2010年12月24日

あの世に逝った人に対し、本当に為になることは?

リーディングNo.11180


【質問1】夫は、4月5日に他界いたしました。以前お伝えいただいた夫婦のライフシールのテーマに「喜びの訪れとなる人と人とを繋ぐ命のリレー」とあり、夫があの世、私がこの世にいて、夫婦で果たす役目があるように感じていますが、そうなのでしょうか? また、前世で夫婦であった時も、夫に先立たれていたのでしょうか? 現在の夫の様子を、お教えください。


【ソース】人が生きていく中で、もっともありがたいことは、神様との出逢いです。また、神様そのものとの出逢いの現れとしての、教えとの出逢いが、もっともありがたい、喜ばしき訪れなのです。


人間の本質は、霊です。心や魂、さらに体も、人には備わっています。体があるからこそ、この世に留まっていられます。その意味で、体は大事です。しかし、やはり人間という生命体の本質は、霊にこそあります。その霊を創造し、生かし、育て、導いておられるのが神様です。人間の本質の霊を直接生んで、司ってくださっている親です。


それゆえ、本当の親に出逢うということが、もっとも喜ばしき訪れなのです。それが魂や心、さらに体にも及んできて、元気になったり癒されたりします。また、いろいろ物理的に、この世で起きてきても、それらに振り回されなくなり、自ずとシャキッとしてきます。


本質のところの霊が、神様とのつながりを自覚していないと、気をしっかり保とうとしても、頑張ったり努力するだけで、無理があります。本質のところで神様に気づき、神様から与えられる教えを、自分の命の糧にすると、それほど自分に言い聞かせたり頑張ったりせずとも、無理がなく、自ずとやっていけたり、起きてくる事の意味も、これまでよりも悟ることができ、自然に受け止めて、応じていけるような態勢ができてきます。神様との出逢いと、そこから出てくる神様の教えを、人は命の糧として生きていくように創られているのです。


神様の導き育てられ方は、ちょうどまずガイダンスのように、一通り説明をしてくださり、それを聞いた者たちが「なるほど」と理解し、うなずいて、受け入れ態勢ができてきたところで、実地に出来事を起こして、試されたり、さらに鍛えられたりしていくのです。また、人生が地球学校であるならば、普段の授業を受けているのが、教えを学んでいることに相当します。そして、学校ならば、テストがあります。中間テストや期末テストのようなものです。普段の授業をどれだけ聞いて身に付けてきたか、テストがあります。


そのように、普段あなたは教えを学んできていたので、今回のような大変な事がテストとして与えられても、きちんと教えを勉強し、あなたの身に備わってきていたので、応ずることができました。あなたの霊や魂の命の糧に、教えがなっていたのです。あるいは、御言葉といってもよいのです。御言葉が命の糧になって生きられるのが人間です。体に食べ物や飲み物が必要なように、そして、心には愛情が必要なように、霊には神様からのお言葉と、霊的な理解が必要です。それによって、霊の部分が蘇生し、次第に態勢が整ってきます。


これまで学んできたので、テストがあったのです。あるいは、カルマや今世の計画からして、今ぐらいの時期に、ご主人が亡くなるようになっていたので、その数年前から、あなたが教えを受けて、自分を備えるように神様がお慈悲と、指導霊たちのチームプレーで、あなたは備えられてきていたのです。


起きる事は、予め完全に定まっているのではなくても、大まかには定まっています。起きる事が大事なのではなく、人間には心もあるので、物理的に何が起きたかということ以上に、心でそれをどう感じ、受け止められるかがポイントです。そのように、人間は内面的な生き物です。同じ事は同じ影響を誰にでも与える、と思ってはなりません。人間は、もっと内面的な生き物です。それが、霊的な成長や目覚めということです。


もし、あなたが苦しんだり、悲しんだりしたならば、ご主人のほうも動揺し、浮かばれなくなってしまうのです。人間は相互の影響で成り立っているからです。必ず自分の想いや感情が、相手に伝播していきます。人間には、知覚したり感じたりする心の働きがあります。さらに無意識もあるので、動物的な本能や超感覚もあって、特に夫婦や親子のようにつながりが深い者同士は、伝播し合います。


