2011年12月27日

一つにのめり込み、とことん納得行くまで追求する人です。

2011.11.16  No.12596


質問1: 私の前世をお知らせください。


ソース: 生まれ変わりにおけるあなたの特徴が幾つかあります。凝り性であり、一つの事に専心し、「極めよう」としていたこと。技の人であったこと。芸術と宗教に、特に熱心で取り組んでいたこと。宗教に関しては修行型の人であり、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力したり、意識を傾注し、真実を捉えようとしたこと。奥深い隠れた領域や真実に魅かれ、自ずと密教的なこと、また技的なことに関わったこと。



秘伝・秘儀・形・パワー・呪文・おまじないなどに関わったこと。また芸術と宗教の両方が関連して、宗教の秘儀の世界でも、形や曼陀羅や図柄、デザイン、色彩、幾何学文様やそのパワー、性質、それから法則、そういったことに向かって行ったこと。象徴体系などにも魅かれ、研究し、取り組んだこと。こういったことがあなたの生まれ変わりでは見られます。


日本の前世が少なく、外国の前世が多かったこと。日本でも数回は生まれ変わりましたが、外国の前世の影響が大きいこと。外国という場合、インド、古代エジプト、南ヨーロッパ、イスラエルなどの影響が特に大きいです。イスラエルの影響も大きいですが、南ヨーロッパ、例えば、ギリシャ、イタリア、スペイン、あるいはトルコなどの影響の方が大きいです。 


古代エジプトやイスラエルで生まれ変った後、南ヨーロッパでの何度かにわたる輪廻転生で色濃く影響を受けた人です。インドでも一度きりでなく、2度3度と生まれ変わって、インドの影響も大きいです。日本での生まれ変わりの回数は多くはありませんが、1つ2つ3つ、日本での前世で強い影響が今に及んでいます。つまり、日本の生まれ変わりの回数は少ないけれども、中身が濃く、日本の前世の影響も受けているということです。


女性だったことが多かったですが、男性だったことが四分の一ぐらいありました。基本的には女性として生きていました。一つにのめり込み、とことん納得行くまで追求する人ですし、仕事においても、技に自分を専心させ、集中して打ち込みましたし、真理も探究し、修行も行っていたことが多かったため、家庭縁はそれほど強くはなく、家庭型の人というより、真理を追究し、修行に打ち込む、あるいは技を磨くこと、作品作りなどに価値を置いて優先させました。そのため、家庭婦人として平凡に背後で静かに暮らしていたことは少なかったです。数多い生まれ変わりの中には、そういう平凡な主婦だったこともありましたが、そういうことは少なかったのが特徴です。


また、あなたの生まれ変わりの特徴として、重要な時代や地域に生まれ合わせて、パワーのある環境で、周りからの刺激を受けつつ、自分も自分のするべきことに打ち込んでいたことが何度もあったことです。当然、歴史に名が残るような名だたる芸術家や宗教者や文化人、学者などのことも、生まれ変わる中で何人か知っていて、交流をしたり、挨拶に伺ったりしているのも、あなたの生まれ変わりの特徴です。


パワーのある時代と地域に引き寄せられ、そういう所には、パワーのある偉大なる人物がジャンルを問わずいましたので、そういった偉大なる人物をあなたは目撃したり、弟子入りしたり、教えを請う、指導を受ける、そういうことが多かったことも特徴です。そのうちあなた自身もパワー負けしないものを身に付けました。偉大なる存在に近づいていく術(すべ)心得て、身に付けたと同時に、あなた自身もいつしかパワー負けしないものを備えるようになったのです。


例えば、イタリア・ルネサンスの時代に生きていました。そこで、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエルロなどを、あなたは直接にか間接にか知っていて、自分も憧れたり、尊敬し、目標とし、お近づきになろうとしたり、学びを得ようとしました。そのような偉大なる人物の感化を受け、その影響下で、あなた自身も密かに黙々と自分の作品作りに取り組んでいました。


