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2019年4月11日

食料危機は起きるでしょうか?



№15803 リサーチ・リーディング 2018.12.25

【質問1】農業について10年位前に浅野先生の講演会にて、農業の重要性と個人的に農作物がつくれる土地を確保できるとよいという話がありました。今の日本では農家の人は高齢化や後継者不足で衰退し、食料自給率は低いようです。食料危機は起きるでしょうか?農業のあり方をお示しください。

【ソース】農業が重要であるのは、一点目として実業であることです。最近はITなどの情報関連の仕事が急激に増加し、体を動かして汗を流して、実際に世の中のためや自然のためになる、そのような仕事によってお給料を頂いて生活して生きていくという、素朴で基本的なあり方が減ってきています。例えば職場には行かず、自宅にいながらパソコン一つで机やテーブルに向かってパソコン操作するだけで、仕事として成り立ったりします。情報操作や心理操作など、またさまざまな技術などを駆使することで、実際の働きはせずとも、お金が自動的に自分のところに入ってくるような事をして、それで生活している人たちも出てきています。

そういった事は時代の趨勢(すうせい)であり、一概に否定できるものではありませんが、基本は自分の体や心や頭を動かすことで、自分の知恵や労働や誠意が世のお役に立ち、それによってお金が入ってきて生活できる、ということがあります。そのようなあり方を抜きにして、この物理領域は成り立ちません。いろいろな操作によって、実際の価値や実際の働きのないところにお金が入ってくるのは実状に合っていないため、いずれ崩壊し、入ってきたお金が泡のように消えていきます。

実際に働いた実質の分だけお金が入って、それで生活していける、ということが法則からして健全で正当的です。そのようにして生み出されたお金は消える事はなく、正当的であるため報われ、保障されます。そのような実業の最たるものは農業です。実業としては第一次産業に分類される農業、林業、牧畜業、水産業などが昔ながら人間の働き方の基本です。それが次第に後退してきているし、一般にあまり人気がなく、評価されていない事自体が間違っています。

農業は最も基本的で重要な人間の働きです。生活の基本は衣食住などと昔から言われます。その中でも食が最も不可欠です。食は神に通じます。それは日頃のONEの教えでも伝えられていることです。日本は食の自給率が低く、それだけでも国として問題で、健全とは言えません。

エジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプトの国で農業政策を行ってエジプトの国を助けました。また農業政策によって認められ、優遇されました。そのように農業を重んじ、農業政策で国を助けたヨセフは、のちにイエス・キリストとなって転生しています。ヨセフという名前は「増やす」という意味です。イエス・キリストとして出てきても、やはりパンや魚を増殖する奇跡を行って人々を養っています。

キリストの勧めた「主の祈り」の冒頭のほうに、「日ごとの食物を今日もお与えください」と祈る件(くだり)が出てきます。食がいかに重要か、ということを表しています。「人はパンのみで生きるのではない。むしろ神のお言葉一言一言で生きるのである」そのようにも主は言われましたが、それとて肯定的に解釈するならば、食の重要さや不可欠性を前提での、教えの必要性を述べたお言葉です。

日本で最も気高く尊いと見なされている伊勢神宮の神は稲穂の神です。日本でもお米の重要不可欠性が知られているのです。日本人の現在の一般的な職業観のイメージは、決して正しいものとは言えません。農業に対する人気が低く、評価が決して高くはないからです。農業こそ、あらゆる職の王者的な位置を占めるべきでしょう。

今後、食料危機が起きるかどうかということについて見てみると、起きる可能性は多分にあります。理由の一点目は、人口増加によります。日本や韓国は人口が減りつつありますが、そのような少子化による人口減少は世界的に見ると少なく、世界全体としては人口が増える一方です。少し前までは世界人口は50億人程度でしたが、現在は72億人にまで膨れ上がっています。特にインドや中国での人口増加が目立ちます。

昔は日本国内も世界においても、人口はごく僅かでした。人口が増えると、その分食料が多く必要となります。しかし農業は日本ばかりでなく、世界的に見てもあまり優遇されていません。世界人口が増えれば増えるほど、食料危機に繋がります。これが理由の一点目です。そしてその食料危機が、世界戦争を誘発するリスクがあります。食料の争奪戦です。土地の争奪戦や技術の争奪戦以前に、食の争いがリスクとして待ち受けています。資源の争奪も懸念されますが、最終的には食です。

理由の二つ目は自然災害です。人間が自然を痛めるような生き方や科学技術を開発していることで、自然災害を招いています。そうすると局地的にゲリラ豪雨に襲われたり、その一方で砂漠化が進んだりしています。全体的に見ると温暖化が激しくなっています。これらによって食料が取れなくなりつつあります。日本だけ見ても大型台風が次々に生まれ、日本に上陸して農業の被害は甚大です。酷い暑さも招いています。

このように人間の生き方や物的な科学技術によって自然が破壊され、農業がダメージを受けているということがあります。その一方では確かに、農業の技術やバイオが進みつつあって、農業の生産量や質が向上したり、増大しているということはあります。しかし人間の生き方や価値観の問題と科学技術の偏向性などによって、農業にダメージを与えているほうが相対的に大きいのです。

理由の三番目は政治上の問題です。政策の事です。たとえ食料があっても、公平ではなく偏ってあります。日本は飽和状態ですが、世界の多くの地域で食べられない人たちが大勢おられます。食はある程度あっても、滞りなく分配されているとはとても言えません。このように政策上の問題によって食料危機を招いています。そしてそれが戦争にも繋がることがあり得るのです。戦争にならない場合でも人々が困ったり、憎しみや悲しみを抱くということが起こり得ます。

それゆえ対策として、世界人口が増加の一途を辿ることなく、自然な形で抑制させること。二点目は自然を壊すような生き方や価値観、自然を壊すような物的な科学技術を見直して改善すること。もっと精神的な面でも充実し、満ち足れるようにして、飽食のような贅沢は控えることです。そのためにも、目に見えない世界の事をもっと研究して、学んで、大切にするような生き方やその方向での科学技術に修正していくことです。三点目は政治上の政策として、できるだけ世界中の人々に食料が満遍なく公平に行き渡るようにすることです。

【質問2】食の安全について 関税の引き下げなどにより、海外からたくさんの食品や農産物が輸入されていますが、遺伝子組み換え食品など食の安全に問題はないのでしょうか?食の安全の留意点についてお伝えください。

【ソース】日本に限って見れば、輸入品に対しても食のチェック機能が発達しているため、少なくとも今のところは危険性は少ない、と言えます。多少は紛れ込んできている部分はあっても、おおまかに見て命に支障をきたすほどの事は起きていません。ただ今後はTPPを始め、世界に対して日本も開かれ、他の国々は日本ほどは食の安全性について衛生管理やチェック機能がなされていないため、日本に輸入されてきた物はこれまで以上にリスクが大きくはなります。日本の優れたチェック機能も対応しきれなくなる可能性が高いです。

しかし考えてみれば、現時点ですでに他の国々はそのような食品を日々摂って生きているのです。「日本だけが安全になる」ということは難しいし、また「そのようにすべきではない」とも言えます。世界の事情や世界の人々を思う時、日本だけを考えている場合ではありません。日本でも極力安全性を高めるべきではありますが、もっと世界的に考えて、日本も行動していかねばなりません。日本人が守られることを考えるよりも、世界中の人がそれぞれ食に関して豊かになるとともに安全にもなるように、日本人が技術的にも協力することが優先順位として重要です。

大豆などの遺伝子組み換え食品は、少なくとも今のところは日本にはほとんど入ってきていないようですが、今後はTPPばかりでなく、世界に日本が開かれ、いろいろな所から遺伝子組み換え食品に限らず、日本では考えられないような数値の有毒性の食料や食品が入ってこないとも限りません。

そのような意味でも農業や食に関して日本ばかりでなく、世界的にもっと農業や食品に関して重きを置いて重点的に対応していくべきでしょう。それは自然災害を引き起こさないような対策とも関連してくるはずです。物的な豊かさや繁栄だけを目指すのであってはなりません。日本の優れた科学技術とともに、日本の魂に関する平和的で理想的な考え方や生き方が世界にも紹介され、応用されることが求められてきます。

【質問3】パラレルワールドについて 数年前にニュートンという雑誌でパラレル宇宙論の特集がありました。平行宇宙は無数に存在するとのことですが、「私」は平行世界においてちょっと違った運命の「私」が無数に存在するということでしょうか?パラレルワールドについてお教えください。

【ソース】パラレルワールドがあることは事実です。ONEの法則から見ても。すべては一つということで、微細な中に全体がそれぞれ凝縮して入っています。マクロの中にミクロが、そしてミクロの中にマクロが、それぞれで包摂し合っています。フラクタルの理論もあります。仏教の華厳経で説かれている世界です。一即一切、一切即一。このことからしてもパラレルワールドがあって当然です。

ただその場合、同じ自分が並行して幾人も、あるいは無数に世界に存在するということではありません。似たような人が平行して存在するということです。自分がいろいろな所に存在するという事ではないのです。自分と似たようなパターン化された、自分と対応する別の存在が、別の宇宙にそれぞれ存在するということです。同じ自分がいろいろな所に同時に存在するという事ではありません。

またパラレルワールドという場合、物的な次元だけでのパラレルではありません。異次元のさまざまな次元にも、平行宇宙があります。

【質問4】フリーエネルギーについて 以前からスピリチュアルの世界では「フリーエネルギー」の話を聞きますが、「フリーエネルギー」は存在するのでしょうか?お教えください。

【ソース】フリーエネルギーの最たるものは根源神の生命エネルギーです。その元は愛のエネルギーです。それが神の実質です。根源神の生命エネルギーこそ、フリーエネルギーです。目に見えない本質の次元ではフリーエネルギーです。特に根源神の生命エネルギーはフリーエネルギーとなっています。

人間の中のそれに対応する魂のエネルギーもフリーエネルギーです。ただし神さまの生命エネルギーは自立していて、自分だけで永遠に生き続けられますが、人間のほうは神さまが木の幹であるなら、人間一人ひとりは枝に相当します。枝は木の幹から切り落とされたら、存続し続けられません。幹につながってこそ、枝は生き続けられます。人間の中の魂のエネルギーはそのような限定付のエネルギーです。

神さまに繋がれば、人間一人ひとりの中の魂のエネルギーもフリーエネルギーとなります。基本的に本質である魂のところで、生命エネルギーはフリーエネルギーとなっています。そのため人間は永遠に生き続けられます。もちろん一個人としては、50年か100年で肉体の人の寿命と共にそこで一旦死にますが、本体は生き続けます。

物の次元ではフリーエネルギーはありません。物は仏教でも「無我であり、無常である。それで苦しみがある」と言われるように変わり続けるし、永遠に続くエネルギーではありません。しかし、その物の次元のエネルギーが本質の魂のところに接続すれば、フリーエネルギーとなります。例えば人間の中の愛に根ざせば、物の次元もフリーエネルギーとなります。

キリストは復活を遂げられました。それによって物的には変化し、長くは同じ状態を保てないものでも、根本に根ざすことで、永遠に生産し続けられるようになります。このように物の次元だけでは変化して止まず、エネルギー不滅の法則は働いていても、物自体は長い目では限りがあります。しかし本質のところに根ざせば、フリーエネルギーとなり得ます。霊的世界まで考慮して応用することで、物的次元のエネルギーもフリーエネルギーの道が拓かれます。

物質界の太陽は長い目で見れば有限ですが、根本のところで神さまと繋がっているため、長く燃え続けてエネルギーの源となっています。今後の物的なフリーエネルギーの開発のために、目に見えない世界に根ざすように開発することで、物的なフリーエネルギーも取り出せるようになることでしょう。

アトランティスはそれに近いことをしていましたが、最終的に誤用され、それによってアトランティス文明は終焉しました。その教訓を思い出して、今後は正しい活用をすることを望みます。その教訓はいずれ時期が来た時に、スフィンクスの地下にある記録が取り出され、目にするようになることでしょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました。)
<了>

2016年6月10日

チャクラの内容と開発法

2016.4.12 リサーチ・リーディング No.14628

【質問】チャクラとは何ですか。どのようにしたら開発されるのですか。その際、大事なこと、留意点はどのようなことでしょうか。お教えください。

【ソース】チャクラはインドで発見されました。インドの哲学と宗教の中においてです。内観と瞑想を行っている中で、チャクラの存在に気づきました。瞑想、特にヨーガの実習において、チャクラの存在に気づかせられたのです。インドの哲学は宗教や医学と分かちがたく結ばれています。それゆえチャクラは医学や宗教とも深く関連しているものとなっています。

「チャクラ」はインドのサンスクリット語で「光の車輪」の意味です。人間は一つの生命体であり、生命エネルギーの渦を成しています。その際、一つの生命体の中に七つの生命エネルギーの渦を持っています。それによって一つの生命体として成り立って、生きていられます。その生命エネルギーの元は命の本源であられる神です。呼吸によって七つの生命エネルギーの渦が、神さまの生命エネルギーを頂いて活性化し生きていけるばかりでなく、進化し、ついには神に還り、神と一つとなることができます。そのことが人間一人ひとりに求められています。

インドの場合はヨーガを通してそれが目指されていました。そのためヨーガの教典である『ヨーガ・スートラ』の中にチャクラのことが出てくるのです。「チャクラ」という生命エネルギーの渦の根源は神にありますが、人間自身の内部ではクンダリニーのエネルギーがそれに相当します。「クンダリニー」のエネルギーは人の生命体の生命エネルギーの元であり、それは性的なものが主となっています。それは「シャクティー」と呼ばれます。人間は性的なエネルギーによって子孫を儲けるばかりでなく、性的なエネルギーが生命エネルギーの元になっているのです。

七つのチャクラは七つの生命エネルギーのセンターであり、それが低い形で出ると食欲、性欲、情欲、支配欲など、利己的俗世的なものとして使われてしまいます。そのようにしてしまうと退化してしまい、生命エネルギーが浪費されます。そうなる代わりに、気高いほうや利他的な愛に与えられた生命エネルギーを向けることで清まり、昇華、進化し、生命エネルギーがより良い方向で活用されるようになるのです。生命力をそのように振り向けることが大事です。与えられた生命エネルギーを俗世的な下方に向けて浪費させてしまうか、そうではなく上方に向けて活用し、進化に導くか、そのいずれかです。

生命エネルギーを無駄遣いしたり悪用するのでなく、善用し、活用する。それによって進化していき、チャクラが開発され、生命エネルギーが遺憾なく発揮されていきます。俗世的肉欲的な、あるいは利己的なほうに、つまり欲望に生命エネルギーを使うと、チャクラ本来の良き性質や良き能力が出ません。そのため昔からどの宗教でも、欲望を抑制し、生命エネルギーを良いほうに振り向けようとしてきているのです。真言密教はその典型です。

思いも言葉も実際の行いも清め、育み、本当の愛のほうへ向けて活用すること。自分や人を損ねるようなことを思ったり、語ったり、行ったりしないこと。自分のためにも人のためにも自然の命のためにもなるようなことを思ったり、イメージしたり、意図したり、語ったり、実際に行ったりするように心がけること。生命力、能力、機会を悪業に向けるとチャクラにカルマが生じ、自らの生命体を損ね、周りにも悪影響を及ぼし、それがいずれ自分に返ってきてダメージを自らに与えることになります。自分をも人をも損ねることになります。チャクラにある生命エネルギーをそのように使ってはなりません。自分のためにも人のためにもなりません。そのようにするとチャクラの持つ良き特性や能力が発揮されず、本来の使命を果たせません。チャクラが開発しようがないのです。

