2013年11月7日

新年懇親会やクリスマス会で私が頂いたカードの意味は?


2012.3.8 パーソナル・リーディング No.12747  

【質問1】2012年2月5日、新年懇親会に参加させていただきました。その会で、先生からメッセージカードを頂きました。私が頂いたカードは『主に愛されている人』でした。このメッセージを私が頂いた出来事の意味をお教え下さい。またクリスマス会でも同じような御言葉『あなたは神と共にあります』を頂きました。もしこの御言葉も関連があるなら、合わせてお教え下さい。

【ソース】あなたはこれまで生きてきた中で、自分は人からあまり愛されていない。そもそも自分は人から愛されるに足る人間ではない。そのように捉えていた節がありました。自分の中での動揺があり、自分自身に対する価値に疑いを持って生きてきました。仕事にしても、人間関係にしても、生き方全般において、あなたの根本のところにその事が潜んでいたのです。そしてそれがいろいろ妨げになって、生きるのが辛く、それが仕事や人間関係にも表れていました。

そのような自分に対する疑いや、生きたり働いたりして辛い思いの中、自分を見つめるセミナーを知らされ、感ずるものがあって受けたことでしょう。それから少しずつ気持ちが楽になったり、ふっきれたり、自分の魅力や価値に気付けて、自分を受け入れられるようになってきました。さらに奥深く霊的な所まで分け入り、神様や霊的な観点から自分を見つめ直したくなり、リーディングを受けたり、キリスト教に親しみがあるので、ARIのイベントにも参加するようになりました。

そのように、これまでの辛い人生と、願い求める気持ちで取り組んできたこととで準備がほぼ整って、そのメッセージを頂いたのです。そのメッセージを頂けるところまでようやく来れたのです。その少し前には、静岡でヨハネの祝日の会に参加し、貴重な体験も頂きました。またその少し前には、クリスマス会でARIの温かいファミリー的な集いの一部になり、思うところ感ずるところがあったことでしょう。

そのように神様に導き育てられ、年明けて新年会の御祝いの席にて、ありがたくもったいない御言葉を賜ったのです。あなたは人々から確かに愛されており、愛されるに値するものを持っているんだということ。その根底に神の愛があり、神の純粋の表れであるイエス様から愛されているという事実があったことに気付かされました。人々から愛されている。それで自分でも自分を受け入れてあげていい。そこまであなたは来ていましたが、さらに主から愛されているということ、その本質に関わる重要なことが今ようやく明かされたのです。そこまであなたは時間をかけて神様に導き育てられてやってきました。

もし、いきなり〝主から愛されている〟と言われても、ピンと来ないし、到底受け入れられない御言葉だったことでしょう。でもこれまで数カ月から数年かけて、探し求め、学びに取り組んできたおかげで、自分は自分を受け入れてよいし、自分は人から愛されているし、愛されるだけのものが自分にはあるんだと思えるところまで来ていたので、霊的な次元での愛の本質にかかわる、〝主から愛されている〟という御言葉が受け入れられました。また、それだけ有難く大切にも思えました。人々から愛されるだけでなく、根本のところで、主からも愛されているんだとわからせられました。自分にはそのようなものが備わっている、また与えられているということが、自分で認められるところまで来ていました。

神様のなさることは絶妙です。時期や場所を選んでメッセージを下さります。クリスマス会やヨハネの祝日の会、また、個人リーディングを受けたり、そういった事を経て、あなたが素直で、ありのままになってきたところで、〝あなたは主から愛されている人なんですよ〟という、この上もないメッセージが授かったのです。ただ人から愛され、人々から愛されてるだけでなく、霊的にも価値があり、神様から愛されているんですよ、ということです。

主から愛されている人という表現ですぐ思い浮かぶのは、十二使徒のヨハネです。ヨハネによる福音書に表れている通りです。また、エドガーケイシーのリーディングでも、ポールソロモンのリーディングでも、ヨハネのことを〝主に愛されている人〟と表現して出てきます。それで思い出したのは、あなた自身、大学の時洗礼を受け、ヨハネというお名前を頂いていたことです。ヨハネの祝日の会に参加し、一緒に同朋たちと歌を歌い、セレモニーの一部となり、自分もヨハネというお名前を授かっていたことを思い出し、何か身近に感じ、神のお導きや御計らいを感じたことでしょう。

大学の時に洗礼を受けて、ヨハネというお名前を授かり、とくにそれを意識して求めたのではないけれども、素直に現実の流れに従っていたら、ARIのヨハネの祝日の会に参加し、その一部に自分がなり、そして年明けてヨハネに固有の表現である、〝主に愛されている人〟という御言葉を授かったわけです。

