2012年12月6日

あなたの洗礼名はマルタです。


2012.6.13 パーソナルリーディングNo.12881

【質問1】洗礼名をお授けください。

【ソース】今回の洗礼に基づくあなたの洗礼名はマルタです。歴史上のマルタは働く女性のお手本でした。また師匠を自分の家にお迎えし、家族や親族や近所の人達と一緒に、自分の家で師匠のお話を聞きました。師匠を家にお迎えして準備し、もてなした女性のお手本です。

キリスト教の方では、姉のマルタと妹のマリアが対照的に説明されています。妹のマリアは一途に師匠に付いて、教えを少しでも学ぶように心がけて、そのことを優先し、専心していたように言われます。

一方のマルタの方は、家庭夫人として家庭の主婦の典型のように言われ、教えを学ぶことよりも、料理やお掃除など、家事仕事で切り盛りするのを重んじて、上手くいかないとイライラしていたように説明されます。そのような側面も確かにありますが、しかし本質を捉えておらず、一般のキリスト教的な解釈は外れています。実際のマルタは、単なる家庭の主婦ではなく、むしろ教えの場をセッティングし、家を伝道の場として開き、講話会を主催するやり手の社会的な女性だったのです。

マルタは単に家に引きこもっていた専業主婦ではなく、むしろ社会的な活動家であり、主婦の立場を活かして自分の家を多くの人に開き、家を学びの場として、多くの人のために提供し、師匠や弟子たちをお招きして、家族や周りの人達と一緒に聞くことを行った、やり手で有能な社会的女性だったのです。単なる家庭の主婦がそのようなことをするわけがありません。ところが一般のキリスト教の解釈では、マルタは家庭婦人の典型で、「教えを学ぶことよりも、家事仕事を切り盛りする方を優先していた」、と説明されてしまっているのです。

あなたの場合も、自分では、家庭の主婦の典型であり、平凡な一女性のように思っているようですが、確かに平凡な家庭の主婦の面もありますが、それだけではなく、実際に自分の家を開き、師匠を招いて講話会を開催したり、普段も家族や親族やお友達に《ONEの教え》を知らせ、お誘いしたり、育てたり、見てあげたりしながら一緒に学ぶ、熱意のある意欲的な女性なのです。

もしあなたが単なる家庭の平凡な主婦だけの女性なら、今ここには居られないし、これまでの熱心な学びにしても、家族や親族やお友達をお誘いしていることにしても説明がつきません。あなたはそのことを以前自覚させられたことがありました。それでも自分を慎ましやかに、平凡な一女性、また家庭の主婦と捉えることは良いことです。そのようにあなたが自分を認識していることで、周りの人も動いてくださったり、力を貸してくださるのです。

あなたが謙虚で素直に、しかも熱意を持って無我夢中に取り組んでいることが、周りを動かし、現在のような島田での動きを作り出したのです。あなたは自分の功績とか力量によるとは捉えておらず、「周りの方々のお陰である、また先生のお力や魅力のお陰である、一番の基(もと)では神様のお力によることである」・・そのようにあなたは捉えています。

確かにそうなのですが、あなた自身の熱意や力量が周りを動かしている面もあるのです。しかし、それをあなたは自分でピンときていないし、謙虚でいるのがあなたの良さでもあります。それで周りも助けてくださって動きが出てきたのです。それでもあなたがいい意味で自分に自信を持ち、感謝と喜びが更に湧いてきて、確信を持って今世を充実したものとして、神様の御心に沿って全うできるように、《マルタ》という、あなたにお似合いの洗礼名が授けられるのです。

あなたの一途の一生懸命の取り組みが、家族や周りの人達を動かしています。それはあなたの素晴らしい面です。それがますます発揮されますように。そして神様に喜んでいただいて、家族も親族もお友達も皆救われますように。それはかつてのマルタの思いでもあり、特性でもあったのです。

あなたはアジアに典型的な女性でもあります。自分を一個人として捉えず、家族や近所の人達も自分の一部のように自然に捉えられるからです。あなたは頑張る所があります。でも自分だけのために頑張っていることはほとんどありません。周りとの繋がりであなたは頑張っているからです。

