2013年10月10日

次回の個展のテーマや題材は何を扱えば良いでしょうか?

2013.1.16 パーソナル・リーディング No.13210

 質問1  
昨年、黙示録完結篇として全ての章を描き上げ個展を致しました。次回は2014年5月に個展を致します。ONEの教えを広めて行きたいのですが、次回のテーマや題材は何を扱えば良いでしょうか?聖書の創世記や、ヨハネの章とも考えたのですが、キリスト教の普及と誤解されそうで、躊躇しております。その他、7つの大罪や美徳、日本神話なども勧められましたがピンと来ておりません。残る後半生、神様のご計画を限られた時間で描くには、何を手掛けて行けばよろしいでしょうか?お教えください。

【 ソース 】 
普通に見ると、ONEということですので、インターフェイスの方向でキリスト系の黙示録が完成した後は、神道であるとか仏教、あるいはインドやネイティブアメリカンの題材など、ONEということでキリスト系を終えた後は、別の宗教に向かっていくのが良いように見えます。それがインターフェイスになり、バランスも取れて、一つに偏(かたよ)らず、誤解も招かずに済むからです。但し、そのように平均的に平らにインターフェイスということで、キリスト教へということなら、次は別の宗教をということが良いように見えますが、それでは薄められてしまいます。

多くの人々の動き方としては、インターフェイスで、そのようにいろいろバランスよく取り込んでいくのが、良いことはあるのですが、個人の動き方としては、それではあまりにも一般的すぎて、自分に馴染みません。やはり自分の独自性というのがありますので、自分を活かしましょう。全体でインターフェイスになればよいのであって、自分の動きとしては自分の特徴を極め、遺憾なく発揮していくのが筋です。

あなたはあなたに徹する。別のONEの動きの人はその人のものに徹する。そのようにONEの学びをしている人がそれぞれ自分のものに徹してこそ、ONEが全体にできてきます。そういった複数の人たちが集まると、全体が補われ、広い範囲をカバーしているとなるのです。インターフェイスのONEは、単なる薄められた無難な教養講座であってはなりません。自分だからこそできること、自分にご縁があること、それに徹することが各自必要です。

皆無難な線を狙って中途半端に終わったらどうでしょう、単なる素人の好事家(こうずか)の集まりにすぎません。そういうものは世間で求められず、相手にされません。やはり自分が秀でている部分、自分の思い入れがある部分に徹してこそ、その部分が抜きん出るので、評価され、注目され、役立ちます。自分も達成感や充実感があり、行いながら成長できます。それこそ「超作」です。

そのように自分が自分のものに徹底することで抜きん出ることができ、周りから求められ、役立ち、そうすると自分も成り立って生きていけます。迷わないこと、周りを気づかい過ぎないことです。所謂(いわゆる)、人間としての配慮は必要ですが、そわそわして、周りから人受けするような行いをしたり、誤解を避けようと意識し過ぎないことです。

一人ひとりがその人の得意なものに徹して極めていく、そういうプロ集団の集まりでこそ輝きを放ち、世間から注目評価されます。それぞれが自分の最も得意とするものに徹すれば、良いものができてきます。AさんはAというものに徹する、BさんはBに徹する、つまりあなたは黙示録とか創世記とかヨハネの章に徹する。

別の人は絵ではない別の分野で、例えば、日本神道に徹する。別の人は仏教にご縁が深く、仏教に魅かれ、仏教が得意なので仏教に徹する。ONEを学んでいる人がそれぞれ自分のものに徹する。そういう人たちの集まりなら注目され、評価されます。ONEを学んでいる人はそれぞれ自分独自のものを持っているので、それぞれが自分のものを行えば、それらを集めればカバーし合えるわけです。 

自分の中でいろいろ補うということよりも、ここまで来たら徹するのが良いです。本当に自分がピンときて興味があり、やれそうなこと、やり甲斐のあること、自分の特色が最も出せることや活かせることに自分を投じてこそ達成でき、充実感も伴います。極められるし、行いながら成長でき、生まれて来た目的が最も良い形で遂げられます。

ONEという場合、例えば、富士山をイメージしてください。富士山の裾野の広さ広がりはインターフェイスですが、富士山の山の高さは、ONEという頂(いただき)、頂上です。広がりを目指すと、広く浅く流れることになりかねません。寧ろ高さを目指しましょう。極めるということ。完成度合いです。

山の広がりより、山の高さを目指しましょう。徹底する、完成度を上げる、より優れたものを作り上げることです。そうすると自ずと広がりとか包容力もそれなりには伴ってきます。自分の全てを総動員すれば、それ相応の広がりも結果としてついてきます。広がりは結果としてついてくるのであり、目指すものではありません。目指すのは高みです。少々の誤解されることがあってもよいです。気兼ねし過ぎないこと。寧ろ徹することです。自分の世界に入ることです。自分だからこそ首尾よくでき、成就できることに自分を向けていきます。

