2011年12月27日

一つにのめり込み、とことん納得行くまで追求する人です。

2011.11.16  No.12596


質問1: 私の前世をお知らせください。


ソース: 生まれ変わりにおけるあなたの特徴が幾つかあります。凝り性であり、一つの事に専心し、「極めよう」としていたこと。技の人であったこと。芸術と宗教に、特に熱心で取り組んでいたこと。宗教に関しては修行型の人であり、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力したり、意識を傾注し、真実を捉えようとしたこと。奥深い隠れた領域や真実に魅かれ、自ずと密教的なこと、また技的なことに関わったこと。



秘伝・秘儀・形・パワー・呪文・おまじないなどに関わったこと。また芸術と宗教の両方が関連して、宗教の秘儀の世界でも、形や曼陀羅や図柄、デザイン、色彩、幾何学文様やそのパワー、性質、それから法則、そういったことに向かって行ったこと。象徴体系などにも魅かれ、研究し、取り組んだこと。こういったことがあなたの生まれ変わりでは見られます。


日本の前世が少なく、外国の前世が多かったこと。日本でも数回は生まれ変わりましたが、外国の前世の影響が大きいこと。外国という場合、インド、古代エジプト、南ヨーロッパ、イスラエルなどの影響が特に大きいです。イスラエルの影響も大きいですが、南ヨーロッパ、例えば、ギリシャ、イタリア、スペイン、あるいはトルコなどの影響の方が大きいです。 


古代エジプトやイスラエルで生まれ変った後、南ヨーロッパでの何度かにわたる輪廻転生で色濃く影響を受けた人です。インドでも一度きりでなく、2度3度と生まれ変わって、インドの影響も大きいです。日本での生まれ変わりの回数は多くはありませんが、1つ2つ3つ、日本での前世で強い影響が今に及んでいます。つまり、日本の生まれ変わりの回数は少ないけれども、中身が濃く、日本の前世の影響も受けているということです。


女性だったことが多かったですが、男性だったことが四分の一ぐらいありました。基本的には女性として生きていました。一つにのめり込み、とことん納得行くまで追求する人ですし、仕事においても、技に自分を専心させ、集中して打ち込みましたし、真理も探究し、修行も行っていたことが多かったため、家庭縁はそれほど強くはなく、家庭型の人というより、真理を追究し、修行に打ち込む、あるいは技を磨くこと、作品作りなどに価値を置いて優先させました。そのため、家庭婦人として平凡に背後で静かに暮らしていたことは少なかったです。数多い生まれ変わりの中には、そういう平凡な主婦だったこともありましたが、そういうことは少なかったのが特徴です。


また、あなたの生まれ変わりの特徴として、重要な時代や地域に生まれ合わせて、パワーのある環境で、周りからの刺激を受けつつ、自分も自分のするべきことに打ち込んでいたことが何度もあったことです。当然、歴史に名が残るような名だたる芸術家や宗教者や文化人、学者などのことも、生まれ変わる中で何人か知っていて、交流をしたり、挨拶に伺ったりしているのも、あなたの生まれ変わりの特徴です。


パワーのある時代と地域に引き寄せられ、そういう所には、パワーのある偉大なる人物がジャンルを問わずいましたので、そういった偉大なる人物をあなたは目撃したり、弟子入りしたり、教えを請う、指導を受ける、そういうことが多かったことも特徴です。そのうちあなた自身もパワー負けしないものを身に付けました。偉大なる存在に近づいていく術(すべ)心得て、身に付けたと同時に、あなた自身もいつしかパワー負けしないものを備えるようになったのです。


例えば、イタリア・ルネサンスの時代に生きていました。そこで、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエルロなどを、あなたは直接にか間接にか知っていて、自分も憧れたり、尊敬し、目標とし、お近づきになろうとしたり、学びを得ようとしました。そのような偉大なる人物の感化を受け、その影響下で、あなた自身も密かに黙々と自分の作品作りに取り組んでいました。


紀元1世紀のローマ帝国では、イエス・キリストをはじめ、洗礼者ヨハネ、聖母マリア、十二使徒のヨハネなどを、あなたは直接にか間接にか知っていました。イエス・キリスト様や洗礼者ヨハネの代が終わり、次の世代に時代が移行するのにつれ、十二弟子の中でも最も若かったヨハネに、あなたは奥深い本当のものを嗅ぎつけ、またヨハネの周りには婦人や子供、おとなしい男性などが多かったので、入り込みやすく、その仲間になりました。密教がそこにはありました。キリスト系の密教です。


あなたは、その奥深い真理を、芸術を通して形にすることに自分の生きがいと役目を見出しました。あなたは、彫版(ちょうはん)彫金(ちょうきん)など、板ばかりでなく、金属に文字を彫り込む作業をしました。木の板ばかりでなく彫金など、金属に彫って版画のようにして、原始的な印刷技術を行いました。主にギリシャ語で書かれましたが、あなたは文字を形にして残すばかりでなく、図柄などの文様、肖像画やシンボルなども板に彫りつけました。


当時は現代のような印刷技術はなかった分、技の匠(たくみ)が、それだけ活かされ求められていました。一つひとつ手作りで念入りに作り上げられていきました。


ヨハネ派は特に記録に残すことに熱心だったため、あなたは求められ、それに専心しました。行うことはいくらでもありました。仕事に事欠(ことか)きませんでした。もちろん、イエス様や聖母マリア様の像も描き、彫り込みました。版画に似た手法でした。色彩も加えました。立体的な物も造りました。単純な絵というより立体的で造り上げていく力強いものでした。あなたはパワーを注ぎ、そこに魂を入れました。


ヨハネ派には聖母マリア様が居られました。またヨハネ派は、洗礼者ヨハネの流れを引いているエッセネ派の伝統と深く繋がっていました。三つの福音書とヨハネによる福音書の違いは、端的に言って、三つの共観(きょうかん)福音書は新しく出てきた弟子たちや信者たちの集まりであったのに対し、ヨハネ派はユダヤ教の神秘的な一派、エッセネ派の系譜を引いたキリスト教だった点です。


エッセネ派の前身はカルメル山の預言者学校にあります。カルメルの預言者の系譜を引いて、ヨハネは黙示録を体験し、記録として留めたのです。ヨハネは啓示をビジョンと声で受け、「記録しなさい、書き留めなさい」と言われました。こうしてヨハネ派は啓示を受けて、それを文字で書き写すばかりでなく、ビジョンを描いて、形にも残したのです。もっともそのほとんどは失われましたが。


また、ヨハネ派は現在残されている福音書と手紙と黙示録だけでなく、他のものもいろいろと書き残し、編纂(へんさん)しました。それらの一部はまだトルコの西部に残されています。また、失われてしまったものもあります。そのように行うことは多かったため、あなたは行う仕事はいくらでもありました。もちろん、学んだり修行をしながら、その作業に打ち込んでいたわけです。


その時の体験があまりにあなたにとって大きかったため、今世に生まれ変わっても、『黙示録画集』を発刊することになったのです。そして「それを完結させなければ」という思いがあって、残りの部分を近いうちに仕上げようという思いに駆り立てられています。また、ARIの黙示録講座が横浜で開催されるようにもなるのです。あなたの意気込みや執念は、その当時大変強いものがありました。黙示録体験はあなたにとって無関係でなく、自分の重要な一部となっていたのです。


古代エジプトのアクナテンからツタンカーメンにかけての統治期間にもあなたは生きていました。あなたは絵を描くこともしましたが、どちらかというと彫刻家でした。様々な彫像を作り上げました。建築家達とチームを組んで分担し、協力しました。神殿を建てる際、芸術的な技が様々に施(ほどこ)されることが不可欠です。柱廊にしても、壁画にしても、もちろん神殿の内装や装飾、そしてご本尊、法具に至るまで芸術的な作品です。また王や王妃、王子、王女などの彫像、立像、頭部の像、あるいは様々な神々や動物などの像、例えば、ライオンの像、隼(はやぶさ)の像、猿やマントヒヒの像など、作り上げるものはいくらでもありました。