またマルタは、世間的、一般的な面も持っていて、妹のマリアのように、完全に神を信じて委ねることができない面もありました。でも心ではすごく信じたくて一生懸命でした。兄弟のラザロが腸チフスにかかって、熱によって他界したとき、《主なら蘇らせれる》と信じたかったけれど、さすがに死んでしまった人間を、主でも蘇らせられないのではないか!?何故亡くなる前に来てくださらなかったのか!?そのような悲しい思いを主に打ち明けています。あなたの中にも信じたい気持ちと共に、一般的な感覚もあって、その葛藤の中で、「何とか他力に行きつきたい!」という思いで励んでいるのもマルタ的です。

前世で何度か偉大な教えに出会いました。あなたが一心不乱に無我夢中で働いたり、頑張ったり、努力していたことによります。前世でもあなたは努力家であり、忍耐強く、一族や近所の人のために働いて生きていたのです。しかし、どうしても信じて託すことができず、信じて託していたつもりでも、自分で頑張ってしまい、苦労が多かったです。

それでも生まれ変わりながら、少しずつ他力ということが分かってきて、素直に信じて委ねられるようになりつつあるのです。あなたがそのようになれるように、今回洗礼が授けられました。今日ではありませんが、少し前に授けられたのです。そして今日改めて洗礼名と共に、この解説が与えられました。

ちょうど子供が誕生したときには、親が子供の名前を命名します。その際、親はただ子供に名前をつける場合はほとんどなく、親の期待や願い、命名する意図が名前に込められているものです。例えば、幸子という名前を命名する場合は、この子に幸せになって欲しいという親の願いがその名前に込められて、その名前を子供につけます。めぐみという名前を親が子供につける場合、恵まれて欲しいという願いを込めて、そのめぐみという名前を子供につけるものです。

洗礼の場合《霊的な誕生》の時です。それゆえ、この人間には霊的に誕生した際、これからこのような人生を送ってほしいという《神からの願い》が込められて命名されるのです。

【質問2】新年会にて、「あなたは求められている」というカードメッセージを頂きました。私が頂いたこのメッセージの意味をお教えください。

【ソース】カードメッセージや色紙メッセージを頂く場合、それは出来事言語、つまり出来事メッセージとなっています。頂いたカードのポイントは二つ三つあるものです。それが法則から言えます。

一つめのポイントはその内容が当たっているということ。文字通りの意味か、象徴的な意味か、いずれにしても内容が適確で、本人に当たっている、外れていない。これが一つめのポイントです。

二点目は役立つということです。当たっていてもただ事実ということではあまり意味がありません。適確な内容をメッセージで授かると同時に、それを知ることで今後生きて行く上で役立つ、為になるということが二つめの条件です。

三つ目は意外性です。本人が自覚していて既に行っていることなら、わざわざ出来事メッセージで頂くまでもありません。当たっているのだけれども、本人があまり自覚がなく、今の時、自覚することが必要で役立つ場合、メッセージが賜ります。本当の内容なのだけれども、本人がまだあまり自覚していないためにそのことが活きていない、作用していない場合、「実はこうなんですよ」ということで自覚が促される。これが三つ目のポイントです。

色紙などに書かれたメッセージが100名くらい居られるうち、そのメッセージが当たっている人が10人居たとして、10人の人は該当者なのですが、今、知るタイミングがあり、それで有難く思えて、それが為になる場合、10人の中のその1人に授かるのです。あなたの場合もそうでした。

あなたは周りから求められ、頼られている面があるのです。メッセージの内容の通りです。つまりメッセージは外れておらず、その通りです。あなたはそのような人なのです。そしてそのことを知ることがあなたの為になります。あなたの励みになるし、あなたが更に使命を遂行でき、周りの役に立てるようになります。自分の為になることで、周りの為にもなっていけるのです。

そして三点目として、あなたは周りから求められ、周りにとって有用な存在であるにも関わらず、あまりその自覚がなく、何となく無我夢中で動いているだけのところがあります。それでもある程度発揮していますが、今年のタイミングで、そのことがメッセージとして授かることで、ハッとさせられてそのことを自覚し、そのことを肝に銘じて取り組むことで、なお一層励みになったり、感謝と喜びが湧きながら、確信をもって自分を活かし、周りの為になっていけるようになる。そのことが神様から願われていたのであなたにいったのです、そのメッセージが。あなたにいくのが最も相応しく効果的だったからです。

