2014年11月7日

この時期、私が知る必要のある前世、今世の魂の願いとテーマは?

2014.3.11 パーソナルリーディング No.13742

【質問1】新年会にて「明治大正期の前世」と頂きました。番号は66でした。この時期、私が知る必要のある前世のこと、そして今世の魂の願いとテーマ、展望、留意点を教えてください。

【ソース】今年の新年会において、「明治大正期の前世」このようなお言葉を授かったのは、自分の中でも用意ができてきて、その時代に関心を寄せ、実際に蘆花恒春園にも、何度か足を運び、その時代のものが自分の中で出てきて、その前世を受け入れられるようになってきたからです。自分の中でもおぼろげながら、その時代にも自分は生きていたという思いが生じてくるようになっていました。ただまだはっきり確信はなくて、なんとなく気になっていた時代だったことでしょう。

そういうところに「明治大正期の前世」というメッセージが与えられたのです。それによって、自分の中に「ああ、やはりそうだった」という確信が湧いてきました。何よりその時代の前世を自分で知ることが必要になってきたので、そのメッセージがあなたの元に届いたのです。

メッセージのポイントの一つ目は、メッセージの内容が正しいということ。二点目は正しいだけではなく、そのことを知る必要性があるということ。そして三点目はそのタイミングが今であるということ。この三点がそろって、それが誰よりも強烈な場合、その人のところにメッセージが引き寄せられるという法則があります。あなたはその時代のことを知る必要が出てきて、それがちょうど今の時期でした。

知ることが効果的であり、知ることで現状の意味が深くわかり、現状のカルマを解消して、乗り越えて前に進んでいけるという効果が、そのメッセージにはあるのです。あなたには、そのメッセージがそのように作用するということがあります。それであなたが頂きました。知ることが役に立ち、今の自分の周りの現状を乗り越えさせる力を与えるのです。

当時のあなたは、蘆花の小説の愛読者の一人でした。当時のあなたは読書家であり、勉強熱心で真実を求める気持ちが人一倍ありました。当時の日本の文化に関心があり、特に欧米から伝わってきたキリスト教に深い関心を寄せていました。その意味で時代より進んでいる人だったのです。

そのため、世田谷の蘆花恒春園にも何度か足を運び、蘆花や妻の愛子と親しくなっていました。恒春園をしばしば訪れて一緒に語り合ったり、菜園で土に親しんだりして、家族のように一緒に過ごしていたのです。そのように蘆花や愛子と個人的に親しい友達の一人でした。特にキリスト教の話になると、お互い引き込まれ夢中になりました。

当時のあなたは探究熱心でしたので、他のクリスチャンのことも知っていて学びをしていました。内村鑑三も、そのような中の一人でした。そのように当時あなたは生きていたばかりでなく、世田谷の恒春園も自分にとって馴染のところで、キリスト教の仲間もあなたはたくさんもっていたのです。
  
人は最初から本来の自分に行き着くとは限りません。その前にいろいろ悩んだり、失敗をしたり、プロセスを経てようやく天からのテストをクリアして、本当の前世とか本当の自分に出会い、取り戻していくのです。プロセスにも意味があり、プロセスで得られることや果たされることがあって、次第に目覚め、備えられていくのです。今世のこれまでのあなたの歩みや体験は、そのように大変な道でしたが、神様に愛をもって育て導かれてきたプロセスでした。

そしてようやく、本来の自分や本来のご縁を取り戻し、自分らしくなってきています。 本当の前世が明かされる時というのは、グループソウルとして時期が来て、それを知らねばならない時です。キーマンにまず前世が知らされます。そしてその周りの縁のある人たちもそれではっと思って、知り始めるようになります。神様のなさり方はそのようです。それであなたもその時期が来て、ようやく自分に目覚め、自分らしくなりつつあります。
  
あなたの前世の特徴は、どの前世においても、波瀾万丈で大変な人生だったということです。いろいろなところで生きて、生まれ変わってきていますが、ほとんどの前世で共通しているのが、大変で波瀾万丈で、人並み以上の苦労や努力をしてきたという、それがあなたの特徴になっているのです。それが今世でも自ずと現れ出たのです。

二点目のあなたの生まれ変わりの中の特徴は、出家するなど宗教上の修行とか、霊的実践という方に自分を向けようとしたことと、家庭での主婦業や妻や母としての務め、この両方を行きつ戻りつして、その間で苦労や悲しみが伴ったということがあったのです。家庭にも思いがあり、家庭的なことに対する責任感を感じたり執着があったりした。でもその一方で神様や真実を求める並々ならぬ気持ちもあって、そちらに向かっていった。でも完全に家庭とか家族を捨てきれず、引き戻されていった。でもまた出家したり宗教的な真理を求めるようになったり、奉仕活動を行ったりした。

このように両サイドを行ったり来たり行ったり来たりした。しかもそれが非常に苦しく辛い、一大決心であって、失うものも多く、大変な思いの中でこの両側を行きつ戻りつしたのが、あなたの二番目の前世での特徴でした。それも今世のこれまでの歩みに自ずと反映し、表れ出たのです。あなたが中途半端でなく、その時ここだと思うとその通り実行したのです。中途半端な人ではなく、徹底する人でした。それだけに軋轢も現実との間で大きかったです。
  
それがあなたを特徴づけています。行う時は奉仕活動でも、家庭での主婦業でも徹底して行いました。それだけに転換を図る時は身を引き裂かれる思いで、周りにも混乱が生じました。周りをも巻き込んで、それが行われました。それがあなたのカルマといえばカルマであり、役目といえば役目でもありました。しかし、そういうプロセスを経ることで、貴重な教訓も学びとることができ、その分神様に対する理解や感じも深まりました。
  
宗教との御縁としてはやはり、キリスト教とのつながりが最も深い人です。ただあなた自身も日本に生まれ変わるようになってからは、日本におけるキリスト教のあり方ということに次第に自分の関心が向かい、欧米のものをそのまま移植することは出来ないし、また相応しくもないと思うようになりました。そういう中で蘆花の活動や、思想にも共鳴するようになったのです。またあなた自身、自然をも大切にする東洋の精神がありました。あなた自身前世としてエジプトやインドなど、自然を重んずるところでの生活や生き方を経てきた魂だったからです。
  
でも一方ヨーロッパやイスラエルにも生きていて、一神教の宗教が強烈にあなたの中に入り込みました。あなたは宗教的な伝道活動もしたし、また弱っている人や病んでいる人を治してあげたり、手当をしたり、そういう治療活動も熱心に行っていました。それは紀元一世紀のキリストの癒しの業に感銘を受けたことに元がありました。病んでいる人や弱っている人の助けになりたいという想いがあなたの中にできてきたのです。                  

しかしただ、治したり健康にさせたりというだけでは飽き足らない、哲学的宗教的な高尚なものを求めるものも、あなたの中にはありました。それもあなたの一つのジレンマとなりました。より高みに向けてあくまで追求し、向かっていくという願いと、もう一つは現実に苦しんだり病気になっている人の助けになったり、実際に手当をしてあげたりという実践活動、この両者のはざまで、あなたは揺れ動いてきたのです。ここにおいても、どっちつかずではいられず、それぞれであなたは徹底してきました。
  
今世においてあなたはONEに出会うことが出来ました。対照的な両極を行きつ戻りつしてきたあなたです。そのあなたが到達したあり方がONEなのです。前世のあなたは、ONEになりきれず、どちらかに徹底してもう一方を犠牲にして自分に無理がかかっているあり方でした。どっちが良いのか、どっちに向かうべきかということで悩み苦しんできたのです。考えただけでなく、実践も伴ったので、その結果を受けて苦しんだのです。今世においては、どっちかではなく、どっちもということ。しかもどっちつかずではなく、両方がうまくマッチしてそれぞれが徹底しながらも一つのこととして行われる、ONEの道があなたに相応しいのです。ただの出家でもない、ただの在家でもない、両者が絶妙にマッチして完成したあり方です。
  
日本の鎌倉時代、親鸞はそれを目指しました。それを非僧非俗と表現したのです。その鎌倉時代の前世においてやはりこの実体(浅野信)と、あなたは出会っていました。それは長野にあなたがいた時でした。そのようにして同じ実体と再び出会い、また導かれるようになっているのです。

あなたは前世において、一つに献身したなら、もう一つを失い、犠牲にならねばならない、と捉えていました。そして実際そうなって苦しみ悲しみました。それが今世のこれまでにおいても繰り返されました。その上でどっちかという生き方を乗り越え、ONEが実現しようとしているのです。それで66という番号が出たのです。その66を通ってそれを超えることで試練を乗り越え、ONEの道が開かれて来ようとしているところです。                                    

【質問2】夫(○○○○ 1962年5月**日生)の前世、そして今世のテーマと留意点を教えてください。極度の警戒心、神経質、他人不信、清潔潔癖主義、物への執着心は、どこから来て、どのように乗り越えれば良いかご指導ください。
           
【ソース】特定の一つ二つの前世に限らず、彼の場合の大まかな特徴として、生まれ変わりの中で他の犠牲に遭い、人が信じられなくなり、自分だけで何とかやっていかねばと思うようになっていきました。そのような経験が繰り返されたことで、現在のようなあり様に作られたのです。

そのような前世での経験の一部はあなたとの関わりで生じました。あなたがどっちつかずではなく、どっちかに徹底しようとしたとき、彼はそのあおりを受けてひどい目に遭い、苦しみました。その為今世においても、特にあなたとの関わりにおいて、彼はその特徴を現すのです。             

もちろんあなたがいない、あなたと無関連のところにおいても、彼のその特徴は現れ出てはいます。ただ、あなたとの関わりで、あるいはあなたの目が届く範囲で、彼が自分の特徴を示しやすいということはあるのです。それは無意識のうちにも、反射的にあなたがそばにいると、彼はそのような特徴を出しやすいからです。前世の記憶がそのようにさせています。
  
特にあなたのことが嫌いだとか、あなたが信用置けないとか、意識的にそうしているとかではなく、無意識のうちにそのように自分の特徴が反応として出てしまっているのです。普通なら夫婦の間では、自分の持っている課題や特徴はむしろ緩和されるものです。他人と苦手な人の前では出てしまう欠点が、欠点であっても夫婦など心を許し合う人の前ではリラックスでき、あまり普段の欠点が出ないというのが普通です。でもあなた方夫婦の間ではそのようにはなってはいません。むしろどちらかというと、夫婦のあなた方の間で出やすくなっています。                  

それは前世であなた方の間に、特にあなたが、家を出るとか、自分はこういうことをする生き方に向かうということで、彼が驚き、彼にとっては不本意で中途で終わらせてしまったことがあったからです。その意味であなたは、行動で示さなければいけません。自分が今世でそのようにはしないということ、彼が安心納得し、癒され、また満たされるように。それは言葉で言う以上にあなたが身をもって示し続けることで効果があります。それによって彼は癒されたり、安心納得し、大丈夫だとわかってくるのです。
  
もちろんあなただけに問題や果たすべきものがあるのではありません。基本的には彼独自の課題です。あなたを越えて彼自身に属する彼の課題です。ただ夫婦になったことであなたは助けられるチャンスにもなっているのです。あなたに彼に対して果たすべきカルマがあるというばかりでなく、あなたは彼との関わりのカルマを越えて、彼独自の大きな課題を彼が乗り越えられるように助けられるのです。そのために夫婦になったのです。
  
あなたの優しさや大きな愛や信仰心が、彼を癒すことができます。それはあなたが他で修行したり信仰したりしたものが家庭の中で特定の一人に注がれた時に、そういうことが叶うのです。前世のあなたは、奉仕活動とか伝道活動はしたものの、内側の家族に対してはそれがあまり向けられなかったのです。宗教の真理の追求と家庭での主婦業とが分離していたのです。今世ではあなたが霊的に頂いた賜物を家庭において応用し、前世で癒されず、してあげなかった人に対してすることが必要になってきています。
  
彼は前世において、一部宗教活動に関わったものの、あなたほどにはそれが深まってはいませんでした。彼は職を転々としてきた人です。前世での生き方のことです。そのため特定のものが根付いておらず、自分の中に不安と焦りがあります。新しい環境、新しい職種、新しい人間関係、新しい土地、そういうところに移っていって彼は自分で何もかもしなければならず、人を当てにしたり信じたりできませんでした。それが現在のようなあり方を取らせています。
  
彼とあなたに共通している必要な点は2人とも定着することです。前世ではあなたも彼も、しかし別の意味で、定着していませんでした。今世でも下手をするとそれぞれのパターンが出て、定着せずに通過点で終わり、事が起こりえます。しかし2人ともそのようなことは望んでいません。しかしここで定着しこの夫婦関係や家族で落ち着いて、安らいで生きていきたいという願いが共通しているのです。その中で2人とも深まり慰められ、安らいでいきます。
  
2人ともそれぞれ自分のいるところで、椅子を暖める暇もなく、あわただしく生きていったのです。今世では安らぎが2人とも味わえるようになると良いです。そのように努力し、それを目標に励みましょう。そうするとだんだん2人とも落ち着いて安らいで、心から満たされ、安定してくることでしょう。そうするとまたそれぞれ余裕が出て、自分の活動を行えるようになって生活も成り立つようになります。不安や焦りから行うと、空回り状態を呈するので、頑張っている割には効果が出ず、成り立ちにくいのです。まず家庭が落ち着きどころになって、安定すること。そうすると余力が出て来て、自分が発揮され、それで収入も上がり、安定するのです。                         

【質問3】○○○○(1998年9**日生、現在は父(前夫)と新母と兄、姉と生活し、時々交流しています)のライフシールをお授けください。                           

【ソース】ライフシールの真ん中には、浜辺が見えます。素朴で美しい海岸です。静かに波が押し寄せてきています。東洋のようでもあるし西洋のようでもあります。それは本人が双方の系統を引き継いでいることを表しています。また陸と海との境界線を海岸は表すので、対照的な二つのあり方、内外の接点に自分がいる事を表しています。それをうまく生かせば可能性が出てきて意識が広がり、ほかの人ができないこともできるようになることでしょう。その下には、「自分を感じ、周りと調和する」そのようなメッセージが見えます。
  
ライフシールの右側には、茶畑が見えます。その下には「他の人を癒し、潤す」そのようなメッセージが見えます。本人が周りの人のためになり、慰めたり喜ばせたりするものをもっていることを示しています。

ライフシールの左の位置には、子供向きの玩具がいろいろと置かれているのが見えます。本人の中に無邪気で子供らしい素直な心があることが示されています。それによって多くの子供たちを喜ばせたり、子どもの相手をする特性や願いがあることを示しています。その下には「自分の特性を知って生かす事で成り立つ」、そのようなメッセージが見えます。 
  
ライフシールの下の位置には、本人の四方八方にガラス張りの構造があるのが見えます。それは同時に鏡のようにも本人には自分が映されてきます。ガラス張りの中に入っているということは本人が周りからよく見えて、本人も正直で純粋なことを表しています。また鏡にもなっているのは、本人が周りを通して自分を感じ、自分を認識すること、その機会が与えられていることを示してもいます。その下には「自分であることの大切さ」、そのようなメッセージが見えます。
  
ライフシールの下の位置には、畑が見えます。畑にいろんな野菜が出来ています。それは本人が生きていく中で、実際的に生きると得られる収穫のことです。またそれが周りの人のためにもなっていくことを表しています。「現実を基に生きることで得られるものがある」、そのようなメッセージが見えます。
  
ライフシールの上の位置には、展望台が見えます。その下には「世界は広い。心を広げ自由に羽ばたけば、恵まれる」、そのようなメッセージが見えます。
  
ライフシールは円の形をしています。背景色はイエローです。輪郭の色は紫です。ライフシールのテーマは「個性を大切に、喜びと夢を開花させる」。                          

【質問4】ジャーナルをつけるということが、今一つ実際の学びに生かされていないように感じます。私のためのヒントを下さい。                                    
【ソース】人によってタイプや個性があり、あなたの場合はジャーナルが習慣づいてきていないのでしょう。それでもジャーナルに着目し、ジャーナルを活用することは可能ですし、ためになることです。軽くさりげなく入りましょう。つまり、あまり構えて取り組もうとするよりも、ちょっとした覚書程度に、メモ帳とか手帳に書き留める習慣をつけると便利で役に立つことを体験します。それが励みや確信になってさらに行うようになり、活用されていきます。

全部を記憶しきれない時は書いた方が良いです。また重要なことは書き留めた方が効果が上がります。書くということは魂に刻むということなのです。それが身に付きます。すごく重要でためになる言葉やメッセージはまず声に出すということ、それから自分でペンをとって書くということ。そうするとずっと自分のものになり、自分を通して発揮されるようになるのです。
  
主は言われました。「人はパンによってだけ生きるのではない。神のお言葉一言一言で本当に生きるのである」と。                                                   リーディングを終了します。     
(ありがとうございました)                 
<了>

2014年10月19日

還暦を迎え今までの人生の総括と、残りの人生の展望、課題は?