ただ、アクナテンからツタンカーメンの時代のエジプトでは動物を作ることはほとんどなく、抽象的な太陽を描き、そして王や王の家族を描き、また自然の植物や池などを描きました。あなたは王の彫像や立像、頭部の像などを作り上げることをしました。当然、王やその家族たちと直接同じ場で過ごし、打ち合わせもしました。教えを受けることもありました。太陽神アテンの秘伝なども熱心に聞きました。


紀元1世紀のローマ帝国の前世の前半期ではエッセネ派の修行、システムや体系に惹かれ、エッセネ派の中に入り込んで行(ぎょう)をしていました。あなたはとても熱心に行に打ち込んでいました。滝行などの水によるお浄めが多かったです。また瞑想や祈り、夢解釈、預言、シンボルの効力と活用と解釈などに、あなたはとても惹かれました。


16世紀のスペインにも生きていました。カトリックのカルメル会というイスラエルの預言者の系譜を復興し、その命脈(めいみゃく)を保つ修道院において、あなたは自分を深く見つめ、自分を律し、自分の感じたビジョンや形を日記に書き留めていました。


インドでも2、3度は生まれ変わっています。そのうちの一つは、紀元3、4世紀の北インドにおいてのものです。バラモン教と大乗仏教の両方を学んだり行ったりしていました。世親(せしん)からは高尚な仏教哲学を学びました。唯識(ゆいしき)、浄土論、カルマ論、仏性論などです。あなたは、高尚な仏教哲学に感心しました。一方、バラモン教の方で、密教的な儀礼も熱心に行っていました。別のインドでの前世では、呪文を唱えたり、おまじないをしたり、お護摩を焚く所に立ち会ったりして、熱心に行をしていた前世もありました。


日本の鎌倉時代初期にも生きていました。あなたは鎌倉幕府の近くに住んでいました。しかし、直接幕府に関わっていたということではなく、ひとりの道を求める探究者でした。様々な教えを訪ね歩いていました。そういう中で主だった当時の宗教者や文化人に出会い、教えを受けました。


中でも親鸞には親しみを覚えました。それは、その前の前世、オリエントやインドでの前世でご縁があったことにも理由があります。あなたは「南無阿弥陀仏」をおまじないのように捉えていました。親鸞は、それを特に否定はせず、他力の信心の大切さをあなたにそれとなく言いました。あなたはとても一途で頑張り屋の努力家だったので、一生懸命お念仏も唱えました。


鎌倉幕府では、臨済禅が主(しゅ)で、座禅を組んだり、お護摩を焚く密教が盛んでした。あなたはそのような環境に身を置いていました。親鸞の説く教えもそれに似たようなものだと捉えていました。ただ何か他の僧侶や宗教者や文化人にない、清らかで優れたものがあるし、親しみも覚えるので、親鸞の拠点の、現在の茨城中南部にも何度か足を運び、教えを受けました。長閑でさっぱりした環境の所でした。それがあなたの印象に深く残りました。いいものだなと。


以上が、あなたの主だった前世です。他にも、先ほど述べられたのとは別のエジプトの前世も過ごしていました。あなたは、エジプト固有の秘儀や秘伝に関心を持ち、形の意味や力、シンボルなども熱心に学びました。中王国、エジプトの歴史の中期の頃です。現在、明らかにされるあなたの前世や背景は以上です。これらを参考に、引き続きまた取り組んでいきましょう。


