2018年4月13日

今後の世界の動向は?

2017.12.28 パーソナル・リーディング No.15392

【質問1】神さま、このリーディングのおめぐみを深く感謝申し上げます。今年は、北朝鮮の脅威にさらされました。それを機に日本は軍備を強化する方に向かっています。「最大限の圧力」をかける方針は、解決に向かえない誤った選択だと思われます。「60年後くらいに核戦争が起こり得る」と伝えられましたが、どうか神さま、人類に本当の知恵をそして愛をお与え下さい。日本が世界の平和に向けて役割を果たして行けるようお導き下さい。やがて拉致された方々が御家族の元に帰れますよう、どうかお力添え下さい。

【ソース】その時点のその人を表すような現実の動きや状況となる。これが法則です。外界は内界の反映だからです。それゆえ、世界に平和が訪れるためには、人間ひとり一人の魂の目覚めと成長が求められます。政治にも出来ることはありますが、法則からして世界平和は人間一人ひとりの成長を待って初めて実現することなのです。ここに、霊性を基とした教育の必要性があります。

もちろんそれはARIだけですることではなく、それぞれのところに天から人が遣わされ、それぞれの個人やグループが自分の持ち味を活かして、使命を果たしていってこそ、行われていくことです。また、お祈りが不可欠です。危機を回避でき、大事に至らないように良き思いを祈りとして発することです。

或る程度運命は決まってはいます。人々の思いと行いを原因として、それに応じた結果が出てくるからです。しかし100%運命が決まっていて変えられない、というものではありません。古いカルマが果たされつつ、新しい運命が一方で作られつつあります。それゆえ、お祈りを通して神様のお力を戴くことで、良いほうに導いていけるのです。また、いわゆるお祈りという形を取らなくても、「世界が無事で良くなっていって欲しい」という心からの願いも、祈りに通じます。そのように願う人が多くなればなるほど、危機を回避して、より良い世界が訪れる助けとなります。このようなことに気づいた一人ひとりが、良き思いと良き行いに努めることが助けとなります。

まずは、一人ひとりの参加が必要になってきます。それはちょうど選挙のように一人は一票しか投じられないけれども、「塵も積もれば山となる」で、一人ひとりが良き思いと良き行いを一票として投じることで、その集まりが良い世界を実現させることになるのです。そのことを軽んじたり諦めたりしてはなりません。「自分には何ができるのだろうか」。自分の置かれた状況、立場、役目、能力、心の思いなどからして、その時できる最大限のことを行わせていただくのです。たとえ微力であっても、一票は一票です。力に成り得るのです。小さな積み重ねが大事です。良き思いばかりでなく、実際に良き行いを取っていくのです。

自分だからこそ出来ることを、その時その時精一杯させていただきましょう。それによって出てきた結果は、神様が下さった結果と捉えて素直に受け止め、それを基にまた次にできることやすると良いことに向かっていきましょう。日々、神様に自らを捧げ、神様との関わりで、また周りの縁のある方たちとの関わりで、その時自分ができる精一杯を果たしていきましょう。神様に自らを捧げながら、素朴に、心や命や愛を大切に、幼子のように生きていきましょう。神様にお捧げすればするだけ、神様が現実や心に介在してくださり、捧げた分、神様が現実を動かし、助けになってくださるように働かれます。

神様の働く場は二つあります。一つは人間の生きている現実です。もう一つは人間の心の中です。神様に捧げれば捧げるほど、その分神様が現実に介在して、現実で働かれ始めます。また、神様にお捧げした人の心の中でも神様は働かれ始めます。それゆえ、お捧げしたら注目していてください。現実の動きを。そして自分の心の動きを。必ず、委ねた分、神様が介在してくださって働かれ始めますので、そういう目で現実の動きや自分の心の動きを見ていてください。現実の動きと自分の心の動きに素直になって、それに応じていくのです。現実の動きに対しても、自分の心の動きに対しても。

「自分には何もできない」とは思わないで、置かれた状況と自分の立場と能力からして、ちょっとでも世界平和の助けになりそうなことを行わせていただくのです。また、心の中でそのことを願い、心から思うことです。これまで作ってきたカルマが顕れ出て、解けていくプロセスは辿ります。それは受け止めながら誠意を持って応じていかねばなりません。