メッセージを頂くと、はしゃいだり喜ぶ人がいます。それはそれで良いのですが、当たったとか、何だったとか、そういうことより大事なことは、それを受けることで、つまり頂くことで、《どんな影響が及ぶか》です。当たっているとか、そうだったんだとか、そういうことよりも、そのメッセージを頂いたことで、どんな変化が本人並びにその周りに起きるかが重要です。メッセージとはそういうものなのです。

当たった、外れただけでなく、それを自覚させられ、ある方に導かれ促されるという効果が伴うから《メッセージ》というのです。「あぁ、自分は自分が思っている以上に周りから求められ、自分ができることやすると良いことがあるんだ」と思えてきます。そうすると良い意味での責任感も出てきて、「それなら更に励まなければ」と思うし、「今までしてきたことも単なる徒労ではなく、的外れでもなく、自分はちゃんと自分がするべき務めを果たしてきたんだ」と確認がとれて安心でき、これからもその方向でいこうと思えます。

人は意外と自分のことが分かっていません。それでメッセージが届くのです。《あなたは実はこういう人なんだよ。こういうふうにすると更によくなるし、神様に喜ばれ、周りの助けにもなれるんだよ。自分のことが分かっていますか》。そのようにメッセージが届くことで、神様の意志表示が為されます。「あぁ、自分は周りから求められ、周りの助けになるようなお役を授かっているんだ。それならますますその方向で動こう」と思えます。

なんでも活かすと良いのです。自分の経験でも、知識でも、アイディアでも、行動力でも、お金でも、人間関係でも、過去の失敗でさえも。どんなことでも、悩みの種とか躓(つまず)きの石にせずに、「活かそう」と振り向ければ、欠点や罪やカルマでさえも活かされます。活かそうとすることが大事です。それが愛であり、神様の方向なのです。活かそうとするのは神様の御心の方向であり、神様の喜ぶところです。

例えばあなたが自分の子供を見ていて、子供が自分の欠点とか過去の失敗とかを、いつまでも恐れたり、悔んだり、悲しんでいるのを見たらせつないでしょう。一方、自分の子供が自分自身の長所や良さばかりでなく、自分の欠点や過去の失敗さえも、活かそうとして取り組んでいれば安心するでしょうし、嬉しく感ずるでしょう。親心とはそのようなものです。

人間にとっての霊的な親とは神なのです。ですから神様は、人間がそのように生きることを喜ばれ、応援してくださるのです。自分の思いや、方向付けや、行いが神様の喜ぶものの場合、運が良くなり実りがあります。また健康になったり元気になるのです。それは順風に乗って歩いていくのに似ています。また順風の方向で船を走らせるのに似ています。

【質問3】母を含め、8人兄弟のうちの3名が同じ間質性肺炎になっております。同じ家系の下(もと)にある主人を含め、子供、孫に向けて、より良い生き方を御教示ください。

【ソース】体質と病気を分けて見てください。体質と、病気に罹(かか)ることを、一緒くたに見てはなりません。体質は変えにくいですが、病気は変えられるというか、治せます。或いは病気に罹らずにも済みます。

つまり遺伝の法則によって、その肺の病気になりやすい体質は子孫に受け継がれていきますが、その体質だからと言って、必ずその肺病になるとは限りません。体質は今後とも引き継がれていくでしょう。でも、その体質だったから絶対その肺病に罹らねばならない、ということはないのです。体質と病気は結びつけて見られやすいですが、別です。

例えば癌体質の家系の人達がいますが、癌体質と癌に実際に罹ることは別問題です。確かに癌体質の人は癌に罹りやすいですが、必ず癌になるということではありません。それと同じです。養生したり、家系的なカルマを解いたりすれば、体質自体は受け継がれていっても、その肺病にはならずに済むのです。病気になるのは体質と多少つながりはあっても、それだけで病気になるのではありません。