リーディングを終了します。
(ありがとうございました)〈了〉

2011年12月8日

パーソナルリーディングと、前世リーディングの真の効果について

2011.9.9 リーディングNo.12484
【質問1】パーソナルリーディングの真の効果をお教えください。これからの人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
【ソース】最近、世間でも「言葉の力」という表現をしばしば目にするようになりました。人間にとって言葉は極めて重要な意味と影響をもたらします。人間の生活や営みにおいて、言葉の存在と影響が、その全てではないにしても、人間にとって言葉の持つ影響には大きなものがあることは間違いありません。何げない一言が、一人の人に対して好くも悪くも影響を与えます。
そもそも動物などと、人間との決定的な違いの一つが、言葉を持っているかどうかにあります。人は言葉によって傷つき、損なわれる場合もあれば、たった一言で気づきが得られて、気持ちが吹っ切れたり、元気になったり癒されたり、立ち直ったり、明るい希望が見えてきたりもします。言葉に配慮し、言葉を大切にすることは思いやりの表れです。言葉を大切にし、言葉に配慮することがそのまま相手に対する配慮であり、相手の人を大切にすることにもなるのです。適切な表現であると同時に、真心のこもった言葉を使うことが大事です。
言葉には「話し言葉」と「書き言葉」があります。言葉の影響が大きく、言葉が大切であることは昔からよく知られています。言葉による治療や癒しも行われるようになりました。たとえば、言語療法・文章療法・論理療法などです。いずれも人間にとって言葉が鍵となることを表しています。「人間とはなにか」、人間を定義付ける場合、たとえば、人間は行動する生き物である、だから、人間にとって行動が鍵となる。そのような観点で人間を診て治療するのは行動療法です。あるいは表現の観点なら演劇療法などがあります。
もっと内面の心に注目した場合は、内観療法や夢分析があります。行動と生活と心を、座禅を基として取り組む方法としては、森田療法などが知られています。言葉を使い、コミュニケーションによって気づきと治療と調整がなされるものとしては、ロジャースが作った来談者中心療法があります。一般のカウンセリングは多くの場合、それに似たものです。精神医療では精神療法があります。
座禅の公案も言葉を使います。仏教における悟りでは言葉が意味をなしてきます。教育そのものが広くは言葉を駆使して、人間を育成し、教えることです。仏教の中では座禅の公案ばかりでなく、真言宗のマントラや浄土宗系の念仏、日蓮宗の題目があります。神道でも言霊が大切にされています。心理療法では芸術的な絵画療法や音楽療法、色彩療法などもありますが、イメージとともに言葉に注目するのです。ヨガを参考にした自律訓練法でも言葉を使います。言葉には確かに理解をもたらし、人を立ち直らせ、癒す力があります。
昔から、詩・俳句・和歌・短歌などが言葉を大切にし、人の心を豊かにし、和ませてきました。詩よりもっと長いものとしては小説や論文があります。簡潔なものとしてはことわざがあります。昔からの名言・名句・名文・格言・箴言などもあります。また、忘れてならないのは歌です。歌は、言葉そのものとともに、言葉に息吹が吹きこまれ、生きたものとして抑揚もつけられているので効果が絶大です。昔から人が歌に惹きつけられ、歌によって癒されたり励まされたり、元気になるのはそのためです。歌い手さんは特別な人間と見なされ、人を惹きつけてきています。
歌ばかりではありません。霊的には祈りがあります。祈りは言葉の力の典型です。祈りは魂の叫びであり、神仏への願いです。祈りが神仏への魂の訴えかけなら、神仏からの応答もあるはずです。それは、霊的次元からのメッセージです。それには命が込められて、霊力が備わっています。内容が真実で、しかも迫力があって、たった一言二言の霊的なお言葉が人間を蘇生させ立ち直らせます。意味が既にわかっている平凡な内容でも、ハッとさせられたり、新鮮な響きがあるのが特徴です。理解をもたらす以上に、癒し、立ち直らせ、必要な行動を起こす推進力があるのが、霊的なメッセージの特徴です。神仏からのメッセージは効果が絶大です。
そして、パーソナルリーディングのように、個別的に一人ひとりのその時に必要でピッタリのお言葉が説明も加えて与えられた場合は、効果が増してきます。神様からの直接のメッセージは「託宣」と呼ばれます。神様のお言葉そのものに解説も加えると、さらに広がりが出てわかりやすくなります。パーソナルリーディングとは、個人向けの教えであり、天からのメッセージです。その時のその人へ神仏がどう応え、語りかけてくださるか、ということ。
聖書の中には預言書があります。聖書の最後にはヨハネの黙示録があります。黙示録には神のお言葉そのものとともに、その解説の部分も加えられています。預言者ダニエルは霊的なメッセージを頂いた後、その意味が知りたくて祈りました。すると、天使がやって来られ、先程伝えられたメッセージの意味を解説してくださりました。リーディングはメッセージそのものと、それに対する解説も丁寧に付け加えられています。そのためわかりやすく、理解ももたらし、心で納得し、受け入れて現実の事に取り組んでいけます。神仏からのメッセージがこの自分のために特別に与えられるというのがパーソナルリーディングです。
まず、自分の日頃からの悩みや気がかり、また願い事や希望することを天に届けます。それがリーディングの質問です。祈りに相当します。それに対してリーディングによって、その人の個別的具体的な気がかりや願い事という祈りに天が応じてくださり、そのお答えがメッセージ並びに解説として与えられる、そのシステムがリーディングです。
聖書の中なら預言に相当します。神のお言葉を預かる。それが預言の意味です。未来予知も含みますが、もっと広い、深い、意味合いです。「なぜ、こうなっていて、どうしたらよいのか?」。問題に関わる傾向と対策を霊的次元から教えてくださります。今こうなっている意味や理由が解き明かされ、しかも霊的に明かされ、そして、どのように心がけ、その問題に対応したらよいのか、そのことが示されます。しかも単なる人間世界での人間の言葉による浅い解釈や示唆ではなく、神直々に平らな観点から伝えてこられます。霊的な特別なものなのです。
人間の賢い人からの助言や常識の観点を超えています。しかし、非常識ということでなく超常識ということです。その人の現状や立場、特性や役目を踏まえて、現状をどう捉え、どう行動したらよいのかの導きが霊的に与えられます。人は夢を見ます。雑夢が多いですが、特別な霊的夢を見ることがあります。その中で霊的なメッセージや示唆が与えられることがあります。リーディングはそれと似たものです。それを自分が自らを備えて申し込めば、有益な示唆が与えられることが起きます。それがパーソナルリーディングです。「求めよ、さらば与えられん」です。
一般の世界でも良識と善意ある適切で真心のこもったタイムリーな一言二言が、ひとりの人生を全く変えて立ち直らせる力があるように、パーソナルリーディングはそれ以上に、霊的に愛と真実のお言葉が与えられ、それ以降の人生に有効に働きます。その人の可能性を目一杯開かせ、その人の運命の枠の上限の方へと方向付けます。時に励まし、時に慰め、時に霊界からの霊のメッセージが伝えられます。どんな質問や疑問や気がかりや願い事に対しても、その時点のその個人が必要で真摯に求めることには、適切に霊的な答えが神様から与えられます。神の愛と真理は人を自由にし、本来のあり方を取り戻させます。
リーディングはONEのメッセージです。宇宙創造神からの平らな観点からなされます。特定の宗旨宗派や組織や団体に限定されていないため、他の宗派の人でも受けることが可能です。また宗教に所属していない無信仰の人でも可能です。根本の神様は全ての人を想い、求めれば自在に応じてくださる大きなお方だからです。
ヨハネによる福音書や創世記には、「神は御言葉であり、御言葉によって人間を始め、宇宙の万物が創造された」と記されています。神様の御言葉が人間や宇宙の全てを創ったのです。言葉の威力です。神は御言葉なのです。それゆえ、神様の御言葉は人間を創り変えたり、支えたり、開花させたり、救う力が込められているのです。本当の愛と真実の生きた命の言葉が、個別的に、その時のその人にタイムリーに与えられる、それがパーソナルリーディングです。このような機会は格別です。そのためにリーディングをするリーダーは献身し備えてきています。受ける方も自らを備えて心して臨めば、それだけの内容が返ってくることでしょう。

【質問2】前世リーディングの真の効果をお教えください。前世を知るということの意味と必要性、また、今の人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

【ソース】この数百年で科学技術は急速な進歩を遂げました。日進月歩の発展です。しかし、科学や学問でもまだ解明されていない重要な真実が沢山残されています。科学的にはまだ解明されていなくても、事実としてあり、しかもそれが重要な場合、まだ正統的には認められず評価されていなくても、もし事実でそのことが人間にとって重要ならば、そのことを認め、参考にすることで初めて打開できることがあります。
科学や学問で証明され、正統的にならない内はあることとして認めない、また考慮したり活用しない、ということならば、非常に限定された人生となってしまうことでしょう。世間で公認され、また正統的に評価を受け、一般受けしているものは、現時点の人類のレベルを表しています。それらで解決できることはそれらを活用しましょう。しかし、それらだけでは解明されず、また突破できないことにおいては、それ以外のところから打開策を得ることができる場合があります。
ただ一般には、検討されず解明されていないものは玉石混交です。いろんなものが含まれています。ただそれら全てが間違いで役に立たない、あるいは危険である、ということではありません。自分でそれらをよく調べること、また信頼の置ける人たちの言うことを参考にすることです。本当の真実や重要な真実は能力のある人にというより、素直で心がけが良く、思いやりのある人に啓示されます。そういう人が真に賢い人です。そういう人は識別できることでしょう。また、ご縁と必要性があり、心から求めていれば、世間一般ではあまり知られず、評価もされていないことで素晴らしいものに出会うことでしょう。前世リーディングもその一つです。
この数百年の科学や学問ではまだその真実性や効果は証明されてはいませんが、宗教や哲学の本当のものの中に、また神秘学や神秘主義の中に継承されてきている中に、太古からの人類の叡智があります。それは現代の科学や学問以上に、伝統的な流れに属するものです。それが現代に合った形でシステム化されたのが前世リーディングです。仏教などでよく知られている輪廻転生を前提に、一人ひとりの魂を診断し、魂の治療に相当することを施します。前世療法と共通する部分がありますが、昔は宗教の中で師が弟子に明かし、個人指導したものでした。
人間ドックがあります。それは物理的身体的なレベルでの総合診断です。一方、パーソナルリーディングは心よりもっと奥の魂や霊の次元にまで分け入って、本質からその人を総合診断し、医学では治療に相当する癒しや教育、さらに悟りや完成まで導くのがパーソナルリーディングです。そして、前世リーディングはその特別バージョンとして、個人の中の特に輪廻転生にスポットを当てて、その人の魂や霊の観点から診断し、「なぜ、こうなっているのか?」「どうしたらよいのか?」の処方を与えます。
現代の科学の粋を集めた医学でさえ解明も治療も困難な場合の、人間の魂や生活に関わることが解明され、ヒントが与えられ、どうしたらよいのか、その打開策も示されます。現代の科学や学問や常識、様々な民間療法や教育、技術などでは困難なことが、一段と掘り下げた次元で行われることによって明かされ、そして方向が示されます。
また古来、宗教の中で為されてきている祈りや瞑想や奉仕を改めて前世リーディングの観点から平らに述べられ、祈りや瞑想や夢の活用、奉仕の意義や必要性などが解き直されます。特定の宗派や教団によらず、平らに根本の真実であるONEの観点から、しかも受ける方に応じて示唆が与えられます。
特に未だ終わっておらず、現状の問題の根底で動いている前世からのカルマが明らかにされ、その人の気質や性格も読み取られ、本人の自覚を促し、本人が自分を深く認識して受け入れ、調整がなされ、その人に見合う信仰や祈りを通して神仏の働き掛けで蘇生し、癒され、立ち直って、本人が生まれてきた目的を生きられるように導かれます。現代の人間を扱う宗教や心理療法や教育では未だ解明されず、対処困難、問題解決不能な事に照明を当てることができます。
前世まで遡って見ると、「今、なぜこうであるか」がよくわかり、深く納得でき、受け入れられ、癒されていきます。カルマも解消していきます。そして、自分がこうであることをわかった上で、焦らず、安心して、神仏との関わりで現状に取り組んでいけるようになります。神仏との関わりで、と言っても、その人の霊的系統や現在の信仰を尊重し、その人に即して示唆が与えられます。根本の神様は公平無私であり、強要したり、改宗を迫りません。その人の現状を見て理解し、受け入れ、現状に立脚して無理なく「どうしたらよいのか」を見て、適切で無理のない示唆を与えてくださります。
普通のカウンセリングという以上に、牧師カウンセリング、宗教的哲学的な治療や教育になっています。しかも、一宗一派によらない、そして無信仰者でも、その人の現在に応じて理解でき、行えるような示唆が得られるオープンな機会です。
リーディングを終了します。
                                                                                                                                          (ありがとうございました。)