その一方で、良いカルマを生み出していく、という努力を怠らないことです。良き思いと良き行いです。それが着実に運命を開拓し、人類の運命を良きものとさせていくのです。そして、それが延(ひ)いては自分や家族の為にもなっていきます。そこに命の保障があります。心配したり、あれやこれ想い煩わずに、神様のことを信じてお任せし、自分としてその時できるより良いことを着実に一つひとつ果たしていきましょう。


【質問2】「アメリカは1998年までにアトランティス時代のカルマを果たし終え、それ以降は新たな方向へ向かう」と以前伝えられました。政権を持つことを許されたトランプ大統領により、今後、アメリカは国としてどのように向かって行くのでしょうか? エルサレムに大使館を置くことでアラブ諸国の反発を招いています。イスラム国は弱体化しましたが、今後を案じます。また、中国の「一帯一路」構想は、世界の国々にとって好ましいものでしょうか?各国が利害を超えてひとつになれますよう、お守りお導きお力添え下さい。

【ソース】世界がひとつの国となり、神の世界が地上に実現すること。それが宇宙創造神の願いであり、その方向で現実が動いていて導かれつつあります。ただ、人がまだ未熟でカルマもあり、すんなりはいきません。浄化と育成のプロセスが必要です。時間も掛かり、手間取ります。だからこそ信仰が不可欠です。

「ヨハネの黙示録」に描写されているように、浄化と育成のそれなりのプロセスが必要なのです。ただ、根本のところでは宇宙創造神様がおられ、人類も地球も滅びることなく、必要なプロセスを辿ってカルマを果たし、教訓を学び取り、成長していくように計らわれています。その神様の思いを信じ、それに協力的に生きていくことです。そうすると神様はやり易く、余計な痛みや痛手を被ることなく、最小限のダメージや犠牲でプロセスを通り抜けていくことができます。

西暦1958年~1998年までの40年間はテスト期間でした。試みの期間です。「40」という数は試みの数です。例えば、モーセに率いられたイスラエル人(びと)たちがエジプトを出てから約束の地に入れるまで40年間でした。その間、イスラエル人たちは神の試みに遭われていました。また、イスラエル人たちがエジプトの国に寄留していた期間は400年といわれています。イエス様が断食をされて、山の上で悪魔の試みに遭われていたのは40日間でした。

このように「40」という数は試みを表す数です。西暦1958年~1998年までの40年間は人類のテスト期間だったのです。その40年間にアトランティスのカルマを始め、人類のカルマが顕れ出て混乱がありました。そのテストを正しく捉え、より良い方向付けを取れば、テストに合格でき、その後いろいろ経ながらも神の国が実現する方向に向かっていけます。試練がその40年間だけで済むということではありません。その40年間は試みの期間だったのです。

アトランティスを初めとする過去のカルマが、その40年間で出ました。また、それで済むほど簡単ではなく、むしろその期間に試練が、つまり本当の試練が始まったとも言えます。「1998年までに試練が始まる」ということです。それがだんだんに出始めているのです。それが世界に混乱をもたらしている理由です。

しかし、神様は救済の手を差し伸べてくださります。そのような大変な時代に入るからこそ、ホワイトブラザーフッドからヨハネが遣わされました。そのような時代の舵取りと、指針を与えるためにです。また、用意ができてきた人にはキリスト再臨が授けられます。本当に必要で純粋になってきている人、先ほど説明されたように参加型の人で、神様に協力的になり、自分がその時できることを精一杯させていただいて、良き思いと良き行いに生きようとする人には、励みとしてキリスト様が現れてくださります。

一方、それから逸れたような、あるいは反したような背いた思いや行いに走る人には、ハルマゲドンが待ち受けています。一人ひとりが自分の向け方次第でキリスト再臨を体験するか、それともハルマゲドンを体験するか、どちらかにそれぞれが向かいます。そして、人の比率がその両者でどうなるかで世界の混乱や動きが決まってきます。「ヨハネの黙示録」では14万4千人という数が備えられ、捧げられた時、神の国が実現すると約束されています。

14万4千とは12×12×1000の数です。12はイスラエルの聖数です。それが二乗されています。12×12です。さらに、それを強調して千倍されています。もちろんこれは象徴的な人数です。ある一定の数の人たちが神様の思いを理解し、そのご意向に沿って生きようと自分を向けた時14万4千人の1人となります。