あなたが整ってきたので、ご主人を支え、穏やかにするように、あなたは働きかけているのです。その結果、ご主人のほうは今、まだ完全には安らかにはなっていないものの、ずいぶんあなたという妻のお蔭で、あの世で、それほどつらかったり悲しんだりという、心のとらわれに陥らずに済んでいます。


もし、本当に相手を愛していて、相手の為になりたいならば、あまり悲しんだり、起きた事を後悔しないほうが良いのです。しかし、多くの人たちは、相手を思うあまり、悲しんだり、感情に囚われてしまい、その結果、相手の為になろうと思うことが、かえって相手をもつらくさせたり、動揺させる事を引き起こしているのです。愛が正しく働くためには、理性や平静さも必要なのです。


一見すると、愛は感情の一部であるようにイメージされ、感情的に喜んだり悲しんだりするのが、愛の表れだと思われがちです。しかし、どのようにすると相手の為になるのかをよく考えて、平静に対応することが、結局は大切な人の為になるのです。愛が正しく働くためには、知恵が必要です。本当の知恵のことです。そうすると、愛という生命エネルギーが正しく作用し、役立ってくることになります。あなたは、知らず知らずのうちに、そのように整ってきたし、元々は、あなたは感情的なタイプの人だったのですが、自分のタイプを乗り超え始め、いい感じで整ってきているのです。


性格を変えるよりも、霊的に成長することです。そうすると、性格を変えたというよりも、元の自分の気質を乗り超えて、元の自分から自由になって、大きな存在になってきます。あなたは、感情的なものを克服し、知恵に目覚めつつあります。それによって、自ずとしっかりして、動じなくなり、受け止められるようになりました。相手を支えるためには、受け止められる度量を、身に付けることです。それが、本当に相手を支え、大切な人の為になることをもたらします。


そのように自分に器が備わってきた上で、あの世に還ったご主人に対しても、あなたが温かい心で受け止めながら、平静で、神様をしっかり見る眼差しを持って、神様にお祈りしながら、ご主人のことも委ねていれば、本当にあの世のご主人の為になれます。本当に大切な人の為になりたいのならば、このようなことに人々は気づくべきです。そして、そのようなことに気づいている人が、真に賢い人であり、それを行動にまで移せる人が、愛の人なのです。


あなたは知らず知らず、神様によって育て導かれ、そのようなありようになってきました。そこで起きるべき事が起きたので、あなたは何が起きたかを悟り、事態を受け止め、大変だったけれども、対応し、すべてをこなすことができました。ご主人は、あなたによって支えられ、あなたに感心しています。命のリレーは、これからも続いていきます。あなたは、まだこの世で体験するべきこと、果たすべきことが残されています。それゆえ、あなたはまだこの世に留め置かれ、ご主人の分まで、この世で学んだり、励んでいったり、体験していきます。


ご主人は、今世でするべきことを果たし、この世から免れ、解放されました。それによって、あの世に還っていけました。あの世は安らぎどころです。夜の眠りに相当するからです。あの世は癒します。ご主人は、まだ戸惑いもあり、感慨深げな様子ですが、苦しんではいません。まだ少し寂しい感じですが、苦しんだり、悲しんだり、心を乱したり、体が痛んだりはしていません。


この世で共感というのがあるでしょう。本当に心が通じ合っている縁の深い人とは、苦楽を共にするものです。それと同じように、あの世に還っても、この世とあの世との家族は、それぞれ連動し、共感し合っているので、相手の為にも、あまり自分が苦しんだり、後悔し過ぎたりしないことです。お互いに気持は分かち合い、通ずるからです。しかし、本当に自分が苦しかったりつらい時は、自分だけで我慢しないこと。まず、神様と分かち合わせていただくこと。それゆえ、イエス・キリストも『私の頸木(くびき)を負いなさい。私の頸木(くびき)は負いやすく、荷が軽い。代わって背負ってあげましょう』と言ってくださったのです。


あなたは、これからこの世で介護のお仕事を続けながら、多くの人と分かち合いの精神で看てあげ、また、共感がONEであるということで進んで行くことでしょう。それが愛ということです。お互いに苦楽を共感し、分かち合うことで、頸木を負い合い、共に歩むことが愛です。そのような同胞愛を、神様はたいそう喜んで受け取ってくださります。ご主人も次第に、あの世で癒され、あなたのこの世での活躍を、とてもありがたく、微笑ましく見てくださることでしょう。前世でも、何度か夫婦の時がありました。必ずしもいつも、ご主人が先だったということではありません。