2011年11月10日

思うようにことが運ばない。自分の運命を拓くには?

2002.1.9  リーディングNo.6112


【質問1】思うように事が進まず、自力の限界を感じています。運命の拓き方についてコツなどがあればご教示ください。宜しくお願い致します。


【ソース】先ず落ち着いて、立ち止まって静かになることです。慌てないこと、心配しないことです。そして周りをゆっくりと眺め直すことをしてみるのです。そして事態を出来るだけ正確に把握し、認識するようにしてください。「一体どうなっているのか」ということを知るのです。それが先ず先決です。現状の分析とでも言いましょうか。自分の置かれた状況、或いは社会情勢、そして自分自身のことも見詰めてみることです。自分の周りの現状把握や認識ばかりでなくて、自分自体も認識したり把握するという意味です。


このようによく眺め直し、全体を出来るだけ平らに知るようにします。またそのような作業の中で気付きとか閃きのようなもの、或いは理解とかも伴うはずです。そしたら忘れぬ内に覚書きのように書き留めていってください。見落としていたこと、捉え違いをしていたこと、新たに発見したことや気付きなど、或いは確認のことでも大事だと思うことなども書き留めておきます。自分で気付いたことばかりでなく、気付かせられたことも「これは忘れぬように、大事だから」と思うことは書いて置いてください。人から知らされたり、気付かせられたり、教えられたりしたことなどです。


そのようにして出来るだけ材料を揃えていきます。そのような中で自分の持っているものというものに注目してください。持っているものという場合、有形のもの、つまり物理的なものに限りません。無形のもの、つまり精神的なものやノウハウ、理解や技術、資格、経歴なども含まれます。そういった有形・無形を問わず、自分の持てるものというものを列挙してみてください。何を自分は持っているのかという手段とか材料のようなものです。一方、持っていないものというものも列挙してみてください。自分に無いものです。自分に有るものと自分に無いものとを自分の中で識別します。


一方、理想ということに目を留めてください。自分はどうしたいのか、何がしたいのか、そして何が出来るのか。自分の中の漠然とでもいいですからイメージというものに焦点を当ててみてください。これからどうなるのか、また、どうしたいのか、どうするといいと自分は思っているのか。そういったことを自分で思いを巡らしながら捉えるようにします。そのような作業の中で、一見たわいないようなことや無関係に見えることでも大事な場合もありますので、列挙しておいてください。それ自体は大事で無い場合であっても、そこから何かが生み出されたり、或いは連鎖反応的に他の大事なことに導かれていったり、到達するということは多いからです。


何でも最初に布石と言いましょうか、取っ掛かりがありますと、必ず目的地に到達できます。また人生には定まっていることと、あまり定まっていないことと、全く定まっていないこととがあります。定まっていることに関しては、それを認め、受け入れるようにします。ある程度定まっていて変えられるものに関しては、それを知ります。そして変えたほうがよい場合は変えます。変え得る方向に向かいます。どのように変えたらよいかを見ていきます。また、どの程度変えたらいいのかを見ていきます。


時間的なスパンも順序も見ていきます。手順と言いましょうか、順序と言うか。全く決まっていないということに関しても見ていきます。そのようなものはどのように自由に創作していくか、或いは手を触れなくていいかということも見ていきます。ある程度変えられるということのカテゴリーに関して、変えたほうがいいことは変えると言いました。どのように変えるかというものを見ていく、どの程度変えるかを見ていく、何時変えるかを見ていく。一方、変えられるけれども変える必要が殊更ないという場合も見ていきます。そういったことを整理し、どれに属するかを見分けていきます。 


さて、自分の理想のヴィジョンというのがあって、それを自分で知るようにしてください。抱負とか願い、希望、憧れ、理想の形態、自分の在るべき相、理想像、未来の自分の願わしい在り様などです。そしてそこから見直し、そのように、例えば五年後になっている自分がイメージ上にいる。そしてそこからして五年前、つまり今の自分を見てみる。そしたら何を今するべきかが見えてきます。


何が足りないか、材料を見ながらそれが判明してきます。例えば五年後に「こうなっていたい。或いはなっているのがよいであろう」と思える。その五年後の自分からして使える材料というものを今どの程度把握したり持ち合わせているか、また持っているけれど足りない部分もあります。有るけど足りない。どの程度足りないか、どのようにして埋め合わせたり揃えるといいのか。足りないものは一体何なのか、物理的なものなのか資金など金銭的なものなのか、人脈か、社会的信用や信頼か、社会的資格がないか、力不足か。そのように理想を実現する上で足りないもの、まだ持っていないものを知るようにしてください。そしてそれをどのように獲得出来得るか、それを見ていってください。


社会に於ては今の日本の体制上、この資格を取得していないと、これは出来ないというのがあるでしょう。自分の理想の将来の姿というのは、そういったところに属していることなのか、或いはもう少し自由なことなのか、その辺も見ていきます。また一方、参考になることとしまして見習うということがあります。先ず大きく分けてください。例えば将来の自分というものを見る場合、仕事というのがあるし、家庭というのもあるわけですが、自分の幸せ感というのを確認して、自分は日本国内で生きていくのか、日本以外の地域で生きていくのかというので、バサッと二つに分けられるわけです。あなたの場合は先ずどっちでしょう。このように粗く削るということで区分けしていきます。もし日本国内だというのでしたら日本国内の中で更に細かく分けていきます。また分野別でもバサッと分けます。


世の中、見てください。どのぐらいのジャンルや分野に世の中は分けられているでしょう。今の日本に於て。先ず職種とか業種というものを見た場合、自分にとって全然という分野があるでしょう。自分にとって全く無縁と言いますか、関係したくない、関係もできないなどという分野があるでしょう。他の人はそれはそれでいいわけです。事、自分に関してはどの分野かというのを見ていくわけです。そして自分の中で候補として残った分野が二つ三つあったとしたら、その中を細分化し、出来るだけ具体化し、特定し、しぼり込むのです。


例えば音楽の分野というのが残った場合、音楽の何なのか。音楽と一言で言っても広い世界なわけです。その内のどの辺りで、どういうふうに関わるとよいのかというふうに見るわけです。一方、逃げ道を作るという意味で、―それはいい意味で述べています。逃げ道ということで、それが叶わない場合は別の候補もちゃんと用意しておく、考えておくということです。と言いますのも人間の運命と言いますのは相手さんも居るわけです。大抵の場合。自分がやりたくても相手さんが認めてくれない、採用してくれないという場合は叶わないわけです。