それは、このような宗教宗派に関わりません。この人々が特定の宗教宗派に固まるということはありません。特定の国や民族に固まることもありません。また、本人次第であり、予め定まっているのでもありません。そして文字通り14万4千人ではなく、実際はもっと多く必要です。他の人を蹴落として自分がその数に入るということではありません。むしろ他の人をお誘いし、共に14万4千人に入るということです。数は多ければ多いほど良いのです。

アメリカは今の時代状況を反映し、国家主義に向かっています。日本もその時代状況を受けて国家主義に向かっています。安倍政権はその象徴的な表れです。それを察知して、北朝鮮も国家主義に傾いています。韓国も中国も国家主義に向かっています。ヨーロッパ諸国の多くもそうなってきています。

国家主義というのは国家のエゴです。エゴとエゴとはぶつかり合います。相手を思いやり、配慮し、尊ぶという姿勢が足りないからです。そういう在り方では余計に混乱を招くばかりです。もっと相手を思い、違ったところを理解して認め、共存し、協調する謙虚で柔軟な姿勢が必要です。それがONEであり、和です。かつて聖徳太子は和を唱え、今ARIではONEを唱えています。

一強独裁的な在り方は周りと対立し、争いと恐怖の元です。アメリカは世界をまとめるどころか自分の国ばかりを考えるようになってしまいました。そして昔ながらの聖書のイスラエル国を理想とし、そのエルサレムを首都と見做すようになってしまっています。しかし、これも過去を辿っているプロセスのひとコマです。それに動揺することなく、気をしっかり持って、宇宙の根源の神様の思いと願いを正しく理解し、和の精神で生きていってください。

今はそれぞれの国が自我に目覚めているところです。そこを通ってそのうち、限界や間違いに気づかせられ、反省し、調整し、改善していく。自分を愛するように他の国のことも思いやり愛する。そうなってくれば本当です。他を思いやる余裕がない現状です。中国のひとつの方針は、今の中国を表しているもので、中国の歩みのひとコマです。それぞれの国がいろんな在り方を経ていくのです。「ヨハネの黙示録」は、その法則について説明されている書物です。

こういう時こそ気をしっかり持って、目の前のことにONEの精神で適切に対応して生きていきましょう。

【質問3】前回の東京オリンピックがそうであったように、2020年の東京オリンピックは、日本にとっての分岐点になると思われます。今上天皇が退位され、平成が終わります。最近は毒出しをするかのように各分野で日本の大企業の不正が発覚されています。政界の希望と見なされた小池百合子氏は「排除」のひと言が国民の反感を買い、衆院選は自民党が圧勝しました。国の舵取りを任された自民党が道を間違わないよう、どうかお力添え下さい。日本が神さまに喜ばれる国になりますよう、どうかお導き下さい。

【ソース】外界は内界の表れです。現在の日本の成長段階とその内容が、今のような政治の体制や在り方を作り出しています。また、世相や起きる出来事、人々の常識、行動、それらも現状の日本人の内面性を表しています。嬉しいことも、辛いことも、良いことも、問題も、日本人の心の中にあるものの表れです。

それゆえ、状況や出来事に責任を取り、どんなことが起きても認めて受け止め、誠実に対処していかねばなりません。それによってカルマも責任も果たされて、次に進んでいけます。そしてこれからの思いと行いを良いものにするように努め、人を思いやる心を持って、共に協力して国を営んでいくようにすることです。

潜在意識が現れ出て、知られ、浄化され、育成されていきます。そのように潜在意識が現れ出て、解消し、整理され、育成されて、整ってくると、日本人の魂の超意識が現れ出るようになります。日本の本質の魂のところには「和」があります。日本人の魂が目覚め、動き出せば、日本の最も良いものが自覚され、働き出します。そうなってくれば日本がまとまるばかりでなく、世界をも認め、包み込み、それぞれを支え生かし、成り立たせるような包容力が出てきます。母親のような。

物的には小さな規模の国ですが、かつてのイスラエルのように小さくても模範的な雛形に成り得ます。日本は精神性と、それに基づく科学技術において優れています。それらが発揮されますように。