先祖のことをお祈りして癒してあげたり、ご先祖さんに感謝してお祈りをしてください。お祈りとしては、《御先祖さんが癒され浮かばれて救われますように》というお祈りと、《御先祖さんの頑張りについて感謝をお伝えすること》、この二点です。そして後は神様に御先祖さんのことは委ね、自分ではこの世に向き合って自分がするべきことを通して自分を磨き、自分のするべきことを通して世のお役に立つようにしたり、人を助けたり、見てあげるような生き方をすれば、それが何よりの供養になり、家系の罪障消滅になります。

そのような生き方をしていけば、家系のカルマが解消して、体質は受け継がれていっても、その肺病になることは減っていきます。世の中の人を大目に見たり助けていくことが家系のカルマを解き、家系から肺病になる人を減らすことになるのです。個人主義に陥らず、物にも囚(とら)われず、人々や自然を慈しみ、助けていくのです。

また次のようなこともあります。家系の遺伝といっても、子孫は次々に別の家系の人と結婚して、子供をもうけて子孫ができていきます。どの家系のどんな人と結ばれて子孫を作っていくかということは、全て定まっているのではありません。お祈りをして、良い方向付けをとって励んでいれば、その体質を相殺(そうさい)するような、つまり、その体質を和らげるような家系の人とご縁を頂けて、段々その体質が緩和されていきます。そのように神様が計らってくださるということです。

本当に役目と必要性と寿命があるうちは、人は生き続けられ、病気で途絶えることはないのです。あらゆる命の元は神にありますので、よく祈り、お力を頂いてください。「O家もS家も、それぞれ生まれてきた魂達が、神様の御心に沿ってカルマと使命を果たし、天寿を全うして救われていきますように。何卒よろしくご助力御支援ください。神様の御心の通りになっていきますように」そのようなお祈りと共に神様に信じて委ね、後は安心して自分のするべきことを通して周りのためになる生き方を心がければ、お祈りした内容の通りになっていきます。

また対策として、呼吸をしていることに「感謝と驚き」を覚え、呼吸、一呼吸ごとに「ありがとうございます」と心でお唱えしながら肺を労り、肺に優しく接しながら呼吸をしてみてください。一呼吸ごとに心で「ありがとう」と神様にお伝えし、自分の肺を労り慰めてあげれば、体にも心が宿っているので、肺の部分が慰められ、癒され、元気になって、天寿を全うできます。

【質問4】S.U.(1925.*.*)S.S.(1924.*.*)の下に生まれた前世からの縁をお教えください。6月27日~30日まで、最後の親孝行のつもりで沖縄の父母の住む、知念に二人を連れて旅行致します。神様、どうぞ御守護、お導きの程、お願い申し上げます。

【ソース】現在の両親は特に鎌倉時代前半期のご縁に基づきます。またインドの前世でも両親でした。それから古代エジプトでもあなたの親でした。この3つの前世が特に現在の両親とご縁が厚かった時です。他の前世では関係が多少入れ替わっていました。親戚の中にいたり、自分を育てたり、よくしてくれた人だったりなどです。

また遠い前世において、レムリアやムーの影響が強かったので、今世において沖縄や日本列島に生まれてくることができました。アジアの魂の一員として出てこれたのです。そのようにレムリアやムーの頃からの何万年以上にわたる深いご縁で結びついているので、親子という関係で今世も共に支え合い、共有体験をして生きるようになっているのです。

沖縄にはムーの魂があります。その意味では地球に最初の頃降りてきた頃の原点に位置する里帰りです。あなたの両親も、あなた自身も、地上に最初に降りてきた原点に位置するのです。今世で所縁(ゆかり)があるというだけの場所ではありません。あなたと周りのご縁のある魂たちは、南方系で生まれ変わってきたルーツです。北方系よりも南方系が多いです。古代エジプト、インド、沖縄や日本の静岡などといったように、です。それが自分たちに合うところだったので、自ずとそのようになりました。

今世での親子の関係でできることはしてあげてください。そして他界されてからは、いつも一緒にいる気持ちでお祈りを捧げたり、御供養してあげてください。まずは今生きて一緒に居られるうちに、心を温め慰め合いましょう。それが何よりの親孝行です。それによって親は子供を通して癒され、安心してあの世に帰っていけることでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました。)