2018年3月7日

原発の「悪影響」とは具体的にどのようなものなのでしょうか?

2017.12.19 パーソナル・リーディング No.15381 

質問1:原発の悪影響について、以前原発に関するリーディングにて「爆発しなくても原発自体に潜在的に悪影響を及ぼすものをはらんでいて、地球や人類に悪影響を及ぼし続けている」とのこと。「悪影響」とは具体的にどのようなものなのでしょうか?また、それはいつ頃発見されるのでしょうか?お教えください。

ソース:原発の悪影響とは、その異物感にあります。存在するものは何らかの影響を周りに及ぼします。良い影響も悪い影響も及ぼします。その影響には2種類あります。1つ目はその存在自体の持つ影響です。もう1つはその存在から生ずる働きに基づく影響です。一般にはこちらの方が取りざたされます。周りに対する思いや言葉や行い、或は態度などのカルマ的な働きによる周りへの影響です。

しかし見落とせないのは、最初に述べられた「存在自体で既に実は周りに影響がしっかり及んでいる」という事実です。「思ったり行ったり話したり」というカルマ的な働きをしなくても、「存在している」だけで周りに影響が及んでいるのです。人間の場合にしても組織にしても原発のようなものにしても、存在そのもので影響が及んでいます。動物にしても植物にしても、岩石、或は家、建物。そのような存在そのもので既に、何もしていなくても影響が及んでいます。

原発の影響が及ぶという場合、主にこの存在そのものによる影響を指して述べられたのです。それゆえ、特に破損などによる爆発によって積極的な悪影響が及ぶ以前に、既に健全に機能している原発においても、存在そのものとその健全な原発の役目の働きによって既に、地球と人類にとって好ましくないものが及んでいるのです。

一人の人間が存在するように、地球という一つの生命体も存在しています。一人の人間の体内に好ましくないものがあると異物感が生じます。それは意識や体が感知しなくても無意識のレベルで異物感が生じます。科学的に見て害がないとみられるものの場合でも、ある程度生命体としては異物感を常に感じています。ある物を食べた場合でも、現代の医療で様々な補助的な物を組み込んだ場合でもです。また、物質でなくても心の中の思いや記憶などでも異物感が生命体にはあります。意識するとしないとに関わらず、感ずると感じないとに関わらず異物感をきたしています。それ自体が既に悪影響をある程度及ぼしています。一人の人間にとってそうであるように、地球という一つの生命体においても原発は異物感をきたしています。

例えば、日本の国土の中に55基ぐらいの原発があると、日本という国土の生命体に55個、異物が組み込まれているということになります。地球全体を取ってみたらば、数百にも及ぶ、体にとって違和感を生じさせる原発があるわけです。体に優しいということとの対極です。それは、あまり地球という生命体にとって居心地の良いものではありません。爆発して明らかな悪影響が及ぶ以前に、既に地球にとって優しくない、人工的な心地よくない原発があるということです。

その典型がプルトニウムです。プルトニウムは、元々自然の中には存在していなかった原子です。それを人間が新たに作り出しました。一旦作り出すと2万年くらい地中に深く埋めても消えません。その影響を地球に及ぼし続けます。ある意味で悪魔的な物質なのです。

確かに効率よく人間に必要な電力などを供給してくれてはいますが、地球の自然には優しくない存在と働きなのです。科学技術の功罪があります。良いほうとマイナスのほうと、です。副作用といってもよいです。良いことづくしのものは少ないです。表裏一体を成しています。それが神さまのなさることと、人間の行うこととの違いです。神さまがもたらしてくださるものは副作用がなく恩恵から出来ています。しかし、人間が新たに作り出したものの大半は、ある目的のために役立ち便利ではあるものの、良いものを代償として失ったり損ねたりするものが同時に含まれているものです。原発はその典型です。

やむをえないという人たちも多いことでしょう。しかし、原発がアクシデントなどによって爆発して放射能汚染を引き起こすばかりでなく、元々地球生命体にとって異物感がある、あまり地球にとって快適ではない存在だということです。東日本大震災による福島第一原発の爆発と、それによる放射能汚染は天からの警告です。「そのことをどう見なし、どう対応していくか」が天からのテストになっています。 