したがって幾つかの候補や可能性を見詰めながら、しかしほとんど叶わない場合は時期を見るというのもありますし、一方、分野を変えるということもあります。しかしそれも後ろ向きに見るのでなく、音楽でない場合、他のことも有り得るという自分の可能性をもっと枠を広げて再検討をしてみます。世の中を知り、調査しましょう。そして自分自身の中を知り、自分の中を調査しましょう。自分のこれまでの生い立ちや経歴を洗い直しましょう。子供時代の憧れを見詰め直しましょう。そのような作業はとても大事です。そしてそのプロセスで得られた収穫というのがとても得難いのです。自分が資産です。


また幸せというものを、自分の場合の幸せ感というものをよく知っておきます。自分の本音を知ります。また本当に自分がそれを必要としているのかどうかということも知るようにします。案外、自分が願っていると思っていたけれども、それ程自分は願っていないということもあるし、その逆もあります。また必要性ということでも、自分はこれが必要なんだという拘りがあったけれども、本当は必要ないのかも知れません。その逆もあります。そういうことも知っておくようにしてください。


それとやはり、動きながらです。動きながら分かっていくことは多いのです。考えたり検討しているだけでは分からないことも多いのです。動いてみて自分が自分を分かる。周りからの反応でも分かるということも多いのです。そして出来ることから始めましょう。千里の道も一歩からです。現状を把握しましたらお手上げということはありません。何時、如何なる場合であってもお手上げということはなく、出来ることというのが必ずあります。そしたらそれを行なう。先ず行なうことです。そして様子を窺うのです。


現状全体を百とします。その中で必ず五とか十は出来ることがあるものです。出来ることに目を注ぎましょう。出来ないことを嘆くのでなく、出来ることに着目し、それを一つひとつこなしていきましょう。精一杯その時点で出来る限り。知らないことでなく、知っていることに着目しましょう。持っていないものでなく、持っているものに着目しましょう。このように、出来ないことでなく、出来ることに着目する。知らないことでなく、知っていることに着目する。持ってないものを欲しがるのでなく、先ず持っているものから有効活用していく。そして段々それを押し広げていく。増やしていくということです。そして機会やチャンスなど必ず現状でもあるはずです。そしたらそれを出来るだけ有効活用させて頂く、無駄にしない、精一杯誠意を以てその時点で出来る限りをさせて頂きます。


そうすると、それをしながら持っているものが増え、出来ないことが出来るようになり、知らないことを知るようになり、成長し、力が付いていきます。それに伴い、自分の可能性が広がってきます。それとよくお祈りをして、そのお祈りはあなたの今のやり方でよいわけです。そしてあなたの感じたり信じている神様に自分を委ねることを致します。そのようなことで始めてみてください。後は様子を見ながらで、必ず一つ二つをこなせば、する前よりも出来るようになっていることがあり、分かるようになっていることが増え、持ってないものが持っているようになります。前に進みます。そしたら次の時点ではもっと、少し可能性が広がってきます。そのように一つひとつこなしていけばいいのです。


それとプロセスに着目してあげてください。そして味わうことです。囚われずに味わうこと、休みながら味わうことです。「あー、いいものだな」そのように感じられるようにです。いきなり実現しなくても、実現しない内に、悩みがある内に、その在り方も受け入れて楽しめる、満足できるようにすると余裕が出て、丁度、山登りのようにまだ頂上に着いていないけれども途中を楽しみながら目的へ向かっていけます。


自分に相応しい幸せを見出だし、また作り出しましょう。変えられないことを嘆いたり、もがくのでなく、変えられることにこそ着目しましょう。或いは作り出せることに。人と比較しないようにしましょう。優越感も劣等感も意味がありません。自己満足ということでなくて、自分に相応しい、その時の在り様というもので喜べて感謝できるように、ということです。そして更に可能性を広げていくように励んでいきましょう。


【質問2】ライフシールとチャクラの傾向についてご教授ください。宜しくお願い致します。


【ソース】ライフシールの真ん中には湖が見えます。神秘の湖です。それは生命力を現しています。涸れることのない湖です。「生命の源への信頼」そのように記されています。その中から滾々と水が湧き出てきます。


ライフシールの向かって右側には剣が見えます。銀色で輝いています。それは戦いの為の道具であったり武器ではありません。鋭さを表します。 例えば自分の中の煩悩とか、自分の中の要らないものを、それで鋭く切ったり、或いは処理したりできる知恵のことです。しかしそれは優しさと丸みも帯びている剣です。厳しく辛く当たらないという意味です。「剣の効用」そのように記されています。


ライフシールの左側には花が咲いています。桃の花か梅の花のような感じで、それ程大きくはなく、盆栽ぐらいの大きさでこじんまり咲いています。「小さな幸せを大切に」と記されています。
幸せは規模ではありません。内容や質であり、また本人の捉え方次第です。


ライフシールの下側には金属棒、或いは金属板が見えます。黄金の板です。「試金石」そのように記されています。人生における試金石のことです。その時その時で出来ることを精一杯、現状に応じて行なっていきましょう。「あー、なかなかいいものだな」そのように実感できれば、しめたものです。


運命の開拓ということを先に見たわけです。それに付け足しますと謙虚さです。謙虚であると運が良くなります。謙虚さは相手を立てる、心から尊ぶことを意味します。それは自分を低めることではありません。自分の生命も大切にするからです。そして感謝と喜びが働いていると運が作動してきます。そして自然の摂理に適って神様を喜ばせますと運が開けてきます。神様の喜ばせ上手と言うか、神のお心に適った暮し方や態度や行動を取る。それが自分にマッチした形で応用されていくということです。


普遍的な真実が自分に応じて個別的真理として働くということです。「神は今、自分に何をせよと命ぜられ、また意思されておられるのだろう」神様が喜ばれるような生き方、しかもそれが自分に無理がなく、自分にとってもマッチしているということです。それが試金石の意味です。


ライフシールの上側には大きな魚が見えます。「大漁」と記されています。人生における収穫を表しています。もちろん、大きな魚は象徴です。あなたの理想が実現した。そしてそれが神様ともマッチしていることを表しています。


輪郭は正方形です。背景色はイエローです。輪郭の色はグリーンです。 ライフシールのテーマは誠実一路、目標達成、幸せの分かち合い。


続いてチャクラの傾向について見てみます。全体的に強い人です。パワフルな人です。実力もある人です。人を生かすと運が開ける人です。人を生かす為には相手を見抜くことが必要です。見抜く目も持っている人です。よく相手が感じられるように自分でも留意してください。人も自分も生かされるように関わるようにします。また人を育て、成長させられるものを持っている人です。音楽方面にも適性と可能性の有る人です。アナハタとヴィシュダーと頭のチャクラとが発達しています。


良い心掛けを持ちましょう。良く思うと言いましょうか、自分の中の出来るだけ良質のものに着目し、それに立脚し、自分の全体を掬い取って調和状態を作り出しましょう。本来の在り様を自分の中で模索し、自分を整列させましょう。無理なく自然に。全体的にチャクラは強く、確立している人です。優しく敏感な部分と、非常に頑固で強い豪気な面とを兼ね備えている人です。魂の人です。霊的資質も備えています。人を心から重んじ、大切にし、人が生かされるようにしてあげること。忍耐強くお付き合いして優しさを発揮していくこと。無理をしないでバランスを取ることなどが留意点の人です。


【質問3】父、母、祖父、祖母、いずれも生まれ変わりや、あの世のことを知りません。それとなく話したことはあるのですが、理解してもらえませんでした。特に父はそのような話に強いアレルギーがあるようです。生きている時や亡くなってから、どのようなことを話してあげたらよいでしょうか、宜しくお願い致します。


【ソース】先ず蔭でお祈りして差し上げてください。お祈りは根本の原因です。源です。第一原因の力となります。それが霊の部分です。それが魂に降りてきて、更に魂から体、つまり身体、肉体に降りてきます。霊と魂とは原因と結果の関係にあり、更に今度は魂が原因になって肉体を創り出すという因果関係です。それは自分の中での霊・魂・体であり、更にそれは客観世界に於ても霊界、神様の世界から魂の領域、アストラル領域、心の領域、潜在意識、そして現実の物理的な世界というふうに対応しています。