紀元1世紀のローマ帝国では、イエス・キリストをはじめ、洗礼者ヨハネ、聖母マリア、十二使徒のヨハネなどを、あなたは直接にか間接にか知っていました。イエス・キリスト様や洗礼者ヨハネの代が終わり、次の世代に時代が移行するのにつれ、十二弟子の中でも最も若かったヨハネに、あなたは奥深い本当のものを嗅ぎつけ、またヨハネの周りには婦人や子供、おとなしい男性などが多かったので、入り込みやすく、その仲間になりました。密教がそこにはありました。キリスト系の密教です。


あなたは、その奥深い真理を、芸術を通して形にすることに自分の生きがいと役目を見出しました。あなたは、彫版(ちょうはん)彫金(ちょうきん)など、板ばかりでなく、金属に文字を彫り込む作業をしました。木の板ばかりでなく彫金など、金属に彫って版画のようにして、原始的な印刷技術を行いました。主にギリシャ語で書かれましたが、あなたは文字を形にして残すばかりでなく、図柄などの文様、肖像画やシンボルなども板に彫りつけました。


当時は現代のような印刷技術はなかった分、技の匠(たくみ)が、それだけ活かされ求められていました。一つひとつ手作りで念入りに作り上げられていきました。


ヨハネ派は特に記録に残すことに熱心だったため、あなたは求められ、それに専心しました。行うことはいくらでもありました。仕事に事欠(ことか)きませんでした。もちろん、イエス様や聖母マリア様の像も描き、彫り込みました。版画に似た手法でした。色彩も加えました。立体的な物も造りました。単純な絵というより立体的で造り上げていく力強いものでした。あなたはパワーを注ぎ、そこに魂を入れました。


ヨハネ派には聖母マリア様が居られました。またヨハネ派は、洗礼者ヨハネの流れを引いているエッセネ派の伝統と深く繋がっていました。三つの福音書とヨハネによる福音書の違いは、端的に言って、三つの共観(きょうかん)福音書は新しく出てきた弟子たちや信者たちの集まりであったのに対し、ヨハネ派はユダヤ教の神秘的な一派、エッセネ派の系譜を引いたキリスト教だった点です。


エッセネ派の前身はカルメル山の預言者学校にあります。カルメルの預言者の系譜を引いて、ヨハネは黙示録を体験し、記録として留めたのです。ヨハネは啓示をビジョンと声で受け、「記録しなさい、書き留めなさい」と言われました。こうしてヨハネ派は啓示を受けて、それを文字で書き写すばかりでなく、ビジョンを描いて、形にも残したのです。もっともそのほとんどは失われましたが。


また、ヨハネ派は現在残されている福音書と手紙と黙示録だけでなく、他のものもいろいろと書き残し、編纂(へんさん)しました。それらの一部はまだトルコの西部に残されています。また、失われてしまったものもあります。そのように行うことは多かったため、あなたは行う仕事はいくらでもありました。もちろん、学んだり修行をしながら、その作業に打ち込んでいたわけです。


その時の体験があまりにあなたにとって大きかったため、今世に生まれ変わっても、『黙示録画集』を発刊することになったのです。そして「それを完結させなければ」という思いがあって、残りの部分を近いうちに仕上げようという思いに駆り立てられています。また、ARIの黙示録講座が横浜で開催されるようにもなるのです。あなたの意気込みや執念は、その当時大変強いものがありました。黙示録体験はあなたにとって無関係でなく、自分の重要な一部となっていたのです。


古代エジプトのアクナテンからツタンカーメンにかけての統治期間にもあなたは生きていました。あなたは絵を描くこともしましたが、どちらかというと彫刻家でした。様々な彫像を作り上げました。建築家達とチームを組んで分担し、協力しました。神殿を建てる際、芸術的な技が様々に施(ほどこ)されることが不可欠です。柱廊にしても、壁画にしても、もちろん神殿の内装や装飾、そしてご本尊、法具に至るまで芸術的な作品です。また王や王妃、王子、王女などの彫像、立像、頭部の像、あるいは様々な神々や動物などの像、例えば、ライオンの像、隼(はやぶさ)の像、猿やマントヒヒの像など、作り上げるものはいくらでもありました。