黙示録としては完結できました。それは必要で良いことでした。何でも途中までというのはよろしくありません。特に自分が得意で大切なことは達成するべきです。最後まで終えて良かったです。その上で見てみると、もう少し広い範囲に立って眺め直すと、黙示録としては完結しましたが、もう少し広い範囲ではまだ完結していないことが見えてきます。仕事には一貫性がなければなりません。それこそ中途半端はよろしくありません。

黙示録が完成したなら、やはり次は黙示録に対応する創世記です。聖書の始まりと終わりだからです。終わりの部分を完成させました。黙示録です。聖書の始まりの章は創世記です。終わりだけでなく始まりも描いて完結します。今度の完結は黙示録の完結というより、それ以上のものです。聖書の完結になります。始まりを描くことで。

黙示録には神様が自らを次のように名乗られておられます。「私は始まりであり、終わりである」「アルファであり、オメガである」。そのようなものである、と。黙示録の内容や啓示は聖書を完結する内容であり、創世記に対応して創世記を完成させるような内容だったので、聖書の最後に位置付けられたのです。

また一方、黙示録を完結させるという別の切り口を見ると、ヨハネによる福音書が浮かんできます。ヨハネの黙示録とヨハネによる福音書はセットです。同じヨハネ文書としてヨハネ系の重要で欠かせない文書です。ヨハネによる福音書だけでもヨハネの黙示録だけでも不十分です。その両方がセットで与えられて完結しました。

福音書ということで4つの福音書を一つに見る捉え方があります。その一方で、ヨハネ系の使命の成就ということで、ヨハネによる福音書と黙示録を一つの関連した作品として完結させられると見ることもできます。あなたが自分のルーツや興味、今世で果たせる役目というものを考えた場合、自分の独自性をどこで活かすかということになります。自分の立ち位置や自分だからこそ成し遂げられることや成し遂げたいことが浮かんできます。

一般的なことというのは人受けしますが、あくまで外の視点であり、表面的です。本人は充実しません。やはり自分の奥深い魂を偽らないこと、これを成し遂げるために自分は生まれて来たし、これは自分しかできない、そこに自分の固有の存在価値がある。そのように思えることに徹するのが、「本当にやった」という思いがします。そうすると、生きていけるのです。 

「創世記」を次選ぶか、それとも「ヨハネによる福音書」を選ぶか、それはあなたが決めて良いことです。自分の感覚やニュアンスとして、またルーツや生まれて来た目的として、ライフワークとして、どっちのほうがしっくりくるかです。好きなほうを選んで良いのです。できるほうを。またやりたいほうを。

仮にあなたが、ある人から勧められたように、日本神話がピンときて、日本の神々と繋がりを感じ、「それを是非したいし、自分なら首尾よくやれそうだ」と思うなら、日本神話を描くと良いです。でもそう思えないなら、しないほうが良いです。日本神話を描いている画家は何人か既にいます。もちろん、キリスト教の絵画も外国人をはじめ、多く描かれてきていますが、それでもあなたのタッチでスタイルで描くということは未だなされておらず、手付かずです。また、順番というものや時期というのがあります。

このリーディングを聴いて、あなた自身の心の中に、「そういうことなら一生のうちに、これから創世記も描きたいし、ヨハネによる福音書も描くのが必要だと思える」そのように感じた場合、順序としてどっちを先行するかです。次は、黙示録の後は、創世記が良いように思えるし、創世記が描きやすいとか、逆にヨハネ系の黙示録を描いた勢いで今度はヨハネによる福音書が描きやすいし、福音書のほうを描きたい、そのほうが順序として良いように思える、そのように思ったら福音書のほうになります。

もちろん他のものもあり得ることでしょう。例えば、あなたの中の思いとして、ルカによる福音書が浮かんでくるとか、お釈迦さんの生涯が浮かんでくるとか。そういうことなら、それでももちろん良いのです。自分の心の実感に従うことです。自分の実感が伴わないことは行っていて迷いが伴ない、つらいです。うまくいきません。根性がないとか、忍耐力がないとか、中途で挫折しやすい性格だとか、そういうことでなく、取捨選択を間違えなければ、やすやすと喜びのうちに達成できるのです。工夫し、うまく自分の本質と同調すれば、他力も加わり、導きがあり、予想以上の好結果が出ます。

あなたは自分を抑える傾向があります。前世から頑張って我慢して取り組んできた人です。努力家です。楽しく朗らかに柔軟に、それでいて一貫性をもって、お計らいの中で身を任せ、身を委ね、行っていきましょう。黙示録を描いたことを弾(はず)みにして、また励みにして、穏やかに気持ちよく次に向かっていきましょう。楽しんで取り組みましょう。更にイマジネーションを働かせましょう。