そのような意味で霊で決まります。魂はもとより体の次元も物理領域もこの世の現象も。それゆえ先ず以て第一原因に遡り、よく神様にお願いし、お願いした後、お委ねするというのが大事です。お祈りと言いますと、お願いだけする人がいるのですが、最後にお委ね致して「どうぞ、宜しくお計らいください。全て神様のお心のとおりになりますように」というふうに、最後は全てを託するということが要ります。


それと、お祈りで神様にお願いをする時に、一方的であってはコミュニケーションになりません。それは人間対人間の場合と同様です。相手さんを思うと言いましょうか、それがコミュニケーションの通ずる基本であり、マナーでもあります。それゆえコミュニケーションの相手が神様の場合は尚のこと、神様の言い分とでも言いましょうか、神様の意向、お心、意図というのが先ず以てあるものです。それゆえ出来るだけそれを窺い、感じ取り、そして自分の本心とか願いを自分で弁え、或いは認識し、自分が成長して神様のものと調和状態になれるようにしていきます。


あなたの中に神様からのものがあります。それゆえ、そのようになれるのです。いきなりそうならずとも。と言いますのも、急いで無理をする人が多いからです。あまり無理をしたり背伸びをしないでください。これはあなたに限らず誰にでも言えることです。神様が十としましょう。今のあなたが仮に四としましょう。これは例えばの話です。そしたら四をお願いするのでなく、七ぐらいをお願いするのです。七レベルのお祈りを捧げるのです。自分が今、四だとして、放っておくと四をお願いしてしまいます。それでは仕方ありません。せめて六ぐらいをお願いするのです。そうすると祈る程に自分が成長し、導かれ、引き上げられて、自分が上等になり、祈りを通して成長できます。育てられます。引き上げられます。


四の自分が六を願う。そこに神様に対する自分の誠意が表れています。自分の、その時点の自分の中に二の部分もあるし、四の部分もあるし、六の部分もあるし、八の部分も共存しているのです。同時に。自分の中の程度の悪い一とか二のところに焦点を当てるのでなく、それは例えば誰かが駄目になるのを密かに望んだり、喜んだり、恨みに思ったり、或いは自分に対して自棄っぱちになっているのが一とか二という意味です。そういうところに焦点を当てないで、自分の中に既に可能性があって、潜在的ながら六とか八、更に十の部分が自分の中にあるのですから、祈りながら自分が六とか八が顕現してくるようにするのです。


そして同時にお父さんやお母さん、或いはお祖父さんやお祖母さんの中にも、その時、例えばお父さんが二か三かも知れない。でも、そんな今のお父さんの中にも七とか八、更には十のものが共存しているのです。潜在的には。それゆえ、お祈りで働き掛けますと、あなたが六でお祈りしますと、お父さんの中の六を動かします。その上でお父さんに向き合うのです。もちろん、さり気なくです。そうすると何時もよりはうまくいくと言いましょうか、何時もよりはましな話になる、何時もよりは通ずるということが起きます。


いきなりそれが大成功しなくても、やはり違いがもたらされる。そのちょっとした違いや成果を自分で喜び、それを自分で評価してあげること、相手から評価されなくても。そしてそれを励みにし、更に弾みがつくように、それを足掛かりにもう少しその先を目指すということです。その人その人のペースというのがありますし、現状というのがあるし、これまでの経歴とかルーツとか生い立ちもあります。それに応じて少しずつでもそれに合うようにする。その為には相手のことを何時も良く思ってあげて、そしてお祈りの際、自分ばかりでなく相手のことも神様にお委ね致します。そして「どうぞ、良きにお計らいください」と全てを託します。


あなたは自力の限界を感じ始めているのですから、そこまで来ているのです。ほとんどの人は自力の限界さえ感じていないのです。自力の限界を感じれば、もう直ぐです。他力にシフトする為には自力を徹底して行なうに限ります。そして自力の限界を痛感することです。それが他力に移る秘訣です。徹底して行なわないと自力の限界は感じられません。徹底して行ない、自力の限界を痛感できた時に初めて手放せて、他力の力が働き出します。全てを託するということが出来るのはそのような時に限ります。


自力を徹底した人だけが他力を徹底できる。つまり全託できるのです。あなたはそのような性質を帯びている人ですので、先ず身近なところで応用し始めてください。そして相手をよく見抜きその人に相応しいお導きが出来るようにしていくことです。相手に話を合わせてあげること、そして話も聞いてあげることです。そしたら心を相手が開き、こちらが話す機会が訪れます。少しずつ試していってください。諦めずに。ご健闘をお祈り申し上げます。   


リーディングを終了します。
                                         (ありがとうございました)
<了>

2011年10月9日

今世の使命、天職、過去世からの関係について

リーディングNo.4277

【質問1】今世において自ら為さなければならない使命、天命及び天職についてご教示お願い致します。 

【ソース】成し遂げる力を持って生まれてきました。それだけの意欲と情熱、そしてちゃんとビジョンも持って生まれて来ている人です。時間をかけてじっくり取り組む方です。その意味で焦らないようにした方が良い人です。深く考え込む思索家タイプです。同時に実行の人でもあります。よく考え、そして力強く行動する人です。内に秘められた気迫のようなものが感じられます。どんな事でもなおざりに出来ない方で、厳しく捉える人です。

真面目であり、深刻です。徹底する方です。飽きたらない方です。突っ込む方です。他の人が「もうこのぐらいで充分、もういい」というところでもまだ甘んぜず、「もっと究めたい、もっと磨きをかけたい、さらに前進させ発展させたい」という思いが募る人です。

その意味で使命の特色としまして、飽き足らないところを活かし、完全に仕上げるというところで役目を担っていくと特徴が活かせ、貢献でき、自分でも満たされます。コツコツと励む努力家です。しかし閃きもあり、閃きで飛躍できる人です。能力は潜在的にいっぱい持っている人で、色々な方面で才能を発揮できるものを備えています。ただ一つ一つに取りかかると時間が足りなくなります。一生涯の間で何もかも出来るというわけではありませんから。それゆえ的を絞り、エネルギーを集結させてください。あれもこれもとやっている間に時が過ぎ去って行くからです。色々出来るだけにその点、気をつけましょう。勿論あなたの価値観にもよる事で、色々やっても構わないのです。

それにしましても生まれてきた目的からすると、今世ではエネルギーを集結させ、何かたった一つの大事な事を自分の中で選び取り、その元であなたの様々な能力を奉仕させ、結び付けて一つの事を作り出していくというようにした方が良いということです。それはあなた自身が選ぶ事です。仕事と多分に関わりながら、それが為されて行くのでしょう。

本来的な使命としましては、人の心を預かり、人の心を育て、また救済事業のような事に関わるということです。神秘的教育の実践と啓蒙という方面で使命が待ち受けている感じです。そのような名称が付く必要は全くありません。要は内容的に、そのようなものが結果的に含められたり働いてさえおれば充分です。

人間の五感や日常の働きを超えた、しかし日常の中で浸透し、それらを根底から支え、生かし、働かしめている生命、五感の背後で働く超感覚、それらに関して優れたものを備えている人です。そのような勘や洞察力に恵まれている方です。このように人間の五感、つまり視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、そういった動物的な肉体に属する五感の感覚以上のもっと第六感とか、第七感―そういった超感覚、意識体に属する感覚、それを発達・育成させ、働かせながら充分に活かしていく事で人の心は育ち、豊かになります。