本当の意味で自分を大切に生きるべきです。そのためには生命体の中の七つの生命エネルギーを、欲望とか野心とかエゴに使うのではなく、また単に浪費するのではなく、良きことのために生命エネルギーを活用していくのです。思いも言葉も行いも清め、自分をも人をも育み、助けるようなことを思ったり語ったり行うことで、チャクラの生命エネルギーが活かされ、清まり、育まれ、本来の良き性質と能力と働きを発揮するようになっていきます。そうするとチャクラにあるカルマが清まり、育まれ、生命体として整い、浄化され、育成され、より良い生命体のありようが出来てきます。自分という生命体を清めること、育むこと。そして良き目的に向けて活用すること。その中でチャクラが本来の働きを発揮して、開発されます。

人間という生命体は肉体と心と魂から出来ています。チャクラは肉体の次元にも心の次元にも魂の次元にもあります。その意味で21個のチャクラがあるということになります。肉体に七つのチャクラ、心に七つのチャクラ、魂に七つのチャクラです。このように三次元で分けることもできますが、もう少し細かく見ると四次元になっています。そうすると28個のチャクラがあるということになります。

『ヨハネの黙示録』において「七つの手紙」「七つの封印」「七つのラッパ」「七つの怒りの鉢」。このように7×4で四段階に分けての生命体の浄化と試みと育成が報告されているのです。段階を経て周期的に、七つのチャクラがそれぞれ試みに遭いながらカルマが顕れ出て浄化され、鍛えられ育成され、神に育て導かれていくのです。そのように七つのチャクラが四段階を経てそれぞれのイニシエーションを通過していき、それがうまくいくと「新天新地」が実現します。「新しい心と新しい肉体」です。世界的つまりマクロで見れば、「神の国が霊界にも地上にも実現する」ということになります。

「霊界と顕界に霊的進化と調和がもたらされ、地上にも神の国が実現しますように」そのような祈りと共に、まずミクロの個人個人が自分の心と体を清め、育成していくことで完成へと近づいていきます。人間完成です。そしてそのようにミクロで完成した人たちが増えてくると、その結果社会も良くなり、社会完成すなわち理想社会の実現に至ります。『ヨハネの黙示録』では14万4千人という数で象徴されるほどの人たちがこのようなことに気づいて、人生修行を経ながら自己完成していくこと。そして、それが優勢となれば、社会も完成することが約束されています。その鍵はチャクラにあります。

肉体にも心にも魂にもチャクラがあるということですが、「心はアストラル体」「魂はカラーナ体」と表現することもできます。本来はカラーナである魂にチャクラはあります。それが心すなわちアストラル次元においても反映し、アストラル体にも七つのチャクラがあります。さらにはそれが肉体にも反映し、肉体レベルでも七つのチャクラに相当するものがあります。肉体にあるチャクラに相当するものとは、自律神経が司る内分泌腺です。チャクラの働きは内分泌腺から分泌されるホルモンに現れてきます。

わかりやすく大雑把に言うと、「チャクラとは心のこと」です。厳密には「チャクラとは魂のこと」です。それゆえ「チャクラを開発する」とは「心を開発する」こと、厳密には「魂を開発する」ことです。「チャクラを清める」とは「心を清める」こと。大事なのは心を清め、心を育て、心を活用することで、心を開発することです。「チャクラを覚醒させる」とは、「魂を目覚めさせる」ことです。「チャクラを開く」というのは、「心を開く」ことです。「チャクラ」という特殊用語に惑わされてはいけません。チャクラは外から技術的物理的に働きかけて清めたり開くものではなく、本人が自らのカルマである思いと言葉と行いを清めることを決め、それを日々心がけることによって着々と実現していくことなのです。

例えば、ほかの人がある人に手かざしをしてエネルギーを送ったからといって、その人のチャクラが開いたり清まるほど単純ではありません。あくまで本人自身の命の営みによることです。しかも奥深いところによるものです。本人が自ら自分を清め、育て、活用して他者のために生きることを日々心がけてこそ、芯から生命体が清まり、チャクラが浄化され、心を育成するように心がけることでチャクラが育成され、周りに自らの心を開くことで、チャクラも本当に開くのです。「素直で無邪気で思いやりに満ちた心」、それは主が「幼子」と表現したあり方です。そのようなあり方になることで、チャクラが清まり、そして愛と思いやりを大切にすることで心が育成され、良きことのために与えられた生命エネルギーを使っていくことで、チャクラが開発されていくのです。その時、チャクラ本来の持つ良き性質と良き能力が発揮されるようになります。

ほとんどの人たちは与えられた生命エネルギーを利己的な目的とか、食欲とか、情欲とか、野心とか、出世とか、この世的な快楽などに生命エネルギーを浪費しているため、悪業を作り、チャクラを濁しています。それによって生命体が濁っていて、チャクラ本来の良き機能が発揮されていません。もったいないことです。与えられた生命エネルギーを良いほうに振り向け、本当の意味で自分のためにも人のためにもなることに生命エネルギーを活用していくことです。そのようにすることでチャクラ本来の良き性質と良き働きが発揮され、開発されていくようになるのです。そのことに日々取り組むことが本当の修行です。

在家の者としては普通の生活を営みながら、つまり家庭と世間の職業を持ちながら、一般社会の場で以上のことを心がけて生きていくことです。もともとこの世もあの世も神の世界であり、一人ひとりが神の子で神から愛されているがゆえに、神さまが一人ひとりを思って、良くなるように働きかけてくださっておいでです。本人の作ってきたカルマを使って神が試し、鍛え上げ、育て導いてくださっているのが現実の動きにほかなりません。それゆえ、在家の身として置かれた状況で自分がするべきことを超作(ちょうさく)の心がけで取り組んでさえいれば、ちゃんと神さまのお計らいで清まり、育て導かれるように、現実はなっているのです。神さまはそのように意図され、現実を動かしてくださっています。それゆえ自分のほうとしてもそのことに気づき、自分としてもその心がけで取り組んでいくことで、神の御業に自主参加し、そのことが着々と促進され、成し遂げられていくようになるものです。

「チャクラは心のことであり、厳密には魂のことである。それゆえチャクラを開発するとは心を育て開発すること。さらには魂を育て目覚めさせることである」。このように説明しました。心に七つの側面があるので、チャクラは七つあるのです。心は一つですが、一つの心の中に七つの側面、七つの働きがあるのです。そのためチャクラも七つ備わっているのです。一つの生命体に七つの生命エネルギーの渦があって、それぞれの役割を果たして一つの生命体として成り立って生きていられます。それゆえ心の主な七つの働き七つの側面を、それぞれ自分で自覚して清め、育て、それぞれの側面を活用、善用していけば、それに相当するそれぞれのチャクラも清まり、育まれ、発揮されていき、生命体として整い、レベルアップしてきます。

自分という生命体を清め、育み、きれいでより良いありようの生命体にしつらえていきましょう。死後はそれに見合う霊界に入ります。自分の思いと目標をより気高いほうへ向けるのです。自分の心がけと方向づけ次第で、自分という生命体の中味やありようが決まってきます。それが本当の意味で自分を大切にする、納得のいく生き方となります。「内界は外界の反映」です。それゆえ自分の生命体の実質やありようや意図に応じた周りの状況や出来事、動きに自ずとなっています。人生は自分次第なのです。悔いのない納得のいく生き方をしましょう。

そのためには自分の思いと言葉と行いを清め、与えられた生命エネルギーを良きことのために活用し、自分を育てていくことに取り組むのです。周りを思いやり周りの助けになるように、自分の生命エネルギーを使っていくのです。そうすると自分の中のチャクラにたまっていたカルマが果たされ、そのチャクラの部分が清まって、カルマが浄化されて生命体がより良いありようになってきます。健康で美しく、良き性質と能力を持つ生命体にしつらえられていきます。それがどの程度成されたかに応じた生命体のありようであの世に移行して、生命体のありように応じた霊界に身を置くことになるのです。それは死を待つまでもなく生きているうちに、自分の置かれる状況や与えられる役目が規定されます。

心には七つの働きと側面があるので、自分の主だった心の働きや側面がどういう状態やあり方やレベルになっているのかを見ていってください。そして心のそれぞれの働きを清め、調整し、より良いものとしていってください。それによって体も心も健全で明るく、健康になってきます。さらには自分らしいありようが出来てきます。自らを整え、清め、育て、社会のため人のために活用していってください。悪用せず善用していくのです。善意の心を持つことが大事です。悪意ではなく善意で物事や人や自分を捉え、善意を基に生きていくのです。そうすれば自浄作用が働き、自らが清まり、周りのためにもなり、環境も良くなり、問題も解決し、カルマも浄化されていきます。気持ち良く心穏やかに、身も心も健康で健全に、明るい心で生きていけます。そのように自分にもさせてあげてください。チャクラはそのために多くのことを教え、与えてくれることでしょう。

七つの光の車輪が回転し、光の本源へといざなわれていくのです。生命体は清まり、発揮されると、光として捉えられます。それゆえ光の車輪がチャクラなのです。生命エネルギーの渦が生命の生きた証であり、それが光の車輪として捉えられるからです。自分という生命体を清め、調整し、育み、良きことのために使っていきましょう。カルマが浄化され、生命体が良くなり、それに応じて周りも良くなっていくことでしょう。こうして社会も清まり、理想社会が地上にも実現します。
リーディングを終了します。

 (ありがとうございました)

〈了〉

2016年1月8日

相次ぐ天災、人災の意味について

2015.10.1 リサーチ・リーディング No.14427 

【質問1】神さま、このリーディングのおめぐみを深く感謝申し上げます。9月11日前後の大雨により「関東、東北豪雨水害」が起きました。東日本大震災から4年半後、同地域での水害です。神さまからのメッセージをお話しください。

【ソース】9月11日と言えば、東日本大震災の3月11日のちょうど、半年後です。1年の中での対極に位置しています。そして、9月11日は、アメリカ同時多発テロの起きた日です。アメリカ同時多発テロ以来、9月11日と一年の対極を成す、3月11日の東日本大震災に見舞われたことから明らかなように、地球も人類も不安定で災害を招きやすいものが、まだとどまっています。そうすると原因がある所や弱点のある所に、それらの日の前後、災害が起きやすいという事があります。

東日本大震災と今回の関東東北豪雨水害とは、直接の関連はありませんが、全く無関係だという事はなく、東日本大震災以降、関東から東北にかけての地域は、まだまだ癒されないものが留まっていて不安定な為、物理的に弱い箇所に水害があったのです。東日本大震災においては、仙台の辺りを中心として、岩手から宮城の海岸に大津波がありました。地震による倒壊と共に大津波の被害が甚大(じんだい)でした。

更に、福島第一原発が古くて脆(もろ)くなっていた為、地震と津波に耐えきれず、原発が爆発して、放射能汚染が福島を中心に広がってしまいました。地震は、土地に関する事。大地の地です。水害は水に関する事。福島第一原発の爆発は火に関する事。このように土と水と火、これらの要素が全て、自然災害として引き起こされ、それが人災に及びました。更に風に乗って放射能が運ばれたという意味では風の要素も関わっていました。

最近では、地震が活動期に入り、御岳山や箱根の山、そして九州熊本の阿蘇山、鹿児島の桜島などで火山の噴火が起きています。自然の要素自体は人間に必要で、特に水と火がなければ、生命は生きていけません。その意味では日本は自然に恵まれた住みやすい国です。しかし、いったん水や火がバランスを崩すと、本来恩恵をもたらすはずの自然の要素が脅威(きょうい)となります。

今、自然が、人類の影響で均衡(きんこう)を崩していて、おかしくなっているのです。その為、本来ありがたいはずの水や火が水害をもたらしたり、火山の噴火や原発の爆発による放射能汚染、また、大地に関しては、地震などを招いています。いつでも弱い所や純粋な所に被害が出るのです。それは、ちょうど、いじめにも似ています。純粋でデリケートなところに被害が及ぶのです。 悪い人や悪い所に被害が及ぶと言うよりも、純粋で弱いところに及ぶのです。 

例えば、純朴な東北に被害が及びました。東京は、良くも悪くもエネルギーが強い為、今のところ災害を受けていないのです。もちろん、東京には良いエネルギーも集まっています。しかし、悪いエネルギーもいっぱいあって、ただ、かろうじて均衡を保ってはいます。やはり、日本の文化の中心なので、神さまが日本の為に色々問題があっても、東京を今のところ守ってくださっているのです。

そうすると、ちょうど穴場のような弱くてデリケートな所に被害が出るのです。それが、今回の場合は特に、茨城の南西部、常総(じょうそう)の所でした。常総の辺りは、かつて平将門が城を築いたり、親鸞が盛んに伝道した辺りでした。それだけ、土地的に歴史があり、刺激が来やすい所でした。数年前には常総の近くの筑波で、日本では珍しく竜巻に見舞われ、被害に遭いました。自然の土地等の構造と人間の想念や問題となる行いによって、カルマ的に好ましくないものが溜まるのとで、自然の影響と人間の影響が、混じり合って思わぬ事が起きるのです。どうしても東京中心に動いている為、その周辺のウィークポイントで何かが起きやすくなっています。

衣川沿いにおいて日本の歴史上、何度か水害がありました。それが多少止まっていて、今回の大きな被害を招いたという事はありました。しかし、それだけが原因だと言うより、もっと現代の東京を中心とした文明のあり方や人間の想念などが影響を及ぼしました。単に川沿いの一部が、もろくて決壊してしまった、破れて水が溢れ出した、そのようにだけ物理的に説明する事で片付けられないものがあります。

日本は今、東京を中心に安保法案法が成立し、原発も再稼働し始め、東京オリンピックに向けて、この世的には前向きに、推進されつつあります。もちろん、東京オリンピックが悪いという事はなく、国際的な平和のスポーツ祭典なのですが、あまりに人間中心で自然を軽んじたり、人間の想念に問題があるとアンバランスをきたし思わぬ事を招きます。

一人一人が、自分の身の回りで出来る事をしていく事が基本です。たとえ微力でも、一人一人が心のあり方、また生活の仕方などで自然を大切にし、自然と調和した、人間としての理想的なONEのあり方を心掛け、そして、人々に対しても、霊たちに対しても、自然の命に対しても、思いやりを持ってよく祈り、せめて自分の周りは、より良いものをもたらすように心掛けていきましょう。

【質問2】福島第一原発の凍土壁(とうどへき)工事が上手く行かないのですが、どのように対処すれば良いのかをお話しください。

【ソース】そもそも原発を作って稼働させてきて、原発に頼りすぎている文明を作り上げたこと自体が間違いであり、無理があったのです。それ故、いったん破損して爆発して、その後の処理という事で、どうしても難しく無理があるのです。凍土壁の工事が難航している事一つをとってみても、いかに原発が自然になじまず、危険であり、今後、原発に頼る文明がいけないかを知らされているのです。

起きる事は警告であり、メッセージです。本当の事に気づかせ改めさせる為に、また、これまでのカルマを清算させる為に事が起きます。しかし、現代の日本人は、起きた事が天からのメッセージだという捉え方が全くないので、単に物理的な次元でのみ原因を究明し、物理的に対処して済ませようとします。対処が甘ければ更に、科学技術を発達させて、科学技術で対抗するかのように対処する事を考えるのみです。もちろん物理的なところに原因があれば、物理的に工夫し、今後、似たような災害が引き起こされないように対策を講(こう)ずるのは当然の事です。しかし、それだけで片付けられない何かがあるという事に気付かねばなりません。その為に、このようなリーディングも行われているのです。