【質問2】2月で50才となります。今は両親と暮らし、自活せずに食べて行かれる状態ですが、この先の不安な社会情勢や保障のない絵の仕事を考えますと、自分の将来も不安です。これからは心の時代とは言われてますが、絵で身を立てる難しさを感じております。これからの50才、両親とのこと、仕事のこと、結婚のことを含めて、今後の展開、過し方をお教えください。


【ソース】社会情勢や自分の周囲の状況に合わせて実際的になり、また柔軟に応じていくということは、必要ではあります。しかし、自分を下げたり、妥協したり、譲歩するようなことになると、自分の価値を低め、不本意であり、そういうことはうまくいきそうでいてうまくいかない場合が多いです。ちょうど商売をしている人の場合なら、価格崩壊のようにコストダウンして、自分を安売りして、世間の状況に合わせて、うまくいかないのに似ています。ある程度譲歩したり、社会の情勢に合わせていくことは必要ではありますが、一貫性も大事なのです。

例えば、リーディングなら、リーディング料金を下げていくとか、周りの求めに応じて切り売りし、1問にも応じて、1問で15000円のリーディングを作るとか、そういうのに似ています。そういうことは、一部の人から喜ばれ、一時は受ける人が増えるでしょうが、自分を下げ、神さまをも悲しませたり、ガッカリさせることになります。

プロ意識をもって高品質のものを描き続けましょう。ある程度の譲歩や合わせていく柔軟性は必要ですが、一貫性があってこそ、ある程度の柔軟性も生きてくるのです。一時喜ばれ安心され人受けしても、次第に自分が軽んじられ、消費され、飽きられ、捨てられてしまいます。悪循環にはまってしまいます。そういうふうに自らしてはいけません。

お金の法則というのが働いています。お金と心の動きの関連性があります。安く設定すると、それだけのものに実際になるのです。逆に高くしたり高くキープしていると、それだけの内容が伴うのです。常識的に見ると、安くするのが親切で神さまの働きに見えます。ボランティア的に行うなど。そういうことにも真理はありますが、それだけが神のなさり方ということではありません。自分の本質で納得いくように、今世の使命を貫きましょう。合わせるということに走ると、形体が崩れていき、限(きり)がありません。成り立ち難くなり、自分の本質が喜ぶということが減ってきてしまいます。

世間には、精神世界に興味があって、一つの自分の専門だけではやっていくことが厳しくなったからネットワークビジネスに加入するとか、治療やヒーリングを始めるとか、少しでもお金が入って生活できるよう、人を削るほうに向かっていく人たちが多くいます。それはその人の生き方で悪くはありませんが、要は、「自分の場合はどうしたら良いのか」ということを自らに問うこと、また神様に問うことです。

他の人が絵を描いてるだけではやるのが困難になったから自分もそうするというのは、答えになっていません。皆異なります。自分の場合は絵を描き続けて成し遂げるのがいいのかもしれないのです。自分の中に答えがあります。自分の実感に答えのヒントがあります。本当に自分が喜べて納得できるというのが答えの示唆(しさ)になっています。

人生は予想の通りいくとは限りません。肯定的な予想の場合でも、否定的な予想、心配や懸念(けねん)の場合でも、そのとおり現実が動いていくとは限りません。自分の両親も次第に年とってきて弱ってくる、今は家である程度保障されているし、自分の体力も気力もあるから生活できるけれども、これからもずっと絵を描いていけるだろうか。自分の身体の状態や気力、あるいは生活状況、そういうことで心配が出てきます。

でも、元々人は使命を達成するために生まれて来ています。現実の動きは霊的世界との関連で動いていきます。それゆえ、本当に神様や霊的世界を尊び、祈ったり瞑想しながら、自分が成すべき務めを忠実に遂行していけば、成り立つようになっているのが現実です。このように言うと、それは非現実的で甘いと見られるかもしれません。現実はそんなに簡単ではない、と。しかし、自分に徹すれば、そのほうが叶いやすいのです。自分から逸(そ)れないことです。徹底していけば、難しいと思うことでも活路が開かれます。逃げの態勢や受け身の態勢に、心配から始まると、かえって事態を困難にしてしまいます。

仕事を成就するということがどんなにか大事でしょう。周りの様子を見ながら、これからも研鑚(けんさん)に励み、人のつながりを大切に挑んでいきましょう。そうすれば、使命を遂行している限り健康も伴うし、家の事情などもちゃんと自分が一生生活していけるようになっていくことでしょう。迷って妥協しないことです。周りに合わせすぎるのも善し悪しです。自分の使命や仕事を理解し、協力したり、求めてくる方をとことん大切にし、その輪を広げていきましょう。また自分でも努めて人間関係を開拓し、これから広げていきましょう。そういう方々と共に、支えられながら行っていきましょう。