古代エジプトの、アクエンアテンからツタンカーメンにかけての時期、夫婦でした。とても微笑ましい夫婦でした。また、日本の飛鳥時代においても、とても仲の良い夫婦でした。必ずしも、ご主人が早くに先立ったということではありません。では、何ゆえ、今世では早かったのでしょうか。それは、あなたが真に強くなり、自立するためです。自分で行えるところまできたからです。また、ご主人には休養が、天から与えられたのです。


あなたは、多くの人たちとの関わりで、これから生きて行く方向に導かれていくでしょう。既に、そのようになってきています。人のありがたさや必要性を、ますます感じていき、愛が何かを、あなたは身をもって、これから体験していくことでしょう。人とは、何でも分かち合っていくと良いのです。そして、ご主人の存在は、もうこれまで以上に、直に感じられることでしょう。あなたが霊的になっていくからです。元々死後の世界に、あなたは興味がありました。それゆえ、貴重な体験を今、受け入れられ、それを背負える時期に与えられたのです。


【質問2】知人のAさんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症され10年になります。Aさんが心から癒されますよう、病気の原因等を含め、今の状態がいつまで続くのかを、お教えください。また、旅立たれる日までの心の持ち様についても、お教えください。


【ソース】物事が偶然起きることはありません。必ず訳あって、どんなことでも起きてきます。元々、仏陀が悟られた〝縁起の理法〟とは、そのことです。そして大事なことは、すべてに原因があって、その結果として起こるばかりでなく、いわば第一原因、あるいは根本原因は、神にこそあるという認識です。直接の起きることの原因は、当人の前世にある場合が多く、それをカルマといいます。カルマ的因果関係です。本人が想ったり、行ったことの結果が出てくる。


楽しいことも、つらいことも、このカルマの因果にあるため、直接には本人の想い方や、行い方や、生活の仕方、食べ方などが原因です。しかし根本原因、あるいは、霊的な原因は、神様の中にあります。起きることの霊的原因や根本原因は、神様にあるということ。そこに思い至ると、何か安心でき、どんなことでも真の意味で良いことだから、また、必要で、それを受け止めることが、その時点で為になるからと思えてきます。


神様が起こされるのですから、安心ですね。もし、自分が行った直接原因だというカルマだけを見ると、自分の至らなさを反省したり、後悔したり、自分を責めたりということで、自分を追い詰めることになりかねません。しかし、もっと奥に、神様が根本原因として、そのカルマ的な因果関係を上手に運用して、良い方に導いていくように介入してくださっておられるのです。それゆえ、神様はカルマを解いてくださるばかりでなく、それによって育てあげ、愛に気づかせる、いずれにせよ、良い方に引っ張って行ってくださるように事が生じます。


Aさんの場合も、そのような深い目覚めや納得が、心の奥に生ずると良いのです。そのような深い理解や納得が、心の奥に生ずるように、あなたもお祈りをしてあげましょう。また、もしAさんご本人に、そのような理解や受け入れ態勢が少しずつでも出来ているならば、ご本人が「本当のところに自分の本質の意識が気づき、自分が受け入れられるようなありようになっていきますように」と、ご本人が、神仏にお祈りをすると良いのです。


お祈りというのは、口だけの動きではなく、全身全霊で祈るものです。すべての営みです。生命のすべてをかける働きです。すべてを動因して、人は祈ります。そうすると、自分の奥深い部分が理解し、納得し始めます。それによって、起きてきている事の意味が悟られ、受け止められるような態勢ができてくるのです。そうなってくると、エネルギーが流れ始め、カルマが解けていきます。それに伴い、体も心も楽になり、そのような病を引き起こしているエネルギーが消費され始めて、次第に楽で、回復する方向に向かいます。ある程度は、元になるエネルギーが消費されるまでは、つらさや病状は続きます。しかし、次第にエネルギーが動き出し、流れ始めて解け始めます。


逆に、このようなことがまだわからない人たちは「なぜだろう。どうしてこうなってしまったのだろう…」そのように自分を不憫に感じ納得できない、受け入れられないという思い、あるいは心配や怖れで、神様が解かせようとしているエネルギーを止めてしまっているのです。そうすると、体も心もしんどいし、治りにくいです。止めているようなものですから。受け止めて、体感しながら、通過していく構えができてくると、エネルギーが動き出して解け始めるのです。また、神様の純粋なエネルギーも入ってくるようになります。