例えば聴覚器官を発達・育成させるのは音、例えば歌とかメロディー・音楽によります。素晴らしい音楽に耳を傾ける事で、聴覚器官は発達・育成されます。音楽鑑賞など、出来たら生の音楽で、それらとの触れ合いの中で出来るだけ本物の自然な音や歌、言霊などによって。視覚器官だったら絵画鑑賞。名作に触れる事。あるいは〝大自然〟という神の名作―命の入った本物の作品に出来るだけ触れる事で、目は肥えてきて発達していきます。それと同様に超感覚の霊眼、例えば霊視能力、あるいは聞こえない音や声、声無き声、音無き音、それらに耳を傾ける事で超常的な聴覚器官が発達・育成されていきます。例えば天国の音楽に耳を傾け、それに聞き入る事で肉体に属する聴覚器官以上のものが発達・育成されていきます。瞑想などはそのような事の為にも使われます。

そして五感を足がかりにしてそれ以上のところに手を伸ばす。例えば普通、人間の物理的な耳で聞こえる音の範囲というのがあるわけです。何ヘルツとか。でも本当は人間の物理的な耳で聞こえない音も鳴っているわけです。現に。しかし人間の耳で捉えきれないので聞こえません。でも飛行機の騒音とか、あるいは電波とかいろんなものが飛び交っています。

そうすると耳では聞こえないけれども何か非常に不愉快な感じがするとか、体調が悪くなるとか、何となく気が落ち着かなくなったりします。あるいは逆に耳では聞こえないけれども「何か爽やかだ。気分が良くなった。肯定的な思いになってきた。とても嬉しい。何となく命が感じられ、一体感を覚える。光が捉えられる。開放的だ」などと言ったように音としては耳で聞こえなくても、体には波動として音が伝わってきているわけです。そしてそれ相応の反応を体に引き起こさせます。

例えば音によって訓練しますと肉体の聴覚器官、耳を超えて意識体に属する感覚器官が育成・発達し、普通の人よりも聞こえる範囲の幅が広がります。そうすると体で感じたり、気分がそれによってそれ相応の影響を受けるばかりでなく、実際に声が聞こえ、音無き音をキャッチでき、実際に聞こえるようになります。例えば霊の声、神の御声、天国の音楽などを。あるいは地獄の唸り声などを。そして視覚器官の方も霊視、透視等が出来るようになります。例えば料理の方の達人ならば、味覚が他の人よりも異常に発達しており、またそれはセンスの問題とも多分に関わっています。

どの道でも、例えば色彩の方面でもその道の達人は、必ず他の人が見えないものを見、感じられないものを感じ、あるいは他の人が漠然としたものを明確に、あるいは正確に捉えるものを持っています。人から出ているオーラや奥深い気持ちなどを。そしてその人に応じたものを提供したり、あるいは教えてあげたり、助けてあげられます。以上があなたの使命です。

そのようにあなたは他の人に対して肉体に属する五感以上の意識体に属する五感、超感覚の方を育成・発達させながら枠組みを押し広げ、人間の可能性を開きます。そしてそういった超感覚が人の心を豊かにし、非常に木目細かな心のひだを作り出すようになるのです。他の人よりも一般の人たちよりも色々に笑えます。色々に泣けます。いろんな形で怒れます。いろんな形で落ち込めます。いろんな形で意識が高揚します。怒ると言っても色々に怒る事が出来るようになるのです。そして涙を流す時も、ただ嬉しい時や感激した時、あるいは悔しい時、悲しい時ばかりでなく、さらにそれがバリエーションに富んできて、感情のひだが非常に木目細かで芸術する感性が発達してくるのです。あなたはそのような方面で貢献できます。

【質問2】 私自身は思想、哲学、宗教や芸術に非常に惹かれるのですが、これは過去世に関係しているのではないかと思います。いくつかの重要な過去世やカルマについてご教示お願い致します。

【ソース】あなたは前世から関わってきました。まず前世を総括して見てみますと、心の教育とか魂の教育、あるいは神秘的な魂の発達や進化・育成に多分に関わってきました。いくつかの前世で先ほど述べられたような事に深く関心を寄せ、理解を示し、関わったり協力したりしてきました。人間が作った名作や本物というのがあります。名曲とか名画などです。あるいは素晴らしい映画を見れば感動します。感動できる心はとても大事です。そして命に触れた時、人は最も感激します。

命は神です。神に触れると感激し、涙が溢れて来ます。人間が作った名作以上の名作というのがあり、それは神の作った作品群です。それが大自然です。宇宙です。あるいは地球です。大地です。空気です。空です。太陽です。自然との関わりの中で人の五感が発達し、五感以上の道が開かれます。あなたはそのような人間の心の発達に関して、大いに関心を寄せ、そして自分の仕事や役目に活かしてきている人です。

古代においては全てが一つでした。宗教、科学、技術、芸術、哲学、思想、医学、農業、生活のあらゆる営みまでもが。学問と技術も一体化していました。今のような分離や分業はありませんでした。これからの時代、再び太古の時代のような一体化が進められていきます。例えば医学でもホリスティック医学に近づいて行きます。

肉体ばかりでなく魂や霊も考慮し、また社会体制としても自由主義と共産主義、社会主義が一つになってきて、個人性と社会性の両方を考慮に入れられる統合的な体系が作り出されるようになります。それによってドイツに続いて朝鮮も統合される時が来る事でしょう。地球も一つになり、人類も各々特色を活かしながら、全体が一つの体系になっていきます。

あなたは以上述べたような事に、生まれ変わりながらだいぶ関与してきているのです。哲学や思想、あるいは芸術の中でも色々な系譜があり、各々特質に応じた役目を発揮してきています。より総合的であったり、より一面的であったり、あるものを出す為に生涯を費やした思想家もいます。どちらかと言うとあなたが惹かれてきているのは胎蔵界、母性性に関わる方です。それに対して最近はあなたも金剛界の方の実技を実社会における実際の働きである経営やビジネス、経済、政治、あるいは例えばパソコンなどにも関心を寄せ、金融についても意識を向け始めているようです。あなたは前世を少しずつ思い出し、取り戻し始めてきているのです。

あなたは多分に芸術や哲学に関わってきています。あるいは芸術的な事を、衣装や服飾、あるいは時に食べ物や食品、料理などにも。また音楽の面でも作詞・作曲などに関わった事もありました。自然から題材を取ってきて、自然に近い音や声をどのようにして再現するかなどにも関わってきています。中国においての前世ではモンゴルの方との交流があり、あなたは大使として派遣されたりしました。実際は文化交流のような事であなたは文化間の橋渡しとなりました。またライフスタイルや考え方、元にある思想、価値観などについても深く思いをいたしました。

古代の日本社会においては図象を描く人であり、まだ家紋のようなものは作られてはいませんでしたが、シンボルマークのようなものに関心を寄せ、相手の人の曼陀羅を描いてあげたりしました。イメージで描いたりです。あなたは今でも相手の人をイメージとして捉えたり、描く事が出来ます。あるいは音や曲にして表現してあげる事も出来ます。

ヨーロッパの方に生きていた前世では職人であり、タイル職人に似たような仕事をしていて、デザインの方面で良いものを持っていました。壁画とか、床、また天井などの柄模様に関して。また使う素材や形、そして全体の組み合わせや構造に関しても良いものを持っていました。

ローマの方における別の前世では、動物や家畜の面倒を見たり、また討論やディスカッションに参加したり、またゲームにも多少興味を持っていた人でした。しかし何に対しても最初は熱中しますが、虚しさを覚える人で、一人ぽつんと独りになっては虚しさを覚え、また考え込むところがありました。

地中海の方、もう少し東のイスラエルやペルシャの方では船乗りであり、漁師、漁業関係の仕事に就いていました。商取引も中々のもので、交渉が上手いのです。相手も得するようにさせてあげられました。お互いに満足できるような交渉をしたのです。しかしたまに恨みに思う人もいて、あなたに罠を仕掛けたりもしました。でも善意を持っている人たちがいてくれて助けてくれたりしました。

