2010年10月10日

自分をどのように表現したらよいでしょうか?

リーディングNo.6467 
  
質問1  
自分はどういう人間なのか? ある程度考えがつくが、それを纏めて表現できないので、どのように表現したらよいか。 

ソース  
自分を押さえる傾向が強い人です。我慢してしまうのです。自分を自分で控えてしまう面が強い人です。それは主に前世からの経験で出来てきた性格です。

職業的には典型的な技術系の人で、前世の大半を技に関することで費やしてきた人です。大抵、建築関係の仕事に就いてきていて、建築というのは重要な役目なので、自分が一人の人間として自分の思いとか感情、意向などは通らず、結局物理的な仕事ですので、心とか自分の気持ちというものは押さえなければなりませんでした。それが長年、何百年も何千年も転生の中で続いてきたので、生まれ変わってきてもその傾向が根強く残っているのです。その意味で仕事優先で生きてきた人です。

しかし自分の魂はバランスを取ることを欲しています。それで自分の中では〝果たしてこのままでいいものだろうかどうか、何故自分はこのようになってしまったのだろうか、そろそろ何とかしなければ〟そのような思いが湧いてきました。

でも今世だけでなく何遍も生まれ変わりの中で、その自分の立場や役目上、出来てきた傾向ですので、すぐにそれがちょっとわかっただけで変わったり解決したりするものではありません。それで自分でつらくなってきて〝どうにかしなければ〟と思いつつも、なかなかそれを脱し切れない自分がいます。それがあなたの現状の説明になっているはずです。

やはりあなたの場合、かなり前世というものを考えないとわからないことなのです。要は理屈ではなく、長年の経験で徐々に作り上げられてきたことですので、やはりこれから何遍も自分に言い聞かせたり、気づかせたり、あるいは新しい行動で自分を意識的に変えたりしていかないと、なかなかそう易々とは変わったり、解決したりはしません。

でもそれは諦めろということではないし、無理だということでもありません。何でも小さな一歩から始まるものです。その意味で少しずつではあっても、これから自分で納得できる、より良い自分づくりのために励んでいきたいところです。

例えば後の質問で尋ねられるお付き合いとか結婚ということに関しても、前世で自分を押さえ、我慢して生きるものだと自分の役目や仕事上仕向けられてきたために自分の幸せとか家庭づくりということに関しては、自分の感情が押し殺されて鈍化しており、そのような気持ちも湧き上がりようもありません。

元々は人一倍感情が強いほうなのに自分で蓋をしたり、押さえ込んでしまう習性を身に付けてきてしまっているのです。やはり人間は経験の産物としての生き物なのです。あなたの場合、特にそれが言えます。

自分の感情を尊重し、自分を解放することがあなたには必要なのです。それも無理なく少しずつ行っていくことで現実にもそれが適応でき、まず楽になりますし、人生が良いように巡り出すことになります。ずっと押さえ込んできましたので感ずる感性とか感覚も鈍ってきてしまっているのです。

元々は情のほうの人なのに理知的なほうを重んじ、周りに合わせ、自分の務めを適切にこなすということに献身させてきたために、そのような人格と生き方が作り上げられました。

それで急に〝自分の感情を大切にしたほうがいいよ〟と言われても、わかるのですがいざやろうとすると難しい、わからない、うまく出来ないのです。そのようなところがあるようです。

でも最初はそういうものです。そこで〝やはりこうなんだ〟と決めつけたら逆戻りで、何にもなりません。たとえ少しずつではあっても諦めずにそのことに取り組み出せば、少しずつは感覚が掴めたり戻ってきたりして、その時は非常にいい感じの思いや感覚が伴いますので、それを励みにしながら更に追求していくことが出来ます。

出来るだけ自分の感情や感覚に目を留めて、「今、自分はどう感じているのか、自分はどう思っているのか、どうしたいのか、どうするといいと自分は感じているのか」、そういうことを自分の中で聞いてみて、出来るだけそれが遂げられるように現実をよく見て、現実の中でそれが無理なく調和しながら遂げられるように調整したり工夫しながらその意向を遂げてあげる。そのような仕向け方をしていってみてください。