どうしても人間には出来ない事や、かなわない事があります。また、人間がしてはならない事もあります。例えば、原発を作ったり再稼動させたりする事です。元々プルトニウムなどの元素は、なかったのです。人間が新たに作り出した物です。そしていったん作り出し使うようになると、原発の耐久期間が済んで原発を閉じても、プルトニウムは残り、地球に全く優しくなく、プルトニウムは二万年以上地球に残り、地球の異物として地球という生命体に危害を及ぼし続けます。そういう物を作ってはならないのです。もっと地球と調和した文明を作り上げましょう。

文明が全面的に否定されるという事では無いのです。科学技術もあってよいのです。原始社会に戻らなければならないという事ではありません。ただ自然と調和し、自然に優しい科学技術を作って生きていくようにしなければなりません。人間が欲望に支配されるあり方から、霊的に成長する事。欲望や感情を治める事が霊的成長です。それによって贅沢とか、食欲で余計に求めるとか、そういうあり方から脱却出来ます。科学技術を発達させ続けるよりも、一人一人の人間の霊的成長こそが必要なのです。

そうしないと、世界の人口が増え続け、いずれ食料不足で食料の取り合いになり、核兵器や水爆が使われる事がないとは言えません。その時までに、人間がもっと霊的成長を遂げておくべきです。日本も何でも食べたい物が食べられるのは、今の期間だけです。もっと世界的な広い視野で日本人は考えていかねばなりません。

それで凍土壁への対策法という事ですが、忍耐強く対応していくしかありません。時間をかけて様子を見ながら、周りとの交渉も重ねつつ工夫して行っていけば、どうにか完成出来る事でしょう。

【質問3】アラブ諸国からの難民が主にドイツを目指して、ヨーロッパに流入しています。キリスト教、イスラム教、ナチスドイツ、ユダヤ人…ONEに向かうためのカルマの清算が必要なのかと思いますが、それぞれが他の文化、思想、宗教を尊重し棲(す)み分けながら生きて、成り立って行けますよう願います。今、起きている事の意味をお話しください。

【ソース】かつて聖徳太子が唱え、現代においてはARIにおいて唱えているONEという事が、いずれ世界に必要になってきます。ARIはその先駆けになっており、小さなモデルです。それを諦めたり、過小評価してはなりません。宇宙創造神の御心がONEです。ONEの世界をもたらす事が神の国の実現です。その為には、時間も手間もかかります。それ故、忍耐が必要になってきます。また、小さな実行の積み重ねが必要になってきます。また、信仰や知恵も必要になってきます。それで初めて達成される事です。

70億人が生きているのです。そして、いろんな考え方のいろんな人達が住んでいます。それ故、ONEの世界が実現する為には、5年や10年では、とても足りません。日本だけを平和に治めるのですら手間取っているのですから、世界に色んな考え方や主義の人がいる、また、カルマもある、そのような世界の状況を見れば、 50年100年200年位、あとかかる事は覚悟の上で、今、身の回りから気付いた人が少しずつ行ったり、お祈りをしていく事です。そういう小さな行いの積み重ねが大事です。

根本のところで宇宙創造神さまが、その事を願い、お定めになっているのですから、これから100年200年、或いは200年以上かけて、少しずつONEの世界がもたらされる事を信じて、その方向で各自、出来る事を少しずつ行い、その中で一人一人が霊的成長を遂げていく事が肝要です。

世界の民族や地域には、それぞれカルマがあります。個人にカルマがあるように、民族や国や地域や土地にもカルマがあります。ドイツにも特殊なものがあります。ナチスドイツが、かつてありましたし、東ドイツと西ドイツに分かれていた期間もありました。その為、今でも潜在的に難しいものが、はらんでいます。ロシアも同様です。ただ、バランスをとるかのように、霊的で優れたものもドイツやロシアには、ありました。ちょうどバランスをとるように、問題の部分があれば、純粋で優れたものもあるのです。

問題があるという事は好ましくありませんが、しかし、この世は色々問題がある事が多いので、問題がある土地に問題がある事が起きて、それを受容出来るというメリットは、あります。純粋で、つけ入る隙がない事は尊い事ですが、その分、問題がはらんだものを受け入れて、救済するという事は起きません。そのような意味で、ドイツには問題が含まれているので、問題のある事を受容する、それを受け入れる余地があるので、ドイツに向けて多くの難民が、押し寄せてきているのです。アメリカ合衆国なども良いところと問題のところを併せ持っていて、良いところや優れたところだけではないので、色々なものをはらんでいて、それだけ色々問題なものを受容する、受け入れる余地があるわけです。

日本は、それなりにこぢんまりまとまっているので、あまり異質のものを受け入れる余地はありません。その為、あまり外国の人が日本に移り住んでくるという事を起こさないのです。守られていると言えば守られてはいるのですが、異質なものは日本には入りにくいのです。ドイツはその点、自分の所に潜在的に問題があるので、問題があるものを受け入れられるのです。そういうものを感じた人達がドイツにやってきます。

ONEの国を、つまり地球社会を実現させる事が、宇宙創造神の御心です。それ故、今は世界中に問題があって、ONEの世界には程遠いにしても、これから色々危険なところを通り抜けて100年200年、或いは、それ以上かけて、ONEの世界が実現する事でしょう。ARIARIは、その小さな礎石(そせき)となっています。ARIだけということでは無いのですが、確かにARIはそのような拠点であり、モデルとなっていく事でしょう。

【質問4】阿蘇山が噴火しました。12月に熊本クリスマス会が開催されます。伊香保巡礼が終わり、その後の噴火、そして、クリスマス会。これらの関連についてお話しください。ARIの今後をお守りお導きお力添えくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。常に神と共に主と共にあるように。神の御心の通りになるように。全き服従を持って生きる事が出来るように。アーメン。

【ソース】ARIは物理的にはとても小さな所で、この世的には微力ですが、霊的には大きく、とても重要な所です。その為、表面的に見ると全く取るに足らず、社会的影響はゼロに等しく見えますが、ヨハネ個人やARIというグループが日本や世界と関連して進んでおり、良い影響を及ぼし、導きつつあるのです。根本の神さまがヨハネやARIを通して働かれ、神の国を実現させる方向で働き掛けておられます。その為、表面的に見ると全く取るに足らず、大きな所とは無関係に見えるヨハネ個人やARIの活動が、実は日本や世界の動きにも影響を及ぼし、関連し合って進んでいるのです。

このような事がわかるとヨハネの黙示録がわかります。何故なら今から2千年ほど前、ヨハネ個人とヨハネのグループが、当時のローマ帝国や世界と関連しながら大きな所に影響を及ぼし、導きつつあったからです。普通に見ると当時においても、ヨハネ個人とヨハネのグループは、無に等しく、全く取るに足りない、微々たる存在と働きでした。その為、ヨハネの黙示録で書いたような事は取るに足らず、誇大妄想的なものに見なされていました。でも霊的真相はそうではなく、やはりヨハネ個人やヨハネのグループの動きが、ローマ帝国、更には当時の世界と関連し、それらを導き、あるいは浄化し、ヨハネ個人と世界の動きが関連しながら連動して進んでいたのです。それがヨハネの黙示録です。

それと同じように、現在のARIの活動やヨハネリーディングが、日本や世界を導き、大きな規模の所とつながって進んでいるのです。その為、熊本クリスマス会に向けて熊本の土地も目覚め始め阿蘇山が噴火しているのです。ヨハネの前世の啓示は、アクナテンから始まり、徳富蘆花(とくとみろか)で完了しました。ほぼ、時代順に沿って前世が明かされてきました。それは現代のヨハネの黙示録です。それ故、蘆花が明かされたというにとどまらず、締めくくりとして最後の直前の前世が明かされ、それをおさめ、完結させるような動きが伊香保巡礼から熊本クリスマス会に向けてあるのです。その為、伊香保と熊本クリスマス会の間で阿蘇山が噴火し、そして最初のアクナテン啓示に関わった山川ご夫妻とのイベントも行われる運びとなったのです。

霊的世界と現実世界は関連して動いていきます。その具体的な例です。このような神のお導きを理解し、それに従い、祈りながら応じて、各自するべき事を誠心誠意果たしていきましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
              

2015年12月17日

「安全保障関連法案」この法律は必要なものなのでしょうか?

2015.8.11 リサーチ・リーディング No.14359  

【質問1】神さま、本日、長男、I.Rさん立ち合いの下、このリーディングを受けさせて頂くおめぐみを深く感謝申し上げます。第二次世界大戦が終わり70年が経ちました。日本は現在「安全保障関連法」が取り沙汰されています。総理談話も間もなく発表されます。国民は戦争への不安を抱いています。この法律は必要なものなのでしょうか?また日本国憲法は改憲されるのが神の御心に適うことでしょうか?「少子化」は神のご計画だと伺いました。「草食系」あるいは「絶食系」男子が増えていることの関連もお話しください。

【ソース】戦後66年の年回りに、東日本大震災に見舞われました。その頃から太平洋戦争のカルマが顕在化し、当時のいろいろな課題や残されたカルマが現れ出てきています。「66」という数は、黙示録にも出てくるように試練を表す数です。東日本大震災がなぜ起きたのか?それにはいくつかの理由がありました。

一つは、日本人が物の科学や俗世的なほうに向き過ぎていたため、日本人が魂を思い出し、平和と命を大切にする。また信仰や愛に基づく生き方に向かわせるためでした。また太平洋戦争のカルマが残っていて、そのカルマが現れ出て、当時の課題に直面し、それをクリアさせるためでもありました。

福島や東北地域という日本の一部の課題やカルマというより、日本民族と日本の国の持つカルマが、デリケートな東北地域に現れ出たのです。太平洋戦争のカルマには近隣諸国とのカルマも残されていました。北朝鮮、韓国、中国などとのカルマです。それも東日本大震災の頃から現れ出てきました。それにも日本は向き合うようになりました。そのような近隣諸国の脅威に対抗するためにも、日本は国を強くする積極的な方針を支持するようになりました。それが安倍政権を生み出したのです。こうして戦後70年を迎えました。

日本人の中には近隣諸国に負けない、それに対抗できる強い国を求める願いがあります。しかしそればかりでなく、やはり平和な日本、また安全な日本であり続けて欲しいという願いもあります。周りの国に押され気味で泣き寝入りをしないように、時には侵略されないようにということで、強気の安倍政権が高い支持率を集めてきていたのですが、日本人にはもう一方の安全で平和な国であって欲しい、という願いも生き続けています。それに対して安倍政権は無頓着で、強気の方向で暴走していこうとしています。それがために支持率を下げ始めているのです。

このように日本人の中には、ただ平和を求めるだけでは周りの国にやられてしまい、不利に陥って自分たちが負けてしまうのではないかという心配と、その一方でやはり日本は安全で、平和を象徴する国であり続けて欲しいという願いの両方が国民の中にあるのです。しかし安倍政権は、強い日本のほうだけを実現させようとしています。

近隣諸国のアジアばかりでなく、今、世界はナショナリズムが盛んになりつつあります。ロシアもその動きを表し始めています。中国はもちろんのこと、他の国々もナショナリズムが強まってきているご時勢です。それもあって日本もその流れに乗ろうとして、安倍政権が今、日本を動かすようになっているのです。しかしやはり日本人の中には、広島と長崎に投下された原爆から、痛みと悲しみを持って貴重な教訓を学び取り、平和の象徴としての国でありたいという願いも、忘れ去ったわけではありません。

加えて、試練を表す66年目に東日本大震災によって、地震の揺れと津波と原発の破損による爆発によって、結果としてふたたび被曝してしまいました。日本が平和で国民的にも優れているにも関わらず、また努力してきているのにも関わらず、なぜか日本は放射能汚染に見舞われやすいものがあるのです。1954年のビキニ環礁におけるアメリカ合衆国の水爆実験の余波も、当時日本に及びました。日本人は考えさせられましたが、平和を守り抜くため、神に選ばれている面があります。

安全保障関連法案についてですが、その法案は神の御心ではありませんが、大筋としてそれが支持され、今の時期、通る可能性が高いです。たとえ神の御心でなくても、人々の自主選択に基づき、それが大勢を占めれば実現することになります。今はそのような時代状況です。世界平和やONEというものは、すんなり簡単には実現しにくいのです。人間の持っている課題や未熟さ、カルマ、課題などからして、すんなり神の国が実現されるほど甘くはありません。

しかしあきらめてはならず、たとえ少数派であっても関連法案に反対したり、原発の再稼働に反対したり、なんらかの形で平和を言い続ける人たちが必要なのです。たとえ大筋としては通らなくても、そのように言う人たちが、一方に必要です。そのことをあきらめてはなりません。それらの人たちはそれを支持し、言い続ける必要があるのです。それは世の中に忘れさせぬため、気づかせるためです。さらには何れそれが時期が来て取り上げられ、大筋として実現することがあり得るからです。それこそ神の御心です。

川内原発の再稼動にしても、憲法を改憲することにしても神の御心ではありませんが、人々の心ではあります。過半数の人たちがそれを支持すれば、人間には自由意志が与えられている以上、可決され、この世では実現します。神さまはそうならざるを得ないものや必然性を見て取り、忍耐強く人間を信じて見守り、カルマの法則を使って試み、鍛え、育て導いてくださっておいでです。人間には時間、体験、プロセスが必要なことを神はよくご存じです。

一旦、自由意志で人間たちが決めて行動すれば新たなカルマとなり、それを何れ引き受けていくような運命になります。そういうところで学びが与えられ、神さまの愛によって人間は鍛えられ、育て導かれていくのです。自分で考え決断させ、行動して、その結果を受け、それによって学びを与え、行動して責任を取らせる。そのような教育法を神さまは作られました。

少子化についてですが、あの世とこの世の両方を見ないといけません。人間は目先だけ、またこの世だけしか見ません。確かに短期的には少子化は厳しくなります。お年寄りが増えていきつつあります。団塊の世代の方が上がりつつあるのと、日本人の寿命が医療の進歩や栄養事情の発達によって延び続けているのとで、お年寄りの数が増え続けています。その一方で少子化のため、若い人たちが多くの年寄りを一時的に支えねばならず、福祉や年金の面で大変な期間が、今後訪れます。神さまはそれを見越した上で、まとまりのある無理のない、新しい日本を作ろうとなさっておいでです。

普通に見れば、多くの人たちがどんどん結婚して子どもを産み育てるほうが、経済的にもその他の面でも国力が増し、強い日本を作れます。しかしそのような在り方は、数十年前の日本の在り方です。戦後の日本の経済的な繁栄がそのような在り方でした。それは新しい時代のモデルではありません。新しい時代はもっと世界的に見ても、人々が無理なく暮らせるバランスのよい在り方です。

今、世界的には人口が増え続けています。40億が50億になり、さらに60億になり、70億になり、現在は72億人ほどに達しました。インドや中国は特に人口が増えています。韓国や日本は減ってきていますが、これは例外的であり、世界的には増え続けています。

一方、人間がエネルギーを消費するため温暖化が加速され、異常気象によって雨が降るところと降らないところが極端に分かれています。そのため砂漠化が進んでいるところがあります。異常気象によって、穀物などの収穫量が減ってきています。その一方で、世界的に人口が増え続けています。農業技術を進歩させても限度があります。さらに輸出入の規制があったり、戦争でもあれば、多くの人が食べるのに困難を覚えます。