2014.3.22 パーソナルリーディング No.13760

【質問1】日頃より見守りお導きいただきありがとうございます。今年還暦を迎え、色んな意味で転機の年になりそうな気がしております。今までの人生の総括と残りの人生の展望、課題、とりくんでいったら良いことなどをお伝えください。生まれて来た目的を御心にそって、とげさせていただけますよう、ONEの一助として役立たせていただけますよう、心より願っております。

【ソース】現実の動きや状況は、過去に願ったことが叶った形です。現在のあり方は偶然ではなく、ともかくも前世から今に至るまで、何とか良くなるようにと苦闘して、努力して創り上げてきた結果です。それがわかれば現在の状況に対しても、起きる出来事に対しても、大切にでき、受け止められるようになります。

良かれと思ってともかくも行ったり念じたりした結果、現在の状況や出来事が起きてきているのです。その結果から知らされ、学び、取り組んで改善していくように計らわれて、人は育て導かれています。

過去の自分が未熟だった分、現在の状況や出来事は不完全で受け入れがたいものになってはいます。でもそこで学べて、カルマも果たされ、それを土台に次のことに取り組んでいくことで、あるいは今のことに取り組んでいくことで、次のものが創られてくるのです。そういうことで、いつでも、その時のものを認めて受け止めて、大切にすることです。それが次のステップへの土台となるからです。

将来のことを願って、一生懸命努力して創り上げてきた結果が、現在の在り方をとっているのです。現実は因果の法則、つまりカルマによって動いています。それゆえこれまで起きてきたことや現在の状況を見ていけば、自分の課題や自分の癖、知るべきことや与えられた役目、さらに自分の可能性、良さなどが見えてきます。そしたらそれらを踏まえ、今のことに精いっぱい取り組んでいけば、着実に良くなり、成長もしていきます。自分も良くなるし、訪れる結果も良くなっていくのです。周りの為にもなっていきます。

人生は一つの大きな作品に見立てられます。そのように人生を捉え、自分で納得できるより良い作品に仕上げようと、毎日を生きていきましょう。後のことは神様が計らわれ、良いようにしてくださります。気になったらすぐお祈りをしたり、ジャーナルをつけてメモしましょう。つまり頭の中で悩んだり心配したりせずに、何でも気になったことは書き留めたり、そのことをお祈りしたり、そして神様に捧げること。また身近にいる人に打ち明けて分かち合うことです。それらが処理法であり、活かし方です。

また人は自分の過去から最も多くを学べて、過去から多くを得られますので、人生を時々振り返って点検し、できたらジャーナルをつけてこれまでの歩みを点検し、また自分で回想して自分の心の中で処理解消したり、過去のことから学び取って、それを身につけ、携えて生きていきましょう。そうすると生きているうちに処理解消できて、霊界や来世に持ち越さずに済むし、何よりも今生きていて心が楽になります。

そういったことを習慣にして身につけておくと、それは自分から離れることなく、霊界にいったり来生に生まれ変わっても役立ちます。それが主が言われた様な、「この世に宝を積むより、天に宝を積みなさい」ということです。つまり自分の魂に身に付かせたことは、確かであって引き継がれて生まれ変わっていくということです。また、それが周りの為にもなっていきます。

例えば次のようなお祈りから一日をスタートさせましょう。「今世生まれて来た目的が神様の御心に沿って滞りなく遂げられますように。十分にするべきことをしてから還っていけますように。それまでは身も心も持つことができ、支障を来さず痛みもなく、十分に生きて果たしていけますように。日々ご助力ご支援ください。すべて神様の御心の通りになりますように」

そういったお祈りをお捧げして毎日を送ると、お祈りは方向付けですので、現実の動きも自分の気持ちの動きも、お祈りした通り、神様の御心の方向で動くようになります。お祈りをして委ねるというのは、お祈りしたところに自分をセットしたことになるので、あとはその方向で現実も自分の気持ちも動くのです。

お祈りしたことが現実の表れで答えとなっていきます。神様からの祈りに対するお答えです。そう思えば現実の動きを大切にして受け入れて対応して処理していけます。その時、人のお役に立つようにと心がけて行うのです。それが自分のためにもなります。現実は神様にお祈りしたことに対する神様からのお答えなのです。お祈りした通りに現実は動いていきます。

例えばお祈りの中で、「残された日々、今世生まれ変わって来た目的が十分尽くされて、自分も周りの人も困ることなく今世を終えて、帰っていけますように」。そのようにもしお祈りしたとしたなら、そのような人生になるので、あとは巡ってくる状況や自分の気持ちに注目していてください。お祈りした通りになっていきますから。状況に誠実に応じて行けばよいのです。またお祈りした通りになるように、置かれた状況で勘が働き、自ずと応じてお祈りした事が叶うように自分が対処しているはずです。

お祈りが叶うように神様が現実を動かし、必要なことをよこしてこられます。また自分の気持ちの中に、お祈りしたことが叶うようなアイデアが浮かびます。そのことを知って現実の動きに応じ、また自分の気持ちに浮かんだことを参考に、行動していけば、結局はお祈りして願った通りに人生が送れます。そういうことですので、今世も半ばを過ぎ還暦を迎えようとしていて、残りの日々、何をどのようにしたら良いのか、まだよく見えていない、わからない部分もあるかもしれませんが、そうであるなら、「きっちり仕上げて還っていけますように」とお祈りして委ねさえすれば、そうなるように、あとは状況や心に浮かぶことが導いてくれます。

そういうことですので、そのことがあなたの目標や念願ならその通りにお祈りして委ねることです。あとは状況や気持ちを見て、それに応じていけばちゃんとその通り叶います。支障を来さず十分にするべきことをしてから還っていけます。それがお祈りの力であり、現実を動かす法則です。

神様からの働きかけで必要なことがその都度思い浮かぶのです。そしたらそれを行うのです。また状況も、それが叶う方向でやって来ますので、対応して処理していくことです。自分が何をどうする以前に神様に導かれ、計らわれています。それは神から愛されていることの現れです。また思いついたことで、参考になりそうなことや、した方が良いと思われることや気になることなどは、メモしておきましょう。そうするとそれが指針になったり、自分で気をつけたりするように、自分の助けになります。また、ただの心配や不安の場合は書くことで処理解消されたり、人に話して分かち合うことでも解消します。

自分なりの生き方や処理の仕方を覚え、行っていきましょう。そしてそれが良かったし、役立ったとわかったことは、今度はあなたがカウンセリングや個人セッションの時に来られた方にも教えてあげたり、伝えたり勧めてあげましょう。

基本的に、自分が役立ったり良かったと思ったことを、人に伝えたり教えていくことです。むしろ人のためになれるよう、まずあらかじめ自分が知らされたり、身に付けさせたり、させられたとさえ言えます。神はそのように人を使い、備えさせるからです。次、何を自分はすると良いのか。それは最近自分が出来事を通して知らされたり、身に付けたことをです。それこそ新鮮でまだ生き生きしていますので、それを分かち合ったり教えてあげる、それが自分のすると良いことです。

そのように現実が人との関わりで動いているのです。また、自分の心に思い浮かんだり願いが出てきたりしたことを行ったり人に知らせたりすることです。状況や出来事で巡ってきたことに対応することが、今世でするべき残された部分です。例えば義理のお父さんのこととか、ご主人とのこととか。自分の長女やその家族のこととか。またARIで学んだことを応用したり、人に教えてあげたりとか。出雲の土地でカウンセリングを行って自分が知っていたり、自分の持ち味が活かされることで対応してあげるとか、です。

また、あなたはヨハネと同年代でペースが同じですから、同年代のヨハネの生き方とかヨハネが人生経験を通して得られたことが今後とも役立っていくことでしょう。たとえ同じ長さを生きるのではないにしても、生まれた出発点がほぼ同時期ですので、時代や主な出来事を共有し育ってきています。それ故同年代のヨハネが得られたものやアイデアや指針は、人一倍あなたにはフィットし、役立つことでしょう。

その都度これからもヨハネが発見したり得られたものがリーディングや講話会などであなたに分かち与えられ、それが参考になっていくことでしょう。また必要な部分は周りの他の人たちからもやってくるでしょうし、自分のほうでも得られたものを他の人に回したり伝えたり助けたりしてあげましょう。そのようにしてそつなく滞りなく、すべてが尽くされてあの世に還っていけるようになります。

【質問2】新年会で「親のご恩」、新刊本で「世話力」というメッセージをいただきました。このメッセージのくわしい意味をお伝えください。

【ソース】親のご恩という場合、自分の両親からのご恩がまずあります。それと結婚した相手の両親からのご恩もあります。自分の夫の両親のことです。さらに重要なのは霊的な親であられる神様からのご恩が、すべての元にあります。神様とは霊的な部分の親だからです。

神様がわからない人には、「神様がわからなければ、親を見ればわかる」と知らせましょう。肉親という肉の次元の親がそのまま神様であるということではありませんが、自分にとっての神様の投影した現れになっています。それが法則だからです。自然界を見ても同様です。

自然界は目に見えない世界の反映です。それゆえ霊的世界における神様が自然界では、太陽として現れているので、太陽そのものが神様ではないのですが、太陽を見れば、元の神様が何となくわかってくるのです。むしろ神様が誰にでもわかるように自然界では太陽の姿をとって現われているということです。また人間界で神様がわからない人に神様がわかるように、お父さんとお母さんが現れて与えられているのです。

そういうことに気づけば、神の意図がありがたく思えて、自分の両親を通して、本当の親である神様を洞察することができ、神様という親が自分をどう思い、どう取り扱っておられるのかが両親を通して見えてきます。

そのように神様が仕組みを設けられました。また、もう少し親ということで範囲を広げるならば、自分を育ててくれたり、世話をしてくれたり良くしてくれた先輩の人たち、人によってはおじさんやおばさんかもしれないし、何かの師匠、先生かもしれません。そういう自分を育ててくださった人は広い意味での親と言えます。そういう方々もこの場合含まれているはずです。「親のご恩」ということで。

そういうことで今日の自分があるのは、誰それさんのおかげである、それは一人だけではないはずです。自分の両親を始め、何人かおられるものです。ともあれ、そういった方々のご恩によって今の自分があり、ここまで来れた。一番の元には神様がおられるのですが、直接的には、具体的な一人一人の方々の賜物です。そういうことに思いを馳せて、しみじみ感じて受け止め直すことが、あなたを変えたり、育て直したり、癒したり、安堵感や心の温かさをあなたにもたらすのです。

親のご恩ということで瞑想してみるのも、良いかもしれません。名付けて、「ご恩瞑想」。そういうことで、ご恩ということをテーマに瞑想して思いめぐらすとあなたに効果的です。それはあなたに親などに対するご恩がないからという意味ではなく、むしろあなたにそういった潜在的な可能性があるので、そのことに焦点をあててしばらく生きるとあなたがさらに成長し、可能性が開花し、あなたらしくなれる、そういう効果があるのが「親のご恩」という内容なのです。自分が何に留意してどこに方向づけるかです。あなたの場合「親のご恩」というところに自分を置くと、とても効果的なので、そのお言葉が授かったのです。

そうするとさらにあなたが親らしくなって来たり、親としてふさわしくなってきたりします。あなたはすでに自分の子どもを育て上げましたが、今からでも遅くはありません。あなたがそのように親として完成度が高まると、自分の娘やその家族のためになお一層なれるし、見落とせないのはあなたが仕事を通して、多くの方々のお世話ができ、親身になって、親のように看てあげられる力がついてくるのです。出雲の地でのカウンセリングを行う場合でも、松江の「ヒーリング&スクーリングあい」においても、あなたの立場や役目がなお一層活きてくるようになるのです。

人の世話をしたり、人を看てあげるということは、親身になって、親のように関わることで効果が出ます。そのような母性とか、親のようなやさしさや包み込む心を育てましょう。その規範は、神様にあります。神様の親心を思いましょう。そういうことで「世話力」ということも、「親のご恩」に起点があります。それによって自分も親らしくなって親の役目を務められるようになります。そこで「世話力」が出てくるのです。神様ならどうなさるか、この場合、神様はこのことをどう捉え、どう対応なさるのか、その観点で見ていって行いましょう。

そこで自分らしさも活かされるようにすると、自分でも行ってうまくいくし、気持ちよく行えます。そういう親の役目を通してあなた自身成長し、やりがいも得られることでしょう。

【質問3】昨年12月の浜松クリスマス会に際し、非常に体が重く感じ、セッション中には意識がなくなるような感じで眠ってしまいました。以前富士登山の時も出発直前に胸が高鳴り、気分が悪くなりました。このことは何か霊的意味があるのでしょうか。また4月の松江での復活祭が開催され新たな出発の時を迎えようとしています。心がまえや留意点などお伝えいただけることがありましたら、お知らせください。

【ソース】まず一つ目の理由はあなたがARIの中でも、浜松やその近くの静岡地域のARIのグループやその動きやその方々とこれまであまり馴染がなく、あなた自身馴染んでいなかったからです。それぞれの人に傾向や特徴があります。あなたの場合でしたら、地元の松江を始め、福山とか、何か所かはすでに足を運んだり、その土地に馴染んだりその土地の方々とお友達になったりして居心地が良く、馴染めます。

でも今のところ静岡地域や浜松地域のARIの方たちとはあまり知り合いではなく、その場の雰囲気にも溶け込めず、辛い思いをしました。別に仲が悪いとか認めてないとか、そういうことではなく、ただ馴れということでまだ馴染がなかったので、圧倒されたのもあるかもしれません。

また新しい若い方々の動きも始まり、あなたはまだよくわかっていなくて、すんなり受け入れにくく驚いたり戸惑ったりしたのもあるかもしれません。でもあなた自身もちろん否定してはおらず、だんだん慣れてくることでしょう。そしたら良いなと思えて、ほほえましく感じることでしょう。

またもっと深い霊的な意味ということでみるならば、ちょうどあなたが出雲の土地に引っ越してきて霊的で良い場なのに馴染めなかった。でもだんだん慣れてきて仕事もできるようになった。そのように霊的な系統とか、前世でのあなたの体験が影響しています。富士山といえば、出雲大社と同じ緯度です。レイラインでつながっているので、出雲大社と富士山は同じ系統であり、同じような波長です。それゆえ出雲大社のそばの土地にすぐには馴染めなかったように、良いはずの地場なのに、富士山にもすぐには溶け込めなかったのです。

でも、もともと富士山も出雲も良い地場です。そしてあなたにも御縁があります。でも前世であなたは出雲にご縁があったのですが、あまり良い思い出が前世でなかったり、全部が大変だったのではありませんが、良いこともあったり、しかしうまくいかないこともあったりというのを持ちこしているから反応するのです。でももともと富士山も出雲も、良いものがあるので、だんだん調整がついてくることでしょう。そのようにして育ち、自分も人もONEに近づいていくのです。