そこには偶然を超えた、神の熱い御意志とお導きが感じられます。あなたにはそれが必要なのです。あなたはそれを願い、それで癒されたりさらに自分らしくなって輝けるからです。あなたが本当に自分を受け入れられ、素直になって輝けるのは、最後は霊的なところまで入っていって実現することによってです。あなたにはそのような霊的なものがあるからです。

しかも、いろいろな宗教に惹かれるものがあるけれども、キリスト教に馴染みやご縁を感じています。またそれぞれの宗教は、根本は一つであるという認識にも惹かれるものがあります。そういったことは十二使徒のヨハネに固有の認識や、生き方なのです。それで自ずとARIに導かれ、そしてしっくりくるものが感じられます。自分の中にそのような思いがあります。

人は自分で考えたり、いろいろ検討して取捨選択します。それとともに無意識のうちにも、神様や霊的存在の影響が及んでいるので、結局は、自分の系統や、生まれてきた目的に従うようになっていくものなのです。人は次第に自分に気付き、目覚め、自分を取り戻し、自分になっていく存在なのです。素直で自分に正直であればあるほど、それがスムーズに起きてきます。あなたにはそのような素直さや、主の言われた幼子の心があります。それがヨハネの精神と魂と生き方です。

あなたは前世において、霊的なものを求め、実践もしていました。あなたには実際的・現実的な面と、霊的な面との両方があります。前世でそうだったのです。それで自ずと生まれ変わっても霊的なものを求めるようになり、求めるだけでなく現実にそれが与えられて、自分の生活の一部になり、欠かせないものとなってきているのです。

人は前世を思い出さなくても、また前世を特に意識しなくても、結局は前世と似たようなものになっていくのです。そうでないものは長続きしないし、成り立ちにくいし、辛いのです。あなたにそのような〝神様と共にある〟部分があって、それがとても自分の中で重要なので、それがないうちは辛かったり居心地が悪かったのです。自分が求めたにせよ、周りから進められ与えられたにせよ、必ず自分を取り戻していくようになります。

あなたに霊的な面があることがクリスマス会のメッセージにも表れました。〝あなたは神と共にあります〟というメッセージです。例えばダビデはそのように表現されています。ダビデは〝主が共におられる人〟と説明されているからです。ダビデが十二使徒のヨハネに生まれ変わったので、ダビデと使徒ヨハネは一つです。ダビデも〝神と人々に愛された人〟と表現されています。あなたはそのような精神を持って、その系統で何度か生まれ変わってきていたので、自ずとARIに引き寄せられ、そこで自分を取り戻し、心からの安らぎや充足感が感じられるようになりつつあります。

最初にリーディングを知らされ、勧められた時は、特に霊的なことまでは求めておらず、もっと実際的な仕事に関することや、自分の現実的な側面についてリーディングを受けたことでしょう。しかしあなたの奥深い部分は、もっとそれ以上のものを求めていたのです。また神様もあなたにそれを与えようとして、リーディングにご縁を下さったのです。それで自ずと、現実の動きもそのような運びになってきているのです。

皆、その時の自分に相応しく、合った所に導かれ、実現することが起きるのです。それが自分の体験となっていくのです。世の中はその様に割り振られ、動いています。

あなたにヨハネの性質や精神が宿り、その系統の魂でもあったので、自ずと大学時代にヨハネというお名前を付けられたのです。現実に起きることは気まぐれに見えたり、時に非合理に見えることもありますが、必ず導きの中で起きてくることで、最終的な落ち着きどころは、自分に縁がありしっくりくる、自分に見合うものになるのです。人はそういうところでしかおれないし、生きられないし、成り立たないのです。

こういったことは、自分でも一人静かになって思いを巡らせば、確かにそうだと思えることです。そうでないことは無理があり、長続きせず、自分でもそう思えなかったり、辛くなったりするのです。自分が深く関わっていく人は、自分と何か似たものがあるものです。また共鳴し合います。それでヨハネ・ペヌエルとも何か通い合うものがあって、「あぁ、ここなら学んだり、お祈りが自分なりにできそうだ」と思えたことでしょう。それがヨハネの性質や精神として共通しているものなのです。

あなたは人を愛することにためらいがある場合が時々あるかもしれません。でも、まずあなたは主から愛され、受け入れられていること、それに気付けば、自分らしくいられて、まず愛される、受け入れられる、それから自然に、自分も周りの人を愛したり、周りに対応していけるようになるのです。

愛される喜びや至福感を十分に感じましょう。それが今のあなたに最も必要で大切なことです。神はその様に今のあなたにピッタリで効果的なメッセージを下さって、育て導いてくださりつつあります。メッセージの背後にある、熱き御意志と働きかけを感じ受けとめましょう。