30年ほど前には、ロシアの近くのチェルノブイリの原発事故がありました。また一方、積極的意図的に核実験なども行われてきています。1954年頃には南太平洋で大きな核実験が行われ、日本にもその影響が及びました。最近では北朝鮮が核実験を行っています。それらの核実験の影響には多大なものがあります。

まして、広島や長崎に意図的に落とされた原爆は大変なダメージでした。それから数十年経つ今、そのダメージの規模は比較にならないほど大きなものに開発され作られつつあります。それらが一旦戦争のために使われたら、地球のダメージは計り知れないものがあるのです。「原爆と原発を一緒にしないでほしい」という方もおられることでしょう。しかし、結果的には同じ悪影響が及ぶ好ましくない存在と働きなのです。これから、自然に優しい再生エネルギーなどを生み出して使っていくように徐々に切り替えていかねばなりません。

質問2:世の中で様々な理由により自殺したい人たちがいますが、どのように受けとめ、サポートをしたら良いのでしょうか?生きる意味を見出せない人、絶望している人、やけをおこしている人に何ができるのでしょうか?サポートするうえでの留意点についてお教えください。

ソース:相手の方と自分との関係性、こちら側の立場、持っている特質、果たせる役目などによって、その時点で相手の方に何ができるか、またどうしてあげたら良いのかが変わってきます。

例えば、相手の方が自分の母親である、配偶者である、息子である。そのように家族の関係ならかなりのことができるし、またしてあげなければいけません。或は、相手の人が職場の同僚である、友人である。そのような場合でもある程度のことはできます。また、自分の立場と役目がセラピストである、霊能力者である、宗教者である、相手を本当に思ってあげている人格者である。それによっても良い影響が及ぼせる度合いが変わってきます。

さらには相手の人を知らない、ただ相談されただけである。或は、直接の接触はない、ネットで知っているだけである。さらにはネットでも知らず、地球の遠く離れたところの人で、なんとなくニュースで聞いて気になる。そのような遠く離れた関係性の場合もあります。このように、相手との関係性や自分の立場、役目、力量によって変わってきます。また、相手の方の状態の深刻度合い、またどういう内容や種類の自殺衝動なのかによっても変わってきます。

相手の方と自分との関係性、相手の方がこちらに接触して来られた際の動機、相手の方の性格、深刻度合い、こちらの立場、力量、役目などに合う形で、その時出来ることを精一杯させていただきましょう。出来ないことを見て嘆かないで、出来ることを見て、ちょっとでも役に立ちそうなことはきっちり誠意をもって行わせていただくのです。

必ずどういう関係性や立場であっても、またどの程度の力量であっても、またどの程度相手の方が深刻な場合であっても、全く何もできないということはありません。そのちょっとを、軽んじたり諦めたりすることなく、自分の心に従って良心的に精一杯対応させていただくことです。例えば、相手の方の話を聞いて受け止め感じてあげる、共感してあげる、分かち合う、担い合う。よくわかって意を汲んで受け止め応じてあげる、寄り添ってあげる、しばらく付き合ってあげる。それだけでも十分役に立っているのです。

最終的にはご本人の課題やテーマです。人間は一人ひとり自分のものを背負って生きていきます。その上で周りからも出来ることや、してあげると良いことはあるということになります。それゆえ、相手の方を見て、相手の方との関係性や自分の立場、役目から、また自分の気持ちから、少しでも役に立つことは、自分としてその時点で出来ることはきっちりさせていただくことです、十分に。

しばらく付き合ってあげる、寄り添ってあげる、話を一通り聞いて気持ちを受け止めて感じ取り、わかってあげる。そして、優しい言葉をかけてあげる。自分の中に浮かぶ思いを伝えてあげる。人生のある期間、共に共有したり一緒に歩いてあげる、付き合ったり寄り添ってあげる、自分の時間や体力をその方のために割く、提供させていただく。それだけでも相手の方の支えや励みになり、その方が楽になったり支えられます。この自分を否定せず拒否せず、受け止めてわかってさし上げようという方がいた。それだけでも支えや励みになります。

