2017年8月9日

今後の労働の在り方についてお示しください。

2017.5.10 パーソナル・リーディング No.15097

質問1:労働の在り方について。過労死、または過労によるうつ病、自殺、サービス残業、残業代未払い、非正規雇用など、労働者にとって大変な状況がみられます。表向き、残業時間の規制は行っているものの、持ち帰り残業など、労働が見えない形になりつつあるようにも思えます。いろいろな要素があり、解決が困難にも思えますが、今後の労働の在り方についてお示しください。

ソース:社会は一つの生き物です。ちょうど一人の人間が成長していく場合、いろいろな変遷を辿るように、その時、その時に応じた社会の在り方が求められていきます。そのことを理解し、労働ということに関しても、その時点の社会の在り方と、労働の在り方を見ていって、現状に対して対応し、また調整していくことがその都度、必要となってきます。その対策や調整が上手くいけば、その時点における社会の在り方と、その中での労働の在り方が、より良いものとなったり、軋轢(あつれき)が緩和されたりして、少しでも気持ち良くスムーズに、また健全に気持ち良く、一人ひとりが働けるようになります。

自ずと必要に迫られて、ある程度は修正が加えられ、前に進みつつはあります。しかし、非常にしんどい時代状況にあっては、それがきつい形で通り抜けるというようになりがちです。それが下手をすると行き詰まったり、問題を生じさせたり、多数の犠牲者が出たりすることにもなります。世の中で発生し、知られるようになる具体的な事件や事故は、その時代の課題を象徴的に表す徴です。

例えば、数ヵ月前に電通の若いエリート女子社員が、過労から自殺を遂げ、それがきっかけになって、それが知られるばかりでなく、日本の労働の在り方が見直され、改善を求められるようになったことも時代に応じた徴でした。あとは、そのことを周りの人たちがどう捉え、どのように現実に応じていくかが問われます。何もないところでは問題は起きてきません。一見、偶発的に見えたり、非合理に見えることにも根拠や理由、意味と目的があって起きてくることです。それゆえ、起きたことを簡単に片付けずに、しかし深刻に陥ることにもならずに、それを機会に見直しを図って調整と改善に取り組むことが、人間の側にはその都度求められてきます。

もっと理想をいうと、予防医学のように、病気になって困ってから慌てて調べて、治療を施すというよりも、日ごろから点検確認し、病気にならないような考え方や、生き方を自分でしているのが理想ではあります。生き方や働き方においても、このことが当てはまります。

何か深刻な事態が発生してから慌てて調べて、原因を究明し、見直しを図り、改善に取り組むということでは、犠牲者がどうしても出てしまいます。日ごろから、少しでも気になったところは見過ごさず、早めに手を打っていくことが、犠牲者を出さないためには必要です。これはどういうことの、どういうジャンルに関しても言えることです。そのように、予め困ることが起きないように、その都度自発的に見直して、修正したり改善して、時代の変化の波に乗っていくというのが、最も上等です。

その次のレベルは、起きたらば、せめて見直しを図ること。ごまかさず、必ず見直して、手を打って、改善することです。それが次のレベルです。もっと低いレベルは、事が起きて犠牲者が出たにもかかわらず、そのうち忘れていったり誤魔化して対処しない。犠牲者が出たことが報われず、学びや反省や改善をせずに、問題が起きても見直さず、改善せずにいってしまう場合です。これが最も低いレベルです。

具体的に挙げると、東日本大震災が起きて福島第一原発が破損し、放射能が放散されて、多くの方達が被曝をしました。そのような犠牲者が出たにもかかわらず、ある程度時間が経過したら、そのことから教訓を学ばぬまま、原発を再稼働することを認めて、未だに原発推進派の自民党が与党として政権を執っており、しかも、自民一強の体制の日本であることです。起きたことから反省して、教訓を学んで改善しようとしない、そういう体質があるのです。

これは一つの例ですが、起きてさえ非を認めず、改善せず元のやり方を続けるということは、どういうことに関しても最も問題です。「それ以外にやり方はない」という言い訳をします。また「あれは、たまたまそうなってしまって不運だったのであり、これからは、ああいうことは滅多にないから」などというように、言い訳もします。労働条件と体制に関しても、似たようなところが日本には感じられます。

例えば、電通の若いエリート女子社員が、過労で自殺をされた。その死が報われず、もみ消されつつあります。多少は見直して、改善したのかもしれませんが、大筋は変わっていません。「それは、例外的な自殺のケースだった」とか、「本人が弱すぎる」とさえ言う人も出てきています。あるいは、「大筋のために、犠牲は仕方がない」などと見る人もいることでしょう。また、「問題があったにしても変えようがない。そういう中で日本はやっていくしかない」というように、問題がたとえあっても、他に良い手だてが見つからないということで、大筋としては変わらぬまま続いていくような動きが見受けられます。