やはり前世から技術関係の仕事、主に建築関係が主でしたが、その中でやはり何十人、何百人の中で、その一駒として仕事を当てがわれたり、作業に従事していたわけです。そうすると自分がどうしたいとか、どう思うとか、休みたいとか、くたびれたとか、やる気が失せたとか、自分はこういうふうに設計を変えたほうがいいと思うとか、そういうことはとても言っていられません。役目や立場上。全体の状況からしても。

それでどうしても全体重視、全体優先で、その中で自分を押し殺して今のようなあなたが作り上げられてきたのです。でも自分の中でそれにそぐわないものが感じられ、あるいは自分の中の魂の叫びがあって、ずっと押し殺してきましたが今のような時代の日本に生まれ変わってきますと、周りの人を見てみて「自分はどこかおかしいのではないだろうか、このままでいいのだろうか、そもそも、何故自分はこのようなのだろうか」、そのような疑問と共に問いかけが始まり出しているところです。

自分を少しずつ解放して新しい環境に適合させていきましょう。そのように努めて自分を新しいほうに振り向けていけば段々感覚が働いて〝あー、こういうふうにするといいのだな〟と体験上掴めてくるようになります。

こつこつと義務をこなすことに励んできた人です。前世では建築現場の監督を務めていたこともやはりあったのです。また孤独癖があり、あまり人間関係の、特に身内からの愛情面で恵まれないという傾向は前世からのもので、それをあなたは今でも漂わせているのです。そのために自分では望んでない、むしろ一番歓迎したくないのに、そのようなものを自分の拘りとか心配があるので一番望んでいない状況を、また自分で作り出すといいますか、招き寄せてしまうものなのです。

人はよく心の中で心配したり怖れていることが予めあって、それがついに起きた時に、「最も怖れていた事が起きた」と言います。それはやはり主に前世からの屈託があって、前世の嫌だった時の思い出が記憶として留まっていて、それが陰に陽に妨げとなり、結局はまた同じような運命を辿ってしまうものなのです。自分ではもちろんそのことを望んでいません。でも自分の中でそれが整理されていない、それが解消していない、一つの怖れの囚われとなっていますと、またそれを繰り返してしまうものなのです。そのようなことをカルマと言います。

あなたの場合も、かなりそういう屈託があって、望んでない状況や関係や出来事を、また招き寄せたり引き寄せる傾向があります。例えばあなたが自分を押さえたり、人間関係の、特に身内の愛情面で前世であまり恵まれていなくて、本当はこれからは恵まれたい気持ちが強いのに、前世でそのわだかまりが解消せず、怖れや拘りとして留まっているために、またそのような家庭環境に生まれ変わり、そのような境遇に身を置くことになってしまっているのです。

ではそのようなものを解決するにはどうすればいいかといいますと、まずこのような背景とか、これまでの経緯を認識することです。そのためにもリーディングでこのようにお伝えしているのです。これは暗示とかではなくて実際、過去世で事実としてあったことなのです。

まず解くためにはこのような背景を認識し、正しく理解することです。そうするとあなたの心の中に〝なるほど、そうだったんだ。それでこのようになってきているんだ〟とわかるわけです。

人間はやはり納得したがる生き物ですし、認識は大事です。特にあなたはそうなのです。それでまずは〝そうなんだ〟と理解して納得すること、それが必要です。それでこそ受け入れられ、落ち着いて楽になります。そしてその上で〝では、これからはどうしたらよいのか〟というヒントも浮かんできます。そしたら、これからはそのようなものに自分が囚われずに、それを解消し手放して、もっと自分の今後に相応しい生き方を作り出していこうと思い出し始めます。

そして段々その方向付けを取って、これまでの屈託があなたの中で解消され、自分で工夫したり、努力したり、再調整したりして、これからはそのような自分に拘らないで新しい本当の自分が望んでいる愛情豊かな、そして自分の本当に、自分に合った仕事を探そうというふうになってくるわけです。既にそのようになり始めようとしており、やはり今はそのような時期なのです。

そうすると自ずと建築の現場監督の仕事も辞めるような具合になるものだし、またリーディングを受ける気になって実際受けれるようになり、そうするとこのようなことが情報として伝えられるようになるものなのです。機運が熟してきたということです。ようやくそこにまで至れたのです。