今年は松江で復活祭がなされます。それぞれが異質のものや、合わないものや、課題のあるところと接触交流し、だんだん溶けていって自分も大きく広がり、互いに溶け合い、うまく兼ね合いが掴めてくると、共存し助け合えるようなONEが形成されてきます。松江の土地で出雲の、昔ながらの良いものがこれからの時代に応じた形で復活し、周りにも善いものをもたらしていくことでしょう。自分の感覚を働かせ、神様に育て導かれていくような感じで、備えていきましょう。今の時期に行われるということは、それが可能で必要だからです。それを思えば安心でき、余裕を持って仲間たちと準備していけることでしょう。

【質問4】今私が知っておいた方が良いメッセージなどありましたら、お伝えください。

【ソース】生まれて来たということは必要性や目的があったからです。それをわかりやすく言うと、成長し周りのためになっていくことです。その中でカルマも果たされていきます。そのようにして命の本源に近づいていきます。

成長するというのは、今まで不可能だったことが可能になってくるということがあります。だんだんかつての自分では馴染めなかったり難しいことが、さほど難しくなくなり、馴染めたり調和したり、よくできたりするようになります。そういうプロセスを経てONEになり、自分も世界の方も理想の状態が訪れます。

苦手だったり辛さを感じた時は、今これに取り組むことで、自分のこの部分をクリアしつつあるんだなと見てください。そういう時期が来たということなんだなと気づいて取り組んでください。取り組むようになったということは、もうクリア出来るところまで来たということなのです。それを通してお祈りしながら勘を働かせ取り組めば、新しい自分のあり様が形成されてくることでしょう。それが周りにも、もたらされていくのです。それが愛、神のお働きです。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2014年9月6日

私のチャクラタイプと覚醒法、日常生活法

2002.4.4 パーソナル・リーディング No.6323

【質問1】私はどのチャクラが一番動きやすいですか。チャクラのタイプと覚醒法と日常生活法をお教えください。

【ソース】アジナータイプです。従って、アジナーチャクラが一番発達しており、最も動きやすいです。チャクラが開いたり、覚醒したり、或いは動いたりという場合、物理的次元においてなのか、魂次元においてか、更に霊の次元でまで、それが起きてきているのか、ということが見られねばなりません。

世の中の一般の人達でも、物理的次元、即ち肉体レベルではチャクラはちゃんと動いているわけです。大事なのは、肉体だけのチャクラが動くだけでなくもっと奥の精妙な次元でも動くようになるということです。

それと、動いているというのと、開いているというのと、覚醒しているというのとでは、例えば、同じアストラルの領域においても、大分差があるわけです。動くというのは、ただ動いているというだけで、止まっているよりはましですが、動いているという程度です。それに比べ、開いているというのは、ある程度外との交流が為されるようになって、エネルギーの行き来が為されるようになってきているものです。

更に、覚醒しているというのはもう機能しており、目覚めた状態になっていることです。それで、あなたとしても、その辺を識別出来るようになり、段々上を目指していくことです、と言っても、焦ったり、他の人と比較する必要はなくて、自分のペースで程よく進んで行けば良いのです。

それと、チャクラというのは基本的に7つありますが、1つだということです。7つは1つということで、余り、それぞれのチャクラに拘り過ぎますと、本質を見失いかねません。元々1つでそれが7つに展開しているだけです。1つの生命体なのですから。その1つの生命体には1つの心があるばかりで、その1つの心が7通りの働きをするので、7つの側面として7つのチャクラがあるというだけです。

もちろん、レベルというのもあって、7レベルといいますか、それぞれのチャクラが段々、心の働きで、次元を高めていく。単なる7種類ではなく、7次元にもなっています。チャクラというのは肉体にもあるけれども、本来はやはり、アストラル体と、更にカラーナ体にあるものです。カラーナ体はコーザル体とも言います。そっちにあるわけです。

更に言えば、もっとプルシャの次元になれば、存在としての個人を超えますから、チャクラはなくなるわけです。チャクラはどんなに高くてもカラーナ、或いはコーザルまでです。チャクラは要するに個人に属するものですから。個人がなくなるのが解脱です。

チャクラはカルマと関連しています。もちろん、カルマ以上の可能性と働きを秘めていますが、しかし、個人として保持するという意味では生まれ変わる基です。永遠の生命に達する為には、個人がなくなる必要があります。その為にはカラーナのレベルを超えることが必要です。プルシャから創造神、更に絶対者へと。そうすると、永遠の生命が実現してきます。

個人であって永遠の生命というのは矛盾であり、有りそうにもないことです。ところが多くの人は個人にしがみついてる。つまり自分を保持しようとし続けるので、永遠の生命は叶いません。皮肉なものです。ある意味で永遠の生命などいらない、と言うぐらいになってこそ、永遠の生命が実現するからです。

永遠の生命がいらない、と言っても後ろ向きに自己否定が為されると、それは調度、典型的に自殺に表れるように好ましくありません。あなたにもそのような傾向が、前世から少し残されていますので、自己消滅というのを前向きにと言いますか、神に向けて捧げる形にしてください。自分を放棄することは大事ですけれども、適切に為されること。放棄するからレベルが上がっていくわけです。放棄する度に。でも、どこに投げ出すかが大事です。

虚無の世界に投げ出すと報われません。投げ出しても、犬死といいますか。そうではなくて、神に向けてこそ放棄するのです。そうすると、それは報われて、レベルが引き上げられます、と言っても、それは当てにして放棄するのではありません。その辺が微妙な所です。

さて、チャクラが開くといいますのは、要するにチャクラというのは心のことですから、オープンになるとチャクラも開くわけです。例えば、チャクラが閉じている人というのは、自分のことしか考えていない人達なのです。自分の利益とか、快楽とか、非常に打算的で、唯物的、そして非常に狭く、器が小さいのです。利己的、自分本位なのです。そういう人は最も固くチャクラが閉じています。他の人達のことはどうでもいいと思っているのです。無関心であり、考慮にいれません。

そういう利己的で、小さい人間は自己に終始している為チャクラが固く、そして、閉じているのです。それ故、チャクラを開くためには、心をオープンにし、外に興味を持つことです。外に興味を持つと言っても、自分を掘り下げることと正反対ではなくて、器を大きくすることです。

そして、先ず神様に目を留めることです。そして、他の人達を重んじ、他の人達を好きになると言いますか、尊び、受け入れることです。他の人を認め、立ててあげることです、心から。形だけでなく。必ずしも他の人に寄っていって馴れ馴れしく口を利くことではありません。心で他の人達のことを受け止めていて、関心を寄せている。しかも、平らに誰に対しても分け隔てなくという意味です。

分け隔てなくと言っても表面で均等ということではなくて、やはり、家族とか友人にはもちろん、親密に接するわけです。相手に応じて相応しく。世間の人に対するのと、知り合いに対するのとが均等にということではないはずだからです。世間の見ず知らずの人に、にこやかに寄っていって口を利いたりする、ということではありません。心の中で他の人も認めてあげて、好感を抱いている、そして心で受け止めてあげている。そして、何かことがあれば手助けしてあげるというような意味です。

そして、世間で起きていることにも、それなりに関心と、一人間としての責任を感じ、そして、自分の位置や役目からして、出来ることがあれば世間に対してや他の人に対しても、行動できる。それがオープンだということです。人間に対してばかりでなく、生きとし生ける全ての万物に対しても、命を尊び、親しみを覚える。

そのように外に向けて自分が開かれている、他の人を信頼している、立てている、好感を寄せている、心で受け入れている、人を嫌わない、拒絶しない。そして、正直である。自分に正直だし人にも正直である。しかも固くない、柔軟である、囚われが少ない。その様になりますと、チャクラも自ずと開くわけです。

世間ではチャクラを開くような技術とか、テクニック、方法等が一杯出回っています。それなりに役目や効果はあるのでしょう。でも一番肝心要のことを忘れています。チャクラを開いたり、覚醒させるのは本来技ではないのです。チャクラというのは要するに心なのですから。自分の心を開いて、他に対する受け入れ態勢ができて、他を認め、価値を置き、そして、エネルギーが外と巡るようにしている様な暮らしをすれば、自ずとチャクラは開くわけです。テクニックで無理に開けられるような機械的、自動的に動くものではありません。人間はロボットではないのですから。

そして、チャクラが7つあるのは、1つの心の7つの側面、或いは、7つのレベルということで、例えば、ムラダーラでしたら、自分の根本や基礎に関わることですから、自分のその側面の心が外にオープンになれば、ムラダーラが開くわけです。

また、スワディスターナでしたら性欲とか、自分の身体を作るエネルギーの基ですから。そして本能的、無意識的なチャクラですから、そういった心の側面がより良い形でオープンになることです。そして、他とカルマを作らず、いい方向での交流が、心のその面で為されればスワディスターナのカルマが浄化され、いい感じで開いてくるし、その方面の能力が高まってくると、スワディスターナが覚醒するわけです。「ああ、そういうことなんだな」と思ってください。

マニピューラでしたら、愛情とか食欲のチャクラです。従って、食欲とか愛情面が、或いは、芸術活動等、文学も含みますが、そういった叙情的な面や、食欲に関して、まずく出ずに、良い形で出る。より良い関心を寄せ、そしてより良い働きとしてそれを心のその側面を動かせば、マニピューラが開くし、働き出すわけです。例えば、愛情を養うとか、名作に触れるとか、自然の命を体感するとか。俳句とか詩等に親しむ。美しいメロディに親しむ等です。特にビジュアルな面等はマニピューラです。また、霊能力もマニピューラです。そのように開発してください。

あなたの場合は、感情をやや理性によって抑止し、感情を低く見なす傾向があるようですから、出来るだけ育み大切にし、受け入れてあげましょう。裁いたり、判断したり、冷たく拒絶したり、決め付けたりすると、マニピューラが萎えてしまいます。例えば、食事も囚われない程度で楽しむ。そして、愛情面にも価値を認め、より良い形で叶えてあげる等によります。愛情と言っても異性愛に限定されません。生きとし生ける物、全てとの愛情の関係です。

あなたの場合は下の方の3つ位のチャクラが押さえられ気味です。より良い形で、表れ出るならば、それは良いことなのですから、それを知って、その方向で調整しながら、上手く運用したいものです。マニピューラが開くことで愛情面で細やかになり、心が豊かになります。そして、霊障等も解けていきます。あなたは余り、霊障というのは受けていません。あなたは割と固い所もあるので取り付く島がないのです。

アナハタチャクラですと、社会的活動とか、使命とか、愛の行動、ご奉仕、人助け、仕事での活躍等がアナハタに関わります。それ故、出来るだけ、それを霊的に行なう。そして、本当の愛によって行動する。思いやりを示し、能動的である。そうすると、レベルがマニピューラからアナハタに上がっていきます。実際の働きと行動をです。愛を行動に移すことです。

この場合も人類愛まで高まりますので、普通の恋愛を超えています。けれど、恋愛というのも、一概に否定できず、軽蔑できません。やはり、愛ということでは共通していることは確かです。ただ、一般の人達の愛と言っているのはやはり、低い場合が多く、低いのを経ながら高い所に向かって行くというのが大事です。

あなたの場合は、低い愛を必ずしも否定したり軽蔑したり、拒絶することなく、しかし、そこで甘んぜず、段々にその人のペースと器で上昇させていくことが必要です。他の人の成長を助けたり、関わってあげますと、自分の方も上がっていけます。勇気と思いやりのチャクラがアナハタです。そして、念ずる、念力の力、心願成就のチャクラでもあります。そして、アナハタは腕と繋がっていますので、手の働きもアナハタを発達させます。手で物を創造したり等です。

1つのチャクラを使い過ぎないようにしましょう。例えば、治療師さんや社長さんはアナハタタイプが多いですが、遣り過ぎますと大抵心臓にきます。アジナーを使い過ぎますと、頭痛が起きたりします。或いは、脳溢血になったりします。平らに使いましょう。元々1つの心の7つの側面ですから、偏らないようにです。1つを伸ばすのには限界があります。他のチャクラが足を引っ張るからです。それより、全体として伸ばす方が、結局は大きく伸びます。元々相互関連にありますから。

あなたの場合、ビシュダーが押さえられ気味であったり、敏感であったり、時に亢進状態になったり、不安定です。喉のチャクラです。それは、意思力に関わるからです。あなたは空虚であったり、退廃的になったり、自分を締め過ぎたりしたことがあるので、そのようになってしまうのです。そうすると、喉とか呼吸器系に亢進状態がきたり、或いは、虚弱になったりしがちです。出来るだけ希望を大切に肯定的な世界観、人生観を持ちましょう。

今世ではあなたは、良い方向付けを取ってきていますので、これからも益々前向き、肯定的で、感謝と喜び、充実感というのをモットーに生きればビシュダーを浄化し、より良い形で表れます。例えば、空を悟るとか、真の自由が得られるとかです。そして、他の人を真の意味において自由へと導けます。解放者になれます。

アジナーチャクラはあなたの本領です。アジナーを開発する為には、表面で人や出来事を判断しないで、奥を洞察すること。その為に、奥で知恵が働くように思いやりを持って、落ち着いて、じーっと相手の人とか、出来事とか状況を眺めることです。そうすると、その背景が感じられるようになります。背景とか由来、奥の原因とか、心の願い等が。それを思いやってくみ取り、そして奥を理解し、察してあげる。

そのように心掛けて、物事に接すると、出来事言語が読めるようになりますし、その人の奥、例えば霊のレベルに達するし、指導霊がわかるようになったり、その人の魂の由来が突き止められるようになり、総合的で奥深く理解出来るようになります。表面で判断しないようにするわけです。表面でと言うのは唯物的で、というような意味で、その人の容姿、容貌とか、性別とか、肩書きとか、世の中の資格とか、地位とか、名誉とか、財産とか、家系とか、人種とか、国籍とか、宗教とか、これまで行ってきたこととか、世の中の評判とか。

そういった表面で、世の中と同調して或いは、鵜呑みにして、この人はこうだ、この出来事はこうだ、と言うふうに常識とか外見とか、世論、感覚、感情等で安易に判断したり、決め付けたり、裁くのがアジナーを妨げるわけです。そうすると、その人やそのこと本来の持っている良さを損ねます。そして、貶めます。それがアジナーのカルマです。あなたもかつてはそれに近いことをしてしまっています。

しかし、アジナーの可能性があり、あなたは発明とか発見、創意工夫、探究等で優れた才能を備えています。あなたはアイディアの面で優れています。先見力があります。予見力です。また、言葉に精通する能力もあり、言葉や音声、音楽等は、その下のビシュダーとも深い関連があります。例えば、声そのものと一つになると言霊に達し、ビシュダーが開発されるわけです。更に、それが知恵に向かうとアジナーが開発されるわけです。

全ての物事に、そのように取り組みますと、それぞれのチャクラを普通のことをしながらでも、開発出来ます。例えば、誰かと会話をしながら声そのものに入っていきますと、ビシュダーが開発されて、相手の人の声を通して、その人の命に徹し、その人を支えられるようになります。波動というのも声に近いので、ビシュダーと関連しています。例えば、経典、般若心経なら般若心経をお唱えしながら、声そのものに成りきりますと、ビシュダーが開発され、音の世界に入っていけます。ピタゴラスの述べた天界の音楽に入っていけます。相手の人のメッセージや声が、内なる声が聞こえてくるようになります。

サハスラーラは神に思いを巡らし、神第一に生きて神に献身し、ONEを学び、会得すること。ONEに生きること。全てを総合的に捉えること。自分の意見や好みに固執しないで、相手の意見や考え方や経歴も認め、相手の角度から同じ事を眺め直す等によって、自分から自由になり始めます。そして、神聖さが出てきて、敬虔深さが偽善ではなく、より良い形で自然に出てくると、サハスラーラが開きます。自分から出て、天に帰っていけるようになれます。

【質問2】私はオリジナルエンティティーの中に納められると言う事ですが、私の霊統・ルーツ・原点をお教えください。

【ソース】アトランティスのホワイトブラザーフッドです。そして、後には、特にキリスト時代にエッセネ派と関連しました。研究者のタイプです。また、解放者としての役目があるし、先駆者としても働けます。扉を開く人です。機会を提供し、教育の方面、啓蒙の方面で役に立てます。自由を齎(もたら)す使命があります。啓蒙の方面で理解を齎し、人々の意識のレベルを上げます。教育の水準を上げます。もちろん、ここで言う教育とは学校教育とか、塾と言うよりも、もっと本来の人間の魂の育成、生命を進化させる事柄です。