【質問4】2018年は「北海道」と命名されてから150年になる年です。7月17日は「北海道みんなの日」に制定されました。道民は、アイヌ民族の「自然万物への畏敬の姿」に触れる機会があり、この美しく、清らかな大自然の中で生きる事で、日本人が失いかけている心を保持しています。北海道に宇宙創造神の御経綸が広まり高まり深まって行くよう、どうかお導きください。「常に神と共に、主と共にあるように。神の御心の通りになるように。全き服従をもって生きる事が出来るように。主イエス・キリストさまの聖名により感謝と祈りをみ前にお捧げ申し上げます。アーメン。」

【ソース】日本の国は北海道を含めて初めて一つの国の魂としてあります。北海道がなければ日本として不完全です。九州があり、四国がある。本州があり、そして北海道がある。沖縄もある。これで初めて一つの体として成り立っていられます。それぞれの所にかけがえのなさと果たせるお役があります。北海道には北海道ならではの良さと、果たせる役目があります。そのために存在し、与えられています。

ご質問にもあるような、北海道の古来からの良き魂が宿っています。それを自覚し、十分に果たしていってください。四国も九州も本州も沖縄もそれぞれが自覚し、自分ならではのものを提供していってください。それを互いの関わりの中で認め合い、協力し合って行うのです。日本が一つになれば、今度は世界との関わりでお役に立っていける態勢ができてくることでしょう。そうなりますように。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました。)
<了>

2018年3月7日

原発の「悪影響」とは具体的にどのようなものなのでしょうか?

2017.12.19 パーソナル・リーディング No.15381 

質問1:原発の悪影響について、以前原発に関するリーディングにて「爆発しなくても原発自体に潜在的に悪影響を及ぼすものをはらんでいて、地球や人類に悪影響を及ぼし続けている」とのこと。「悪影響」とは具体的にどのようなものなのでしょうか?また、それはいつ頃発見されるのでしょうか?お教えください。

ソース:原発の悪影響とは、その異物感にあります。存在するものは何らかの影響を周りに及ぼします。良い影響も悪い影響も及ぼします。その影響には2種類あります。1つ目はその存在自体の持つ影響です。もう1つはその存在から生ずる働きに基づく影響です。一般にはこちらの方が取りざたされます。周りに対する思いや言葉や行い、或は態度などのカルマ的な働きによる周りへの影響です。

しかし見落とせないのは、最初に述べられた「存在自体で既に実は周りに影響がしっかり及んでいる」という事実です。「思ったり行ったり話したり」というカルマ的な働きをしなくても、「存在している」だけで周りに影響が及んでいるのです。人間の場合にしても組織にしても原発のようなものにしても、存在そのもので影響が及んでいます。動物にしても植物にしても、岩石、或は家、建物。そのような存在そのもので既に、何もしていなくても影響が及んでいます。

原発の影響が及ぶという場合、主にこの存在そのものによる影響を指して述べられたのです。それゆえ、特に破損などによる爆発によって積極的な悪影響が及ぶ以前に、既に健全に機能している原発においても、存在そのものとその健全な原発の役目の働きによって既に、地球と人類にとって好ましくないものが及んでいるのです。

一人の人間が存在するように、地球という一つの生命体も存在しています。一人の人間の体内に好ましくないものがあると異物感が生じます。それは意識や体が感知しなくても無意識のレベルで異物感が生じます。科学的に見て害がないとみられるものの場合でも、ある程度生命体としては異物感を常に感じています。ある物を食べた場合でも、現代の医療で様々な補助的な物を組み込んだ場合でもです。また、物質でなくても心の中の思いや記憶などでも異物感が生命体にはあります。意識するとしないとに関わらず、感ずると感じないとに関わらず異物感をきたしています。それ自体が既に悪影響をある程度及ぼしています。一人の人間にとってそうであるように、地球という一つの生命体においても原発は異物感をきたしています。

例えば、日本の国土の中に55基ぐらいの原発があると、日本という国土の生命体に55個、異物が組み込まれているということになります。地球全体を取ってみたらば、数百にも及ぶ、体にとって違和感を生じさせる原発があるわけです。体に優しいということとの対極です。それは、あまり地球という生命体にとって居心地の良いものではありません。爆発して明らかな悪影響が及ぶ以前に、既に地球にとって優しくない、人工的な心地よくない原発があるということです。

その典型がプルトニウムです。プルトニウムは、元々自然の中には存在していなかった原子です。それを人間が新たに作り出しました。一旦作り出すと2万年くらい地中に深く埋めても消えません。その影響を地球に及ぼし続けます。ある意味で悪魔的な物質なのです。