ただ、アクナテンからツタンカーメンの時代のエジプトでは動物を作ることはほとんどなく、抽象的な太陽を描き、そして王や王の家族を描き、また自然の植物や池などを描きました。あなたは王の彫像や立像、頭部の像などを作り上げることをしました。当然、王やその家族たちと直接同じ場で過ごし、打ち合わせもしました。教えを受けることもありました。太陽神アテンの秘伝なども熱心に聞きました。


紀元1世紀のローマ帝国の前世の前半期ではエッセネ派の修行、システムや体系に惹かれ、エッセネ派の中に入り込んで行(ぎょう)をしていました。あなたはとても熱心に行に打ち込んでいました。滝行などの水によるお浄めが多かったです。また瞑想や祈り、夢解釈、預言、シンボルの効力と活用と解釈などに、あなたはとても惹かれました。


16世紀のスペインにも生きていました。カトリックのカルメル会というイスラエルの預言者の系譜を復興し、その命脈(めいみゃく)を保つ修道院において、あなたは自分を深く見つめ、自分を律し、自分の感じたビジョンや形を日記に書き留めていました。


インドでも2、3度は生まれ変わっています。そのうちの一つは、紀元3、4世紀の北インドにおいてのものです。バラモン教と大乗仏教の両方を学んだり行ったりしていました。世親(せしん)からは高尚な仏教哲学を学びました。唯識(ゆいしき)、浄土論、カルマ論、仏性論などです。あなたは、高尚な仏教哲学に感心しました。一方、バラモン教の方で、密教的な儀礼も熱心に行っていました。別のインドでの前世では、呪文を唱えたり、おまじないをしたり、お護摩を焚く所に立ち会ったりして、熱心に行をしていた前世もありました。


日本の鎌倉時代初期にも生きていました。あなたは鎌倉幕府の近くに住んでいました。しかし、直接幕府に関わっていたということではなく、ひとりの道を求める探究者でした。様々な教えを訪ね歩いていました。そういう中で主だった当時の宗教者や文化人に出会い、教えを受けました。


中でも親鸞には親しみを覚えました。それは、その前の前世、オリエントやインドでの前世でご縁があったことにも理由があります。あなたは「南無阿弥陀仏」をおまじないのように捉えていました。親鸞は、それを特に否定はせず、他力の信心の大切さをあなたにそれとなく言いました。あなたはとても一途で頑張り屋の努力家だったので、一生懸命お念仏も唱えました。


鎌倉幕府では、臨済禅が主(しゅ)で、座禅を組んだり、お護摩を焚く密教が盛んでした。あなたはそのような環境に身を置いていました。親鸞の説く教えもそれに似たようなものだと捉えていました。ただ何か他の僧侶や宗教者や文化人にない、清らかで優れたものがあるし、親しみも覚えるので、親鸞の拠点の、現在の茨城中南部にも何度か足を運び、教えを受けました。長閑でさっぱりした環境の所でした。それがあなたの印象に深く残りました。いいものだなと。


以上が、あなたの主だった前世です。他にも、先ほど述べられたのとは別のエジプトの前世も過ごしていました。あなたは、エジプト固有の秘儀や秘伝に関心を持ち、形の意味や力、シンボルなども熱心に学びました。中王国、エジプトの歴史の中期の頃です。現在、明らかにされるあなたの前世や背景は以上です。これらを参考に、引き続きまた取り組んでいきましょう。