また、献身的で、奉仕的な人でもあるので、補佐役、秘書的な役目も果たせる人です。それから発明とか発見の才能があるし、先を見越して今を備えさせることが出来ます。また、改革したり、変革するエネルギーがあるので、改革者としてもやってきています。前世から非常にユーモラスで大らかな面がありましたが、それが後ろ向きに表れていた時は皮肉屋になったり、批評家になったり、傍観者的になってしまった時があります。出来るだけ、世の中に参加し、そして責任を引き受け、肯定的で希望に満ち溢れた活力のある世界観、人生観を持ちましょう。

また、実験が好きな人です。科学の精神、合理精神があります。アトランティスから発していますが、一方エジプト、モンゴルの辺りの影響も強いです。中国でも治療を学んだり、整体や体操、或いは運動、健康について学びました。学術的な探究の面も強い人です。闘士、運動家として、社会の活動もしていました。けれど余り、政治とか経済に関わったことは少ないです。やはり、科学とか治療とか精神面、また、言語学。それと美術やビジュアルな方面、或いは音楽等で献身してきた人です。エジプトからの影響もきていますが、本来はやはり、イスラエルと言うか主の系統があなたの中での本流です。

【質問3】私にとってどのポジション、位置が一番合っていて自分を活かす事が出来るのでしょうか。お教えください。

【ソース】啓蒙者です。秘書役です。他の人の間違いを正し、改善させてあげられます。理解を齎せます。処理能力で優れています。言葉の能力があります。言葉の力と適切さです。解釈能力があります。広い意味での翻訳能力があります。

また、アイディアの人で、創意工夫が見られ、考案したり、発明したり、発見したりすることが出来ます。開拓者精神があり、囚われない精神です。自由な精神です。新しいことが好きです。新しい精神の風を吹かせる為に、生まれてきている人です。

教育者、科学者です。啓蒙家です。変革者です。他の人達を備えさせる人です。間違いに気付かせ、正させてあげる人です。それをどの程度適切に出来るかどうかによって、カルマを作って退歩するか、他の人を助け、導いて進歩するか。自分の特性とどのように付き合って生かせるかどうかです。また、動機がどのようなものかにもよります。

解明する能力があります。あなたは叡智を重んじます。それと共に愛を尊び、大切にするとバランスが取れます。あなたは本来自由な方です。土地や人間関係、ルーツからも、一匹狼的な所があります。しかし、ある程度他の人と協力し合い、安定するということでバランスが取れます。教えたり、気付かせてあげられます。出来ないことを教えたり、代わって出来るようにしてあげられます。相手の人が出来るようにまで導けます。

ネガティブな面は、退廃的な所や割り切り過ぎる所、判断を早まり過ぎる所です。よく落ち着いたり、保留にしたり、心を広くしたり、受け入れるようにしたり、許すようにすることを、他の人に対しても自分自身に対しても、状況や結果に対しても、することで、自分の傾向を克服し、より良い形で自分を活かしていけるように進化していけます。

【質問4】私の本質の名前とその意味をお教えください。

【ソース】先ず今世のお名前として、忠寛というのは忠実であるということと、寛容、寛大であるということで、あなたが目指そうとしているものです。忠実な人です。それがより良い形で出るように、そのお名前を戴きました。また、それが忠(ただ)というふうに正しいとなっているのは、確かに正義を重んじる人ですし、不正を暴いてきた人でもあります。正義感の強いのがお名前に表れています。

寛というのはむしろ、目標であり、あなたに足りなかった部分です。もっとも、かなり寛容な人でもあったのですが。でも、非常に厳密で厳格だったのがありますから、より良い形で寛容さを心底養い、広い人間になりたいという願いが、今世のお名前に表れています。

では本来の名前はと見てみますと、先ず、シニアというのが表れています。それは教育の1つのレベルを表しています。英語ですが。あなたが教育のレベルに関わっていることを表しています。広くは生命の進化のレベルです。アトー。それがあなたのお名前です。前世のある時の名前というより、あなたの特性に応ずる霊的な名前です。

大体、「あ」が付くのは始まりに関わります。日本語の50音の最初は「あ」です。英語でもアルファベットの最初はAです。それはアトランティスの系統を表します。ホワイトブラザーフッド、主の系統を。「と」はある意味で最後の音です。それ故、「アトー」は始まりであり、終わりである。無限と永遠、最初と締めくくり。聖書で言えば、創世記と黙示録を表します。非常に包括的でピュアな白い感じの名前です。ちなみにオットセイというのは「オトー」であり、比較的近い響きです。アトランティス系の海、海洋を表しています。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2014年8月6日

「のりこえていく自分」というメッセージ込められた意味は?

2012.4.28 パーソナル・リーディング No.12811

【質問1】私は2011年11月13日、浜松講演会にて、『前世想起』の本を購入させて頂きました。そこに書かれていたメッセージは、「のりこえていく自分」でした。私は、この意味を知り、神様の御心の通りに歩ませて頂きたいと思っております。その為にどうか意味をお教えください。

【ソース】一般的には、表現として、「○○をのりこえていく私」といったように表されるものです。「ある事をのりこえていく私」というように、一般には言われるものですが、ここでは、その何かを乗り越えるということが、特に書かれておらず、「のりこえていく自分」となっています。しかも、「のりこえていく私」という代わりに「のりこえていく自分」というように、記されていました。特定の何かだけを、乗り越えていくというよりも、全てにおいて、乗り越えようとしています。

また、最も大きく、重要な事を乗り越えようとしています。特定の何かだけを乗り越えようとしているというより、全てを乗り越えようとしています。もっと言えば、「自分」を乗り越えようとしています。外の何か、具体的な事柄とか、人とかを乗り越えようとしているよりも、自分自身の中にある課題や壁を、乗り越えようとしています。

乗り越えようとする、「のりこえる私」というよりも、「のりこえる自分」と言った方が、身に迫ります。あなたらしいです。「私」と言うと誰でも自分の事を「私」と言いますから、一般化されて薄められています。一方、「のりこえる自分」と言うと、「自分」を実感し、直接的で、体験が重んぜられています。「のりこえていく自分」というように、直接的で、身に迫る表現です。それは、あなたらしい、あなたらしさを表しています。

今、「のりこえていく自分」というように、自分が体験しながら、しかも、自分自身を乗り越えようとしているのです。これまでの自分は、乗り越えられなければならない。それは、自分が大きく成長を遂げ、これまで自分が受け入れられなかった人や、事を受け入れられるようになることを意味しています。

乗り越える為には、どうすれば良いかというと、これまでよりも、高くなるか大きくなるかです。人が何かを乗り越えられない時、自分が低いか小さいかです。自分が成長して、もっとレベルが上がれば、越えられます。しかし、それ以上に大事なことは、自分、小さかった自分が大きくなれば、寛大になって、受容力が高まり、これまで受け入れて対応するということが、困難だった事柄や人に対して、感じ取り理解し、受け入れ、応じていけるようになります。

あなたは、とても積極的で純粋一途です。健気な程、純粋で真面目でひた向きです。それは、あなたの最大特質で、得難い、言葉に尽くせない程、素晴らしい部分です。ただ、世の中では、現実として、社会も人も純粋とはいえません。そういう中で、純粋に自分の思いを感動のままに、貫くというように取り組むと、その分、困難に遭遇したり、矛盾を感じたり、苦しみます。イエス様がその典型でした。

あなたは、ARIの中で、新しく感動して純粋な分、周りと噛み合わず、苦しみました。どうして、ONEの教えが素晴らしく、清らかなのに、ONEを学ぶ為に集まっている人たちは、「ONEの教え」そのものになっていないのだろうと感ずることでしょう。確かに前から学んできている人たちに課題があります。それでも尚、ご縁があり、集まってきている人たちは、まだ不完全ではあっても、ともかくも、ONEに共鳴し、ONEになりたくて、集まっている点では、共通しています。

ある事に感動し、それに取り組んだからすぐ、その事が実現することは、実際問題、難しいです。これはどんな学びに関してもあてはまることです。ある事に共鳴して、そうなろうと思った次の瞬間、そうなれるわけではありません。ましてONEは、究極目標、最高の理想ですから、「ONEは本当で素晴らしい。ONEになろう。また社会もONEになるように、伝えて行こう」。そう思った次の瞬間に全て実現するということは、理想が高いほど、難しいです。

また、一人ひとりが未熟な程、その分、難しくなります。でも諦めないことです。本当の目標で素晴らしければ、時間はかかりますが、諦めず取り組むやりがいがあります。その中で少しずつ、自分たちも社会や周りも、ONEに近づいていく。そのプロセスが、必要です。人それぞれの、得意な事と、苦手な事があります。

例えば、○○さんの良い面と、弱点や苦手なところがあります。あなたの得意な事と苦手な事があります。それは、その人その人のこれまでの前世からの歩みによって、決まっていることです。それをよく分かって、受け止めてあげながら、少しずつでも、自分も人も、ONEになっていけるように、育て合い、助け合って取り組むことです。

あなたが他の方々にONEを勧める場合も、それぞれの人が、これまで何千年も何万年も、生まれ変わってきて、今のような在り方になっていますから、それを察して、受け止めて、今のその人が成り立ち、更に成長してONEになっていけるように、よく見てあげたり、関わってあげましょう。

そのように育て合う、見守る、必ず良くなっていくと信じて、愛と知恵をもって、見てあげるようにする。そのような取り組みに意義があります。そのように取り組む事に価値があります。プロセスを経て、だんだん一人ひとりが、本当にONEになっていき、そのうち社会や世界もONEになっていきます。育て合うということ、また自分で自分を見てあげて、自分を育ててあげる。その中には、「自分を癒してあげる」という事も含まれます。関わる人の事もよく分かって受け止め、癒されるように、またその人自身の弱点が克服されるように、見てあげたり、関わってあげるということがONEの取り組みの中には含まれます。

あなたはとても純粋な分、現状を見て、戸惑いを覚えたのでしょう。それは、あなたが純粋であればある程、そのような矛盾や苦しみを、現状に接した時、味わうのです。ヨハネも、そして、先輩のイエス様もそうでした。神様ご自身が最も純粋で完全な分、矛盾と不完全な人間の現状に苦しみ、悲しんでおられるのです。それが愛の現れです。でも、そういったところをくぐり抜けて行くことで、少しずつは、人も世の中も清められ、良くなっていく。その事がヨハネの黙示録に書かれています。

という事は、ヨハネの福音書や手紙や黙示録を学ぶ講座を行う、実は、その学びが既に始まっているということなのです。「ヨハネの書物に素晴らしい事が書かれていて、神様は凄いお方なのに、どうして、その事を学ぶ人たちの集まりがこんななのだろう」。そのように普通は思えてしまいます。

でももう少し、踏み込んで改めて見て行くと、むしろ素晴らしくて本物のヨハネの書物を学ぶ為に集まってきたからこそ、そういう苦しみとか矛盾が、既に始まっているんだと分かってきます。そういうものに苦しみ、それをどう捉え、どう対応して乗り越えていくかという事が、ヨハネの書物に書かれている内容なのです。

それが分かれば、安心し、気持ちが吹っ切れて、楽になります。現実の不完全な動きが、学びと矛盾しているのではなく、むしろ人間の弱さや、愚かさや哀れさが神様に知られ、そうであるからこそ、神様がイエス様やヨハネに書物を書かせて、残してくださったんだと分かります。そう思えると、晴れ晴れとして嬉しくなり、確信が生じ、迷いが消えてきて、喜びと自信をもって、仲間たちと創っていけるようになります。

あなたは、積極的で行動的です。それはあなたの素晴らしいところなので、抑えないでください。ただ、あなたは、積極的なので、受容して柔軟に現実に応ずるという事が、やや苦手なようです。それで苦しみます。実際の現実というものをよく見て、何故そう成らざるをえないのか。人間にしても周りの動きにしても、何故そのようになっているのか。その背景や理由を推し測ってみれば、なるほどと思えて、現状を受け入れられ、そしてそれが、解消したり解決するように、愛と知恵をもって、関わっていけます。

そうすると、あなたは、周りの人の助けになり、本当に神の御業を遂行しているONEの人となるのです。周りの動きをどう捉え、どう対応していくかで、相手の為になれるかなれないかが、決まってきます。あなたは、一生懸命、純粋に取り組んでいるのですから、それは自分の中で確信し、大切にしてください。

あなたは理想に身を置いています。一方の現実というものにも、そうなっている理由や事情を分かって、受け入れて理想に当てはめて、理想に近づくように、対応していく面が加わってくることで、本当に神の働きをする人になってくることでしょう。

皆、純粋なのだけれども、哀れな面がある人たちが集まってきているのです。人間とはそのような存在なのです。神さまも主もそれをご存じの上で育て導いてくださっています。個性が強く、一生懸命な人たちが集まってきています。皆、それぞれ大変なところでやってきて、何かを乗り越えたくて、ARIに来ているのだなと分かれば、微笑ましく思えることでしょう。あなた自身もそのようにして、引き寄せられてきました。

そのようにして、自分を乗り越えていけることでしょう。神様が乗り越えさせようと、既に働きかけてくださっているお陰で、自分も出来る事をしていけば、乗り越えられます。このように思えてくると益々安心して、素直な心で、神様にお祈りを捧げるようになり、現実も分かって受け止めて、応じていけて、周りと一つになって、取り組めることでしょう。

皆、自我があって、思惑が多少異なっていても、大筋では、共通のものを目指しているので、それぞれが分かり合いながら、一つに溶け合って、創っていけるようにすれば良いのです。

【質問2】『前世Ⅲ』の本を購入し、メッセージを頂く事になりましたが、まだその本は、私の手元に届いていない為、どんなメッセージが頂けるのか分かりません。きっと今の私にピッタリなものだと思います。そのメッセージの意味と、今回、リーディングを受けるに当たり、質問が変更になった意味とも繋がっているように思います。その事をお教えください。『前世Ⅲ』のメッセージ「神につながる命」。

【ソース】この2、3ヶ月から4ヶ月くらいの間で、自分の中で、心の中でも、周囲の物理的な動きでも、いろいろ目まぐるしく変わりました。それに伴い、リーディングの質問内容が置き変わったり、あらかじめお知らせする情報が、新たに追加されたりしました。それはあなたが、この2、3ヶ月で、火の試練をくぐり抜け、神様から試みられ、浄化され、カルマが急速に解けて、自分が育成されてきた事の現れです。

浄化が加速されたり、カルマが急速に解けていったり、自分が鍛えられたりする時は、心も周りの動きも、目まぐるしく変化していくのが特徴です。安定という事は、良いのですが、ある意味で、成長がストップした証拠です。成長している時は、変化が特徴です。不安定で、自分は大変ですし、周りも心配ですが、変化するという事は、カルマが急速に解けて、成長しつつあるという証拠なのです。

本当に凄いものや純粋なものや、ご縁のあるものに、出会うとそういう事が起きるのが特徴です。あなたが本物に出会い、そして、あなた自身も一生懸命な分、急速にカルマが現れ出て、自分も動揺し、しかし、それでカルマが解消して、浄化され、成長を遂げてきているのです。そういう時こそ、気をしっかり保って、神様に繋がらせて頂きながら、教えやリーディングや一言メッセージを指針にして、勘を働かせ、誠実に周りに対応する事が必要です。

そうすれば、危ない事はなく、道からもそれず、本当に必要なものは、壊れず、危なくても、ちゃんと次の段階に至れます。あなたもそのようにして、ほぼ乗り越えました。それでお誕生日の頃に、こうしてリーディングを受けられるようになれたのです。

今日の日のリーディングの前の2、3ヶ月は、あなたにとって、とても重要でした。以前のあなたなら、うまく対処できず、状況や人を受け入れられず、それで終わっていたのです。その意味であなたは、かなり自分を乗り越えられたのです。この数ヶ月で。