確かに効率よく人間に必要な電力などを供給してくれてはいますが、地球の自然には優しくない存在と働きなのです。科学技術の功罪があります。良いほうとマイナスのほうと、です。副作用といってもよいです。良いことづくしのものは少ないです。表裏一体を成しています。それが神さまのなさることと、人間の行うこととの違いです。神さまがもたらしてくださるものは副作用がなく恩恵から出来ています。しかし、人間が新たに作り出したものの大半は、ある目的のために役立ち便利ではあるものの、良いものを代償として失ったり損ねたりするものが同時に含まれているものです。原発はその典型です。

やむをえないという人たちも多いことでしょう。しかし、原発がアクシデントなどによって爆発して放射能汚染を引き起こすばかりでなく、元々地球生命体にとって異物感がある、あまり地球にとって快適ではない存在だということです。東日本大震災による福島第一原発の爆発と、それによる放射能汚染は天からの警告です。「そのことをどう見なし、どう対応していくか」が天からのテストになっています。 

30年ほど前には、ロシアの近くのチェルノブイリの原発事故がありました。また一方、積極的意図的に核実験なども行われてきています。1954年頃には南太平洋で大きな核実験が行われ、日本にもその影響が及びました。最近では北朝鮮が核実験を行っています。それらの核実験の影響には多大なものがあります。

まして、広島や長崎に意図的に落とされた原爆は大変なダメージでした。それから数十年経つ今、そのダメージの規模は比較にならないほど大きなものに開発され作られつつあります。それらが一旦戦争のために使われたら、地球のダメージは計り知れないものがあるのです。「原爆と原発を一緒にしないでほしい」という方もおられることでしょう。しかし、結果的には同じ悪影響が及ぶ好ましくない存在と働きなのです。これから、自然に優しい再生エネルギーなどを生み出して使っていくように徐々に切り替えていかねばなりません。

質問2:世の中で様々な理由により自殺したい人たちがいますが、どのように受けとめ、サポートをしたら良いのでしょうか?生きる意味を見出せない人、絶望している人、やけをおこしている人に何ができるのでしょうか?サポートするうえでの留意点についてお教えください。

ソース:相手の方と自分との関係性、こちら側の立場、持っている特質、果たせる役目などによって、その時点で相手の方に何ができるか、またどうしてあげたら良いのかが変わってきます。

例えば、相手の方が自分の母親である、配偶者である、息子である。そのように家族の関係ならかなりのことができるし、またしてあげなければいけません。或は、相手の人が職場の同僚である、友人である。そのような場合でもある程度のことはできます。また、自分の立場と役目がセラピストである、霊能力者である、宗教者である、相手を本当に思ってあげている人格者である。それによっても良い影響が及ぼせる度合いが変わってきます。

さらには相手の人を知らない、ただ相談されただけである。或は、直接の接触はない、ネットで知っているだけである。さらにはネットでも知らず、地球の遠く離れたところの人で、なんとなくニュースで聞いて気になる。そのような遠く離れた関係性の場合もあります。このように、相手との関係性や自分の立場、役目、力量によって変わってきます。また、相手の方の状態の深刻度合い、またどういう内容や種類の自殺衝動なのかによっても変わってきます。

相手の方と自分との関係性、相手の方がこちらに接触して来られた際の動機、相手の方の性格、深刻度合い、こちらの立場、力量、役目などに合う形で、その時出来ることを精一杯させていただきましょう。出来ないことを見て嘆かないで、出来ることを見て、ちょっとでも役に立ちそうなことはきっちり誠意をもって行わせていただくのです。

必ずどういう関係性や立場であっても、またどの程度の力量であっても、またどの程度相手の方が深刻な場合であっても、全く何もできないということはありません。そのちょっとを、軽んじたり諦めたりすることなく、自分の心に従って良心的に精一杯対応させていただくことです。例えば、相手の方の話を聞いて受け止め感じてあげる、共感してあげる、分かち合う、担い合う。よくわかって意を汲んで受け止め応じてあげる、寄り添ってあげる、しばらく付き合ってあげる。それだけでも十分役に立っているのです。