リーディングを終了します。
(ありがとうございました)〈了〉

2011年12月8日

パーソナルリーディングと、前世リーディングの真の効果について

2011.9.9 リーディングNo.12484
【質問1】パーソナルリーディングの真の効果をお教えください。これからの人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
【ソース】最近、世間でも「言葉の力」という表現をしばしば目にするようになりました。人間にとって言葉は極めて重要な意味と影響をもたらします。人間の生活や営みにおいて、言葉の存在と影響が、その全てではないにしても、人間にとって言葉の持つ影響には大きなものがあることは間違いありません。何げない一言が、一人の人に対して好くも悪くも影響を与えます。
そもそも動物などと、人間との決定的な違いの一つが、言葉を持っているかどうかにあります。人は言葉によって傷つき、損なわれる場合もあれば、たった一言で気づきが得られて、気持ちが吹っ切れたり、元気になったり癒されたり、立ち直ったり、明るい希望が見えてきたりもします。言葉に配慮し、言葉を大切にすることは思いやりの表れです。言葉を大切にし、言葉に配慮することがそのまま相手に対する配慮であり、相手の人を大切にすることにもなるのです。適切な表現であると同時に、真心のこもった言葉を使うことが大事です。
言葉には「話し言葉」と「書き言葉」があります。言葉の影響が大きく、言葉が大切であることは昔からよく知られています。言葉による治療や癒しも行われるようになりました。たとえば、言語療法・文章療法・論理療法などです。いずれも人間にとって言葉が鍵となることを表しています。「人間とはなにか」、人間を定義付ける場合、たとえば、人間は行動する生き物である、だから、人間にとって行動が鍵となる。そのような観点で人間を診て治療するのは行動療法です。あるいは表現の観点なら演劇療法などがあります。
もっと内面の心に注目した場合は、内観療法や夢分析があります。行動と生活と心を、座禅を基として取り組む方法としては、森田療法などが知られています。言葉を使い、コミュニケーションによって気づきと治療と調整がなされるものとしては、ロジャースが作った来談者中心療法があります。一般のカウンセリングは多くの場合、それに似たものです。精神医療では精神療法があります。
座禅の公案も言葉を使います。仏教における悟りでは言葉が意味をなしてきます。教育そのものが広くは言葉を駆使して、人間を育成し、教えることです。仏教の中では座禅の公案ばかりでなく、真言宗のマントラや浄土宗系の念仏、日蓮宗の題目があります。神道でも言霊が大切にされています。心理療法では芸術的な絵画療法や音楽療法、色彩療法などもありますが、イメージとともに言葉に注目するのです。ヨガを参考にした自律訓練法でも言葉を使います。言葉には確かに理解をもたらし、人を立ち直らせ、癒す力があります。
昔から、詩・俳句・和歌・短歌などが言葉を大切にし、人の心を豊かにし、和ませてきました。詩よりもっと長いものとしては小説や論文があります。簡潔なものとしてはことわざがあります。昔からの名言・名句・名文・格言・箴言などもあります。また、忘れてならないのは歌です。歌は、言葉そのものとともに、言葉に息吹が吹きこまれ、生きたものとして抑揚もつけられているので効果が絶大です。昔から人が歌に惹きつけられ、歌によって癒されたり励まされたり、元気になるのはそのためです。歌い手さんは特別な人間と見なされ、人を惹きつけてきています。
歌ばかりではありません。霊的には祈りがあります。祈りは言葉の力の典型です。祈りは魂の叫びであり、神仏への願いです。祈りが神仏への魂の訴えかけなら、神仏からの応答もあるはずです。それは、霊的次元からのメッセージです。それには命が込められて、霊力が備わっています。内容が真実で、しかも迫力があって、たった一言二言の霊的なお言葉が人間を蘇生させ立ち直らせます。意味が既にわかっている平凡な内容でも、ハッとさせられたり、新鮮な響きがあるのが特徴です。理解をもたらす以上に、癒し、立ち直らせ、必要な行動を起こす推進力があるのが、霊的なメッセージの特徴です。神仏からのメッセージは効果が絶大です。
