動する場合も、胎蔵界だけとか、金剛界だけとかということは、あり得ません。胎蔵界のところでも、金剛界が何らかの形であるし、金剛界といっても、胎蔵界という心や魂が背後に控えていてこそ、金剛界の展開もなされます。

とりあえず、胎蔵界は家庭、職場や会社は金剛界というように分けられますが、それらの中にも少しは、もう一つの側面が含まれているものです。特に、金剛界的な活動には心がないと、実際は働きをなせません。社会的にONEを実現させるなら、ONE自体、胎蔵界と金剛界を含んでいるのがONEですから、胎蔵界だけというのでは、金剛界の活動がなされません。

それで、自分たちに相応(ふさわ)しく、自分たちに応じた金剛界が必要になってきて、それが自ずと、自分たちの場合は「○○○○」という所として始まろうとしているのです。自分たちに実現可能な、無理のない規模と形にすれば、ちゃんと行っていけます。身の丈に合った規模や形態にすれば、ちゃんとやっていけます。あまり大きく構えずに、気楽に、自分たちが金剛界でもやっていける媒体や手段ぐらいに捉えておいた方が良いかもしれません。負担に感ぜず、行う手段として見なせば良いのです。

行う時は、何にしても「自分がやろう」とか、「自分がこれを今やっている」とかというふうには思わないで、ただやれば良いのです。それが超作です。何をする場合も、そのようにしてください。自分がやっていると捉えずに、行うべきことをただするだけで良いのです。そうすれば、そこに神が働かれ、成るようになって、一つ一つが実現していくことでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>