最終的にはご本人の課題やテーマです。人間は一人ひとり自分のものを背負って生きていきます。その上で周りからも出来ることや、してあげると良いことはあるということになります。それゆえ、相手の方を見て、相手の方との関係性や自分の立場、役目から、また自分の気持ちから、少しでも役に立つことは、自分としてその時点で出来ることはきっちりさせていただくことです、十分に。

しばらく付き合ってあげる、寄り添ってあげる、話を一通り聞いて気持ちを受け止めて感じ取り、わかってあげる。そして、優しい言葉をかけてあげる。自分の中に浮かぶ思いを伝えてあげる。人生のある期間、共に共有したり一緒に歩いてあげる、付き合ったり寄り添ってあげる、自分の時間や体力をその方のために割く、提供させていただく。それだけでも相手の方の支えや励みになり、その方が楽になったり支えられます。この自分を否定せず拒否せず、受け止めてわかってさし上げようという方がいた。それだけでも支えや励みになります。

直接力を貸せなくても人間には心もあるのですから、わかって受け止めてあげる、認めてあげる、共感してあげる。それだけでも十分ためになります。自分の話を聞いてくれた人がいた、自分のことを否定せず優しく受け止めて、できるだけわかってくれようとした。完全に人のことをわかることはできなくても、わかろうとしてくれている。それが尊いのです。

また、魂の次元でお祈りをしてあげること。相手が良くなることを願い、悪くなることを悲しむ。嬉しいことも悲しいことも分かち合う。神さまに相手の方のことをお委ねしてあげる、優しい温かな愛を注いであげる、一言話をしてあげる、お料理を作って食べさせてあげる、暑い時は冷たいコップ1杯の水を飲ませてあげる、体をさすってあげる、優しく微笑んだり、気持ちを酌んで受け止めてあげる。

その時点で自分が出来る、良いと思うことであろうことを十分させていただきましょう。それによって出てくる結果は神さまにお任せしましょう。また、それによって出てきた結果は神さまが下さった最善の結果とみなし、どういう結果でも受け止めさせていただきましょう。各自その時点で自分が能力的立場的役目的に、また相手との関係性的に出来ることを十分尽くすということです。

質問3:近年、発達障害(アスペルガー、注意欠陥多動、学習障害など)といわれる子供が増えていると聞きます。特徴として、対人関係・社会性やコミュニケーション能力の問題、強いこだわりがある。また、変化への対処が困難とのこと。医療の分野では「脳の機能不全」などと言われています。そのような子供たちの存在理由や対応について、お教えください。

ソース:物の次元においては、原因と結果の法則が作用していることが解明され、それに基づいて科学技術も急激に発展してきました。そのおかげで、快適で便利な世の中になりました。医療も発達し、病気もかなり克服され、寿命も伸びてきています。このように自然科学の分野では、物の次元に作用する因果の法則が解明され、それを応用して科学技術が著しく発達し、便利で快適な、また安全な世の中になりつつあります。

実はそれと同様に、人生にも法則が作用しています。社会にも法則があります。心の世界や魂の世界にも因果の法則が作用しているのです。運命も偶然ではありません。人の辿る人生も、気まぐれでも非合理でもありません。運も実力のうちです。全て、物の次元と同様に原因と結果の法則に基づいて動いています。それがカルマです。心で思っているだけで影響が及びます、自分自身にも周りにも。

仏教では意業(いごう)といいます。心のカルマです。もちろん、口で話す語業、実際に身体を使って行う身業などのカルマも、当然あります。その人の状態が今なぜそのようであるのか。それは偶然でも非合理でもなく、前世から今に至るまで、その人がいろいろ思ったり行ったり語ったりしてきたカルマ的な結果です。

また、周りの状況や動きや出来事や体験も偶然ではなく、何故今その人の周りの状況や出来事や人間関係はそのようであるのか。それも偶然ではなく、本人が前世から今に至るまで、思ってきたことや行ってきたことや語ってきたことのカルマ的な正当な結果です。それゆえ、自分の状態と周りの状況や動きに人は誰でも責任があります。そのことを知って厳粛に受け止め、現状に立って、その時するべきことや出来ることを最善の形でさせていただくのです。それによってカルマが果たされ、問題が解決し楽になり安定してきます。

カルマの法則は因果の法則であり、過去から現在にかけて働くばかりでなく、現在から未来にかけても同様に一貫して働き続けます。それゆえ、これからの新しいカルマに注目です。現状を踏まえ、これからの思いと行いをより良いものにしていくことで、着実に自分の状態も周りの状況も改善され、良くなっていきます。