「多くのメリットのためには、少々のデメリットや犠牲は仕方がない」というような捉え方が蔓延しています。多くの人たちが、快適で、便利な世の中に慣れてきています。例えば、原発が使われている方が快適で、便利なものなので、わざわざその生活を失いたくないのです。「便利だし、そのようなシステムが既にできているから、少々の犠牲やリスクがあっても、それは認めるしかない」というのが大方の意見です。それが自民一強の現在の日本の在り方に表れています。「この体制と環境で働くしかない」というように、また「打つ手がない」「とにもかくにも、今、日本は回っているのだから犠牲や辛さがあっても、それには目をつぶろう」というような認識が蔓延しています。中には、「弱い人とか敏感な人は淘汰されても仕方がない」とさえ捉えている人もいるかもしれません。弱肉強食的な捉え方です。

そのように捉える人は、福祉で大変な人達を支えることが国の負担になるから、そのように見てあげないといけない人たちの中には、「この人達は生きる価値がない」などと捉え、相模原の施設の殺傷事件なども起きるのです。その犯人だけでなく、日本の多くの人たちが、似たような考え方を持っているのです。それが自民一強の在り方に表れています。一種のエリート主義です。そのため労働条件が過酷でも、「全体としては上手くいっているし、そこで緩めたら、日本自体が低下していって、外国に負けてしまう」と見ているのです。「少々の犠牲は致し方がない」というのが大方の見方であり、それが自民一強に表れています。

それゆえ、現在の安倍政権では原発推進ですし、憲法9条も変えようとしているのです。そのような考え方と方針が、日本では支持されているのです。だから、労働条件もなかなか変わりません。それで「生き残れない人は生きる価値がない」と、どこかで見ているのです。「全ての人に生きる権利や、幸せになる権利がある」という、平和的な、また健全な考え方にはなっていません。その辺に気づかないと、抜本的な改革は困難です。もっと優しく、全体のバランスがとれた在り方が求められています。それぞれが活かされ、社会の変化に応じた働き方や、職種の在り方が求められていくのが望ましいのです。

そうすれば、ある会社がやっていけなくなっても、その代わりに新しい職種が求められ、そちらに働き口が与えられて移行していけます。ギアチェンジをするように、少しずつ社会という生き物の変化に合わせて、働き方とか、職業の在り方が調整され、移行して、前に進んでいくようにするべきです。また効率よく働いて、必要なところに回していき、不要になった部分は縮小していくことです。

質問2::日本国憲法第9条について、アメリカから押し付けられた憲法であるとか、現在の世界情勢から武力を増強し、明確に自衛隊を憲法に位置付けるべきなど、様々な意見があり、第9条を改正しようとする動きがみられますが、改正してもよいものなのか、第9条の意義をお示しください。

ソース:憲法の9条は変えないほうがよいのです。日本は、核兵器の唯一の被爆国です。さらに東日本大震災という自然災害によって、原発の破損による被曝さえ、日本人は受けることになってしまいました。これは警告を表しています。偶然で片付けたり、不運で片付けてはならないことです。日本が、広島と長崎に原爆を投下されて被爆したにもかかわらず、平和の理念を曲げて、世界の平和のシンボルであることから反れてきていたことで、原発の被曝を受けることになったのです。それゆえ、日本の舵取りと、その元にある認識を見直さなければなりません。ここで、世界の情勢になびいて自衛隊を強め、戦争に対応をできるような構えを持つ方向付けをとると、もっと好ましくないことが起きかねません。国の自衛どころではすみません。

日本がなぜ、核爆弾を落とされて被爆したのか、その意味と目的を知らねばなりません。日本はそれによって、平和な国へと生まれ変わったはずなのです。それを貫かないといけない国と民族なのです。そのことを認識し、そのことを守り通さないと、もっと危険なことが待ち受けています。しかし安倍政権は、それとは逆の方向付けを取っています。しかもその安倍政権が多くの支持を受けているのです。これが日本人の誤った認識で、危険なところです。

宗教団体にしても、大きなところや、勢いを強めつつあるところは、原発容認、原発推進です。国防にも積極的肯定的です。これは戦いのムードであり、勝とうとする強気の姿勢で、これ自体が危険であり、日本が自ら危険にさらされる方向付けです。これまでのように、平和を基とした方が危険で、弱いようですが、安全でいられます。そのことに人々は気づかないといけません。