今は、ほとんど日本だけが例外的に贅沢に食べて暮らせていますが、このような在り方は神の御心ではなく、長くは続かないでしょう。食べ物のことで世界戦争になることもないとは言えません。中国にしても、ロシアにしても資源を求めており、資源の争奪戦で領土問題や領海問題、航空権などの争いが火種になることもあり得ます。

世界的に見て、人口が自然な形で抑制されるのが神の御心なのです。そうしないと食料不足になり多くの人が餓死し、食料のことがもとで世界戦争が引き起こされ、原爆が使われることもあり得ます。そうならないよう日本は新しい在り方のモデルとなるべく、日本は少子化にならねばならないのです。これから20、30年は日本の国を支えるのは大変になりますがそこで学びが得られ、調整がつけば、新しい世界のモデルとなり得ることでしょう。

若い人たちの数が減っているばかりでなく、結婚する人も減ってきています。男性はおとなしく、この世的な欲望が減ってきています。平和を表している面もあるのです。この世的な欲望や力は減ってきています。それがまったく良いとまでは言い切れぬにしても、新しい平和で穏やかな次の日本の在り方をもたらしていく兆しなのです。ある意味で若い人たちや子どもたちはスピリチュアルとか神さまとか、特に言わなくても、そういうものを本質的にわかり、備えている人たちが増えてきつつあります。そのような新しい日本の在り方が世界のモデルとなれば、世界に本当のONEという平和が訪れることでしょう。

【質問2】川内原発が4年ぶりに再稼動されます。福島では廃炉作業が遅々として進まずにおります。携わっておられる方々は一所懸命に取り組んでおられる事でしょうが、人間は必ず、ごまかしや手抜きを犯します。そのような場合を考慮したら、やはり原子力発電はあってはならない物だと思います。神さまのお導きをお願い申し上げます。

【ソース】あなたは福島の出身ですし、今、リーディングを行っているヨハネも福島の近くの茨城県日立市出身です。福島原発の傍に今、住んでいるのではないにしても、故郷がそのような目に遭えば、他人事とは思えぬ切迫したものを抱くことでしょう。日本が原発によって放射能汚染に見舞われた事や、70年前に広島と長崎に原爆が投下された事は日本のカルマというよりも、神の試練に遭うことで、平和の大切さや原爆のおぞましさを痛感し、世界に平和をもたらす国となるためなのです。

確かに広島と長崎に原爆が投下された事によって、日本は類を見ない平和な国を作り上げることが出来ました。しかし、東日本大震災による福島原発の放射能汚染からは正しい方向性が出来ず、原発再稼動の動きを起こし始めています。そのようにならざるを得ない一つの理由は、日本が太平洋戦争の前、日清日露戦争や第一次世界大戦などで勝利し、第二次世界大戦においても途中まで勝っていた、その時の戦闘的でナショナリズムに傾いていた、日本の潜在的な問題が出ているのです。

たださらに遡れば、日本の魂は、出雲の神さまや聖徳太子の和の精神にあるような平和なONEという、あなた方が学んでいる精神に基づいているのです。それ故、ナショナリズムに傾いた戦闘的な日清戦争から第二次世界大戦の途中までの日本の問題がクリアされて、そのような面が払拭されれば、問題をクリアし、その面が払拭されたことで、もっと一番元にある和の心、あなた方が言うONEがふたたび浮上してくるようになることでしょう。ナショナリズムではなくインターナショナルへ、一神教ではなくインターフェイスに基づくONEへ。これが根源心の御心です。

ただ、今は日清戦争から第二次世界大戦までの日本の問題の部分がまた動き出しているのです。それを自覚し、反省し、その部分が癒され、本当に教訓を学べば、原発を稼動させることはしなくなるし、憲法を変えるとか自衛隊を派遣するとか、そういうことは言わなくなります。ただ日本の中にまだ残っている、そのような課題が現れ出て、そのことを自覚することが必要なのです。

このように神の御心としては、原発にしても、そしてもちろん原爆を保有することにしても、世界的に見て神の御心ではないのですが、人間というのは愚かで恐れの原理で動いているところがあるため、すぐには改まりません。しかし日本が今のような在り方を経て、本当のところに気づいて立ち返れば、世界の平和のモデルとなり得ることでしょう。あなた方はそのことに気づいて、あきらめず、たとえ今は大筋を変えられなくても、このことを言い続けねばなりません。

【質問3】東京オリンピックを5年後に控え、国立競技場、ロゴマークのデザインで問題が発生しました。東京オリンピックに向けて、内面にある課題は、どのような事でしょうか?前回がそうであったように、今回の開催によって日本という国が大きく変容するものと思われます。「おもてなしの精神」が真の意味で世界に広まり、平和へと繋がっていきますよう、お導きください。

【ソース】ふたたび東京でオリンピックが開催されるような運びとなったのも偶然ではなく、法則に基づいて周期が廻ってきていることを表しています。日本の問題や弱点もありますが、大まかに見て日本の優れたところや良いところはいっぱいあります。

例えば、きれいで安全で平和です。礼儀正しく、マナーがあり、積極的に悪い事をすることは少ないです。水面下でいじめとか、ネットによる問題などは発生しても、世界的に見れば穏やかで安全な国です。食べる物も優れていて美味しいです。それゆえ「おもてなしの精神」で、東京オリンピックを機に、日本のきれいで食べる物が美味しく安全な、そういった平和で勤勉で礼儀正しい面が世界の人々に触れ、世界の人に恩恵をもたらすことが神の目的です。すっきりしてスマートな、そして安全な東京オリンピックにしましょう。

暑さ対策も心がけましょう。暑い時期の東京でのオリンピック開催になるからです。

【質問4】アメリカとキューバが国交を回復させ、TPP交渉も妥結しつつあります。ギリシャはかろうじて国の体制を維持しています。中国の海洋進出は各国の懸念する所です。「ナショナリズム」が台頭している現状から、世界が今後ONEに向かって行きますように。カルマによって起きるべき事は起きねばならなくとも必要最小限で済み、大事に至りませんよう、どうかお守りお導きお力添え賜わりますよう、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。常に神と共に主と共にあるように。神の御心の通りになるように。全き服従をもって生きる事が出来るように。アーメン。

【ソース】ちょうど人間一個人に、魂とその特徴、それに応じた役目、そしてカルマと課題と運命があるように、それぞれの国や民族にも、その持つ魂と特徴、カルマと課題、果たせる役目と優れた点がそれぞれあります。国や民族の課題、カルマや運命や果たせる役目があるのです。ギリシャにしても、ドイツにしても、日本にしても、中国にしても、ロシアにしてもそれぞれあるのです。そして国や民族だけで終わらず、国や民族が一つの単位となって他の国や民族と関わるところにまたカルマや争い、また協力、助け合いもあります。

何れ人類が経験を通して学んで成長を遂げ、カルマが解消してくれば、今の日本で都道府県を集まりとして国が成り立っているように、一つひとつの国を言わば都道府県のようにして、世界が一つの国のようになります。日本でも江戸時代までは国中心ではなく、藩中心でした。各藩が国と呼ばれていたのです。人間は進化すると意識が大きくなり、つまり愛が大きくなるので、国や民族があってもそれが対立のもとにはならず、むしろ助け合い分かち合い、協力し合って地球を一つの国家として営むことが出来るのです。

日本には良いものがあります。それは一言で和と言い表せる古神道の魂です。あなた方のONEに通じるものです。日本人がもっと目覚めて大きくなることで、日本の良いものが世界にもたらされ、世界全体に平和と信頼と協力が見られるような時が来ます。いろいろ経ながら必ずそうなります。そのことをあきらめず、この事を信じ祈りながら、各自出来る事をしていきましょう。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉

2015年4月15日

2014年の出来事が意味するものと、これからの動き

2014.12.27 リサーチ・リーディング No.14094

【質問1】神さま、このリーディングのおめぐみを深く感謝申し上げます。2014年も終わろうとしています。今年は「午年」。馬は飛躍の象徴。そして、日本では今年の流行語の一つに「ダメよ、ダメダメ」が選ばれました。衆院選で自民党が圧勝したものの、共産党が躍進しました。神さま、どうかこの国をお守りお導きお助けください。ご加護とお祝福をお願い申し上げます。

【ソース】現実の動きは偶然でも非合理でもなく、内なるものの現れとなっています。その時点の内面の在り様を忠実に反映するものとして、現実の状況や出来事や雰囲気がもたらされる。これが法則です。

目に見える世界は、目に見えない世界の現れです。顕界は霊界の反映と言うことさえ出来ます。すべてが心の現れ、そのようにも表現出来ます。それは一個人ばかりではありません。家庭においても、会社やある組織体においても、当てはまる法則です。地域にもそのような法則が働いています。さらには国や民族にも、この法則が働いています。広くは地球と人類にも、この因果の法則が働いているのです。

それ故、例えば今年一年を見るならば、この一年間の日本の民族や土地、日本という国を、この一年間の日本の動きや出来事や、状況や雰囲気が、表しているのです。例えば今年の流行語として、「ダメよ、ダメダメ」これが選ばれたということは、直接、安倍政権であるとか自民党に対して言われた言葉ではないにしても、どこかでは関連しており、神さまからのメッセージや警告とさえ言えます。多くの日本人の支持を受けて、安倍政権が暴走していますが、一部の人たちはそれに全く納得しておらず、その対極をなすものを求めています。

例えば、反原発とか、消費増税反対とか、集団的自衛権反対とか、TPPに反対とか、大企業などばかりでなく中小企業や一般の弱い人たちのことをもっと考慮して欲しいとか、そういった安倍政権の対極をなす人たちが、ある一定人数います。それが特に共産党に集中してきているのです。民主党にではありません。民主党はどっちつかずで、魅力を失ってきています。はっきりと反自民党、反安倍政権ということなら、そういった人たちは政策のはっきりしている共産党に票を入れています。そのため、以前の日本では考えられないような、共産党が躍進するということが起きているのです。

また今回の衆院総選挙の特徴は、そもそも選挙に行かなかった人たちが多かった点です。単なる怠慢とか無関心として片づけられないものがそこにはあります。どこにも入れられない、入れるところがない。そういった人たちが増えてきている表れです。それは若い人たちに多いことでしょう。日本の政治自体が魅力がなく、どこかずれているので、どこにも入れようがないという現象が起きて来ているのです。

その意味で「安倍政権が圧勝した」とは言え、「本当に国民の大多数の支持を受けている」とは言い切れないものがあります。消極的には次のように表現出来ます。「他に頼れるほどのものが見つからないので、しかたなしに、そういう中では安部政権がマシな気がするから入れておこう」。と言った程度です。本当に積極的に賛同して、信頼されて、票を集めたという事ではありません。

しかし安倍首相はそのようには捉えておらず、楽観的で、アベノミクスが国民の大多数から期待され、支持され、人気を集めていると錯覚しているのです。「謙虚に身を引き締めて」とは言うけれども、実際のところはそういう謙虚で素直な心の状態ではなさそうです。ただそれでも、今のようなプロセスも日本が通って行くということになる事は、現実の動きが表しています。

いろいろ紆余曲折を経て、日本人も学習し、何が良くて何が悪いかを知らされながら、一つひとつをこなし、それで気が済んだり、正されたり、身につくものもあり、カルマも果たされ、プロセスを経ながら、少しずつ元の神様に見守られ、試され、鍛えられ、育て導かれている。それが現実の動きなのです。

また日本だけで見てもわからない事も多いです。海外との関係です。今は日本ばかりでなく、世界的に見て競争が激しく、国家主義が強まってきている傾向が見られます。その意味で、第一次世界大戦や第二次世界大戦の頃と似ているのです。国家中心になって戦闘的なのです。ロシアの動きを見ればわかります。中国や北朝鮮や韓国の動きにも現れています。

そのため、勢い、日本もそうならざるを得ず、対抗姿勢を示して強気です。聖徳太子のような感じではまったくありません。平和とか、調和とか、共存とか、協調とか、謙虚さとか、柔軟性とか、そういった和の精神からむしろ遠のきつつあります。短期的に見ると、日本の今の動きはONEからますます遠のきつつあり、ONEが実現するどころではありません。

では、日本は見放されたのか?ONEはまったく無理なのか?そういうことでもないのです。短期的、表面的に見ると、ONEから隔たりつつあるように見えますが、長期的にしかも本質のところで見ると、ONEに着実に日本は向かっているのです。ONEが必ずしも現在の共産党を表しているとは言えませんが、日本の国の中でも、本当の平和と共存と調和の愛を目指す、そういう国際的な動きが望まれていることは確かです。それが霊的宗教的にはインターフェイスなのです。

今年を表す言葉は「税」が選ばれました。消費増税が印象的だったのでしょう。ヨハネの黙示録には、「二つの流れがますます分離し、それぞれが傾向を強める。それが終末の時代の特徴の一つである」と、記されています。良きものはますます良くなり、悪しきものはますます悪化する。両極端に分かれて行くという現象です。物的なものや利己性、欲望、感情、自己中心、そういった方にますます向かっています。

では、まったく悪化の一途をすべてが辿っているかと言うと、そうではなく、それとは対照的に、本当に愛と調和の、命や目に見えない世界を認め、大切にしようという動きも、少しずつですが出て来ているのです。そしてその両者はまったく分離してそのまま行くかというと、そうではなく、極まったところで何かが起き、人々が目覚め、少しずつ調整がなされ、橋渡しがなされていきます。

東日本大震災が起きた事は、そのためのものではありましたが、そんなに簡単ではなく、もっと深刻で根が深いことが明らかになりました。それでも東日本大震災に見舞われたことが、まったく無駄だったということはありません。人々の意識には「このままではいけない」というものが植えつけられ、魂が少しずつ目覚め、動き出しています。

2014年は「アナと雪の女王」がヒットした年でもありました。「ありのまま」という言葉が、日本中に知れ渡りました。「ありのまま」というのは、「自然体」という事です。イエス様の幼子の精神にも通じます。日本人が好みそうな言葉です。スピリチュアル的であり、ARIで唱えられているONEにも通ずるものが「ありのまま」にはあります。「ありのまま」が単なる、「問題を認めてしまう、改めない」というようになると困りますが、本質のところでの「ありのまま」を信頼して、それを大切にして本来の在り様が回復、実現してくるというなら、大いに結構な事です。何れにしても日本人が魂に目覚め、動き出して来ていることは表しています。

一人の人が間違いに気づいて改め、成長し、カルマを果たし、良くなっていくだけでも大変な事です。手間取ります。時間がかかるものです。まして一人だけではなく、一億二千万人以上いる日本人です。日本人全体として間違いに気づき、問題が改まり、良くなっていったり、回復していくには、相当の時間と手間がかかるということです。

さらには世界の七十億人以上の人たちが、それぞれ違う中で、間違いに気づいて改め、これまでのカルマを返済し、良くなって、世界に平和が訪れるというのには、相当の時間と手間と労力がかかるのです。それでも神さまがそのことをお定めになり、その方向で人間を鍛え、試し、育て導かれているのです。

イスラム国のような怖い組織も、今年は目立ちました。そういうものも宗教や民族主義などの現れです。国家主義をも表しています。そういうものも発生し、いろいろ体験しながら、人類は少しずつ教訓を学び、前に進んで行くように神に育て導かれているのです。
そういう今年を踏まえ、来年を迎えるということになります。

【質問2】北海道に新幹線が開通します。札幌は2026年の冬季オリンピック開催に立候補しました。来年6月13日にARI北海道主催の講話会が支笏湖のほとりで行われ、その半年後、火の国・熊本にてクリスマス会が行われます。これらの意味することをお話しください。