それでこれからは大分、これをきっかけにして楽になり、気分が一新されます。一遍に変わったり、解決するというわけでないにしても、確かに少しずつは今後楽になるでしょうし、変わっていくことでしょう。

既にそのような方向付けが取られたならば逆戻りしないように自分にもよく言い聞かせ、また少しの成果を励みとして更にその方向で取り組んでいってみてください。そうしたら新しい境地が開け、客観的・物理的に見ても状況や周りの内容が確かに変わってくることを体験していきます。

そのような時期に差し掛かりましたので、あなたさえその気になって、その方向付けを取れば実際そうなってきます。カルマが現れ出て、解け始めてきている何よりの証拠です。その意味であなたは変わるでしょう。もちろん、良いほうに変わるわけです。元々の自分本来の良さが戻ってくるという意味です。自分を見失い、別の人間になってしまうわけではありません。

それでこれから一年後とか二年後になると別の人間に変わったというよりもむしろ〝あー、これが元々のいい感じの自分なんだな〟という実感です。だから楽で無理がありません。むしろこれまでのあなたが自分を作っていたり、押さえていただけであったと気づくようになります。もっと自然体でいられて、自分を自分で押さえ込むことがなくなってくるからです。

まず自分はもう自分に〝そのようにしなくていいんだよ〟とよく教えてあげてください。そして自分の感情や気持ちを認め、受け入れてあげるのです。自分を甘やかすというより、自分に優しく接すること。そしてその方向で行動する自分を赦してあげることです。もちろん、周りに沿った形でそれを行っていくわけです。

質問2  
これからの職業のこと。 

ソース  
人には誰でも前世があり、何遍も何十遍も生まれ変わってきています。その中で基本的には生まれ変わっても同じ人なのです。ちょうど、十年前、二十年前の自分は今の自分とは少し違いますが、でもやはり同じ自分でしょう。小さい頃の自分も。前世の自分と今生の自分というのもそういう関係にあります。基本的には同じ人なのです。生まれ変わっても。

さて今の人生の中で職業をくるくる変える人と、同じ仕事をずっと勤め上げていく人とがいるように、生まれ変わりの中まで広げてみてもほぼ同じ仕事を生まれ変わりながら続ける人と、生まれ変わりながらくるくるといろんな仕事をしてきた人とに分かれます。あなたの場合、かなり仕事が変わってきていない部類です。

あなたは典型的な技術系の人で、技が巧みな人でした。技術とか工芸、美術など美術工芸、技術技芸、技などにほとんど生まれ変わりながら献身してきたこだわりの人です。物理的・実際的なことに関わり、実用面で貢献してきました。型などに関わり、例えば鋳型とか型枠のようなものから始まって建築を始め、物を製造したり制作してきた人です。物作りの職人さんの一人だったわけです。

でも周りとはなかなか難しい関係にありました。全く周りと不調和であったわけではありませんが、あなたは気難しがりで深刻なところがあり、自分で我慢して堅物の人だったのです。それで大抵、現場で独りこつこつと作業に打ち込んでいる人でした。
でも、そのような自分に疑問を抱き、それが募ってきて今世、今それが自分の中で解消するのを待っています。

古代のエジプトそしてギリシャを始め至る所に転生しながら建築関係の仕事にほとんど従事し、あるいは鍛治職人さんであったり、機械部品の製造や鋳型の仕事に就いたりしてきた人です。あまり人間とか生命に関わる仕事には就いてきていません。つまり教育とか医学とか心理学とか経営とか植物栽培とか園芸などの仕事には殆ど就いてきていません。

ただ数は少なかったですが盆栽職人とか植木職人さんであったことはあります。あとは森林の整備や伐採など林業の仕事に就いていたこともあります。でも大抵は林業そのものではなくて、伐採されてきた木を元に家具調度品、例えばテーブルとか腰掛け、柱などを木を元に作り上げる大工職人さんのほうでした。また数は少なかったですけれども調理人、板前さんだった時もありました。

一方、企画とか編集、報道、取材など情報媒体の仕事は三割ぐらいあなたの前世の職歴の中で就いてきており、考古学的な発掘調査や文字の記録、書記官、秘書役などはあなたの中でユニークな職業でした。また織物業で工芸品、民芸品を作ったり、動物の毛皮をなめして衣服や、また床に敷くものを作ったりした職人さんだった時もあります。