エネルギーは、流れると良いのです。水の流れと同じです。止めると淀み、濁ります。ちょうど気の流れも、流れると、爽やかで健康です。例えば、人間が健康で快適である重要な条件の一つは、排泄作用です。解毒作用です。良い物を摂る、食べる物でも飲む物でも、体に良い物を摂る、摂取する。もう一つ見落とせないのは、体に溜まった汚いものを排出する作用です。Aさんは、それが滞っています。


浄化が必要です。浄化のためには、野菜を多めに摂取すること。あるいは、もし体力的に可能ならば、生のリンゴだけを3日間摂って、3日目の晩、仕上げのように大さじ3杯のオリーブオイルを摂ること。そうすると、もよおしてきて、胃腸などに溜まっている汚い物が、全部外に出てしまいます。体に溜まった淀んだ物を出すということが、特に彼女には必要です。また、ピーナッツオイルとオリーブオイルをブレンドしたものを、擦り込むように、体に痛みや支障のある箇所を、やさしく、可愛がるようにオイルマッサージを施すと、次第に回復し、楽になります。


前世で、自分を可愛がることをしなかったのが原因です。セルフケアが必要です。自分で自分を認め、自分に愛情を注ぐこと、自分の体を労わるように扱うことです。体にも心があるので、体をいじめ抜くと、体が哀しみ、弱ってくるのです。体の愛情不足です。それゆえ、彼女は本当の自分を愛することを学び、実践する必要があります。たとえ、すぐに症状が回復しなくても、動揺したりせず、以上勧められる方法や心がけを実行し続けてください。また、周りの人たちも、彼女が自分の課題をクリアできるように手を差し伸べ、温かく見守ったり労わってあげましょう。


そして、人生に希望を持つことです。何か2つ3つ、張り合いになること、健全で、自分や関わる人の為になるような目標を持つ、無理のない目標、健全で、ほのぼのとした楽しみを持つこと。そうすると、それが支えになって生きられます。執着するということではなくて、励みになるものを持つのです。あなたも、ただ見てあげたり、治療するというだけでなく、楽しく過ごせるように相手してあげてください。一般に、治療が思うほどにははかどらない理由として、義務的、形式的に治療を行い過ぎていることがあるのです。


人間は、機械的、形式的に処理されて、治療に専心するように仕向けられても、それだけでは治りにくいです。心があるからです。やはり愛情で満たされ、心から納得して、嬉しくなってくると、妙に元気になるでしょう。それが結局は、病を治すことになるのです。くよくよしないように、しかし、くよくよしている人を無理に頑張らせたり、明るくさせるというのも、無理がある時があります。相手をよく見て、お相手してあげましょう。


【質問3】夫ががむしゃらに働いておりました会社「B」を継ぐことになりましたが、これからは、生前、夫とも話し合っていたように、夫婦のライフシールの下側にもあった、無邪気な精神、遊びの精神を大切に、ヘルーパーさん、利用者さんと共に、チームワークを大切にやって行きたいと思っています。経営的には厳しいかもしれませんが、その方向で営んで行って良いのでしょうか。よろしくお願い申し上げます。


【ソース】物事が実際に起きたということは、それが必要であり、真の意味で良いこと、そして、当人がそれを受け止められ、理解し、対処できるところまで成長を遂げてきたことを物語っています。誰においてもそうなのですが、特に神様を信じ、教えを学び、その方向で取り組もうとしている人に起きた事は、なおのこと、今述べられた条件が当てはまっています。


それゆえ、あなたの身にそれが起きたということはあなたが乗り超えられるし、これからは、その新体制で行うと良いということです。人の大切さを認識しお互いに助け合い、持ちつ持たれつで人生は生きていくと良いのです。地球家族というイメージをもって人間は誰でも本来、神の家族である、宗旨宗派を超えてすべての命の親であられる神様の家族であると思えれば、ちょうどマザーテレサのような心境に近付いていきます。それがあなたの理想なのです。


それを実現できるところまで来ました。その方向で事が動き出しています。多くの人たちをうまく巻き込みながら、共々に人との関わりで、これから生きていき、互いに満たされるように関わっていきましょう。


リーディングを終了します。


 (ありがとうございました。) 
  
<了>