神様に命が繋がれば、ちょうど暴風雨のような嵐が、自分の心の中や、自分の周りに吹き荒れても、大丈夫なのです。そして、そのような暴風雨で、洗い清められ、鍛えられ育成されます。そのようにして、態勢ができて、ヨハネの講座を無事、迎えられるのです。ヨハネの講座を行うにあたり、神様に鍛えられ、試され、備えさせられたのです。

あなたは大分、自分を乗り越える事ができたのです。自分の命が神様に繋がってさえいれば、ちょうど、強風が吹いても、子供が凧を揚げて、糸がしっかり凧に繋がっていて、その糸を自分が手に握っていれば、凧はどこかに飛ばされてしまう事なく、大空を飛び続けられるようなものです。   

これからもしっかり、神様に自分の命を繋げておきましょう。大事なことは、自分がそうしようとする以前に、神様が一人ひとりに繋がらせてあげようとしてくださっている事実です。それが分かると安心し、感謝できます。その上で、自分としても神様から離れないように、しっかり命が繋がるようにしておくことです。

【質問3】私は、今年の新年会で、「家族力」というお言葉を頂きました。この言葉に込めた神様の御心を知りたく思っております。そして私が、家族の為に、これまでの事を詫びて、感謝ができるようになりたいです。その為に、どうか意味をお教えください。

【ソース】人は誰でも、自分で将来の為に、準備してきているのです。同時に神様がまず、一人ひとりを次の為に、育て導き、準備してくださってもいます。現状というのは、偶然ではなく、自分が、創り出してきたものであると同時に、神様に頂いた、最善のものでもあります。

あなたは使命がやりたくて、それを望んで、努力してきました。その為、神様も計らってくださり、家庭の状況としても、あなたが使命を遂行できるような、家庭状況にしてくださったのです。あなた自身も努力してきましたが、神様もあなたの純粋な思いを汲んでくださって、使命を遂行できるように、その為の家庭環境を授けてくださりました。

自分としても、使命を遂行する傍ら、家族に対して、母として、また妻として、感謝をしたり、ケアをしてあげれば、これからも使命を遂行していけることでしょう。

外で使命を遂行すると、家族のありがたみも、更に分かります。その意味で、外で使命を遂行したり、学ぶ事は、家庭を損なう事にはなりません。また家庭を大事にしていれば、外で他の人の事も分かって、助けてあげられるようにもなります。家庭をきちんとしていれば、家族が協力してくれるし、家族を通して、人というものが分かるので、家の外でも、人を見てあげられる力がつくからです。

人には誰でも、得意な事と苦手な事があることが先ほど、言われました。何かに秀でた人は、別の何かが足りなかったり、欠如していたりという事は、多いものです。例えば○○さんは、個性的で、周りの人に対して、労を労ったり、配慮する事が不足している面があることでしょう。それは○○さんの課題です。それは彼女の個性にも由来しており、それが苦手で足りない分、別のところで、秀でていて、それでお役を果たせます。

あなたの場合でしたら純粋で積極的で、行動力があり、人の感化力もあるし、お世話をする事も上手です。でも、いろいろ問題のある現実に対して、それを理解して、受け入れて、柔軟に応ずるという事で苦しみやすいです。それでも、いろいろ経ながら、鍛えられ練り上げられ、ONEを伝えていく器が、あなたの中に備わってきています。

人は誰でも家庭を背景にもっています。人を見る時に、家庭を背後に見ましょう。そうすれば人の事が更に良く感じられ、分かります。あなたは今世で、大きく成長を遂げることでしょう。それはあなたの必死の思いが、ここに来て、現れ出て、天に届きつつあるからです。

【質問4】私は、これからも神様、イエス様、信先生(ヨハネ・ペヌエル様)に全託しながら、生き続けていきます。世界中の人たちの為に、苦しい思いをしてきて下さいました事にお詫びし、感謝をさせて頂きたく思っております。そして、これからは、神様、イエス様、信先生が、喜びで満ちるように恩返しをさせて頂きたいです。その為の御祈願を明日より、私の今世の終わりまで、欠かさずに祈らせて頂きます。お祈りの仕方をお教えください。

【ソース】例えば次のように、お祈りをさせて頂きましょう。「神様、いつもありがとうございます。神様とイエス様、そしてヨハネ様が、これまで通られた愛と命の道に心より感謝をお捧げ致します」

そして、賛美をお捧げします。「これまでの私の至らなさをどうかお許しください。どうぞお清めください。癒してください。私も神様やイエス様、ヨハネ様のように、愛の道を歩んでいきたいです。今世、私が生まれてきた目的が、神様の御心に沿って、滞りなく遂げられますように。日々、奉仕の機会、カルマを果たす機会、学びの機会、恵みの機会をどうぞお与えください」

「前世からのカルマを果たし、カルマを超えて霊的成長を遂げ、囚われから脱して、心が愛の広がりをもつ事が出来ますように。ご助力、ご支援下さい。常に神と共に、主と共にありますように。今後とも何卒よろしくお守りお導き下さい」

以上が一つのモデルです。これを基本にその時の自分の心境や気持ちを付け加えたり、自分の表現に一部、変えたりして、自分にしっくり来る正直な気持ちを素直に心から吐露し、お伝えしましょう。

千日御祈願の定まった形式はありません。そもそもARIの特徴は、形式主義ではなく、心や形なきものを大切にします。形式も無視しませんが、世間の多くが形式に落ちてしまい、形で縛られて肝心の精神や命が、窮屈になったり、損なわれる事が起きているので、ARIでは、気持ちとか心を大切にしています。その時の自分に合う、しかし我流ではない、本当にしっくり来るものが、良いとみるのです。

それゆえ、千日御祈願にしても、百日御祈願にしても、自分がどのようにすると良いのかな、とみていって、その時の自分にピッタリのものにするのが、最も正直で、誠実さを表し、効果もあるのです。型にはめて、それが合わないと、辛くなってくるし、長続きしません。真心と正直さが大事です。そういう事で、千日御祈願をしよう、したい、そのように思うならば、やはり、した方が良いのです。

神様は周りの動きと一人ひとりの気持ちに、反映します。自分がこうしたい、こうした方が良いように思う。そのように思う時は、ただ自分が勝手にそのように思っているのではなく、神様が働きかけてくださって、そのように思えるのです。それゆえ、自分の中のインスピレーションや、本当の願いを叶えてあげる事が、神様に対する誠意となり、結局は生まれてきた目的を神様の御心に沿って、遂げていく事になり、周りの為にもなる、救われていく道です。

あなたは、これまで、自分を抑えてきた事に気付いています。確かにあなたは、これから自分が本当に願う事を、行うと良いのです。「自分は何を本当は、したいのだろうか。何をすると神様が最も喜んでくださるのだろうか。どうすると自分が最も活かされ、周りの為になれるのだろうか」。そのように自分に問い、本当の自分の願いを行動に移す時です。それが自分が救われていき、周りの為になる悔いのない生き方となります。

あなたは、実行力と実現力に秀でています。神様もあなたを頼りにして、頼もしく、微笑ましく思われています。自分らしく朗らかに、自分がしたい事、そして、すると良いと思える事を、肉体があるうち、充分に行いましょう。また他の人もそれぞれの人が、行うと良い事を行えるように、見てあげたり、助けてあげましょう。

リーディングを終了します。           
(ありがとうございました)
<了>

2014年7月10日

「心を育てる」という一言メッセージを2回続けていただいた意味は?

2010.4.30 パーソナル・リーディング No.11717  

【質問1】「心を育てる」という一言メッセージを2回続けていただきました。何故、このメッセージを頂いたのか。意味と、これからどのような事を心がけていけばいいのか。お教えください。

【ソース】あなたは心の人です。心に課題もあるし、同時に心に可能性を秘めている人でもあります。何かと心に関することが起きやすい人なのです。そうであるならば、その心に焦点を当てて、心を育て自分を成長させることに取り組みましょう、ということです。

心を育てるとは、身体を育てることと対比されて表現されているものです。一般には育てるという場合、身体を育てることを意味しています。子どもが成長し発達するという場合、主に体が大きく立派になっていくことを現しています。身長や体重が毎年増えていくことなどは、その典型です。久し振りに会うと「大きくなったね」などと言います。

然し、人間には体の他に心もあります。体が発達して立派になっていくことは結構なことですが、人間には心もあるのですから、心も体と同様に育成し、発達するように留意することが大事です。

自分で自分に対する時も他の人に対する時も、心を育てるように努めましょう。自分で自分の心を育てる、他の人の心も育つように見てあげる。体のように目に見えてわかったり、計ったりすることは出来ません。身長や体重が数で示されて、体が着実に大きく発達しつつあるようなことには、心は形になっていないので計れません。しかし、確かに心があり、心が発達したり成長したり育つということはあるのです。

人間の場合、体以上に心の方が重要です。身体も大事ですが、心はもっと人間の本質に根ざしています。人間という生命体の本質は霊です。スピリットです。魂と呼んでもよいです。そして、その人間の本質である霊や魂が実際に実感されたり、働きとして表れ出るのが心です。霊そのものを感ずることは普通の人では難しいですが、具体的に心の働きや心の実感として本質の霊を捉えられます。

ですから、自分や人のいわば本体に当たる霊や魂の現れの心を育てたり守ったり清めたり、調整したりすることがどんなに大事か、これによって明らかでしょう。

あなたの場合、質問2から質問4にかけてのことから明らかなとおり、心を育てるということに留意することが人一倍必要な人なのです。誰でも心を育てたり、清めたり心を発達させたり、さらに心を活用し、周りのためになっていくことが大事ですが、とりわけあなたは心の人なので、心に注目し、努めて心を守ったり育てたり清めたり活用すると、神様のお心に沿った充実した人生を送れますよといった意味です。

それによってカルマや課題もクリアされ、今まで起きてきたことの意味や必要性や学びにも気づくことでしょう。そのため、二度も同じ一言メッセージを頂くようになったのです。同じ人が続けて全く同じメッセージを頂くことは全くないことはありませんが、稀です。メッセージを書く側のヨハネは、一々前のことは覚えておらず意識していません。にもかかわらず、また同じお言葉になったということは余程のことです。あなたを知って意識して、また同じメッセージを書いたということではなかったのです。それだけに信憑性は高く、余程あなたが心を育てることに留意するとよいということなのです。

あなたは目に見えない世界に敏感です。その意味では目に見えないものを感ずる感性を備えています。そうであるからこそ、ヨガを学んで教えているし、また、ARIの仲間達に会ったり、講話会に参加したり、復活祭に参加したりすると感ずるものがあるのです。あなたは心の人で、心にたくさんの可能性を秘めている人だからです。目に見えない世界に目を向け感じ取って、大切に育てていきましょう。

自分の心に対応するものは背後の世界、あるいは霊的な世界です。その背後の世界の一番元に神様がおられます。ちょうど、外の世界の中心には神様がおられ、そして、霊的な世界があって、それから、目に見える物理的な世界がある、それに対応するかのように自分という人間の中にも神様に対応する霊や魂があり、霊的世界や背後の世界に対応する心があり、物理的な世界に対応するように肉体があるのです。

また、意識で当てはめれば神様や霊に対応するのが超意識、背後の世界や心に対応するのが潜在意識、物理的な領域や自分の肉体に対応するのが顕在意識です。このようなことを学び、それによってあなたは心が育まれ、安定し、安らぎが得られます。そして、ヨガを教えたり、多くの人に安らぎや理解や確信をもたらしてあげられることでしょう。

これまであなたの身に起きてきたことは試練でした。お母さんとの事やご主人との事など、先ず試練がありました。しかし、厳密に見ると試練の前に恵みがありました。弟が生まれるまではお母さんは優しかったからです。そして、その後、弟が生まれたことで試練がやってきて、それから何とか抜け出そうと思ってご主人と結婚しました。しかし、母親とのつらい状況から早く逃れたくて結婚したので、ご主人との間にも課題や心に吹っ切れないものを残しています。

しかし、そういうものの意味を深め解消していけば、再び本来の恵みに満ちた状態が訪れます。それは現実を解決して訪れるということもありますが、そればかりでなく、状況がどうであろうとそれに振り回されない確固とした心を創り上げることによって実現することです。それはヨガでも教えていることです。あなたがそうなると、多くの人たちのお手本となれてあなたは人々との関わりで素晴らしい賜物を分かち与えていけるようになることでしょう。

ちょうどあなたが○○さんや△△さんにお会いして、その雰囲気や佇(たたず)まいから感ずるものがあったように、今度はあなたがあなたの持ち味が活かされるような、あなた固有のあり様ができてくれば、あなたに合った人たちや、あなたと関わっていく人達があなたに感ずるものがあって、あなたを通して多くの人たちが導き育てられたり、心が楽になったり、確信を持って生きられるようになっていくのです。

【質問2】私は幼い頃から母との仲がうまくいかず、虐待に近い肉体的痛みと心の痛みを感じながら育ちました。心の暴力は、私が大人になり子どもを授かっても続きました。何故このような事が起きたのか、ご解説下さい。そしてこれからはどのようにすればいいのかお教えください。(現在は年に1度家族で帰省します。前のような事はないのですが、実家の居心地はとても悪いです。)母・・・S12.7.*生 ○○○○○

【ソース】その事柄をあなた自身の側からも、お母さんや家庭の側からも説明することができます。あなたの側から説明するならば、お母さんから見て、あなたが自立した魂で独自の精神をもっているため、娘でありながらも扱いづらく、あなた自身毅然とした部分が感じられるのかもしれません。それに対して弟の方は、あなたより年下で後から生まれてきたので、庇(かば)ったり、守ってあげないと、という意識がお母さんに働くのでしょう。

あなたは純粋一途で、幼い頃から毅然としてしっかりしたところがあったのでしょう。それは、前世からあなたが精神的なことをいろいろ学んで自分の中に創り上げてきたので、赤ちゃんとして生まれてきても、そのようなものを抱いているため、母親としては、それに対して脅威を感じ対抗意識が働いて、あなたを虐待した面があったのです。

また、前世において、あなたは日本の鎌倉時代に生きていたりインドに生きていたり、また、中国に生きていた時もありますが、あなたは自分を大切にする状況にはなく、投げやりだったのではなかったのですが、大変な状況の中、無我夢中であなたは生きていました。そのような波動を今世生まれてきても帯びていたので、自ずと自分を大切にしにくいような環境になったのです。

前世と言えば、誰にとっても昔のことです。日本であれ、日本以外の国であれ、前世に生きていたということは昔の時代に生きていたことを意味します。今と異なり昔は、どこにおいても一人ひとりの人権が認められるとか、大切に育てられるということが少ない時代状況の中で育てられました。あなたも例にもれず、前世においてあまり大切にされず、厳しく躾(しつけ)けられたり、ひどい仕打を受けながら前世で育ちました。それがあなたの身に染み付いていて、そのような波動を帯びていたので、またそれが再現するような環境に置かれるようになったのです。

人というのは目に見えるものだけでなく、目に見えないものを宿して生きている奥深い存在です。そうすると、その人の雰囲気とか佇まいとか、波動などに自ずとその人のものが現れ出て、前世と似たようなものを招くようになりがちなのです。そのため、前世の時と同じようにひどい仕打を受けることがあなたは繰り返されがちとなりました。

しかし、それをきっかけにあなた自身、人生や人間について深く考えるようになり、また、普通であることがどんなにか尊く有難いことだと思える感性が身につきました。そのため、人一倍感ずる純粋な人になることができたのです。

恵まれている中で育つと、自分の思いどおりにいくのが当たり前になるので、本当は恵まれている場合でも感覚が麻痺し、有難いとか恵みとかには思えません。しかし、当たり前が稀で、難しい事態で生きてきた人にとっては、当たり前のことがすごく有難く嬉しく大切に思えるような感性が養われるので、感謝と喜びが湧き易い人になります。また、目に見えない世界のお計らいも感じられるようになります。