あなたがこのような前世の職歴を持っていることを自分の中で認識し、「いろいろ自分も自分なりに努力したり、行ってきたんだな」と思えれば意識の枠が広がり、自分の新しい可能性にも目を留めるようになります。その上でやはり現状を見て、「では今生これからどのように自分は職業上生きていくとよいのか」を自分の中で見ていくことになります。

基本的には現状を見ながらも自分の心の中で〝こうしたい。こうするといいと思える〟というのでいくとよいわけです。実際あなたの心の中に建築関係であっても現場監督というよりも、むしろ設計やデザインなど自分をそのようなほうに振り向けたいという思いが出てきています。それは非常に適っており、それが今後のあなたの可能性です。

全く別の分野に転ずるのではなく、やはり前世からの流れからしても今世の役目から見ても建築関係の仕事に今後とも就いたほうが安定し、自分を発揮できそうです。人にはできることは限られているのです。それは適性や経験ということです。デザインとかはすごく合っていて、向いています。是非そうしてください。それは叶うでしょう。ビジュアルの方面に能力のある人です。前世では型枠や鋳型などに関わっていたり、建築の際に柱を立て、その柱を支える金枠のようなものを作ったり、考案したりしていた人です。

またオリエントのほうの前世では石造物が多かったですので、石切り場でも働いていた人です。でも今後、自分のアイディアを生かして提供し、自分の心の自由な発想が何等かの形で生かされていく楽しみを体験していくのは、あなたの幅を広げます。

大体、実用的なものを作り、実際にそれが使える。あるいは安全である、成り立つ、役立つというところの観点で才能を使ってきた人です。それで純然たる芸術家というよりも、やはり実用的な応用の面での工学に自分を献身させてきた人です。探求心が旺盛で直向きな人です。

前世でもリサーチ関係の仕事に就いていた時があり、探偵ではなかったのですが調査とか記録、データ作り、集計などの仕事にも就いたことがありました。
幾何学の方面での才能と、観察力、そしてビジュアルな方面での感覚で優れている人です。

質問3  
彼女が出来ないのですが、彼女がどうすれば出来るようになるでしょうか。また結婚の願望は強くないのですが、結婚したほうが良いのか。 

ソース  
あなたは構えてしまうところがあるようです。予め構えて臨む、向き合うという傾向です。作ってしまうというのとはちょっと違うのですが、自分の態勢を予め作って相手に向き合うという傾向があるようです。そうすると相手も緊張し、構えてしまいます。

男性と男性との関係でしたらば社会的・形式的な関係が主ですので、それである程度通用します。しかし相手が女性の場合は、女性というのは感情が強いし、感性に優れているので、〝この人はすごく窮屈で固い、取っ付きにくい、感情を押さえていて何を考えているかよくわからない〟というふうに思われてつまらなかったり、心配になったりしてしまうのです。そうするとせっかくのあなたの元の良さが生かされません。構えるとかえってよろしくないのです。

そのように緊張して掛かり出す人ですので、そうするとしゃべる時もつっかえてしまい、滑らかに表現できにくくなってしまいます。力んで始めるところがあるからです。他にうまく話せない理由としては前世からやはり無言で義務に忠実についていって働いていた人で、言葉の仕事というのはほとんどしてこなかったゆえです。

演劇の方面の仕事にギリシャで就いていたこともありましたが、裏方の仕事で舞台装置に関わったりしていたので、あなた自身が自分を表現するということは出来ませんでしたし、また、したがらなかったのです。自分はそれに相応しくないと自分を見なしていました。

しかし人間というのは、もっと本能のところでお互いに察知し合う生き物です。話術とか言葉での表現はもちろん、人間にとって大事です。しかし実際は、人間と人間との交流というのはもっと根っこのところで関わったり繋がり合うものです。それで言葉が巧みであっても、もっと奥底のところで共感が湧かなければそれ迄ですし、逆に言葉は拙くても真心とか誠意が伝われば相手は安心するし、好感も抱きます。それはわかってください。