【ソース】2015年はまた新たな事が、意義深い事として、いろいろと待ち受けていることでしょう。2月上旬の東京ワークショップ、新年会から始まり、春には福山での復活祭、6月には北海道の支笏湖でのイベント、そして7月には北関東の群馬の伊香保で、徳富蘆花ゆかりの催し物があります。12月には熊本でクリスマス会があります。神シリーズの本も発行されることでしょう。その他、いろいろまた新しく、意義深いことが待ち受けているはずです。

ヨハネは直前の前世では、火の国・熊本の出身でした。熊本バンドを背景にキリスト教の家庭で生まれ、育ちました。そして東京に出て行きました。今世においては、北方の札幌バンドの系統の内村鑑三のキリスト教の流れの北関東の日立に生まれ、育ちました。そして東京に出て来ました。火の国の熊本バンドから、水と氷の国・北海道の札幌バンドの系統から北関東に生まれ、しかしどちらの場合も日本の中心の東京に出て来て、活動を始めたのです。
2015年には支笏湖のほとりでイベントがあることでしょう。そして北関東の蘆花が臨終を迎えた、蘆花の愛した群馬の伊香保でイベントがあることでしょう。そして年を締め括るクリスマス会が、南方の蘆花の出生の地、火の国の熊本で行われることで、2015年はまとめられるのでしょう。

徳富蘇峰と蘆花の兄弟が熊本で生まれ育ち、東京に出て来て活躍しました。蘆花が群馬の伊香保で臨終を迎える時も、兄の蘇峰が駆けつけ見守りました。そのような伊香保に行くということ。そして年末は熊本であるということ。そのような年に、蘇峰の生まれ変わりの人もARIに入って来て、働き始め、熊本のクリスマス会にも同行することでしょう。やはりそのように現実は動くものなのです。

冒頭で伝えられたように、現実の動きは偶然でも非合理でもなく、内面の現れとなるからです。つながりのあることは必ず現実に起きて来ます。縁と役目があれば行うようになる。そのようにして、徳富兄弟による熊本クリスマス会が行われるのでしょう。蘆花は北海道とも縁がありました。東北の岩手にも友だちがいました。日本は全体として一つの国を成しているのです。日本のそれぞれのゆかりのあるところでバランスを取りながら、一人ひとりが成長し、神様に導き育てられて行くことでしょう。

【質問3】エジプトではスフィンクスを観光客に公開したようです。スフィンクスの記録はすでに取り出されたのでしょうか?公開の意味することをお話しください。

【ソース】ARIにおいてイスラエル・ギザツアーが行われた1999年3、4月の時点では、スフィンクスの近くには行く事が許されていませんでした。それでも尚、どうしても必要で霊的な資格と役目のあるヨハネは、スフィンクスの下に赴く事が起きました。しかしそれを見て、4、5人の人たちが行くと見つかって、笛を吹かれ、たちまち追い立てられました。この世的に、つまり法的に認められないだけでなく、霊的にも認められない事を起こそうとしたからです。現実の動きにも、霊的なものが現れています。

それ故、今の時になってスフィンクスが公開された事は、霊的なものの現れです。スフィンクスとしての封印が解かれ始めた事を表しています。今のところ、スフィンクスの地下の記録は取り出されていませんが、スフィンクスとしての封印が解かれ、一般公開される運びとなって来たのです。

このように段階を踏んで、スフィンクスが次第にベールが剥がされ、記録が取り出されるのも近づいて来ていることを表しているのです。吉村作治さんは、まだスフィンクスの地下に記録が残されている事には気づいていません。何れ、資格と役目のある者が気づかせられ、現実にも許可を得てスフィンクスの地下に入り、記録や重要な品々がある事に気づき、それによって一つの時代が幕を下ろし、新しい時代が始まるようになることでしょう。

【質問4】神さま、2014年をありがとうございました。来る2015年が「未」のように穏やかで平和な一年になりますよう心から願います。どうかよろしくお願い申し上げます。常に神と共に主と共にあるように。神のみ心の通りになるように。全き服従をもって生きる事が出来るように。アーメン。

【ソース】スフィンクスの側には、徳富蘆花も訪れています。エジプトの秘儀とイスラエルの秘儀との間には、関連性があります。聖書によるとイスラエルとエジプトは敵対関係にあり、エジプトは魔的な国と民族と宗教であると見なされています。確かに表面的に見ると、イスラエルの一神教に対立し、エジプトとイスラエルの間にさまざまな確執がありました。

しかし奥深いところでは、エジプトとイスラエルの間には通ずるものがあり、遡ればエジプトには重要な秘儀が隠されていて、その役目を担わされて来ていたのです。そうであるからこそ、修行時代のイエス様と洗礼者ヨハネはピラミッドの王の間に入り、ピラミッドの秘伝を通過されたのです。そしてイスラエルに帰り、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けて、使命を開始されました。

エジプトも元はONE、すなわち本当の一神教だったのです。前世においてイエス様はヨセフとしてエジプトに連れて行かれ、奴隷から始まって王様のアドバイザーとなり、エジプトの国を平和に治めました。ヨセフは夢解きが得意でした。

それからずっと時代が経って、ヨセフとマリアはエジプトに逃れました。ヨセフはやはり夢を見る人で幼子イエスを連れて、殺される前に家族でエジプトに避難したのです。ヨセフがヨセフに生まれ変わったのではありません。ヨセフは長男のイエス様にお生まれになられました。それでもやはり、ヨセフは夢解きが得意で、エジプトに難を逃れたのです。エジプトというのは単なる、反イスラエルの所ではありません。モーセも幼い時、エジプトの秘儀とイスラエルの秘儀の両方を学び、修得しているのです。

スフィンクスが公開され、エジプトにアトランティスから伝えられたONEの秘儀が取り出されたならば、スフィンクスとピラミッドはアトランティスのONEの叡智の遺産であることが知られることでしょう。時代が次第に切迫し、難しい時代になって、局面を迎え、そのような中でヨハネが再来し、ギザの記録が取り出され、それが一つの転機となることでしょう。こうしてキリストが再臨され、神の国が実現する方向へ歩み出します。

必ずしも、それが2015年に起きるということではありません。しかし時代状況が世界的に切迫しつつあり、そういう中で本当の秘儀が求められ、用意が出来てきた者たちによって取り出され、それが一つの活路となっていくのでしょう。その事とヨハネ・ペヌエルの活動とは無関係ではありません。それぞれが置かれたところで、するべき事を果たして行くことこそが、神のみ業が全体として、滞りなくなされていくために必要なのです。

あなたもあなたで自分が居るべきところで、果たすべき役目を縁のある人たちと共に行っていきましょう。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉

2015年2月6日

日本各地で起こる天変地異、イスラム国の動き、デング熱などが今騒がれるようになった意味は?

2014.11.15 リサーチ・リーディング No.14095  

【質問1】神さま、このリーディングのおめぐみを深く感謝申し上げます。木曽御嶽山が噴火しました。11月4日には九州各地で火球が目撃されました。この意味をお話しください。

【ソース】人間は肉体だけでなく心があります。更には心の奥に魂や霊があります。人間生命の本質は魂や霊の方にあるのです。そのような多次元の人間存在に対応するように人間が置かれた環境や世界の方も、そのような多次元の世界構造をなしています。物の世界ばかりでなく、心の世界が広がっており、更に心の世界の奥には魂の世界、霊の世界もあるということです。人間にしても、人間が置かれた世界にしても、このように多次元の幾つもの層をなしてあります。

ところが、この50年100年の日本人は、物や物に対応する肉体の方にばかり向かっています、この世の物の次元の方に。もう一方の魂、霊、そしてそれに関わる命の尊さ、愛、思いやり、畏敬の念、配慮。そういった目に見えない世界の方が軽んじられ、また否定されてきてさえいます。愛、命、心、信仰、畏敬の念、礼拝。そういったものが本当はあるのに、そしてあるばかりでなく、重要であり本質をなしているのに、軽んじられてきています。

そういった目に見えない世界があって、物とか肉体とか現実の動きが支えられ、司られているにも関わらず、元にあるものが見過ごされ、大切にされていません。そのような風潮があって、自然という命をも傷めつけたり、大切にしたり感謝する心がなく、自然を慈しみ自然に感謝し自然と調和するような精神が欠如しています。

それは、本来のあり方でなく、バランスを欠いている為、支障を来すことが起きてきます。そして、そのような支障を来すことを通して神が大事なことに気づかせ、改めさせようとなさっておられます。「そういうことではいけません。間違いに気づくように、偏りを正すように、考え方価値観生き方等を改めるように」。そのように出来事を通してメッセージを送ってきておられるのです。

カルマというのも元々悪であり、不適切さであり、アンバランスのことです。それ故、ブッダは中道や八正道、八つの正しい道を説き勧められたのです。アンバランスをバランス化させるということです。それがONEの道です。神様という本当の規準、愛と真実に沿って、神様と一つになるように正せば、その時点でカルマが解消し、現実の問題も解決し、困ることや苦しむことがなくなってくるのです。

大事なことは、それぞれのことに関して何が正しいのか、また、中道なのかを見定める知恵です。それ故、仏教では知恵を重んじているのです「如実知見」といって、真実をありのままに認識し見定め、それに則して行ったり対処する知恵が解決への道だということです。そして、そのように真実を見抜いたなら、それを行動に移す。それが愛であり慈悲なのです。そういうことが今の日本人にはなっていません。著しく偏っています、世間の風潮としてです。

例えば、御嶽山は昔から日本の聖なるお山のひとつです。いわゆる、霊山です、修行の場です、信仰の場です。セブンテラス瞑想を見てもわかるように、山は聖なる場であり、特に八合目より上は神様が留まられる清らかで神聖な場です。にもかかわらず、悪気はなくても多くの日本人が行楽の目的で、つまりレジャーやレクリエーションで、物見遊山。そういった軽い気持ちで、この世の次元の自分達の楽しみや慰め程度で、山に登ったり降りたりしています。なっていません。

厳粛な気持ちとか感謝の気持ちとか、畏れ敬う気持ちとか、礼拝するとか、山に登ってお参りして感謝して謹んで下山させていただくとか。そういう精神や心得が著しく欠如したまま、軽い気持ちで登って降りてきています。頂上でお弁当を食べてはいけないとまでは言いません。しかし、本来山というのは聖なる場なのです。富士山にしても御嶽山にしても、また他の山にしてもそうです。それに気づくように、そして心がけと行いを改めるように、神の警告として起きたことです。

神にお詫びのお祈りをするように。また、亡くなられた方々へのお祈りをよくするように。その辺り一帯の土地のカルマも解いていただけるようにも、お祈りしてください。

その日、御嶽山に登られて被害にあわれた方だけが悪いということではなかったのです。あの出来事は日本人全てに対する警告であり、ある意味で神のお怒りが下ったのです。神からのお叱りです。被害にあわれた方だけが悪かったというのでなく、日本人全体へのメッセージであり、神のお叱りです。出来事メッセージです。

東日本大震災が起きたにも関わらず、その後もこういう大事なことに日本人が気づかず、改めず、相も変わらず物や欲の方に傾いています。欲望とか感情とか、見た目とか。そういった物とか肉体の次元、或いはこの世の次元、欲望を満たすこと、利己性。そういった方に傾き過ぎています。成長が見られません。

アンバランスのままで、ものは成り立ちません。それで、そのようなことが起きざるをえなかったのです。元には神の愛があります「わかって欲しい、気づいて欲しい、そして改めて欲しい。良くなって欲しい」。そのような神からの熱き愛が厳しい形で届いたのです。

ほぼ、7年前、ARIのギャザリングで御嶽山に40数名の方が登られました。その時、九合目の辺りに万年雪があり、体力的、また時間的には頂上まで登ることが可能だったのですが、万年雪の為、安全を図って頂上まで行くことを断念しました。これが良いのです。ARIのような信仰深い人達の集まりでも、頂上まで登るのは控える。そのような慎ましやかな心が大事なのです。うっかり頂上まで入ってはいけないのです。セブンテラス瞑想を見れば明らかです。

八合目から九合目の辺りに雲の傘がかかっていて、その雲は天の世界と俗世とを分つ境界線を雲の傘は表します。その雲の上は天の世界、神様のおられる世界で神域です。或いは聖域です。身も心も清め、恭しく拝礼の気持ちで入らせていただかなければならない所なのです。セブンテラス瞑想の説明です。

実際、そのように山はできているのです。御嶽山に登るのは体力があれば登れるということではないことに気づきましょう。それ故、ARIですら九合目までとし、九合目から頂上の神様を拝み、帰らせていただいたのです。安易に聖域に入り込んではいけないということです。

昔から本当の宗教にはそのように厳しいものがあるのです。イスラエルの神殿でもそうでした。日本の伊勢神宮でもそうです。そうでなくて、ご神域の中に入ると死んだりするということが起きたのです。或いは口がきけなくなったりしました。本当の宗教には厳しい面があり、ヒエラルキー、つまり、階梯や段階があるのです。霊的に進化していくというのは大変なことです。何度も試練と死を潜りぬけて、リスクを冒して、初めてその上まで上がれるのです。死と復活の限りなきくり返しです。

九州に一時火球が飛んだのは天の徴です。天からのメッセージです。九州には阿蘇山があります。日本の山々は連動し繋がり合っています。

また、ご質問の中のこととの関連で、ヨハネ・ペヌエルとの関連があるのかどうかということについて見てみます。直接の関連はないものの、ヨハネ・ペヌエルが日本に日本人として生れたということで関係しています。

その為、御嶽山が噴火する際、よりによってその時ヨハネは新幹線に乗っていて名古屋に向かっていました。そして、ちょうど噴火の時刻は御嶽山に最も近い位置を通過中でした。御嶽山の真南の位置を新幹線で通過中に爆発したのです。しかも、お昼頃であり、ちょうど太陽が最も高い位置に達した時噴火が始まりました。1999年のノストラダムスの予言の時、ヨハネが乗った旅客機がハイジャックにあったのも、太陽が真上にある最も高い位置の時でした。太陽と日の神様です。

来年は阿蘇山の近くの熊本でクリスマス会があります。直前の前世の徳冨蘆花の時にちなんだクリスマス会となります。そういったことで、その辺りのものが動き出しているのです。重要な個人と、それと繋がりのある集合体とは連動して動く。その一つの現れです。ヨハネの黙示録もヨハネ個人のことと、ローマ帝国や当時の世界の動きが連動して動いていくことが克明に描写されています。

全て根本の神様の愛故に、お手入れが加わり、浄化と育成のプロセスを辿りながらカルマが現れ出て試みにあい、育て導かれていって完成へと向かうのです。人間の完成と地球の完成へ向けてです。現代にもそのような動きが見られます。

【質問2】「イスラム国」の動きを憂慮しています。「今後、世界の宗教がイスラム教に強く影響されて行く」と一部では言われています。キリストの愛のみ教えの普及と、この動きとの関係をお話しください。

【ソース】キリスト教はもちろんイエス・キリスト様と関連しており、イエス・キリスト様から始まった宗教です。その意味で重要です。但し、歴史上のキリスト教はイエス様そのものと一つにはなっておらず、ずれがあります。その為、イスラム教を一方に生み出させたのです。それは人類の成長段階が未だ低いことを表しています。

イエス・キリスト様ご自身は完璧であられ、完成されたのですが、キリスト教という宗教は完全ではなく、かつてのユダヤ教のような二元論の産物です。対立二元論です。ONEではありません。ONEではなくTWOなのです。