【質問2】2011年12月28日に『ヨハネの祝日』に参加させていただきました。そのイベントに参加させていただくにあたって、私のクリスチャンネームも「ヨハネ」であることに気が付きました。偶然のような、でもすごく意味があるような気がしました。この出来事の示す意味を私の前世とも関係があるならば、合わせてお教え下さい。宜しくお願い致します。

【ソース】現実に起きることほど確かなことはないのです。出来事はすべてを物語ります。出来事に語らせるのが最も確実で間違いがありません。出来事が真実を「こうである」と物語ってきます。

波動の法則が現実に働いており、現実とは神の生きて働く場です。人間も考えて行動し、結果を作り出しますが、深いところで神が関与し、現実を司って導いておられます。その時点の自分の波動の高さと種類に応じたことを人は体験するのです。全く場違いなことは実現したり体験したりしません。良くも悪くも、その時のその人を表すことが起きて、体験し、それが自分の一部となります。

人は自分に合う場にしかおれません。自分に相応しいことを体験もします。それで、あなたがまだ自覚していないうちから、クリスチャンネームとして、自分の性質がヨハネ的なものがあったので、自ずとヨハネと命名されたのです。そして準備が出来てきたところで、ARIという会に引き寄せられ、招かれたのです。そしてメッセージを頂くばかりでなく、自分でも思うところ感ずるところがあってリーディングを申し込み、このような解説も聞くようになったのです。起きることは神様と霊的世界からの働きかけです。だから出来事はメッセージなのです。

あなたはローマ帝国に生きていました。おとなしく、敬虔(けいけん)深く、真面目な人でした。恥ずかしがりで、人に自分の思いを表現することに困難を覚えていました。普通の職業に就いていたのですが、思うところ感ずるところがあって、キリストの愛の教えを学び、一人で密かにお祈りも捧げていたり、聖書も読んでいたのです。

周りから愛されている人でしたが、自分ではそうだとは捉えていませんでした。それで人の態度や反応が気になり、それを気にかけて、自分の態度や応答を決める人でした。そのように生き、周りを気遣って生きていましたが、ある時からヨハネ共同体の存在を知って、出入りするようになりました。それから少しずつ自分が楽になり、自分で居られるようになって、朗らかで優しい人になっていったのです。

十六世紀から十七世紀にかけてスペインにも生きていました。そこでもキリスト様に祈りを捧げる熱心なクリスチャンでした。あなたにはそのような側面があるので、今でもそれを求めており、それによって初めて楽になり、自分で居られるようになるのです。

【質問3】私のライフシールをお教え下さい。

【ソース】ライフシールの真ん中には、あなたの正面の顔が見えます。胸から上の正面の姿です。その下には「自分であることの大切さと尊さ」、そのように記されています。

ライフシールの、向かって右側には、自然ののどかな光景が映し出されています。草原に野の花が咲いていて、小鳥たちもさえずっています。その下には「心を育み、命を大切に、生かされて生きる」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの左の位置には、多くの人達の中にあなたがいて、自分らしく居られ、周りの人達と上手くコミュニケーションしている光景が見えます。その下には「人々に愛されている、そのことを確信せよ」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの下の位置には畑が見えます。季節ごとに色々な野菜が採れます。畑はあなたの心を表します。色々な収穫物が採れるのは、心の豊かさを表しています。また、様々なアイディアとか、理解とか、知恵とか、優しさが、あなたの心に生じることを表しています。それが多くの人を潤し、助けます。ちょうど畑から採れた野菜が、多くの人の命の糧になるのと同様です。その下には「心を耕し、収穫物を周りと分かち合おう、喜びがあるだろう」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールの上の位置には、神様の御光の中にイエス様とマリア様の御姿が拝されます。その下には「主が共に居られる。安心して恵みの中で生きよう」、そのようなメッセージが見えます。

ライフシールは円の形です。背景色はイエローです。輪郭の色は紫色です。ライフシールのテーマは、「かけがえのなさ。互いに通い合う普遍的な愛」。

【質問4】いつもお導きいただき、支えて下さりありがとうございます。私にふさわしいONEの祈りをお教え下さい。宜しくお願い致します。

【ソース】「神様いつもありがとうございます。こうして生かさせていただいております。日々、奉仕の機会、カルマを果たす機会、学びの機会、恵みの機会をどうぞお与えください。

今世生まれてきた目的が、神様の御心に沿って滞りなく遂げられ、天寿を全うし、神様の御許へと還らせていただけますように、日々御守りお導きください。

神様の御心の通りになりますように。神の御業が私を通しても行われ、顕れますように。日々、ご助力御支援ください。

多くの人を愛し、為になっていけますように。そのような自分になれますように。日々、育みお育てください」。


リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>