そして、パーソナルリーディングのように、個別的に一人ひとりのその時に必要でピッタリのお言葉が説明も加えて与えられた場合は、効果が増してきます。神様からの直接のメッセージは「託宣」と呼ばれます。神様のお言葉そのものに解説も加えると、さらに広がりが出てわかりやすくなります。パーソナルリーディングとは、個人向けの教えであり、天からのメッセージです。その時のその人へ神仏がどう応え、語りかけてくださるか、ということ。
聖書の中には預言書があります。聖書の最後にはヨハネの黙示録があります。黙示録には神のお言葉そのものとともに、その解説の部分も加えられています。預言者ダニエルは霊的なメッセージを頂いた後、その意味が知りたくて祈りました。すると、天使がやって来られ、先程伝えられたメッセージの意味を解説してくださりました。リーディングはメッセージそのものと、それに対する解説も丁寧に付け加えられています。そのためわかりやすく、理解ももたらし、心で納得し、受け入れて現実の事に取り組んでいけます。神仏からのメッセージがこの自分のために特別に与えられるというのがパーソナルリーディングです。
まず、自分の日頃からの悩みや気がかり、また願い事や希望することを天に届けます。それがリーディングの質問です。祈りに相当します。それに対してリーディングによって、その人の個別的具体的な気がかりや願い事という祈りに天が応じてくださり、そのお答えがメッセージ並びに解説として与えられる、そのシステムがリーディングです。
聖書の中なら預言に相当します。神のお言葉を預かる。それが預言の意味です。未来予知も含みますが、もっと広い、深い、意味合いです。「なぜ、こうなっていて、どうしたらよいのか?」。問題に関わる傾向と対策を霊的次元から教えてくださります。今こうなっている意味や理由が解き明かされ、しかも霊的に明かされ、そして、どのように心がけ、その問題に対応したらよいのか、そのことが示されます。しかも単なる人間世界での人間の言葉による浅い解釈や示唆ではなく、神直々に平らな観点から伝えてこられます。霊的な特別なものなのです。
人間の賢い人からの助言や常識の観点を超えています。しかし、非常識ということでなく超常識ということです。その人の現状や立場、特性や役目を踏まえて、現状をどう捉え、どう行動したらよいのかの導きが霊的に与えられます。人は夢を見ます。雑夢が多いですが、特別な霊的夢を見ることがあります。その中で霊的なメッセージや示唆が与えられることがあります。リーディングはそれと似たものです。それを自分が自らを備えて申し込めば、有益な示唆が与えられることが起きます。それがパーソナルリーディングです。「求めよ、さらば与えられん」です。
一般の世界でも良識と善意ある適切で真心のこもったタイムリーな一言二言が、ひとりの人生を全く変えて立ち直らせる力があるように、パーソナルリーディングはそれ以上に、霊的に愛と真実のお言葉が与えられ、それ以降の人生に有効に働きます。その人の可能性を目一杯開かせ、その人の運命の枠の上限の方へと方向付けます。時に励まし、時に慰め、時に霊界からの霊のメッセージが伝えられます。どんな質問や疑問や気がかりや願い事に対しても、その時点のその個人が必要で真摯に求めることには、適切に霊的な答えが神様から与えられます。神の愛と真理は人を自由にし、本来のあり方を取り戻させます。
リーディングはONEのメッセージです。宇宙創造神からの平らな観点からなされます。特定の宗旨宗派や組織や団体に限定されていないため、他の宗派の人でも受けることが可能です。また宗教に所属していない無信仰の人でも可能です。根本の神様は全ての人を想い、求めれば自在に応じてくださる大きなお方だからです。
ヨハネによる福音書や創世記には、「神は御言葉であり、御言葉によって人間を始め、宇宙の万物が創造された」と記されています。神様の御言葉が人間や宇宙の全てを創ったのです。言葉の威力です。神は御言葉なのです。それゆえ、神様の御言葉は人間を創り変えたり、支えたり、開花させたり、救う力が込められているのです。本当の愛と真実の生きた命の言葉が、個別的に、その時のその人にタイムリーに与えられる、それがパーソナルリーディングです。このような機会は格別です。そのためにリーディングをするリーダーは献身し備えてきています。受ける方も自らを備えて心して臨めば、それだけの内容が返ってくることでしょう。