その為、自分と対立するものを一方に生み出させました。具体的にはそれがイスラム教です。内面の現れが現実なのです。そこで本来のイエス・キリスト様のONE を出していかねばなりません。それが時代の要請です。その為にヨハネは生まれ変わってこなければならなかったのです。ONEという本当のキリスト教をもたらすことが必要となっているのです。ONEとは完全な愛、無条件の愛です。ONEならば、もう一方に対立を生みださせず、それぞれの違いの意味を理解し、全てを覆う程の愛を持って包み、癒し、本当の地球平和をもたらすことが出来るのです。

イエス・キリスト様ご自身とキリスト教という宗教を同一視しない方が良いのです。分けて見るべきです。両者に繋がりはありますが、別として見るべきです。厳しいようですが、そのような反省や認識が必要です。

ONEというのは、アメリカから始まったニューエイジ運動と関連しています。それは多分に反キリスト教的な色彩が濃いものでした。キリスト教の教会に疑問や限界を抱いた精神運動だったのです。その為、キリスト教側からは好ましくないものと見なされ、反キリストの動きだと捉えられました。ここで誤謬があります。本来、イエス・キリスト様とキリスト教という宗教は別物なので、反キリスト教が反キリストではないはずなのです。でも、キリスト教側は自分達がイエス様と一つであると当然のように認識している為、教会に反する動きは反キリストだと見なしてしまった点が間違っていたのです。むしろ、本当のキリスト精神をもたらすことが使命なのです。

ただ、アメリカから始まったニューエイジ運動は未だ未熟であった為、アンチテーゼでした。やはり、対立を一方にもたらしたのです、キリスト教は。しかし、そのアンチテーゼを経て、ジンテーゼという本当のキリスト教であるONEがもたらされるのです。その使命はヨハネ・ペヌエルに鍵があります。その為、エドガーケイシーは自分の後、東洋にヨハネが再来することを予告して亡くなったのです。

キリスト教がこのようなことに気づいて反省し、改めていくことが出来れば、世界に平和が訪れることでしょう。イスラム国という過激派は過渡的に今の時代を表すものとして出て来ています。それを警告として自分達を見直して出直しを図ることで、乗り切っていくことが出来るのです。

【質問3】この夏、日本では「デング熱」が東京を中心に発生しました。また西アフリカでは「エボラ出血熱」に悩まされています。このことは何を意味し、何を改める必要があるのかをお話しください。

【ソース】物的次元では、衛生管理の不行き届けによることです。しかし、魂的にはもっと根が深く、敬い慎む精神の欠如によります。つまり、心や心の奥の魂自体も不衛生であり、穢れがあるということに気づくべきです。物的次元での不衛生ばかりでなく、心や魂までが汚れている。その為、感染し発熱して死に至る確率が高いということ。その生命体が死に至る程深刻な事態に陥っているということを表しています。

日本ではデング熱が少し広がりましたが、日本にもそのような不衛生な面が少しずつ出始めている。特に東京を中心に肉体ばかりでなく、心や魂も不衛生になって汚れが出てきていることを表しています。しかし、未だ死に至る程酷い状態には日本人はなっていないことを表しています。でも、そういうものの走りが既に日本にも起きているということを表しているのです。

ここでそのことに気づいて反省し、改め、肉体や物の次元だけでなく、何より心や魂まで清め、正していくということ。慎ましく生きる、そして生かされて生きる精神が求められていることなのです。

皆、物の次元しか見ていないので、物の次元の原因を調べ、物の次元で対処するだけで終わっているので、事の本質が見えず、その為、根本の解決に至っていないのです。真に改めるべきは心やその奥の魂にあるはずです。

【質問4】「天気」は「天の気持ち」であるという捉え方があるようです。晴れ、曇り、雨、雷、雪、風、地震、虹、オーロラなどの自然現象には神のどのような意図が込められているのでしょうか?一人ひとりが真に幸福になれますよう祈ります。常に神と共に主と共にあるように。神の御心の通りになるように。全き服従をもって生きることができるように。アーメン。

【ソース】人間は生物の一種であり、自然の一部です。しかし、人間だけが他の動植物とは異なり、ある意味で進化を遂げ、影響力を振うようになりました。道具や技術を発達させ、自然界にまで影響を及ぼす程の力を持つようになりました。

それは、大昔火を熾すことが出来るようになったことから始まっています。近代ではイギリスで蒸気機関車が造られました。人間は道具と技術を手にし、それを急激に発達させることで、周りをコントロールし自然界にも介入し、影響を及ぼすようになったのです。その為、今では自然の動きでさえも人間の影響を受けて動くようになっています。

昔はそのようなことはなく、自然からの影響を受けるだけだったのです。良くも悪くも影響を及ぼす側に回りました。しかし、その為人間は何でも出来る、そして、しても良いと錯覚してしまっているのです。実際はそんなに多くを出来ないし、してはならないのに、そのように思い違えています。その為、神のお叱りを受けるようなことも起きるようになっています。

カルマの法則が自然との関わりでも動くようになり始めました。悪ということも人間に対する悪ばかりでなく、自然に対して犯す過ちも増えてきています。

東日本大震災も大地震から始まっているのです。第1段が大地震、第2段が大津波、そして第3段が福島第一原発の爆発です。それによる放射能汚染が最も深刻でした。人類が招いたことです。ただの自然の脅威ではありません。天災ではなく既に人災になっています。人間は物の科学を発達させたことで、物は無機物であり、物の次元だけの因果関係で動いていると、心を無視した機械的な、また客観的な因果関係を本当だと捉え、それを元に物的な科学技術を発展させてきているのです。

でも、本当は心や魂が自然界にも介在して動いているし、人間も自然界に関与し始めているのです。昔話や神話では、物の動きや自然の動きにも心や人間が関わっていることをよく知っていて、そのことを伝えてきています。その為「天気」も「天の気持ち」ということを感じ取っています。しかし、こういう捉え方は現在の最先端の科学技術ではナンセンスと捉えられ、笑われる始末です。それが傲慢さなのです。それでいろいろ不都合が出て来ています。

晴れは明るく喜びに満ちた気持ちです。曇りは曇り顔の徴です。雨は良い意味としては浄化です。また、雨によって潤い、育成され、地も固まり、落ち着きます。否定的な意味としては、雨は悲しみ、憂いを表します。嵐や台風は浄化作用と怒りと、均衡を回復することを表しています。

雷は天からの強い厳しいメッセージです。風は均衡を表し、聖霊をも表します。地震は大地の身震い、目覚め、カルマの浄化、是正を表します。虹は天との契約を表します。また、希望を表します。オーロラは天の気持ちの神秘性や奥深さを表します。雪は周りを浄化する天の世界と清める働き。また、冷たくて厳しいあり様を示しています。

リーディングを終了します。
    (ありがとうございました)    
<了>

2015年1月7日

2011年3月に甚大な被害を被ったにもかかわらず、原発推進をやめない日本に対して

2014.10.2 リサーチ・リーディング No.14005

【質問1】世界有数の地震国であり、また環太平洋造山帯にも位置する日本にあって、2011年3月11日の地震、津波、そして原発事故により、あのような甚大な被害を出したにも関わらず、脱原発どころか懲りずに原発を推進しようとしている日本に対して、神様からのメッセージをお願い申し上げます。

【ソース】原発に対して積極的な国としては、日本やフランスがあります。日本の場合、昔から地震国です。活火山も多数存在しています。環太平洋造山帯にしっかり位置しており、火山の噴火を中心にして隆起してできた島国ともいえます。ちょうど東京の南方に位置する伊豆七島が、火山による海上からの隆起によって出現したのと同様に、それがもう少し大きな規模で起きたのが、日本列島です。

一般には、アジア大陸と地続きにあって、寒冷期が終わり、温暖化の周期を迎えたことで日本海が生じ、大きなアジア大陸、あるいはユーラシア大陸と分離しただけだという説明もなされてはいます。けれども、それほど単純なものではなく、やはり火山によって造られた島国なのです。その証拠に、狭い国土の中にいくつもの活火山が、今でも存在しています。富士山もそのひとつです。元々平地が少なく、山が多く、雨もよく降る、温暖な気候のところです。

ニュージーランドの地震が起きた時、リーディングの中で、「このままでは終わらず、むしろこれは始まりとなり、ニュージーランドの地震に続いて、近いうちに中規模以上の地震が、日本の北東部に起きる可能性が高い」。そのようにニュージーランドの地震が起きた時に、リーディングで予告されていました。果たしてそのとおり、日本の北東部に地震が起きたのです。東日本大震災です。

これを見てもわかるとおり、ニュージーランドと日本列島とは、環太平洋造山帯の中で連結しているため、ニュージーランドでの地震で終わらず、日本でも東日本大震災が起きたのです。

そして大きな地震によるダメージで終わらず、津波が引き起こされ、大津波による被害がありました。更に、地震と大津波により、古い原発のひとつである福島第一原発が、耐え切れなくなって破損し、放射能汚染が始まったのです。これらは一連の出来事であり、日本の国土などの自然と国の政策と科学技術の問題が露呈された、大きな出来事でした。偶然とは言えないものがあるのです。

起きる事は、物理的な因果関係に従って起きます。科学で説明しているとおりです。では、それだけで事が起きるかというとそうではなく、心の次元や霊の次元もあるため、奥深い次元の要因も介在して物理的なことが生じてきます。

起きる事は直接には物理的な因果関係によりますが、一番の元では、霊的には神が意図されて事が起きます。両者の間に矛盾はありません。自然の因果関係に人間が関与し、物理的に事を引き起こす。そこに神が介在されて、それを教訓として与えるというようになっているのです。その意味で起きる事は、単なる物理的な単純な因果関係によって起きた、ということで済まされず、神からのメッセージにもなっているのです。

喜び事が起きる時は、神からの励ましや恩寵として起きます。悲劇的でつらい事が起きた時は、問題があることを神が警告し、間違いに気づかせ、改めさせるため、また戒めのために、愛をもって事を起こされます。起きる事はメッセージであり、「気づいて欲しい、改めて欲しい」ということを表している教育的な意図があるのです。

数百年前に近代化の中で、宗教的・霊的なこと、あるいは道徳的なことと科学が分離されました。それには功罪があります。良い面と問題な面とです。問題な面としては、起きる事の霊的な面が切り落とされ、心とか配慮とか愛とか思いやりとか命とか、そういった心情的な部分が、現実の動きから追いやられたことです。

その代償として、さまざまな悲劇的なことに見舞われ、そういう方針の下で生活や社会も作られ営まれた結果、人々も心が追いやられ、心が弱体化しストレスも増え、心が病むようになってきているのです。それに対して、これまでの宗教は対応できていません。

日本は火山国です。これからも地震や火山の噴火はあることでしょう。むしろ増えてくるはずです。そういう中にあって、どんなに点検したり整備したり、科学技術を発達させても、保障の限りではありません。一度原発が破損すると、取り返しがつかない事態になることは、福島第一原発の爆発で明らかです。それは人間の価値観、生き方、文明のあり方に対する神からの警告でもあるのです。起きた事をどう捉え、どう対応していくかが、天からのテストになっているのです。

今、日本は安倍政権の下、かつての帝国主義時代のような、国家主義の方向で動き出しています。これは時代錯誤であり、好ましくありません。福島第一原発の爆発から教訓を学び、方針を変えていかなければなりません。そうしないと、また別のところで、もっと大きな被害が生ずることもありえます。

起きる事には意味があり、天からの警告なのです。それは被害に遭われた方々の罪というよりも、むしろ政策側や科学技術に携わっている者たちの方の問題なのです。被害に遭われた方たちは、むしろ犠牲者であり、弱くて純粋な人たちです。いつでも体制側の犠牲に、素朴で純朴な人たちがなるのは、いじめとも共通しています。

東京の方に電力を供給するために、福島に原発を造ったわけです。それゆえ問題があるのは、福島の人たちというより、東京に住んでその政策を立てて実行した人たちの方にあるのです。今からでも遅くありません。改める方向に動き出しましょう。

【質問2】2011年3月11日の東日本大震災以降、日本海では深海魚が水面近くに上ってきたり、伊豆諸島では新島が隆起してきたり、各地で異常気象による災害が起き、近日では日本の中央構造線付近の御嶽山の噴火があり、地底の深いレベルの変化と見られますが、今後日本列島にどのような変化が起きてくるのでしょうか。30年後から50年後、そしてもっと長いスパンで何が起きてくるのか、神様からのメッセージをお願い申し上げます。

【ソース】現代人は、科学者や専門家をはじめ、もっと謙虚にならなければいけません。人間が知っていることはごくわずかであり、人間にできることも限られているのです。事が起きるのは確かに因果関係によりますが、人間が窺い知れないさまざまな要因が絡んで、それらの絡みで事が生じてくるのです。そして一番の元に神がおられて、現実の動きを司どっておられます。

今後、異常気象は益々進み、特に問題なのは温暖化です。大型台風が日本に頻繁に来るようになり、その被害は計り知れないものとなります。また、突風や竜巻なども発生します。それから、偏西風の変化によって、干ばつに見舞われるところと、ゲリラ豪雨に見舞われるところが極端に出ます。それは日本に限ったことではありません。

全般的には気温が上昇します。農作物が被害を受け、食べる物にも困ります。人体や心にも、もちろんその影響が及び、感染症の病が特に増えます。エボラ出血熱のようなものが増えます。日本でもデング熱が、今年問題になりました。このようなものが増えるでしょう。食べ物による中毒も増えることでしょう。

また、海洋が汚染されていき、海産物の被害が増えることでしょう。火山の噴火も増えます。温暖化により、また西日本を中心とする豪雨の被害も手伝い、日本で住める場所は、北方地域に移行していかざるを得なくなる可能性があります。

中国やインドが台頭してきます。中近東の問題は、今後とも悩ましいものとして続きます。ヨーロッパは低迷気味です。アメリカも対応に迫られ、混乱が生じます。そのような中にあって、日本が平和な国としてまとまって、世界に使命を果たしていくことが、求められるようになります。しかし、今の日本では方向が違っています。もう少し行き着くところまで行って、気づかせられることでしょう。

30年,50年単位でみると、気候の変動によって、農作物や海産物が打撃を受け、世界的に食糧の危機に見舞われます。世界人口も増え続けているからです。食糧危機との関連で、国土の争奪戦も生じ、それが政策や主義の違いと相まって宗教戦争が起き、核兵器が使われることになると、すなわち気候の変動と核戦争によって、世界人口が激減する可能性があります。それでも地球と人類が絶滅することはありません。

そういった多大の犠牲を経て、人類は貴重な教訓を学んで、生き方や考え方を正していけば、ちょうどノアの洪水の時のように、世界は再生することでしょう。その世界的な危機を乗り越えれば、人類も成長し、方向が正され、次第に良くなっていくことでしょう。

【質問3】太古、日本が世界のひな型として造られてより、天孫降臨を経て日本の国造りが行われ、一方、北朝ユダヤ失われた十支族および南朝二支族が、共に日本に来ていると言われていることと、古代イスラエル人が多く現代に生まれ変わっていることの意味、特にダビデ王とヨハネが日本に転生している。日本人の使命について、神様からのメッセージをお願い申し上げます。

【ソース】世界的な宗教は、弱小国や気候が厳しいところから誕生しています。ゴータマ・ブッダにしても、イエス・キリストにしても、そしてイスラエルのユダヤ教にしても、日本の神道にしてもそうです。

イスラエルの国は、周りのエジプト、ローマ帝国、ギリシャ、アッシリア、ペルシャ、バビロニアなどの強大な国々の中にあって、猫の額に喩えられる小さな国土でした。そのようなイスラエルの国が、また民族が神に選ばれ、ひな型となったのです。イエス・キリストも、当時の強大なローマ帝国の中の辺境の属州から誕生しました。