一人ひとりがこのことに気づいて、まず現状をそういうカルマ的な正当な結果であると認識して、どういう状況や状態でも認めて受け止めるのです。そして現状を踏まえ、現状の中で出来ることや、すると良いことにベストを尽くすのです。そうすると、着実に状態も状況も上向きになっていきます。

また、人は閉じた存在ではなく縁というものがあります。生命は全て関連し合い影響を及ぼし合って、一つながりです。ONEの世界です。命と命は全て連動し、担い合い、責任があります。これが愛です。それゆえ、カルマにしても出来ることにしても、お互いに関連し合っているため、ただ本人の責任とか、しなければならないことというので済ませず、互いに責任を感じ、助けられるし助けてあげるべきです。また、自分が困っている時は助けを乞い、助けてもらって良いのです。お互いに関連し合ってそれぞれの存在があります。

それゆえ、本人のカルマとか課題だというように狭く限らずに、自分にも関連し自分の責任と役目でもあると広く捉えてください。特に家族や深いつながりのある方に対しては、そのように自分の責任や課題や役目や可能性の一部だとみるのです。必ず原因と理由、意味と目的があって発達障害のお子さんも出てこられています。それゆえ、本人の責任とか課題だとかということだけで見ずに、お互いに関連し合って助けるべき存在なのですから、近くにそのようなお子さんがおられるということもまた偶然ではなく、自分のほうにも気づくべきことや、してあげるべきことがある。また、自分に何か責任や学びもあるかもしれない。

そのようにつながりの中で大きな愛を持って現状を受け止め、我が事として認識して取り組んでください。お互いの関わりの中で、前世から今に至るまで、いろいろな営みが成されて、その一環としてそういうお子さんも出てこられているのです。その意味では、共通の責任であり共通の課題であり共通のテーマです。

自分にとって良いところや都合の良いところだけを見ずに、大変なところや辛いところも我が事として認め受け止めて、気持ちを落ち着けて、助け合い協力し合って担い合い取り組んでいくことです。それが本当です。大乗仏教の精神と心得です。人間はつい、直接自分に関わるところだけを自分の責任と役目と見なし、他は関係ないと見なしがちです。また、自分にとって好都合で楽なほうだけを認め受け入れ、自分にとって大変で不利なことや嫌なことは認めず拒否しがちです。

それではカルマは果たされず、役目も果たされず、成長がありません。自分にとって良いところも嫌なことも、平らで広い心でどちらも認めて受け止めて応じていく、共存していく。これがONEです。

そのようにしてこそ、成長しカルマが解消し、現状の全てが支えられて成り立ち癒され回復し、全体として持ち直して前に進んでいけます。どういう部分でも原因と理由があるし、お互いの関連で自分にも関わってくるのですから、どんな現状でも認めて受け入れ、対応して、出来ることをして差し上げましょう。

質問4:第2の死について、ケイシー・リーディングで「消される魂もいるのか?」との問いに「魂は消されないが、それ自身を識別する魂の個別性は失われる」という。それは、自我意識がなくなり「もの」あるいは「宇宙の気」のようになってしまうのでしょうか?このことについて、お教えください。

ソース:ケイシー・リーディングの答えは大まかに見て正しいのです。第2の死という表現が「ヨハネの黙示録」に出てきます。どんな問題を起こした魂でも、神さまによって消されて滅ぼされることはありません。生命は永遠だからです。ただし、その魂の個別性は消されます。存在自体は消されませんが、その魂の個別性は消されます。それによって本人は「自分」という自覚を持てなくなります。

その命自体は存続していくのですが、自分という意識を持てなくなって、一滴の命として存在し続けます。それでも一旦ゼロに返ってやり直すことができ、命自体は続いていきますから、ある程度そのようにして罪滅ぼしの期間を過ごしてから、再び自我意識が神さまの判断で芽生えてくることは十分あります。

単なる宇宙の気になるのではありません。一つの命として存続していけます。ただ、自分という意識はなくなるので、客観的に見ると存在し続けていても、本人は自分がなくなってしまったような感覚や実感です。宇宙の気になるのではなく、まして単なる物になるのでもありません。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました。)
<了>