質問3:人工知能など、科学技術の発展について。ここ数年、人工知能の著しい発展がみられます。これから、人間にとってますます便利になる反面、職が失われたり、もっと進むと、人間が支配されたり、攻撃される状況もあるように思います。科学技術の発展はどこまで許されるのか。人間の霊的成長に役立つものになるのでしょうか。お教えください。

ソース:人間自体は一つの生き物であり、生身の肉体を持っています。ロボットなどの機械とは、全く異なります。それは、今後とも変わりません。生身の肉体と、心と感情を持った存在として今後とも人間は生き続けます。そして、科学技術を使うのも、そのような人間であることに変わりはありません。それゆえ、科学技術を発達させても良いですが、その方向を間違わないことと、何よりも科学技術を使う人間自体を成長させ、良い状態にしていくことが肝心です。

科学技術を発達させるなら、それと並行して、人間自体の霊的成長も行わないとアンバランスです。人間自体が良くなり成長すれば、科学技術を使いこなせます。そうすれば危険はありません。また機械で、全てが取って代わるということは起きません。やはり人間があっての科学技術であり、科学技術ではできない部分が依然として残ります。それは人間が考え行うしかないし、人間が判断し決めて、人間の責任で開発したり、それらを使いこなしたりしないといけません。科学技術が、人間の全てに取って代わることは不可能です。また、そうなってはなりません。人間は何でもできるわけではないし、「何でもして良い」というものでもないのです。

また時代に合わせて、職業や働き方も変えていくべきです。ある職業が失われて、失業する人たちが出ても、別のところで人が必要になってきますので、うまく人を回して、社会が動いていくようにするべきです。働き方も、効率よくスムーズに行われるように考慮するべきです。

機械が人間の全てに取って代わることはできません。それゆえ、人間は依然として必要です。とくに人間自体を良くしたり、人間自体を開発することに、これからはもっと投入するべきです。人間は体と心と魂からできています。その全体として開発され、健全になり、調和がとれている生命存在になることが何より大事です。

質問4;経済について。政府はここ数年、デフレ脱却、物価上昇を目指してアベノミクスとして、様々な政策を実施していますが、成果が上がっていないようです。皆が節約して、物を買わなくなると景気は悪くなり、会社がつぶれて失業してしまうと思いますが、今後、どのような経済の在り方が望ましいのでしょうか。お示しください。

ソース:人々が節約し「物を買わなくなる」そうするとデフレとなり、会社の多くが倒産していく、失業者も出てきて、生きていくことが困難な人たちが発生する。人々が節約し、物を買わなくなることは時代の趨勢(すうせい)です。それゆえ、たとえ三本の矢ということで、アベノミクスを掲げて人々を動かそうとしても、それは人々の気持や時代の趨勢に反するため、うまくいきにくいのです。

節約して、物をあまり持たなくなること自体、問題ではありません。消費社会は限界に来ています。地球の自然をも損ねます。その意味で節約するのは時代の要請であり、むしろ良いことなのです。アベノミクスの方が時代に逆行しているため、なかなか成果が出てこないのです。もっと社会の在り方や、社会の求めに応ずる職種の在り方自体、見直す必要があります。

働くことが物の製造や、物の流通や、物の提供だけだと見るからおかしくなるのです。人間が生きていく上で必要なものは、他にもいろいろあるはずです。それに気づいて働く方面を変えて、新しい職種を作り出し、人々を回せば失業せず、また社会に必要なものを提供していけます。

もちろん、ある程度、物がないと人は生きていけません。この世は物の領域だからです。だからといって、この世で生きていく人間が、物の提供だけですむほど単純ではありません。もっと人間の生活の在り方を見直し、「人間が生きていく上で人は何を求め、何が必要なのか」そして、「これからはどんなものが求められていくのか」を読み取って、それに合わせた社会の在り方と、人々の働き方が求められてくる必要があります。それに応じた経済ができてくれば、物と心、目に見える次元と目に見えない次元のバランスがとれた、人間が満たされる健全な、次の社会の在り方と人間の生き方が実現してくることでしょう。急激にではなく、少しずつその観点で見ていって移行していくことが、上手くいくためには必要です。

気づいた人から、このことに留意して動いていくようにしてください。また、周りの人たちにそれとなく、このようなことに気づかせ、対応してあげましょう。また、そのように移行していくよう、よくお祈りし、神さまに委ねてください。
リーディングを終了します。

(ありがとうございました。)
<了>