同様に日本の国もまた、周りの中国、インド、モンゴル、北朝鮮、韓国などの中にあって、辺境の弱小国と弱小民族です。それでも昔から宗教的に優れているし、この100年間では平和な国の象徴として、科学技術を発達させ、世界でも稀な、平和で清潔で安全で快適な国を実現させています。

それは実際的な科学技術の成果であるばかりでなく、そのベースにある霊性において優れたものがあるからです。日本が世界に与えられるものは二つあります。優れた科学技術と霊性、すなわちスピリチュアルです。イスラエルと日本との間には、どこか共通した部分があるのです。そしてそれは偶然ではなく、神に選ばれた面があるのと、霊的な繋がりがあるからです。

イスラエル人の中の特に王家のユダ部族が、バビロニアに連れて行かれ、捕囚に70年間ほど遭いました。一方の北方のイスラエル部族の行方はわかりません。ユダ部族はバビロニア捕囚後、その何割かがイスラエルに戻ってイスラエルを再建しましたが、大半の北方の十部族の行方はわからぬままです。

北方の十部族にしても、南方の二部族にしても、世界中に散りました。その一部は、子孫の何代目かが、日本にも流れ着きました。イスラエル十二部族の全てがすぐに、そっくり丸ごと日本に入って来たということはありません。それでも、その説は荒唐無稽ではなく、何代か後には、その一部が日本にも流れ着いて、イスラエルの秘儀を日本にもたらしたということはあったのです。

そして霊的に見て、イスラエルと日本とは共通した部分があり、かつてのイスラエルのような性質や役目を日本が帯びているため、かつてのユダヤ人の主だった者が、これからの日本の重要な役割へ向け、日本人となって転生して来ているということが、部分的ですが起きています。それだけ、かつてのイスラエルと現代の日本には通ずるものがあるから両国間の転生が起きるのです。何より今後の日本に、重要な世界的な役目があることにもよります。

アメリカのエドガー・ケイシーは、霊的に優れた人物でしたが、リーディングの中で、かつての使徒ヨハネが、間もなく転生することを予告しました。ケイシーはこのような類の予言は、他にはほとんどしていない中にあって、ヨハネの転生だけを予告しているのです。それだけに意味があり重要です。

そのヨハネは、かつてのダビデであり、更にイスラエル十二部族の要となった族長ヤコブです。その意味では、ただ単にイスラエル十二部族の子孫が日本に流れ着いたというだけでなく、輪廻転生を通して主だったイスラエル人が、これからの日本の役目を遂行するため、世界に向けて日本人として転生し始めているということが起きているのです。

ケイシーの周りの者たちは、ヨハネはアメリカ人に生まれるとか、現代でもユダヤ人に生まれるとか、と見ている人がほとんどですが、その可能性は低いのです。むしろ、かつてのユダヤ人の体質や考え方や役目からすると、日本人に生まれる方が、たやすいということに気づきましょう。

【質問4】私たちの太陽系25,920年周期による分離から、合一の世界に向けて今を生きる私たちにどのように生きると、地球の変革、アセンションと共に進化の過程を生きられるのか、神様からのメッセージをお願い申し上げます。

【ソース】日本は今、重要な岐路に立たされています。安倍政権の果たせる役目は確かにあります。しかし、大まかな方向としては違っています。日本の国ばかりを考えています。国家主義です。そのため、周りの近隣諸国と、わざわざ争いを引き起こして、不利に陥っています。

日本はもっと国際的にならなければいけません。日本を大切にすることは必要ですが、同時に他の国をも思い、平和的に協調する。そのような役目を果たしていかねばなりません。今の日本は、典型的なナショナリズムです。インターナショナルではありません。平和的というより戦闘的です。

また、原発推進は困ります。時代の流れに逆行しています。これでは何のために東北の方たちが犠牲になったかわかりません。起きた事から教訓を学んで正しい方向付けを取りましょう。

今、世界的に国家主義が強まっています。中国、北朝鮮、韓国、ロシア、また最近のイギリスとアイルランドの関係。他にもそれぞれのところで、自我の目覚めと共に国家主義が強まり、緊張度が高まっています。そういう中にあって、日本も国家主義が強まっているわけですが、その弊害や限界に気づき、ここで軌道修正を図らねばなりません。自分のところを大切にし愛することが基本ではありますが、同時に一方、それぞれの国においても自分のところは大切なことを知って、他を考慮し協調してやっていく方向へ向かうべきです。

魂に目覚め、愛を基調として進んでいくこと。神の愛、本当の自分への愛、隣人愛、それから自然万物への愛、それぞれが必要となってきます。他の国や民族を理解し、配慮し、協調してやっていく隣人愛が必要です。そして自然万物を愛し、自然にも心と魂があることを知って、自然に感謝し、自然を大切にし、自然を慈しみ、自然と共存し、調和してやっていくこと。そして仏教の「縁」にも説かれているように、全ての命は繋がり合って、支え合っています。「全てはひとつ」という、大きな愛と一体感が必要です。

それぞれが自立しつつも社会性を持ち、大きく広い自由な心で、周りと溶け合うように一体感が世界的に見られることが必要です。ひとつの地球をひとつの人類が、それぞれの個性を活かし、尊び、協調し合って、ひとつの世界として営むことが求められます。

以上の「ONE」の発想は、古神道、聖徳太子以来、日本の「和」の発想です。日本の「和」と、今述べられた「ONE」というのは、響きも似ており内容もほとんど同じです。このような認識を持って、自らを備え、世界に貢献していきましょう。

                   リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
<了>

2011年2月7日

生まれ変わりの仕組みと、死から次の誕生に至るまでの中間生について

リサーチ・リーディング No.1875

前回に引き続き生まれ変わりの仕組みについてお伺い致します。ヒトが一つの人生を終えて、次の人生を始めるまでを、中間生という風に定義させて頂きたいと思います。そこで今回は主に中間生の仕組みについてお伺い致します。

【質問1】
死から次の誕生に至るプロセスの概略について
死から次の誕生に至るまでのプロセス(中間生)について、一体どのようなプロセスで何が行われるか、その概略をお答え下さい。

【ソース】
中間生には、ヒトという、地上で動物同様の形態を取って行われる生活と、同程度の重要なものが含まれています。単に一つの人生と今一つの人生との間というものではありません。もっと積極的な意義や、あるいは効果といったものも、そこには見られます。地上生活側から見れば、中間生は影のように捉えられますが、それは絶対的な捉え方ではありません。向こう側からこちらの世界を捉えれば、こちらの世界こそ影だという印象を、向こうでは受けるほどです。どちらがどちらのために在るというものではなく、対等に近いと言えます。それで先ず、中間生には積極的なそれなりの意義や効果があるという事をお伝えしました。

ある見方によると、地上での人生と人生の間には、他の惑星に滞在して別の学びをしていたというものがあります。また別の見方によると、いわゆる霊界と言われる領域において、修行をしていたり、休息をしていたという見方もあります。どちらが正しいのでしょうか。あるいはもしどちらも正しいとしたならば、その両者の関連性はどうなっているのでしょうか。

これはいずれも正しいと言えます。どのような関連性になっているかと言いますと、例えばAという人生とBという地上での人生との間に、木星に滞在していたという場合、太陽系の中における一惑星としての木星に物理的に滞在していたというよりも、意識の世界における、言わば木星意識という意識状態にいたという意味なのです。

ヒトはすぐに三次元世界的な捉え方をしたがります。それで「どこに、いつ、どのように」というのがすぐに出て来てしまいます。そうすると木星に、そのAとBの間の中間生でいたという風に言いますと、木星人の一人として、そこを地球上での生活のように、体をまとって生活をしていたという風に受け取りがちです。けれどもそれは正しく捉えてはいません。肉体は無いと言えます。中間生においてです。少なくとも肉体はありません。もっと精妙な体はありますが。肉体が無い以上、別の精妙な体があっても、物の次元における三次元の制約からは、かなり自由な状態にあります。

という事は、木星に滞在していたと言っても、この世的な三次元の制約までは受けていないという事です。つまり、肉体の無い別の体で、もっと高次の次元において木星に滞在していたという意味ですから、結局もっと意識の領域においての生活というか、過ごし方になっているという事です。それで結局、木星に滞在していたという(これは一例ですが)そのような場合は、この地球上での生活のようなあり方というよりも、もっと意識の領域において、木星意識とでもいうような意識状態に、その間あったという風に捉えるのが正しいのです。金星ならば金星意識の状態に、その間、留まり続けたというような意味合いなのです。

意識の世界にいても、それなりの学びや気付きは伴います。ただその意識状態にあったというだけではありません。その意識状態にありながら、色々な事が起きても何ら矛盾はきたしません。それで一方で、例えばエドガー・ケイシーのように、現世での暮らしと暮らし(つまり一人生と一人生)との間の中間生は、惑星滞在であるという風に言っても、あるいは一般の心霊科学や宗教において、霊界(正しくは魂界と言うべきですが)、霊界に行って修行しているという場合でも、どちらも正しいという事になり、その間に矛盾は無いという事をいま説明しました。そして関連性も含めて大まかにではありますが説明しました。

このように意識の次元で肉体は無い、しかしアストラル体以上の体は持ちながら、この地上生活とは別の修行に取り組んでいるという事が言えます。

さて、いきなり霊界に行くのではなく、冥界とでも言う、呼ばれるべき領域に先ず向かいます。仏教用語で言い換えるならば、中有の世界です。宗教で説いてきたものは、正しいものが含まれています。ただ表現が宗教的なものを用いているという事だけなのです。たとえ表現がそうであっても、それが空想であるという風に単純に片付ける事は出来ません。表現は非科学的でも、内容は科学的である場合もあるからです。逆の場合もあります。つまり表現は科学的なものを用いていても、内容自体は科学的とは言い切れないものもあるのです。

もちろん誤謬も宗教で説いてきたものの中には大分混じっています。また今の科学のように統一性がないために、同じ事を色々な表現を使って、それぞれの宗教が説いているところが、そのジャンルあるいは領域の科学に未だ成りにくい難点となっています。ただいろんな宗教や神話の中に、それぞれ大切なものが伝えられて来ている事は確かなのです。それらをこれから整理して行かねばなりません。統一宗教を造るという事ではなく、宗教を科学にするためにです。それによって万人のものに成り得るからです。

しかし、個々のものの良さや特性を損なうようなやり方をしてはいけません。例えば三途の川と言った場合、それは何なのかという事を、それを通して生命力を喚起するという意図等を損なわせずに、その生命や効果を保持しつつ、科学的に解明していくという取り組み方を取って下さい。ただ事実を解明するという事で宗教の世界に踏み込みますと、事実は解明されたものの、宗教の生命という、宗教の最も大切なものを損なう、あるいは失う危険性を孕んでいるからです。あるいはそのようなところに気付きませんと、事実の解明すらおぼつかないかもしれません。

このような事を言いますのは、決して、いま質問している者がそのような事に気付いていないからではなく、このリーディングは、これからこのリーディングに触れて行くであろう方々、一般へ向けてのメッセージであり、情報となっているからです。それで用語の統一あるいは整理という事が、先ず科学化するという方向で必要な一部になってくるでしょうが、その際、このような事が考慮に入れられなければいけないという事なのです。さてその上で、もう少し見て行きましょう。

霊界においての意識の階梯というものがあって、それは太陽系の惑星に対応させる事が比較的容易なのです。それで水星意識とか土星意識とかといったように、意識の領域をその特色やレベルに応じて、霊界における生命体(特にヒトという種)の生命の意識形態やその状態、そしてレベル等も、太陽系の惑星に対応させて説明しやすいという事があります。それでエドガー・ケイシーは「木星にこの間は滞在していた」「CとDの転生の間では金星にいて学んでいた」などという風に表現したのです。もしそうでなければ、ずっと体をまとって、この地上での人生のように過ごし続けなければならず、それでは息が切れてしまいます。やはり中間生の第一目的は休息にあるのです。

私たちはよく次の“たとえ”でお話します。輪廻転生の経過は、一日の経過と似ているということです。夜の眠りの時間帯が霊界での暮らし、あるいは休息に対応し、昼間起きて活動している間が肉体をまとって働いたり、過ごしたりしているのに対応するという風にです。仮に24時間のうち8時間夜眠っているとします。そうしますと残り16時間は起きて働いたり、学んだり、人々と一緒に語り合ったりしているものです。このとき、地上生活は昼間の活動時に相当し、夜眠っている間が中間生に相当します。厳密ではありませんが、大雑把にはそのように捉えられると言えます。夜眠っている間は、ただ休んでいるかと言うと、そうでもなく、昼間とは別の学び方をしているのです。それで霊界の過ごし方も積極的な意義や効果があると言ったのです。

先ず癒しの効果というのが中間生には強いと言えます。夜熟睡できると、体調が戻りリフレッシュして朝気持ち良く目覚められます。それと同様にある中間生で良好な過ごし方が出来ると、気持ち良く目覚められるというか、良い感じで誕生でき、つまり健康体として元気な赤ん坊が出産されるという事です。逆にひ弱な子として生まれて来た子は、その前の中間生で、寝不足のような事があったという風に類推できます。原因は一様ではありませんが、大まかにそのような事が言えます。それで生まれ方を見れば、その前の中間生の過ごし方がどのようであったかが、大方推測が付くというものです。

では中間生をどのように過ごせるかというのはどこで捉えられるでしょう。それは前の現生、つまり地上での生活の過ごし方によって規定され、あるいは方向付けられると言えます。もっと言えば死に際によるのです。いわゆる大往生でも遂げられれば、中間生に入って行って、より良い中間生を送れると言えます。大往生の瞬間に、その生涯が集約されて象徴的に現れます。その意味では、死に方によって中間生が規定されるというのは、広くはその人生全般によって、次の中間生を自ら規定しつつ日々生活していると言えます。このように地上での人生が、その後死んでからの中間生の内容やレベルや状態を規定し、今度はその中間生が、次に転生してきた時の人生を規定したり、方向付けたり、内容をそのようなものに予め造り上げていったりという事をしています。

ヒトは自己規定型の存在であるというのが特徴で、これは自由意志があるからこのような事が起きるのであり、このように規定する際の作用をカルマと言います。カルマは何も地上生活の間で作用するばかりではないのです。あちらの世界、つまりあの世にまでも、もつれ込んで行きます。この世とあの世を含めたところで作用している法則なのです。そしてそのような規定をする際、特に一つの人生のあり方は、死に際に集約されて現れるという事、それで狭く捉えれば、死に際で次の中間生が分かるし、それで規定されると言えるのです。また次に誕生する時に、中間生での過ごし方が集約されて出て来るという意味では、生まれ方を見れば、中間生が大掴みに捉えられるという風に言えます。しかし広く捉えれば、中間生全般の過ごし方が、次の地上生活全般を彩るという風に見るべきです。

さて、もう少しプロセスの中で具体的に見ていく必要があります。例えば死に方についての質問。他には死んでからどのような事があるのか。例えば「人生においての事を相手の立場で体験させられるのか」といったような事も含まれて来る筈です。それらについては以下のご質問に応じて言及されていく事でしょう。

【質問2】
中間生について、さらに細かくお伺い致します。
死の瞬間についてお伺い致します。先ず、死の正しい定義についてですが、死とは体から霊・魂が分離することと考えておりますが、それでよいのでしょうか。