直接力を貸せなくても人間には心もあるのですから、わかって受け止めてあげる、認めてあげる、共感してあげる。それだけでも十分ためになります。自分の話を聞いてくれた人がいた、自分のことを否定せず優しく受け止めて、できるだけわかってくれようとした。完全に人のことをわかることはできなくても、わかろうとしてくれている。それが尊いのです。

また、魂の次元でお祈りをしてあげること。相手が良くなることを願い、悪くなることを悲しむ。嬉しいことも悲しいことも分かち合う。神さまに相手の方のことをお委ねしてあげる、優しい温かな愛を注いであげる、一言話をしてあげる、お料理を作って食べさせてあげる、暑い時は冷たいコップ1杯の水を飲ませてあげる、体をさすってあげる、優しく微笑んだり、気持ちを酌んで受け止めてあげる。

その時点で自分が出来る、良いと思うことであろうことを十分させていただきましょう。それによって出てくる結果は神さまにお任せしましょう。また、それによって出てきた結果は神さまが下さった最善の結果とみなし、どういう結果でも受け止めさせていただきましょう。各自その時点で自分が能力的立場的役目的に、また相手との関係性的に出来ることを十分尽くすということです。

質問3:近年、発達障害(アスペルガー、注意欠陥多動、学習障害など)といわれる子供が増えていると聞きます。特徴として、対人関係・社会性やコミュニケーション能力の問題、強いこだわりがある。また、変化への対処が困難とのこと。医療の分野では「脳の機能不全」などと言われています。そのような子供たちの存在理由や対応について、お教えください。

ソース:物の次元においては、原因と結果の法則が作用していることが解明され、それに基づいて科学技術も急激に発展してきました。そのおかげで、快適で便利な世の中になりました。医療も発達し、病気もかなり克服され、寿命も伸びてきています。このように自然科学の分野では、物の次元に作用する因果の法則が解明され、それを応用して科学技術が著しく発達し、便利で快適な、また安全な世の中になりつつあります。

実はそれと同様に、人生にも法則が作用しています。社会にも法則があります。心の世界や魂の世界にも因果の法則が作用しているのです。運命も偶然ではありません。人の辿る人生も、気まぐれでも非合理でもありません。運も実力のうちです。全て、物の次元と同様に原因と結果の法則に基づいて動いています。それがカルマです。心で思っているだけで影響が及びます、自分自身にも周りにも。

仏教では意業(いごう)といいます。心のカルマです。もちろん、口で話す語業、実際に身体を使って行う身業などのカルマも、当然あります。その人の状態が今なぜそのようであるのか。それは偶然でも非合理でもなく、前世から今に至るまで、その人がいろいろ思ったり行ったり語ったりしてきたカルマ的な結果です。

また、周りの状況や動きや出来事や体験も偶然ではなく、何故今その人の周りの状況や出来事や人間関係はそのようであるのか。それも偶然ではなく、本人が前世から今に至るまで、思ってきたことや行ってきたことや語ってきたことのカルマ的な正当な結果です。それゆえ、自分の状態と周りの状況や動きに人は誰でも責任があります。そのことを知って厳粛に受け止め、現状に立って、その時するべきことや出来ることを最善の形でさせていただくのです。それによってカルマが果たされ、問題が解決し楽になり安定してきます。

カルマの法則は因果の法則であり、過去から現在にかけて働くばかりでなく、現在から未来にかけても同様に一貫して働き続けます。それゆえ、これからの新しいカルマに注目です。現状を踏まえ、これからの思いと行いをより良いものにしていくことで、着実に自分の状態も周りの状況も改善され、良くなっていきます。