【質問3】先生の新刊書で「仕事の成就」のメッセージを頂きました。数年前に霊能者の方より、私の絵は海外で求められており、まずはニューヨークで発表し、その後、フランス、スペインで求める人々がいると言われました。昨年、○○画廊でのコンクールがあり、海外での発表のチャンスも大賞者にはありましたが、落選致しました。今後、海外での発表の可能性はあるのでしょうか?昨年6月ニューヨークの画廊から個展の誘いはありましたが、いろいろ考え、お断り致しました。


【ソース】まずは日本でしっかりした基盤を作り上げることです。海外での可能性について見てみると、イタリア、ギリシャ、ベルギー、オランダ、スペイン、それからブラジル、メキシコ、韓国、台湾、中国などで可能性が感じられます。外国でも小国、小さな国で評価され、注目され、求められることが起こり得ます。

それゆえ、視野を広げ、絵に関して普段から見ていてください。絵に関する海外の動きを見ていてください。また、外国人と交流したり、連絡を取り合えていれば、そういう情報も入って来やすくなります。思わぬところから誘いや依頼が来たり、あなたの絵に注目してくる小さな国の動きがあったりするかもしれません。

日本で十分にやれるようになりながら、海外での可能性も前向きに見続けましょう。そして、自分でも気乗りしたり、無理がないし、「やりたいなぁ」と思う、「やれそうだ」、「効果もありそうだ」、そのような時は今度は断らず実現させましょう。


【質問4】2010年のリーディングで精神世界の個性派の人たちを目覚めさせ、その特性を引き出す役目があると述べられました。私の周りには、やはり精神世界系の個性派の人々が多く、その様な方々とのご縁がすぐに出来ます。今後、私の具体的な役目をお教えください。また、バランスを図る事でも、一般的な方々との交流も、もっと図っていく方が宜しいのでしょうか?


【ソース】いろんなところに出席し、顔を出しましょう。もちろん、どこに顔を出すかはあなたが選んで決めれば良いことです。あまり気乗りしない、また効果も期待できそうもない、そういうところには出向く必要はありません。「自分で行きたい」、「効果もありそうだ」、「求められたり、役立てそうだ」そういうところには出向いて行きましょう。そして、新しくお友達を作ったり、開拓しましょう。

すぐに仕事につながらなくても、行って意味がなかったとか無駄足だったと、早くに決めつけないでください。勘を働かせ、日々祈り求めながら、仕事第一に生きていれば、神のお導きが働き、自分も勘が働き、開拓されていきます。一般的なところでも、自分に合う感じで、違和感や抵抗がなければ、そして出向きたいなら参加したり出席しましょう。無理矢理広げたり一般化する必要まではありません。自分にしっくりきて、自分が損なわれず、ほぼ歓迎されるところなら行くと良いです。そして、絵のことを話題にし、相手の興味のあることもちゃんと聞いて受け止め、自分のものを話題に出せるようにしていけば、お互いに助け合う関係ができます。

世の中には潜在的に絵に興味があり、絵とご縁のある人達がある一定人数います。また、精神世界に関心がある人達も大勢います。特にあなたの絵に魅かれたり、注目したり、大切に思う方々が居られます。そういう方々を大切にし、更に開拓し、増やしていきましょう。ポイントポイントで連絡を取り合い、報告し、確認させていただきましょう。

また、精神世界の人達とも輪を広げ、開拓していきましょう。絵を通して多くの人に喜ばれ、役立つようにしましょう。すぐに買っていただかなくても大切にし、交流を続けましょう。でも明らかに無意味なつながりや無駄だと思える関わりは減らしていきましょう。自分を求めてくださる方、評価してくださる方のほうに自分を向けていきましょう。そうすると開拓されていきます。

絵を受け入れ喜んでいただくことが、役立っているということの原点です。必ずしも美術的なことがわからない人達でも、ともかく「いいなぁ」と思って喜んだり、意識を高揚させたり、安らかになっているということが、絵を通して使命を果たしていることです。また一方、プロの美術界とのつながりも持ちつつ、専門家から評価されたり評論されたりすることも期待し続け、取り組んで行きましょう。絵に関してできることは何でも手を打ち、行っていきましょう。

神に願い求め、今世の使命がより良い形で達成されるように、そこに焦点を当てながら生きていけば、そのような人生になります。神様や指導霊や先祖霊の後押しも来て、ちゃんと導かれ達成されることでしょう。
                                        リーディングを終了します。

(ありがとうございました)〈了〉