【ソース】
大まかには正しいと言えます。ここで補足するならば、霊は分離しますが、魂の全ても、それに伴ってそこから開放されて、全てが霊と共に体から分離されて、中間生へ行けるという訳ではないという事です。霊は全て行けますが、魂は一部携えて行けないものが残ります。それは体と共に失われます。それで魂をアストラル体とエーテル体という風に分けたのです。アストラル体の方は霊と共に向かって行けます。それに対し、エーテル体の方は肉体と共に解消してしまいます。とは言え、肉体とエーテル体の運命は同じではありません。また一方、霊とアストラル体とは引き続き存続するとは言うものの、霊とアストラル体との行く末も同じではありません。その辺は分けて考察されねばなりません。

さて、肉体やエーテル体は物質界に還元されていくのですが、この際、注意しておきたい事は、分離すると言っても、元々別のものが分離して別々に還るという事ではないのです。肉体というものは自分の一部なのです。何か西洋の宗教や哲学の捉え方ですと、先ず客観的な物というのが在って、その周囲にいろんな霊魂が漂っていて、その物質の一つに、ある霊魂が宿る、あるいは入って来るなどという捉え方が強いと言えます。けれどもそれは当たっていません。むしろ肉体というのは、霊魂が自分の中から造り出した作品だという事です。物質というものの由来は元々そのようなところがあるという事です。

もし物質の他に霊魂という精神体があるならば、これは哲学的には二元論という事になります。けれども実際は一元論が正しいと私たちは見ています。これを当てはめるとどういう事になるかと言いますと、元々精神しかないという事です。それと並列して物質があるのではないという意味です。むしろ物質というのは精神から生み出されて来たという事です。精神が物質化したのが、物質という意味です。それで精神の方が上位に位置しています。そして現象世界は真の実在ではないという事になります。そして並列する二つの客観的な領域ではないという事ですから、霊魂が物質を造り出し、且つ規定している事で、両者には繋がりがあります。

それで肉体から分離するという場合、それは元々関係のない客観的な一物質に宿っていたものが、それから抜け出たという風に去って行くのではない、という事を言いたかった訳です。そのようにもし捉えているとしたならば、それは正しい捉え方ではありません。確かに去って行く訳ですが、元々無関係なものに宿ったものが、やっと開放されて、そこに肉の塊だけが残るというのではないのです。物理的領域における物を材料として、魂が肉体を造り出すという風にも言えます。しかしその繋がりを自ら断った時にそれは物と化します。

さてエーテル体はどうなるかと言いますと、エーテル体は誰のエーテル体という風には言えないところがあります。エーテル体は幾層かに分けて捉えられます。先ず個人のエーテル体があります。これはその生命体独自のものです。それに対して、もう少し広がりのあるエーテル体というのがあります。ちょうど意識が幾層もの階層をなしているようにです。たとえば集合的無意識は個人の意識を超えたものです。超意識はさらに普遍的です。だからと言って、個人が全くそこに無いかと言うと、そうでもなく、個人のものもそこには関わっているために、個人の意識の一部として、集合的無意識や超意識もその人のものだという事でもあり得るのです。

それと同様、エーテル体も個人のエーテル体としてあるとは言え、狭義の厳密な意味での個人のエーテル体というのが先ずあり、その他に家族のエーテル体というのがあるのです。そしてそれでもなお個人のエーテル体ともなっているという事です。なぜならその個人は家族の一員であるからです。さらに民族のエーテル体というものもあります。そして人類というか、ヒトというのを保持するエーテル体というのもあるのです。

家族のエーテル体というのは何かと言いますと、先祖からの遺伝を通しての、主に肉体レベルでの先祖の遺伝が、さらには記憶も引き継がれて行くという事で、この家族のエーテル体がその役目を担っているのです。それで遺伝の法則とこのエーテル体が大いに関連しているという事が分かります。それに対して生まれ変わりという場合は、アストラル体や霊の方が主体となっているという事が分かります。先祖からの遺伝を見ていくのか、そうではなく個人の実体の生まれ変わりを見ていくのか、それによります。

さて遺伝は記憶とも関わりがあります。俗に言う先祖の記憶というものもこのエーテル体によります。また集合的無意識というものもこのエーテル体と大いに関わりがあります。また各民族には文化というものがあります。民族特有の文化を造り出しています。それは民族のエーテル体の反映なのです。動物の場合は群魂というのがあって、このエーテル体主体になっています。ヒトのエーテル体はそれらとはやや違っています。ただ同系列ではあります。

ともかく家族のエーテル体がその家を形成し、昔は日本でも家社会と言って、家単位であり、あるいは部落単位、村落単位であって、そのグループや種族の長(おさ)は、そのエーテル体を治めるというものが本人の中にあったという事で、そのような役割を果たしています。しかしこのような傾向は弱まって来ています。それは人々が進化を遂げて、エーテル主体からアストラル主体に移行して来ているからです。もう少し行けば、霊主体あるいは自我主体に成りつつあります。もっとも「自我」と言っても、アメリカの個人主義のようなものは、高いレベルでの個人の自覚ではなく、アストラルに下りて来ている自我の、個の目覚めに過ぎません。

ヒトの死後、エーテル体はエーテル体のそれぞれの階層に置いて行かれます。それはそれで独自のもので独り歩きしているからです。では個のエーテル体はどうなるのでしょう。個人の記憶は携えて行けないのでしょうか。携えて行けません。しかしそのエーテル体も、本人の本体であるところの霊やそれに付随するアストラル体と繋がりが有り続けます。そして個人レベルのエーテル体を分離したとは言え、消失する訳ではなく、それは存続し続けます。それでよくアカシックレコードに行きますと、本人の本体が地上に生まれ変わって来ていても、本人の個人のエーテル体はアカシックレコードに留まっていて、独り歩きをしているかのように映じます。それで、それが一つの実体のように振る舞うのです。そうすると通信できます。生まれ変わっていてもです。

それは生き物のように振る舞うのです。心もあるようにです。それは生命体、エーテル体ですが、記憶体と言っても良いものです。しかしこのエーテルレベルの記憶は、ヒトの記憶の一部です。従ってエーテルレベルのリーディングをするのは、浅いリーディングになってしまいます。それにしてもエーテルから記憶を取り出すという事が出来ます。このエーテルを上位の次元で統括しているのが“聖霊”とキリスト教の方では言われている働きなのです。それで聖書の中には次のように記されています。「聖霊をあなた方に贈る。この聖霊の働きかけで、あなた方が必要なものなら、何でも想い起こす事が出来るようになる。」という風にです。

このエーテルレベルの記憶というのが、肉体の脳との関連が密であります。そして普通これが記憶と呼ばれており、モーゼはヒトのエーテルと、特にユダヤ人の民族エーテルに同調するのが得意だったので、創世記からのいわゆるモーゼの五書を記す事が出来たのです。

【質問3】
今、エーテル体という話が出ましたので、それに関連して少しお伺い致します。エーテル体は、家族のエーテル体、民族のエーテル体、ヒトのエーテル体という風なものがあるというお話ですが、例えば企業とかあるいは個人の集まりのグループという風なものが出来ると、それに応じて新たなエーテル体が形成されるという風に考えてよろしいのでしょうか。

【ソース】
ほぼ正しいと言えます。グループ単位のエーテルというものも一応あります。ただしかしながら、あくまでエーテル体の単位は、血の繋がりというのが基盤にあるという特色を有しています。それで個人の次は家単位、そして部族や村落(特に昔ながらの部族や村落という血族同士の集まりの事です)、そして種族や部族から民族、そしてヒトに至ります。グループというのはカルマや理念等によって結び付いているので、エーテル体は形成されますが、特殊なエーテル体と言えます。一応可能です。それで同族会社が企業のレベルとして発展を遂げるには、この根強い基本的なエーテル体のあり方から、脱皮を遂げさせるという事を起こさねばなりません。それで経営コンサルタントの人たちは、そのエーテル体の転換あるいは上昇、進化と言っても良いでしょうが、それに一役買っていると言えます。なかなか同族会社のレベルから脱するというのは大変なものです。

企業も大企業になりますと、今度はグループ単位のエーテル体をも、脱皮させるという手続きを踏まねばなりません。そうすると、もう公のように、それは個の特色、広い意味での個ですが、それがもうそこには見難くなって来るのです。大企業はもう国公立のようなものに殆ど近くなって来ます。それで大企業の社員はもう公務員のようになってくるのです。そうするともっと大きな規模での意志や意向というのがそこに作用するもので、それだけで独り歩きして行くようになり、どこかに属しているというのが殆ど失われて来るのです。

しかし中小企業のレベルですと、やはり何かの癖というか、一つのカルマとか、特徴とか、ある個人の強い願いとか、思い入れが根強く尾を引いて行きます。そしてそのような中でエーテル体は強く作用し続けます。大企業になりますと、これが脱ぎ捨てられています。そこが大企業と中堅企業の決定的な差だと言えるでしょう。

エーテル体は文字通りの意味でも広い意味でも、個を保持するというので、個の思い入れとか、願望とか、理念とか、目標というのが強く結び付いているのです。それに対してエーテル体を脱した大企業においては、もうあまりそのようなものが無く、公的になってしまうのです。そうするともうあまりCI(コーポレート・アイデンティティー)とか、社標とか、会社のマークとか、会社の使命とか、そういうものが無くなって来ます。特色も少なくなって来ます。

民族は特有のものが有りますが、混血という事がなされて来ますと、エーテル体に変化を起こす事が出来ます。それで混血というのは(国際結婚とかですが)、エーテル体に錬金術的な変化を起こす鍵です。それはシュタイナーも述べています。それによって愛が異質なものへと変換されて行くという事です。ただの変換ではなく、進化に向けての変換という事です。エーテル体は根強いものを持っているので、それを打ち破るのにはそのような道があります。

いわゆるカルチャーショックはこのエーテル体に基づくと言えます。エーテル体は“気”と関係しており、エーテル体は生命体の事であると言いました。しかし今回はその生命体に、記憶というものや血族関係での絆というものが、大きく関与しているという特色を有する事を伝えています。なぜならこれが中間生に大いに関わって来るからです。中間生にエーテル体は持って行けないと言いました。同時に一方ではそれが中間生に大いに関与すると言いました。その辺の関わりを見て行かねばなりません。ただ今回は質問が待機しているために、全般的にカバーしていく事が先行するかと思います。

【質問4】
死の瞬間について、もう一つ追加で質問させて頂きます。現代医学では体の死というのは、心臓停止あるいは脳死という二つの考えがございますが、それと体からのアストラル体あるいは霊の分離というのはどういう風に関連しているのか、お答え下さい。

【ソース】
エーテル体はオーラとして通常捉えられます。死ぬとオーラが消えるのです。それで分かる事は、死ぬという事はエーテル体が肉体から去って行く事なのです。エーテル体があるゆえに、肉体は生きていられます。肉体を生かさせるもの、それがエーテル体です。それで死んでるか、生きてるかは、エーテル体が肉体に留まっているか、離れてしまったかによって分かります。それが目安です。エーテル体が肉体から離れかかると、臨終がいよいよ近付いたという事になります。それで死にかかって来ると、エーテル体が肉体に固定して居られなくなり、出たり入ったり、ともかく不安定状態に陥ります。よく一度死んだけれども、また生き返ったというのは、このエーテル体が一度殆ど離れたけれども、どこかまだ繋がりが保たれていたので、エーテル体が肉体の方にまた重なり合って来られたという現象です。

ではもっと肝心の霊やアストラル体はどのように動いて、死と関連しているのでしょう。直接肉体の生死に関わるのはエーテル体の方であります。そしてそのエーテル体の動き如何で、霊やアストラル体という上位のレベルは、行き方、向かい方を決定します。直接はこのようにエーテル体が鍵を握っているという事です。上位の霊やアストラル体は素直にそれに従います。それで霊やアストラル体がどう動くかは、直接人間の生死には関わりを持ちません。死ぬか生きるかはエーテル体の動きいかんに係っているという事です。それで死んだか、まだ生きてるか、回復する見込みがあるかどうか等に関しては、エーテル体だけを考慮に入れれば十分です。エーテル体が完全に離れ切った時に、それを見届けて、霊とアストラル体はその肉体を後にして、霊界へと上昇して行くという事です。

もう少し厳密に言い換えねばなりません。元々霊は肉体に留まっていません。肉体の外に有ります。もっと正確に言いますと、外とか内とかという事ではなく、霊というのは、時間や空間という三次元の枠からは全く自由な、絶対的なあり方として存する訳ですから、中も内もなく、ただ在るというあり方なのです。それで離れるも戻るもありません。その人の本体である霊は去るという事はありません。最初からそこに居ると言うよりも、本質として、それは三次元の典型である肉体からは、全く自由なのです。元々自由でありますから、繋がっているとか、繋がりが断たれるという言い方は相応しくありません。

アストラル体となると、また別です。アストラル体の方は三次元の制約をある程度受けているからです。しかし繋がりはあっても、それから比較的自由です。心はいろんなところへと馳せ、飛ぶ事が出来るのです。想いは遠くに及びます。だからアストラル体は大きく広がりがあるという特徴を持っているのです。従っていつでも行き来が自由です。その証拠に夜夢を見ている時は、自由自在に肉体を置いて、心は想いを馳せて、自由に飛び交うのです。夢は、簡単に言ってしまえば“アストラルトリッフ”なのです。夢はアストラル主体のものです。それで死を待つまでもなく、アストラル体は自由に肉体を離れる事が出来るという事です。それで結局エーテル体のところに戻って来ます。

心臓が停止した時の死と脳死とで、どのような違いがあるかというのを見ていきますと、まず心臓が停止するのは典型的にエーテル体が体から離れ去ったという事なのです。では脳死の方はどうでしょう。脳死の方はアストラル体が離れたと言っても良いでしょう。これは分かりやすく大雑把に言ったものです、が、しかし、ほぼそうだと言えます。では先程述べた「夢を見ている時は死ななくても自由にアストラル体が飛び交っている」というのと、どう関連しているのでしょう。と言いますのも、夜夢を見ている時は、夢を見てアストラル体が肉体から離れていても、脳は停止していないからです。脳波は下がりますが、脳死にはとても至っていないからです。

夢でも熟睡して来ますと、夢を見ているレム睡眠状態を止め、夢も見ないような熟睡から昏睡状態に至り、脳波が段々下がって来ます。そしてさらに来たらば、いわゆる死という事になってしまう脳死に至る訳ですが、そこまで行くとアストラルトリップも出来なくなります。それは完全にアストラル体が肉体と切れたという事です。このようにアストラル体が肉体と切れた時、それが脳死が訪れたという事です。こうなるともう戻って来られません。

それに対して心臓停止というのは、エーテル体が肉体から去ったというだけの事ですから、エーテル体は比較的容易に肉体に戻れますから、また息を吹き返すという事も可能性として残されているという事です。霊は先程言いました通り、元々肉体から自由で、それそのものとして実存していますから、これらには一切関わりがありません。従って考慮に入れる必要はありません。

[追補]
アストラル体は、盆の窪ところで肉体とつながっており、銀のひも(シルバーコード)で肉体と結ばれています。それで夜夢をみている時、魂界(アストラル領域)にアストラル体が行っていろいろ体験して、朝になると、このつながりで肉体へ戻って来られます。ところが、ここのつながりが断たれるとあちらへ行ったきりとなり、つまりは死んでしまいます。これが脳死です。三途の川を渡ってしまったということで表徴されます。盆の窪がそれほどまでに重要だというのは、試しにその個所に細いハリ一本を刺しただけで人は即死に至らしめられてしまうことでも分かります。(浅野記 1996.11.21)