一人ひとりがこのことに気づいて、まず現状をそういうカルマ的な正当な結果であると認識して、どういう状況や状態でも認めて受け止めるのです。そして現状を踏まえ、現状の中で出来ることや、すると良いことにベストを尽くすのです。そうすると、着実に状態も状況も上向きになっていきます。

また、人は閉じた存在ではなく縁というものがあります。生命は全て関連し合い影響を及ぼし合って、一つながりです。ONEの世界です。命と命は全て連動し、担い合い、責任があります。これが愛です。それゆえ、カルマにしても出来ることにしても、お互いに関連し合っているため、ただ本人の責任とか、しなければならないことというので済ませず、互いに責任を感じ、助けられるし助けてあげるべきです。また、自分が困っている時は助けを乞い、助けてもらって良いのです。お互いに関連し合ってそれぞれの存在があります。

それゆえ、本人のカルマとか課題だというように狭く限らずに、自分にも関連し自分の責任と役目でもあると広く捉えてください。特に家族や深いつながりのある方に対しては、そのように自分の責任や課題や役目や可能性の一部だとみるのです。必ず原因と理由、意味と目的があって発達障害のお子さんも出てこられています。それゆえ、本人の責任とか課題だとかということだけで見ずに、お互いに関連し合って助けるべき存在なのですから、近くにそのようなお子さんがおられるということもまた偶然ではなく、自分のほうにも気づくべきことや、してあげるべきことがある。また、自分に何か責任や学びもあるかもしれない。

そのようにつながりの中で大きな愛を持って現状を受け止め、我が事として認識して取り組んでください。お互いの関わりの中で、前世から今に至るまで、いろいろな営みが成されて、その一環としてそういうお子さんも出てこられているのです。その意味では、共通の責任であり共通の課題であり共通のテーマです。

自分にとって良いところや都合の良いところだけを見ずに、大変なところや辛いところも我が事として認め受け止めて、気持ちを落ち着けて、助け合い協力し合って担い合い取り組んでいくことです。それが本当です。大乗仏教の精神と心得です。人間はつい、直接自分に関わるところだけを自分の責任と役目と見なし、他は関係ないと見なしがちです。また、自分にとって好都合で楽なほうだけを認め受け入れ、自分にとって大変で不利なことや嫌なことは認めず拒否しがちです。

それではカルマは果たされず、役目も果たされず、成長がありません。自分にとって良いところも嫌なことも、平らで広い心でどちらも認めて受け止めて応じていく、共存していく。これがONEです。

そのようにしてこそ、成長しカルマが解消し、現状の全てが支えられて成り立ち癒され回復し、全体として持ち直して前に進んでいけます。どういう部分でも原因と理由があるし、お互いの関連で自分にも関わってくるのですから、どんな現状でも認めて受け入れ、対応して、出来ることをして差し上げましょう。

質問4:第2の死について、ケイシー・リーディングで「消される魂もいるのか?」との問いに「魂は消されないが、それ自身を識別する魂の個別性は失われる」という。それは、自我意識がなくなり「もの」あるいは「宇宙の気」のようになってしまうのでしょうか?このことについて、お教えください。

ソース:ケイシー・リーディングの答えは大まかに見て正しいのです。第2の死という表現が「ヨハネの黙示録」に出てきます。どんな問題を起こした魂でも、神さまによって消されて滅ぼされることはありません。生命は永遠だからです。ただし、その魂の個別性は消されます。存在自体は消されませんが、その魂の個別性は消されます。それによって本人は「自分」という自覚を持てなくなります。

その命自体は存続していくのですが、自分という意識を持てなくなって、一滴の命として存在し続けます。それでも一旦ゼロに返ってやり直すことができ、命自体は続いていきますから、ある程度そのようにして罪滅ぼしの期間を過ごしてから、再び自我意識が神さまの判断で芽生えてくることは十分あります。

単なる宇宙の気になるのではありません。一つの命として存続していけます。ただ、自分という意識はなくなるので、客観的に見ると存在し続けていても、本人は自分がなくなってしまったような感覚や実感です。宇宙の気になるのではなく、まして単なる物になるのでもありません。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました。)
<了>