そういう意味では、逆境の厳しい中で育つと本人はつらくはありますが、本当の意味で有益なのです。そのことにあなたが一旦気づけば、お母さんの存在は有難くさえ思うようになります。

また、お母さんだけ見ずに、お母さんを使って神様があなたを試し、愛を持って仕込み導いてくださったと見るのです。目の前のお母さんだけを見ないで、お母さんを操ってあなたに神様が何をしてくださったか。あなたを愛を持って育て導いてくださったことに思い至れば、お母さんのやり方や性格がどうのこうのという観点だけで見なくて済むようになり、お母さんとのカルマも解消します。

そして、お母さんからひどい仕打を受けたとしても、結局のところあなたにとって、それが感性を養い、育成されることになったという意味ではお母さんは有難い存在だったと思えるようになります。

また、母親としてだけ見ずに、1人の女性、さらには、1人の人間としてお母さんを見る面も必要です。母親として見る面ももちろん必要ですが、母親としてだけ見ずに、同時に1人の年上の女性であり、1人の人間であると見るのです。そうすると「母親なのに」ということだけで判断せずに済みます。自分の捉え方から解放され、あなたの心がもっと自由になり、それによってお母さんから受ける印象が変わってきます。それがあなたには必要なのです。

お母さんはただ、20年か30年かそこら早く生まれてきただけで、お母さんに完璧を求めてはいけません。お母さんだっていろいろ事情があってのことですし、短所もあるけれども長所もあり、お母さんの事情が察せられればだいぶ柔軟になり、お母さんと気持が通うようになることでしょう。

大変な中で育ててきた、あなたに対する愛もあって一所懸命育ててきたということに気づきます。あなたも2人の子どもを産み育てているのです。お母さんの立場や気持もわかってきているのではないでしょうか。以上があなた自身の観点からの学びや説明でした。

一方、お母さんの観点から簡単に見るならば、もちろん、お母さんの弱点や傾向や欠点がありました。お母さんは盲目的なところや偏愛、片寄った愛があるのでしょう。下の子を余計に庇ったり愛を注いだりする、例えば、あなたが最初に生まれてきているうちは、あなたに優しくして愛を注ぐ、しかし、下の子が生まれると下の子を急に庇ったり愛をそちらに移していく。そういう欠点がお母さんにあるのは明らかです。

また、女性という同性に対しては対抗意識や嫉妬さえ覚え、異性の子である息子に対しては溺愛したり、余計に守ったり褒めたりする、そういう部分があることでしょう。しかし、それでもお母さんの事情があるし、お母さんの長所もあることでしょう。

そして、あなたが社会に出て世の中を知ったり、いろんな人を直接知ったりすると、あなたの意識が広がり、いろんな人が世の中にいることがわかったり、さまざまな事情があってのことだとわかります。そうするといい意味で意識が分散し、ことさら、お母さんのことばかり考えずに済むようになるのです。

いわば、井の中の蛙のような生き方をしている限りは目の前の相手の課題や癖にずっと自分の意識が縛られ振り回されてしまう、被害者意識に捉われてしまう。けれども、外に目を向け世の中を知ると、もっと癖があったり問題のある人間が幾らでもいます。また、もっと酷い虐待を受けて育った人もいます。

そのように意識が開けてくると、子ども時代のお母さんとの関わりは相対的に小さくなります。そうすると、治められるようになります。「なんだ、自分の場合は結構この位で済んでよかった部類だったんだ。もっと問題がある親の元で酷い仕打を受けて生きている人もいたんだ。自分よりもっと問題のある親の元で育っても、結構けろっとして明るく元気に生きている人もいるし、さらに、そういう親の事情も察して感謝すら感じている人だっているんだ」。そのようにはっとさせられることでしょう。

それがまた、自分の意識の転換にもなり、また、自分に相応しいことが育成期に起きて、自分が神様によって仕込まれ、そして、それで身につけたものを携えてこれから多くの人に関わってためになっていけばよいということなのです。そのように解釈し、処理し、そのプロセスで培われたものを人々のために活用していく人生を送りましょう。

【質問3】主人との結婚は本当に心から愛し、好きで結婚したわけではありません。母とのつらい状態からのがれたくての結婚でした。このような形で結ばれた意味と、前世との関係は、影響あるのか。ご解説と、今後どうしたらいいのかお教えください。
夫・・・S37.1.*生 ○○○○

【ソース】世間の一般常識では、どのような経緯で巡り合い結ばれたかということを重視します。けれども、わかりやすく極端に言うと、神様の世界の真相は、出会う場とか出会った経緯は何でもよいのです。神様は手段にこと欠きません。どういう場で出会おうとも、それは影響はほとんどなく、結局は縁のある人と出会い結ばれるようになるものなのです。

世間で羨ましがられるような出会い方やお付き合いをした人がソウルメイトであり、ちょっと首を傾げたくなるような出会い方や結ばれ方をした夫婦は、たまたま出来てしまった夫婦である。そのような解釈は間違っています。それは表面的に解釈してしまったものです。

真相はむしろ、出会い方がどういう場でどういう結ばれ方にせよ、神様がどんな手を使ってもその人のその時の状況に即して結局は縁のある人と巡り合い、結ばれるようにしてくださるということに気づければ、人に言うのが恥ずかしいような出会いであったとしても堂々としていられるし、もっと余裕が出てきたら、ユーモラスに心温まるような自己紹介が出来るようになります。

そのような広がりのある、柔軟な捉え方や思い方を養うことで、あなたの心は育ち、楽になることでしょう。出会い方は何でも良いのです。その時のその人に即したものを神様が上手く使われて導き結ばせてくださります。

また、好きであるとか、気に入ったから一緒になるということは、結ばれるための絶対的な条件ではありません。お互いに惹かれ合い、意気投合する。それに越したことはありませんが、夫婦になるかならないかを決めるのは気に入るか気に入らないかではなく、縁や目的があるかどうかということなのです。本当に愛した人ではないけれども結ばれたというけれども、夫婦の縁というのは好みではなく、縁や目的にあるのですから、本当に好きになって一緒にならなくてもよいのです。心から愛し合っても一緒になれないカップルがいるのは、そのためです。

理想や憧れや自分の結婚へのイメージで見るのでなく、事実をこそ見ましょう。夫婦になるというのはそういうことなのです。そして、その方がよいのです。好きになった人と一緒になってもいいですが、好きにならなくてもお互いに一緒になる必要性や果たすべきカルマや学べるもの、相手のためになれることがあれば、一緒になればいいのです。それで十分です。神様がなさることなのですから、そういうものだと受け止めてその中で肯定的に捉え、生きていきましょう。

起きたことが問題だったというより、あなたの捉え方に狭い部分があったので、自分で自分を縛ってきたのです。実情に合わせて生きていけばよいのです。

また、もう少しあなたが聞きたい形で説明し直すならば、前世においてあなたは普通に見ると恵まれず、大変な状況の中でやっと生きていたことがあったため、自分で考えたり選んだりして自分の納得いくような結婚や結びつきが起きにくい前世を何度か体験していたのです。そのような傾向が今でも残っているので、ひょんな形でまた、結婚ということが起きたのです。

それはあなたの持つパターンです。しかし、それが悪いとは言えません。一つの特徴です。「ああ、自分はこういう結婚をするようなパターンを作り上げてきたということだな」と、そのように見ればよいのです。

人は他の人のものが羨ましく見えたりします。隣の家の車がピカピカに見えたり、隣の奥さんや旦那さんが素敵に見えたりするものです。自分のものを大切にしましょう。自分の配偶者とか自分の体験してきたことを。そうすれば神様も喜ばれるし、あなたを思ってくださる方々も安心し、あなたのことを喜ぶことでしょう。そうすると、起きることが変わってきます。それが自分の子どもたちに対する、つまり、子孫に対する最高の贈り物となるのです。

ご主人に対して確信を持ちましょう。そしたらご主人にもそれが伝わり、ご主人の病気も治り元気になるかもしれません。それがご主人にあなたが果たしてあげられることです。意識が変わっただけで現実の全てが変わるとまでは言いませんが、先ず、意識が変わることからです。それが徐々に態度や波動、そして現実の対応にまで現れ、結局は現実そのものをも変えていくことになるのです。

【質問4】主人は、高血圧症と大腸を患っています。2度ほど「大腸ガンの疑い」と診断も受けましたが、ガンまでには至らず今日まで仕事を続けることができています。定期検査を続け、食事療法をしておりますが、この病気の意味と、私と今世、夫婦になったからには、私に何が出来るのでしょうか。主人に対しての私の役割をお教えください。

【ソース】ご主人にもあなたの方にも、どこか投げやりなところがあり、自分や配偶者を大切に出来ず、これまで体験してきたこと、あるいは起きてきたことに確信をもてないまま価値を見出せず生きているのです。人には手応えが必要なのです。そのような確信が今一つご主人にもあなたにもないため、生きていても迷いがあったりつらかったりして事を処理しきれず、そこでしかし、現実は頑張らないといけないので頑張ると無理がかかり、それが病気を招きます。

病気とか不調は大きく分けて二つによって起きます。一つ目は今、説明されたような自分の心の負い目とか不安、事実を受け入れられないなどによって身体に負担がかかって病気になる場合です。もう一つはもっと単純に無理をしたり、つまり、過労や体を使いすぎて不調になる場合です。

後者の、ただ単純に無理をした場合は治りやすいです。しかし、前者の心が介在している場合は、心で学んで理解し、パターンを変えないと治りにくいです。理解して調整にかかるための導きとしてリーディングが行われるのです。先ず、妻のあなたがこのようなことを聞いてそれに心を留め、その方向で取り組むようになると、あなたの派動が変わり、それがご主人にも伝わってご主人にも良い影響が及びます。

例えば、家族の1人が目覚めると、あの世の繋がりのある霊が安らかになり、成仏します。霊に対して良い影響が及ぶばかりでなく、この世の家族や関わる人たちにも良い影響が及びます。夫婦は特にそのように影響を及ぼし合っている関係です。

先ず、あなたがこれまで起きたことには意味があると知り、事実を受け入れられてそれを踏まえて肯定的に生きられるようになることです。お母さんからこういう仕打を受けたとか、そのことから逃れるためにあるところで今の夫と出会ったとか、そういうことはどうでもいいのです。

悪いことではないのです。一つの事実だったし、それは神様が相応しいことを起こしてくださったのですから、どういう形で出会ってもいいのです。それに自信と確信と喜びをもって生きていけばいいのです。出会い方は何でもいいのです。要するに、人間対人間ですからどこで出会っても関係ないのです。同じ人間と人間ですから。そのように解釈して、囚われから脱することで有難い結びつきだと思えてきます。

あなたがそのように吹っ切れて、明るく心から朗らかになれば、ご主人もあなたの勢いをもらって元気になり、心から赦し合える爽やかな夫婦が誕生します。そしたら、あなた方の下で育つ子どもたちも幸せになります。そのように切り替えていってください。あなたなら出来ることでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)
〈了〉

2014年6月8日

あなたはコミュニケーションの術を霊界において身に付けました。

2002.4.4 前世リーディング No.6322

【質問1】私の前世をお知らせください。

【ソース】古代エジプトのピラミッドとスフィンクスが建てられていた時代に、あなたはアルバイト的にさまざまな仕事を遍歴していきました。そのお陰で見聞を広め、当時のエジプトの国について非常に詳しくなりました。ピラミッドやスフィンクスについても岩盤の作業を行ったり、岩をくり抜く作業も行いましたし、何人かの仲間達も出来たりしましたので、ピラミッドとかスフィンクスについてのことも知ることが出来ました。

それであなたは広く万遍無く国家の事情を知るようになりましたので、ルポライターのような仕事に就き、情報通になりました。そして、その役割を通して国の高位の地位にある人とも接触する機会がありました。そのようにしてあなたはさらに知るようになっていきました。国の長所と欠点、課題等のことも知るようになりました。それを伝えたこともありましたが、耳を傾ける人もいれば、全く取り合わない人もいました。

アトランティスでの前世は3回~4、5回ありました。その一つの前世では、印刷工の一人でした。光について詳しく、光を当てて写植し、印字を行う作業を行っていました。機械的な作業でしたが、ちょっと手元が狂ったり、コンピューターの作動が狂ったりしたら、大変でした。それであなたは勘を働かせ、そつなくこなすことが出来ました。達人の一人になりました。

他のアトランティスにおける前世では、教科書作りを行っていました。また、研修会の企画と主催も行いました。そのようなチームに所属していました。マニュアル作りと、また、直接教えたり、企画したりすることも兼ねていました。教育効果について学び、教育心理学に詳しい人となりました。先生達の中にはユニークな人達もいて、夢解釈や二重人格等について教える先生もいて、あなた自身も興味を持ちました。

また、植物や園芸等の体験学習の講座もありました。あなたは教育の素晴らしさと可能性に目を見張るようになりました。能力開発にも関わりましたが、その分その限界やつまらなさも体験しました。人間にとってやはり、生命と人格が大事で、何が大切かということを身を持って悟らされました。暗記、記憶術等の講座もありました。

別のアトランティスでの前世では、本作りを行っていました。デザインの仕事をして、本のカバーの装丁等に主に関わっていました。また、本の著者達との交流も持てました。また、本の印刷と製本についても関わって知るようになりました。

別のアトランティスでの前世では、治療のセンターに関わりました。生命の蘇生、若返り術や、病気治し、波動調整等、非常に興味深いことが繰り広げられていました。しかし、紛いものとか、いんちきもあったり、不正があり、他に能力はあっても野心を持って、支配欲、権力を求めている人もいました。あなたはその不正を知り、暴こうとしましたが、周りから制せられました。

あなた自身非常に悩み、苦しみました。それは明らかにするべきか、或いは伏せて無難に済ませるべきか、迷いました。結局それを行うことにしました。そしたら、大変な騒ぎになり、結局、締め出されました。そして、あなたは自分で探究することになりました。一応一通り学んでいましたので、何とかそれでも暮らせていけました。しかし、不正を暴いたということは、自分に正直に行ったという思いと共に、多少の後悔や後ろめたさも残りました。

さて、エジプトに再び目を転じますと、ピラミッド建造期のエジプトの他に、出エジプト期の時代にも生まれ変わりました。ラムセスⅡ世によって、建物が次々に建てられていきましたが、あまり感心しないやり方でした。国は確かに栄えていましたけれども、問題が山積みになっていました。その一つは、ユダヤ人とエジプト人との確執です。

あなたは、民族問題について鋭く批評しました。そして、あなたのそのような動きが、一つの刺激になって、問題が表面化し、出エジプトにまで至りました。あなただけによってそのようになった、という意味ではありません。それでもあなたのものが一つのきっかけになったということはあったのです。あなたは自分の中に責任を感じつつも、「自分は神の御心の方向で役に立った。神の駒として、自分は神の御旨の一部と成り得た」という実感がありました。あなたには犠牲的な精神が備わっていました。必ず、ユダヤ人達はやってのけてくれると、確信していました。そして、滞りなく出エジプトがなされるように祈念していました。

あなた自身は、エジプト人の一人だったのですが、ユダヤ人のことに共感を持ち、出エジプトを助けたのです。それで、国内からはあまり、良くは見られませんでした。しかし、神様は全体の神です。当然、民族も国家もカルマも超えているお方です。あなたは神はそのようなお方のはずだ、という強い確信があったのです。「一番良いように計らわれますように」とお祈りしていたら、出エジプトが成就したのです。また、あなたは、食料や家畜達の堆肥等も手配したり、融通を利かせました。また、戦車や車、輸送車等も手配しました。そのようにしてあなたは出エジプトを助けました。

日本においては、鎌倉時代に生きていました。中々の情報通で、賢い人でした。時代の先を見通している人でした。やや、北方の地域に住んでいて、周りの人達の指導者でした。隠れた指導者の一人でした。中々、世話好きで気さくな人でした。一人一人が自由になり、安心して生きていけること、教育の機会が与えられるべきことを説いていました。