【質問2】前世リーディングの真の効果をお教えください。前世を知るということの意味と必要性、また、今の人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

【ソース】この数百年で科学技術は急速な進歩を遂げました。日進月歩の発展です。しかし、科学や学問でもまだ解明されていない重要な真実が沢山残されています。科学的にはまだ解明されていなくても、事実としてあり、しかもそれが重要な場合、まだ正統的には認められず評価されていなくても、もし事実でそのことが人間にとって重要ならば、そのことを認め、参考にすることで初めて打開できることがあります。
科学や学問で証明され、正統的にならない内はあることとして認めない、また考慮したり活用しない、ということならば、非常に限定された人生となってしまうことでしょう。世間で公認され、また正統的に評価を受け、一般受けしているものは、現時点の人類のレベルを表しています。それらで解決できることはそれらを活用しましょう。しかし、それらだけでは解明されず、また突破できないことにおいては、それ以外のところから打開策を得ることができる場合があります。
ただ一般には、検討されず解明されていないものは玉石混交です。いろんなものが含まれています。ただそれら全てが間違いで役に立たない、あるいは危険である、ということではありません。自分でそれらをよく調べること、また信頼の置ける人たちの言うことを参考にすることです。本当の真実や重要な真実は能力のある人にというより、素直で心がけが良く、思いやりのある人に啓示されます。そういう人が真に賢い人です。そういう人は識別できることでしょう。また、ご縁と必要性があり、心から求めていれば、世間一般ではあまり知られず、評価もされていないことで素晴らしいものに出会うことでしょう。前世リーディングもその一つです。
この数百年の科学や学問ではまだその真実性や効果は証明されてはいませんが、宗教や哲学の本当のものの中に、また神秘学や神秘主義の中に継承されてきている中に、太古からの人類の叡智があります。それは現代の科学や学問以上に、伝統的な流れに属するものです。それが現代に合った形でシステム化されたのが前世リーディングです。仏教などでよく知られている輪廻転生を前提に、一人ひとりの魂を診断し、魂の治療に相当することを施します。前世療法と共通する部分がありますが、昔は宗教の中で師が弟子に明かし、個人指導したものでした。
人間ドックがあります。それは物理的身体的なレベルでの総合診断です。一方、パーソナルリーディングは心よりもっと奥の魂や霊の次元にまで分け入って、本質からその人を総合診断し、医学では治療に相当する癒しや教育、さらに悟りや完成まで導くのがパーソナルリーディングです。そして、前世リーディングはその特別バージョンとして、個人の中の特に輪廻転生にスポットを当てて、その人の魂や霊の観点から診断し、「なぜ、こうなっているのか?」「どうしたらよいのか?」の処方を与えます。
現代の科学の粋を集めた医学でさえ解明も治療も困難な場合の、人間の魂や生活に関わることが解明され、ヒントが与えられ、どうしたらよいのか、その打開策も示されます。現代の科学や学問や常識、様々な民間療法や教育、技術などでは困難なことが、一段と掘り下げた次元で行われることによって明かされ、そして方向が示されます。
また古来、宗教の中で為されてきている祈りや瞑想や奉仕を改めて前世リーディングの観点から平らに述べられ、祈りや瞑想や夢の活用、奉仕の意義や必要性などが解き直されます。特定の宗派や教団によらず、平らに根本の真実であるONEの観点から、しかも受ける方に応じて示唆が与えられます。
特に未だ終わっておらず、現状の問題の根底で動いている前世からのカルマが明らかにされ、その人の気質や性格も読み取られ、本人の自覚を促し、本人が自分を深く認識して受け入れ、調整がなされ、その人に見合う信仰や祈りを通して神仏の働き掛けで蘇生し、癒され、立ち直って、本人が生まれてきた目的を生きられるように導かれます。現代の人間を扱う宗教や心理療法や教育では未だ解明されず、対処困難、問題解決不能な事に照明を当てることができます。
前世まで遡って見ると、「今、なぜこうであるか」がよくわかり、深く納得でき、受け入れられ、癒されていきます。カルマも解消していきます。そして、自分がこうであることをわかった上で、焦らず、安心して、神仏との関わりで現状に取り組んでいけるようになります。神仏との関わりで、と言っても、その人の霊的系統や現在の信仰を尊重し、その人に即して示唆が与えられます。根本の神様は公平無私であり、強要したり、改宗を迫りません。その人の現状を見て理解し、受け入れ、現状に立脚して無理なく「どうしたらよいのか」を見て、適切で無理のない示唆を与えてくださります。
普通のカウンセリングという以上に、牧師カウンセリング、宗教的哲学的な治療や教育になっています。しかも、一宗一派によらない、そして無信仰者でも、その人の現在に応じて理解でき、行えるような示唆が得られるオープンな機会です。
リーディングを終了します。
                                                                                                                                          (ありがとうございました。)