それであなたはそれほど、気にしたり心配する必要はなくて、言葉が上手なことに越したことはないのですが、もっと決定的なのはやはり本人の本性とか動機、あるいは人柄です。それゆえあなた自身、それで良いものがあるわけですから表面のところの言葉とか表現はあまり気にする必要はなくて、自分に合った話し方とか表現を取ればよく、あとはあまり心配したり気にしなければよいのです。特に女性はそのようなことに敏感ですので、表面では見てきません。

あなた自身の良い人柄が元にありさえすれば堂々と自信を持ってリラックスし、そのままの自分を出してください。どうせ作っても遅かれ早かれ人というのは相手を察知しますから、それほど取り繕ったり余計に気遣うことはないのです。配慮は要りますが、気遣いは取り越し苦労です。かえって作りすぎますと緊張するし、相手も心配になり、本心がどこにあるか気にしてしまいます。

あなたに合ったお付き合いの仕方をしてみましょう。あなたはコツが掴めると上手にいくほうですので、これまではあまりご縁が無かったのかも知れませんが、段々にはご縁が出来そうです。非常に手堅くて慎重な人です。責任感が強く、しっかりと事に取り組むほうです。あなたの人柄の良さがわかった人とご縁ができます。

将来的に結婚してもしなくても、どちらでもよいのですが、どちらかというならば前世を踏まえて今世の目的と理想と学びの観点からして結婚のほうをお勧めします。そしてそれは可能です。やや遅れて三十三歳から三十五歳ぐらいにその可能性が見えています。

質問4  
自分が何故生まれ、何を果たすために生まれ変わってきたのか?前世も併せて教えてください。 

ソース  
人生の喜びを体験する為です。あなたは義務のほうに自分を結び付けてきました。〝こうしなければいけない。出来るだけそつなくこなさなければならない〟そのように義務に忠実に、一つひとつを果たすことに自分を結び付けてきました。

もちろん、人生においてそのような側面はなおざりにされてはいけません。しかしもしあまりにアンバランスで行き過ぎますと、いろいろあとで無理や不都合が生じてきて〝果たしてこのようでいいものだろうかどうか〟という思いが湧いてきます。

無理というのはずっと押し進めていくことは出来ません。必ずどこかで破綻を来したり、それ以上押し進められなくなるものです。例えば体が言うことを利かなくなったり、つまり過労とか病気です。体調を崩すとかです。あるいは心理的にもう持たなくなったり、あるいは状況上どうしてもそれ以上進められなくなったりなどが必ず生ずるのです。あなたはわりと我慢し、自分を押さえてやってきたほうです。

既に前世の職歴に関してはお伝えしました。あなたはもっと自分の中でバランスを取ったほうがよさそうです。自分を楽にしてあげること、そして物事の良い面を見ていくこと、あるいはすべてのことを良く捉えること、明るい面を見ていき、上手に楽しんで人をも楽にさせてあげる、安心させてあげる、状況を受け入れる、そこで上手に生きていく。そのようなことがあなたのバランスを回復させます。

あなたは無理をしたり、我慢する傾向が著しいのです。ある程度我慢したり合わせることは必要なのですが、それがやり過ぎだということです。それでもう少し自分の感情とか相手の気持ちとかを大事にして、現状の中で少しでもお互いの気持ちや思いが叶うように配慮したり、それを考慮する。そのようにすると、もっとスムーズに物事が巡り出します。

「これは何時いつまでにこうしなければならない」と、自分の中の計画とか規制が強すぎないでしょうか。人生ではそれほど何もかも定まっているわけではないのです。予め計画を立てて、それに沿ってすべてをこなしていかなければならない、そのような面がやや強すぎます。

計画があることは良いことです。しかし後々までそのとおりしなければならないという意味ではありません。計画は目安に過ぎず、その時の状況や気持ちや着想、閃きを大事にしてください。そしてお互いの自由、気楽さというものを尊び、自分で清々しく気持ち良く感じられる、その心境を味わっていくのです。

あなたはあちこちに転生しながら、こつこつと技の関係や仕事をしていました。エジプトでは建築関係の仕事で現場で石切りをしたり、柱を支える技術で貢献しました。日本の古代には古墳造りとか土木関係の仕事をしていました。日本の鎌倉時代の頃はやはり建築の仕事、それから美術に興味を持って絵を描いていました。江戸時代には染め物業を営んで塗料・染料に詳しい人でした。

アトランティス時代には設計技師で図面を引いていました。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

<了>