啓蒙の方面で、一地域において貢献しました。国の事情について驚くほど詳しく把握していました。それで、周りの人達の質問に答えられました。そして、鋭く意見を加えました。あなた自身、常に新しい情報を入手していました。その為に動きました。

また、最近では20世紀前半期に生きていました。直前の前世です。周りの人達の世話役であり、国の為に尽くしました。軍需工場で働いていました。そして、徴兵されました。中国の奥地モンゴルからシベリアにかけての地域に滞在しました。そして、その地で亡くなりました。周りの同僚達は寂しかったり、泣いたり、愚痴をこぼしたり等、めげていました。

あなたは仲間達を励まし、希望を唱えました。あなたは希望と信頼の大切さを身にしみて体験しました。また、人を奮い立たせてあげることの大事さも身を持って体験したのです。そして、暫くして生まれてきました。今世です。

さて、惑星滞在に焦点を当てて見てみましょう。木星に滞在していた時の影響で、向上心、そして広がりのある人格を養いたい、という願いが来ています。誠実に生きることの大切さ、曲がったことの嫌いな人格も、木星にいた時に養われました。自由な精神も養いました。

火星にいた時の影響で、非常にエネルギッシュで鋭く、情熱家になりました。しかし、自分をやや消耗し過ぎる傾向が見られます。それも火星にいた時の影響です。やや過激な所、突進して行く部分も火星の熱気と関連しています。

天王星にいた時の影響で鋭い精神と極端な傾向、天才的な閃きが備わっています。また、闘志家として精神運動の為に戦う気骨、或いは反骨精神を培いました。弱い者の味方になる、正義の味方の面も培いました。行動の為の咄嗟に働く勘も、天王星にいた時に、その影響で養われました。

太陽にいた時の影響で、大らかで細かいことは気にせず、囚われない自由な精神とイエス・キリストとの御縁を戴きました。何故なら、霊界の太陽はキリストだからです。

水星にいた時の影響で、非常に賢く、目ざとい精神が出来ました。分析力や論理力、見通す能力を養いました。そして、叡智を重んずる気風が育ちました。

前世からの影響で、あなたは自分を痛めつける傾向が見られます。また、否定的、退廃的になり、空虚になったことがありました。今世では、自分を出来るだけ、ポジティブにし、安らかで平和な気分を養うことが必要です。あなたは前世であまり、おっとりしていたり、ゆったり過ごしたりということが、少なく、ピリピリして鋭く、心が常に動いていて、身も心も落ち着かない時が多かったのです。

金星にいた時の影響で、愛の大切さを知り、非常に献身的で思いやりの人になりました。配慮が行き届く人になりました。また、芸術的な美的センス、特にビジュアルな面での能力を養いました。

土星に滞在していた時の影響でカルマを一度清算し、ゼロから再スタートを切る、極端な面とカルマを清算する力、ヒントを得ました。また、全てを無にする精神を培いました。あなたは機械工学の面と、アイディアの面、そして、変革する面において優れています。また、調整したり、サポートする能力もあります。それらの基には土星から戴いた力が働いています。

また、オリオン座の影響で、宇宙的視野と、自由な精神、幾何学の能力、閃き、自由奔放さを養いました。また、いて座からの影響で、突進する力と鋭さ、批評的な能力、情熱のエネルギー等を養いました。また、さそり座の影響で、物事を改革し、推進する力がやってきています。そして、精神的な面において優れ、火星のエネルギーとそれが結びついています。

次に霊界にいた時のもようを見てみます。常に忙しく動き回ったり、旅をしていました。あまり、じっと蹲って一箇所に定住していたことは少なかった人です。でも、自分の観念やアイディアに一部、囚われていた時もありました。元々、好奇心の人で、いろんなことに取り組んだり、試して、確かめるのが好きな人です。

霊界にいって、それが凄く表れていて、「確かめたい、知りたい、わかりたい、体験したい、挑みたい、どうなっているのか明らかにしたい」、そのような思いが強く、場所からは自由な方で、霊界に探りを入れ、あっちこっちのグループを渡り歩いたり、別の星座の存在とも出会い、会話しています。

あなたはコミュニケーションの術を霊界において身に付けました。それは今でもあなたの中にテレパシー能力として、備わっています。あなたの場合、能力としては、テレパシー、コミニュケーションの能力と先見の明、予見力としてあります。また、出来事言語を始め、元の言語を解釈する能力、理解し、解釈する能力も備わっている人です。また、あなたは古代の文明を発掘し、新しい形で出し直す、という興味とその意欲ももって生まれてきています。

イスラエルに生きていた前世では預言について興味を持ち、言語学の方面と音楽の方面からアプローチし、言霊について、そしてイスラエルの神について深く入っていきました。ユダヤ教の聖典も読みました。解釈において優れている人でした。

また、紀元1世紀に生まれ変わってからも、イスラエルのエッセネ派と関わりを持ち、聖典の解読と読誦、暗記、解釈、そして言葉の力と治療の力、奇跡について学び、体験しました。そして、見聞を広めていきました。あなたはその時代に起きていることをよく把握し、自分の中でそれを見つめていました。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました)
<了>

2014年5月14日

前世において、大人しく辛抱強い真面目な人だったことが多かったです。

2010.12.22 前世リーディング No.11536

質問1:私の前世をお知らせください。

ソース:日本の国の中で、生まれ変わってきたことが多かったのですが、特に古い時代には、日本以外の所で生きていました。つまり、エジプトやインドなどで生まれ変わって、次第に日本の中で生まれ変わるように移ってきたのです。細かく見ていけば、それら以外のいろんな所で生まれ変わってきました。

前世において、大人しく辛抱強い真面目な人だったことが多かったです。純粋で、真面目で、心が清らかでした。繊細な心を持っていて、傷つきやすい面もありました。涙もろくて純情で、感情のひだがきめ細やかな人だったことが多かったです。目の前のするべきことに無心になって、一途に取り組んでいたことがほとんどでした。周りから叱られたり、支障をきたすようなことがあったりしないように、気をつけて目の前のことに熱心に取り組んでいました。

そのように、困ることがないように、目の前のことにひたすら取り組み、周りを気にかけながら一途に生き抜いてきたのが、あなたの前世の姿です。自分で何かしたいというより、とにかく困ることがないように、一生懸命目の前のことに当たってきました。辛かったり、不安だったりした時は、お祈りをしたり、信頼の置けそうな人の話に聞き入ったりして参考にしました。

これまでに58回ぐらい生まれ変わってきました。特に回数に異常は認められません。普通くらいの回数です。女性だったことがほとんどで、男性だった時は、58回くらいのうち7、8回程度です。その他は全部、女性として生まれ変わってきました。バランスを取る上で、男性に生まれた時もあった程度です。

惑星の滞在について見てみると、特に金星にいたことが多かったです。愛情面のことに惹かれ、心を大切にする人だったので、自ずと愛と心と命の惑星である金星に馴染みやすかったためです。あなたは、弱い者の味方であったことが多く、お互いに大変な者同士、支え合い、心を慰め合って励んでいたことが多かったのです。そのようなあなたですから、自ずと金星に惹かれ、金星に行くと落ち着けたり、心が癒されたりしたものです。

月にいたこともありました。そのため、自分の潜在意識を感ずることが多く、自分の感情をひしひしと実感しながら生きる人になりました。自分の奥深い意識から影響を受けやすく、心が落ち着いたり、安らぐことが少ない人になりました。しかし、その分繊細で、他の人の気持ちを感じ取り、大切にする人にもなりました。必ずしも他の人の気持ちを感じられない時でも、他の人の気持ちを汲んで、大切にしようという心をもつ人になりました。人のことを我が事のように捉える傾向が作られました。

自分の潜在意識を感じたり、感傷的になったりする面が作られました。お互いの気持ちを確かめ合ったり、感情を強く感じたりする人になりました。何時でもあなたは、自分の心を感じて生きているのです。また、それに耐えられるような忍耐力や粘り強さ、頑張る面が、あなたの中に作られました。

水星にいたこともありました。そのため、意識が研ぎ澄まされて鋭い面が作られました。また、理想や真実や正しさを重んずる人になりました。目標に向かって、周りの人が一丸となっていくことに惹かれるようになりました。また、感情面が旺盛でありながら、理性でなんとか自分を統御しようとする傾向も作られました。理論的な面と感情的な面の両方がミックスした、人格になりました。

霊界にいた時には、自分の気持ちを感じながら周りの様子を窺い、やや怯えたり、落ち込んだり、悲しくなったりして、心が不安定になることもありました。しかし、とてもしっかり者で、頑張り屋で、多くの病んだ霊たちを助け、周りからも頼られて、活躍していたこともありました。

いろいろと考え、真面目に取り組んだり、物事に対して熱心なところもありました。真面目で正義感が強く、物事に意識を傾注して人の話や霊の話に耳を傾け、正しくキャッチして、適切に応じて対処していく面が、あの世でもこの世でも作られました。自分の心が落ち込んでいる時でも、何とか自分を支え、目の前のことにしっかりと対処して、困ることがないように、また、問題の解決を図るように、健気なほど熱心に挑み続けてきたのです。現実に対する対処や処理する能力が培われました。

前世で就いていた職業は、人助け的な面が多分にあり、困った人のために尽くしたり、支えになったりする利他的で福祉的な面を持つ仕事が多かったです。また、生活の一部となるような、台所に立って調理をしたり、片付けをする仕事も、前世である程度、行いました。その時、その場の求めに応じて対応することが、実際は多かったです。

したがって、その都度いろんなことをこなしてきたのです。それによって、現実に耐える強さや、また、応ずる応用力などを身につけてきています。大変な時や、辛い時や、パニックに陥りやすいような状況でも、大変で辛くても、ともかくもこなせるようになったし、すぐに的確に判断して処理をする。そして、困難を切り抜けていくことも身に付けてきた人です。

主な前世を見ていくことにしましょう。今の人生にもっとも対応しているのは、日本の飛鳥時代の前世です。当時、困っている人、病んでいる人、恵まれない人たちのために、奉仕的に関わり、支えとなったり、慰めとなってあげていました。慈善的な活動を行い、医療と福祉の分野で働きをなしていました。

現在の四天王寺の建てられた所で、その寺院の中の施薬院で働いていました。大変なことや、分からないことや、自分の思い通りにならないこともありました。矛盾に感ずることや不安を感ずることにも遭遇しました。それでもともかく、目の前の現実がある以上、対応しなければならないと感じ、特に困っている人やすぐにでも助けを必要としている人に対して、努力を惜しまず対応しました。

そこでは仏教の慈悲の理念に基づいて行われていましたので、仏様を念じながらお互い関わる者同士、それほど会話をせずとも以心伝心で感じ取り合って対応していました。あなた自身、恵まれない中で育ち、苦労していたので、思うところ感ずるところがあり、悲しみをたたえている人たちや子ども達のために生きようと思うようになったのです。

鎌倉時代の初期にも生きていました。平氏の後、源氏の時代が訪れましたが、源氏もそう長くは続かず、北条氏の執権政治に移行していきました。世情は不安定でした。あなたの心も不安定でした。それでも「何とか生きていかねば」と思い、「しっかりしなければ」と自分に言い聞かせました。そして、心の支えやよりどころを求めていて、辛い時はひとりでに手を合わせて、お祈りを捧げていました。また、お互いに信頼し、人間や家族同士支え合う、課題を共有し合い、共に取り組んで乗り切ることの大切さを身をもって知りました。

そして、運命に興味を持ち、「人間の命には計り知れないものがあって、運命があるのだろう」と感じました。しかし、運命を司る法則もあって、大いなる存在との交流で、運命を司るお方がおられ、その人の関わり方次第で考慮される面もあると思えてきました。「無我夢中で生きればどうにかなる」と体験を通して、手ごたえをもって確かなものを徐々に掴み取っていきました。それによって、心境が開け、自信や確信も持てて、周りの人を配慮したり、励ましたり、労れるほどにまでなりました。

16世紀から17世紀にかけてのスペインにも生きていました。敬虔深い人で、神様を信仰していました。やや内向的で大人しく、おっとりした面と、気丈で感情が激しい面とを兼ね備えていました。人との関わりで辛いこともあり、人を信じられるかどうか悩みました。人の良い面と人の問題の面とのそれぞれを体験によって知り、「人間とは何か」、そして、「自分とは何か」について考えることが多い人でした。

それでも、人との関わりで慰みや労りも頂き、芸術などによって心が慰められ、何より人生に働いている神様の法則が分かるようになってきて、それほど落ち込んだり、悩んだり、不安を感じたりすることが無くなっていきました。ちょっとしたことに思えても、そのちょっとした真理を把握することには、大変な時間と努力がいることが分かりました。

紀元4世紀の頃の北インドにも生きていました。なかなかしっかり者で、大人しかったですけど活発であり、よく祈り、よく精進し、家族や友人達や親戚達と共に励んで、率先して事に当たるてきぱきとした人でした。どこか無理をして、気を張って生きているところがあり、手が空いたとき、ホッと一息つくと、ドッと疲れが出たり、あるいは課題や悩みに心が戻り、動揺したり落ち込みそうになることもありました。そのような時、改めて神様を思ったり、人生について次第に考えが深まりました。

古代のエジプト、アクナテンからツタンカーメンの時代にも生きていました。純粋で愛らしい笑顔もあり、おっとりした優しい人でした。素直で、素晴らしいことには感激したり、誉めたり、喜んだりする人でした。しかし、大人になるにつれていろいろな体験を重ね、迷ったり、疑ったり、落ち込んだり、気難しがりの面が出てきたりしました。しかし、さらにそれを経て、悩んで学び取り、再び元の良さが円熟味を増して出てこれるようになりました。

イスラエルの統一王国時代にも生きていました。手が空いた時は、ポーッとしながらいろんなことを思いました。自分が生きていることの不可思議さや神秘的な奥深さを感じました。神様や人生について、また、その中における自分について、何か計り知れないものがあると思えました。

紀元1世紀の後半から2世紀初めにかけて、ローマ帝国にも生きていました。純粋で大人しく、素直で愛らしい感じの人でした。あまり人を疑うこともなく、目の前の義務やするべき仕事に一つ一つ当たっていました。神様について聞く機会があり、素直に「そうだ」と信じ、お祈りも捧げました。

日本の江戸時代にも生きていました。周りの人に気兼ねし、気遣って不安を抱きながら自分の位置を見出そうと、恐る恐る気遣って生きていました。自分の思いを表現したり、主張することは難しい、と感じていました。伸び伸びとする暇はなく、一つの制約の下で自分の位置を何とか見出し、困ることがないように気遣って、生かされているという感じでした。

以上が、あなたの主だった前世です。その他、家族関係や経済状態などで恵まれず、満たされず、不安と悲しみの中でやっと生きていて、落ち込みそうになりながらも周りのことに耐え、生きていた前世も2、3度ありました。そのような中で忍耐力や知恵を培い、試みに遭いながらもそれらに耐え、その中で心が傷ついたりし、人生や人間についても深く考える機会がありました。

エジプトの別の時代に生きていたり、中国に生きていたり、別の日本の前世を生きていたりもしました。あなた自身、次第に自分が整い、落ち着いてくれば、ここで述べられた以外の前世を感じたり、また、ここで述べられた前世を感じたりするようになることでしょう。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました)
<了>

2014年4月14日

カルマは表れ出ることでエネルギーが消費され、終えられる場合がほとんどです。


2011.5.14 パーソナル・リーディング No.11744

【質問1】昨年8月下旬から始まった今回のうつによる試練は、浅野先生のリーディング、そして代行ご祈願、更にフォローアップセッションなどの強力なお力添えなしには、到底潜り抜けられない大きなものでした。神さま、先生、本当にありがとうございました。夢やできごとを通しても、たくさんの気付きとお導きを頂き、環境も準備万端、整えて頂いており、自分自身も心から〝浄化〟を望んでいたことも夢ジャーナルを読み返すことで知りました。4月末で一応の治まりを頂き、これまでの苦しい日々が、本当に必要でありがたいものであった、と宝物に思えます。更なるお導きとお励ましを賜りたく存じます。

【ソース】カルマは、基本的に魂のエネルギーとして人間の中に留まっているものであるため、表れ出ることで初めて解ける性質があります。表れ出るとは、態度や行動に移したり、口で話したり、ということで人間が引き起こす出来事のことです。

もう一方の側からすると、体験ということになりますが、本人としても体験になります。そのようにして、人間には心があるので、心を使い、行動することでカルマが蓄積され、残ります。そうすると、それが神様の働きかけで吐き出されるようになって、お互いにカルマを果たし合い、それで解けていくプロセスを辿ります。

鬱などの症状も、その一つの表れとして生じます。カルマは表れ出ることでエネルギーが消費され、解消して落ち着き、終えられる場合がほとんどです。よほど悟りを開いて、心の中に潜在するエネルギーをその段階で転換したり昇華するということも、まったく無いとは言えませんが、法則の原則からすると、出来事が起きるという形で体験させられて、エネルギーが消費され、次第に収まっていくのです。

生き方そのものの中でカルマが果たされ、エネルギーが消費される。人生は、カルマのエネルギーが表れ出て、解消していくプロセスといっても過言ではありません。そして、今回、生まれさせた一番元にあるカルマが果たされた時点で、他界するのが人間です。あるいは、大きな主だったカルマが果たされて、まだ生命力が残されていたり、するべきことや学びが残されていると、その後、安らかに生き続けて、穏やかに他界するということもあります。

あなたの場合も鬱ということで、前世からの大きなカルマが表れ出て、そして少しずつ鬱を体験しながら鬱をもたらしているカルマのエネルギーが消費され、8ヵ月ほど続いて漸くエネルギーが消費されて心も落ち着き、収まってきたのです。

このように、カルマは、表れ出ないと解けないものです。だから、事象を受け止め、囚われないこと。そのような道理を知って、起きることを拒否したり、抑えたりせずに、そういうものだと見なして受け入れ、体感しながら一定期間、それを通り抜けることで、元にあるカルマが少しずつ消費され、それに伴い、現状も心も収まってくるものです。

病気の全てとは言いませんが、病気の大半が、やはりカルマによって生じているのです。カルマが解けるためには、ある一定期間それを体験し、身に受けないと、終えられない場合が多いです。カルマの分量によって、どのくらい期間がかかるかが規定されます。

あなたの場合でしたら、今回の鬱は8ヵ月ほどの期間を鬱という状態を体験して、身に受けることで徐々に徐々に消費されていったのです。しかし、ただ放っておけばいいということではなく、まずこのような教えを聞いて法則や道理を理解し、心掛けや態勢ができて受け止めると解けやすいし、気持ち的にも楽です。確信が持てて、迷わなくなるからです。

また、ただ身に受けて解けるのを待つというだけでなく、勿論、治療とかケアはするとよいし、何より自らお祈りをするといいのです。あなたも千日ご祈願ということでずっと自ら続けています。また一方、ご縁のあるARIの後押しで、リーディングや、代行ご祈願や、フォローアップセッションが助けになったということを自分で実感しています。

心の病の多くは、次のような手立てで治ります。一点目は、祈りです。自分も祈るし、代行ご祈願のような形で後押しもしていただく。二点目は、体験して通り抜けていくということです。先ほどの説明の通りです。事を理解し、受け止めて体験して、ある一定期間それを嫌でも、辛くても、不本意でも、ある一定期間そういう状態を身に受けて、味わっていくことで消費されるのがカルマです。

このように二点目は、体験です。カルマが解けるのには、地道な根気がいるのです。何をどうするという対策とか対処以前に、とにかく身に受けて、それを一通り味わわないと解けないものがあるのです。その意味で、カルマを果たすのは地道なものなのです。生きることで初めて、解けていきます。味わうことで初めて、消費されていきます。

三点目は、愛情です。自分で自分に愛を注ぐ。労ってあげる。また、周りの人から本当に愛をもらって、その愛や励ましや労りで治っていくのです。

四点目は、治療です。エネルギー調整など、気のバランスを図ったり、気の巡りをよくしたりする。あなたには、鍼治療はあまり合わなかったようですが、整体であるとか、指圧や、人によってはお灸、マッサージ、気功、丹田呼吸、いろいろありえます。カイロプラクティックもあります。そういった、エネルギーや気の調整ということが効果的です。

そして、最後に見落とせない大事なことは、生き甲斐や喜びや楽しみです。人間は単に、存在しているだけではありません。生き甲斐や目標、やり甲斐というのが大事です。人生にも立ち直るにも、前向きなものが必要なのです。今、辛いとか、過去にどういうことがあったとか、それに対して対処するというだけでは後ろ向きであり、それだけではなかなか治らないのです。

それよりも、その一方でこれからの楽しみとか、やり甲斐とか、希望が感じられるようにする。そして、その見通しが立ってポジションが得られ、自分が活かされて周りの役に立ち、面目を施せる。自己実現がなされていく。それが、何よりの薬です。そうすると、過去どんなことがあっても、辛いことがあった、失敗した、そういうことがあっても、それは過去のことであり、今から未来にかけては上手くいっているし、自己実現を遂げつつあるならば、過去はむしろ懐かしい思い出になるのです。失敗や、悲しみや、挫折も含めて。

ところが、今、上手くいっておらず、将来の見通しも立っていないと、過去の失敗が気になり、後悔するのです。懐かしい思い出とはとても思えません。「あの時、ああいうふうになったから、今、こうだ」、というわけです。しかし、現状が上手くいくようになれば、過去のことは後悔しなくなります。

鬱ということに関しても、ただ治そうというばかりでなく、自分のこれからの楽しみ、慰め、さらに目標というものを持ちましょう。それが、自分自身にとっても、周りにとっても、健全で良いものならば、自分の奥深い意識も納得し、安心し、喜べます。人間には、内なる良心がありますから、自分だけがいい目を見るとか、人に優るとか、そういうことはどこかに咎めが出るので、達成されても不安が残ったり、良心の呵責が湧きます。

それゆえ、神様にも喜ばれる自分に応じた健全な目標や生き甲斐を持って、無理なく前向きに励みましょう。今世が終わっても霊界があり、来世もあるならば、それを想定して長い目で今世の目的や、やり甲斐を見出したり、作り出したり、現状を見直して調整していきましょう。

例えば長女の○子さんのオープンしたお店を一緒に行っていくのが楽しみだ。やり甲斐がある。あるいは、自分を清めてさらに育成し、これまで学んできたことを周りにも伝え、ARIの浜松講演会でさらに素晴らしい場を作っていきたい。それが目標であり、楽しみだ。他にもあることでしょう。ちょっとしたささやかな楽しみややり甲斐を持って、それを張り合いにしたり、それが少しずつ叶っていくのを感謝したり、励みにすると良いのです。

自分で自分を誉めたり、自分の労を労ってあげるのも効果的です。人に誉められたり、評価されたり、労を労われたら、素直に喜び、受け入れましょう。しかし、それが人から来ない場合も、恨みがましく思わず、そういう時は自分で自分を認め、自分で自分を誉めてあげればいいのです。そうすれば、他の人がどういうふうに出てきても、それに左右されず、主体的に自分で自分を治めて生きていけます。

出来事が起きたり、鬱を体験したりした場合、道理を悟ってその状態に囚われないということ。つまり、「空」という真理ですが、同時に体験からレッスンを学んで成長したり、自分を浄化したり、整え調整すること。その両方の兼ね合いが掴めれば、上手くいきます。これからも無理をせず、無心になって自分に合ったお祈りを続けていきましょう。また、現実に楽しみややり甲斐を見出して対応していけば、その一方の大変なこともこなしていけることでしょう。

夢の中で表れたのは、イエス様です。また、家族との別れを夢の中で体験して辛い思いをしたのは、実際に日本の前世であったことです。しかし、それもほぼ解けました。

【質問2】義母、*****(1903.3**生~2004.3.**他界)の7回忌供養の代行ご祈願を3月1日より5月末まで行って頂いており、いつもありがとうございます。霊界での***お母さんは、11月の頃より解放され、柔軟になっておられますか?どうかそうでありますように・・・!母からのメッセージがございましたらよろしくお願い申し上げます。

【ソース】まだ、亡くなられて数年しかたっていませんが、順調にきています。あなたに対しては、次のようなメッセージを伝えたがっています。

「ありがとね。おかげで随分楽になったよ。感謝しているよ。あなたもそちらの世界で、家族を大事にしておくれよ。自分も無理をしないようにね。私は、こちらのあの世の領域でやっていけそうだから、もう心配はいらないよ。でも、気遣って労を労ってくれるのは助かるから、正直お祈りはしてくれると助かるよ」。このような思いを伝えたがっています。

本人は長命で、往生を遂げられました。頑固で生命力が旺盛でしたが、素直で真っ直ぐな心の人でした。自分の思いや遣り方を通すところがあり、譲らない傾向の人でしたが、真っ正直で、他の人に対して面倒見も良い人でした。気丈で、真っ直ぐな性格の人でした。霊界に行って、迷わず、怯まず、真っ直ぐに前に進んで行きました。次第に反省させられたり、柔軟にもなってきています。

あなたのお祈りや代行ご祈願は、大いに効いています。効果があり、ちゃんと届いています。やはり、お祈りや供養は、すればしただけのことはあるのです。今、順調にいっている家でも、油断していると、いろいろ困った事態が起きてくることがあります。いつでも周りを配慮して、素直で学んで成長し続け、神様の大きな愛のお心に沿って生かされて生きていくようにすれば、子孫にも恵まれ、保障されます。

神様は、そのようにお互いに成り立ち、共存共栄を図ることを望んでおられます。**家もあなたが嫁に入って、ARIで学んだONEの教えと精神をぜひ活かし、子孫にもONEの考え方や生き方を伝えて、**家が本当の意味で繁栄し、安泰になるようにしましょう。

あなたもよく鬱を受け止め、それを肯定的に捉えられるまでに成長しました。ともかくも、諦めず、挫けず、工夫しながら努力し、取り組んでいれば、どんな難事でもいつかは乗り越えられるものなのです。それが貴重な体験で、自分の自信になります。そうすると自分が確立し、次に向かっていけるので、多くの周りの人を導いたり、見てあげたりできる人になれます。力がついてくるのです。あなたにもそのようなものが備わってきています。そうすると、自分のもともとの性格や能力も、今まで以上に活かされるようになっているものです。

【質問3】もともと、前世がとても気になり、何度もくり返しリーディングで前世のことをお尋ねしてきた私です。そのような気持ちも大切にした方が良いと「前世想起」にもありましたので、この機会に、改めてお明かし頂ける前世や、修正される前世などございましたら、とお伺い申し上げます。

【ソース】グループによる生まれ変わりと、一言で言っても、また、その家族や友達や仲間達の中で、少しずつ異なっているものです。あなたの場合でしたら、もっとも影響力が強い前世は、イスラエルの統一王国時代のものです。

サウル王の統治の末期からダビデ王の時代の後半期まで生きていました。ただ単にダビデ王の時代に生きていただけでなく、ダビデ王に非常に近い位置にいました。家族であり、仲間の一人でした。宮廷に仕え、自分の部屋も与えられて落ち着いて過ごしていました。仕えていたといっても奴隷ではなく、ちゃんと自分のゆったり寛いで過ごせる部屋も持っていて、過ごすことができていました。

むしろ、寂しいくらいでした。自分のスペースを与えられていたけれども、周りの人たちとの一体感があまり無く、隔離されたような感じがしていたのです。「自分の場を保障され、ゆったり安心して過ごせるのはありがたいけれども、ちょっと寂しい。何か引き離されている感じだ」。時に「自分は忘れ去られ、見放されているのでは」、という思いさえ抱いていました。

あなたは、尊重され、場所をちゃんとあてがわれていたのですが、自分では「ありがたい」という思いと、「物足りない」という思いと、両方味わっていました。そこで、ありがたいという思いとともに、孤独感を抱き、複雑な心境になりました。勿論、いつも一人で部屋にいたのではなく、実際に隔離されていたのでもなく、時々は宮廷に出て、他の者たちとも話しをしたり、食事をしたりしました。しかし、基本的に自分の部屋で過ごすことが多かったので、何か遠くに置かれている感じがしていました。

それでたまに周りの人たちと会うと、気兼ねをしてしまい、自分だけが浮いたような感じをして、不安になったり、周りからどのように思われているのか気になりました。安全だったのですが物足りなく、孤独感と寂しさを味わった人生を送りました。宮廷の中や外で、どういうことが起きているかをある程度は知っていました。しかし、直接目撃したことはほとんどなく、周りの人から聞き知らされた程度でした。自分の存在価値をあまり感じられませんでした。「自分の人生は何なのだろう。生き甲斐は何なのだろう」と、しばしば一人で思っていました。

王は、あなたを励ましてくれたり、あなたを大切にしてくれましたが、あなたは王にも遠慮して、自分の本心の気持ちや願いを伝えることはできませんでした。

二番目に影響の大きい前世は、日本の飛鳥時代のものです。奈良に住んでいました。周りの人間関係を気遣い、そわそわしていたり、あたふたして過ごしていました。そこでも宮廷の周辺に位置して、周りの動きを気遣い、人を観察し、何とか合わせようと一生懸命でした。そわそわしたり、落ち込んだり、安心して喜んだりしました。

三番目に影響力の大きい前世は、スペインのものです。スペインでは、なかなか明るく張り切って、やり手のシスターの一人でした。あなたの前世の中では、明るく活気に富み、周りの仲間達を世話し、時に在家の信者の人たちにも応対し、教えを説き聞かせたり、悩み事を聞いてあげたりして、神様のおられることやありがたさを伝えました。リーダーシップも取れる女性でした。行動的でしたが、ややあわてんぼうでそそっかしく、早とちりをしてへまをすることもありました。しかし、明るく活発で、周りから愛され、頼られていました。

次に影響力のある前世は、日本の平安時代から鎌倉時代にかけてのものです。あなたは、大人しく、じっと周りを観察し、行動し、対処する人でした。行動力はあり、「こうだ」と思うと許される範囲で出向きました。人を助けたり、世話をしたり、救出することがよくできました。

次に影響力の大きい前世は、紀元1世紀のローマ帝国のものです。初期のキリスト教の伝道期でした。イエス様に近づきたい思いがあるのと、恐れ多いという気持ちとが自分の中で交錯して、どのように行動したらよいのか不自然でぎこちなくなる人でした。気持ちとしては、イエス様のところに馳せ参じたいけれども、恐れ多くて自分のような人間がそれをしてはならないと思っていました。

それでもイエス様の説法に何度か立会い、耳にし、感銘を受けて、印象に深く留まりました。自分で自分の価値を認めることが難しい人でした。自信も多少ありましたが、自分の価値に対する疑いやためらいもありました。しかし、周りから励まされ、自分でも教えを学んで、次第に確信を持てるようになりました。

イエス様とは直接、関わることはできませんでしたが、聖母マリア様とは、周りの人たちの導きや助けによって直接関わらせて頂く機会が訪れました。それは、使徒ヨハネや周りの人たちとのご縁においてです。そのようにして、後半期はとても充実し、マリア様のことも見送り、貴重な体験を頂けました。ヨハネ共同体の一員として学んで過ごし、教えを反芻し、自分の魂に言い聞かせて人生を全うしました。

以上が、あなたの主だった前世です。他にもありますが、現時点において、ヨハネリーディングを通して知らされるべきものは、以上の情報です。後になって知らされることも起きてくるでしょう。また、自分の中で体験を通して、あるいは夢を通して必要とあらば、気付かされていくことでしょう。

分かったらお祈りし、カルマが解けて自分が活かされ、神様のお心に沿った人生を送れるようにしていけば、知らされた前世が一つ一つこなされ、それによって次の扉が開かれ、さらに必要なことは知らされて導き育てられていくことでしょう。知らされたことは、たまたま知らされたのではなく、知る必要があったと見なし、知らされたことを解消し、また応用して現実の人生に反映させていくことです。それによって、さらなる導きや情報が与えられていくことでしょう。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました)
<了>