江戸時代の日本の前世では算盤を弾いており、呉服問屋のような仕事をしていて、中々几帳面で真面目で、忍耐強く働いていました。厳格でかっと怒る時もあり、しかし正義感が強く、困った人や弱った人にはとても優しく、庇ってあげたり、陰で世話をしてあげたり、助けてあげていました。また朝鮮半島の方との取り引きもあり、珍しい品物を仕入れたりしました。語学の方面でも中々達者でした。また言葉が通じなくてもやり取り出来るコミュニケーション能力も備えていました。

【質問3】結婚についてですが、普通生まれてくる前に相手と約束をして来るようなのですが、自分の場合はどうなのでしょうか。また、2年ほど前、印象的な出来事があったのですが、自分自身に男女間における問題を卒業していない部分があったのでしょうか。よろしくお願い致します。

【ソース】卒業していない部分もありました。しかしそれ以上にチャレンジとしてのレッスンだったのです。あなたの特徴はチャレンジ精神がとても旺盛だというところです。柔軟で受容的ですが、とても頑固で気張ったところもあり、中々強く、怯みません。力強く押し進めて行くところがあります。更なる成長や発展を目指し、「何々に賭ける」と言ったように挑んで行く精神を持っている人です。中々強いのです。勝負の勘が鋭い人です。集中力もあります。また前世で神との一体感を何度か体験して、それが体にも染み付いて覚えています。それでそのような心境に達する事が出来ます。

しかしそれまでにはいろんな苦労や、また深く考えたり迷ったり試行錯誤を経ながら、自分が場合によっては窮地に追い詰められたような時、生死の際で自分の扉が開かれて一回り大きな自分に遭遇する。そしてそれは神体験としてやって来るという事が待ち受けているようです。あなたは愛に関して理想を持っています。そして妥協を許さぬ厳しさや徹底ぶりが特徴で、包容力もあり、しかし深く悩み、葛藤を自分の中に覚える方です。

遅れて出会い、結ばれるでしょう。30半ばぐらいで。36~37ぐらいの可能性が高いようです。ちゃんと決めて生まれてきています。あなたはかなり慈悲深く、世話好きの方です。大変困って悲しんだり、辛い思いをしている相手の女性ではないでしょうか。助けるつもりで話しを聞いたり支えてあげているうちに、結婚するようになる感じがします。

中々綺麗な女性ではないでしょうか。目がパッチリして鋭く、中々きりっとしてあなたと同様、内に秘めた気迫を感じさせる女性。目は大きいけれども少し上がっており、鋭い眼光です。頭も中々賢い女性です。東南アジアや中国、あるいはユダヤ、ペルシャ、インド、ローマ。そういったイメージが感じられる女性です。日本のふくよかな感じの女性というより、異国情緒を感じさせる神秘的香りを持った女性の感じがします。

以上はリーディングで今捉えられた、あなたを通しての女性像です。結果的にそうでない女性と結ばれても構いません。リーディングは固定したり制約を設ける為のものでなく、参考材料としてのものです。最後は自身で納得のいく取捨選択をする事です。二回目か三回目に、今から見て恋愛して結ばれるのでしょう。一度目や二度目の恋愛、今から見て一度目か二度目です。それらの女性とは結ばれず、しかしその後出会った女性とやや遅れて、今度は結ばれて落ち着くような感じがします。

【質問4】私の父、母、弟などの身内に関して何かアドバイスがあればお願い致します。

【ソース】あなたは親思いですし、家族の為に引き受けられるだけのパワーや器を備えて生まれて来ている人です。あなたは心が広いので、他の人の事まで思いやるゆとりを持っています。あなた自身、我が強い方ですが、しかしその我は小さい自分だけに留まるものではなく、大きい我ですので、家族皆の事も引き受け、面倒を見れるだけのものを備えています。さらに他の人に対しても、つまり身内以外のところまであなたの愛は及びます。あなたは頼られるでしょう。

あなたは家族から見て、頼もしい存在です。決断力があり、とても感が冴え、頼もしく、怯みません。そして行動力もあり、とても人思いのところが強いです。でもあなた自身個性が強く、『自分はこうである』、『こうしたい』、『こうしたくはない』というのをはっきり持っている方ですので、上手く噛み合わない時は緊張関係が身内との間でももたらされます。そして身内の間でもすごく合う人と合わない人、好きな人と嫌いな人とにはっきりあなたの中で二分されてくるようです。

それだけ正直だと言えるし、真面目だと言えるし、また融通が利かないとも言えるし、実直、あるいは率直だとも言えます。あまり偽って合わせる方ではなく、しかし寛大なので上手く包み込む術を身に付けています。それはテクニックと言うより、あなたに備わった器です。人間の教育に関して、多分に関心を持っているあなたです。

あなたは前世で大体芸術系の仕事に就いていた事が多く、後は魂の教育や人間の神秘に関して興味を持っていた人です。一方商売や実業などにもある程度関わってきた人ですし、中々やり手のところがあり、周りから頼られてきているのです。あなたはここ一番で助けとなるはずです。お父さんに対しても、お母さんに対しても、家の経済面でも。一家の立て直しにおいても。あなたは非常に緊急の難しい時に登場し、救助し、立て直しを図る事が出来ます。あなたは集中力があり徹底していて、のめり込む方です。しかし一方、何でもやりたがりのところがあるようです。

今世においては好き嫌いを超え、全部が本当の意味で好きになる愛そのものになって受容し、相手を懐に入れて活かせるように関わり合う、というのがあなたの課題です。そしたらもっと均等にと言いますか、各々を支え、助け、皆にとってあなたは良き存在となります。無理なく本当の意味で。あなたはその為にその家系に生まれてきています。あなたは支える力、導く力、困難に打ち勝ち次の段階を用意していく力と統率力があるのです。それを必要な時、あなたらしく活かしていくのです。                      リーディングを終了します。

(ありがとうございました。)〈了〉

2011年8月26日

病死した愛犬の死前後の心情、そして死後は?

リーディングNo.12389


【質問1】 愛犬の生前、闘病期間、死の前後のこまかい心情を、また、霊界にどのように向かい過ごされ、現在の様子とこれまでの心情を、今後どのようになるのかを併せてお教えください。


【ソース】動物と人間との間には、共通した部分と異なった部分とがそれぞれあります。そのため人間である自分が想像したり、イメージするのと似たような部分もあれば、人間である自分がイメージしているのとは違っている部分とがあるのです。動物には人間のような、考えたり悩んだりする複雑な部分はありません。それでも、人間と共通する心や魂はあります。また感覚も備えています。人間のように必要以上に悩んだり困ったり心配したりすることはありません。


もっと素朴で原始的な心の思いを抱いたり、感覚的に感じたりしており、心配することも喜ぶこともありますが、原始的で素朴なものです。単純で素朴な反応や感覚を備えていることに気づきましょう。割とあっさりとしていて、人間のように執着したり、引きずったりすることはありません。多少、強烈な印象として留まることはあっても、単純でそのまま反応するものです。


愛犬○○の生前は、ほぼ幸せで恵まれたものでした。あなたを始め、人間である家族から愛され、可愛がられていたことをとても喜んで嬉しく感じて、また安心してほぼ生活できたからです。やはり愛情が生き物にとっても大切です。


愛犬○○は家族からの愛情に満たされ幸せで、心が満たされて生きていました。次第に自分の死期が近付いてきたことを感じ始めていました。自分で病気になったことにも気づきました。そして自分はもう先が長くないと思いました。次第に自分の死を覚悟するようになりました。悔いはほとんどありませんでした。十分恵まれ愛され満たされて、家族として一緒に過ごせたからです。


未練や悔いはほとんど残っていませんでしたが、別れることの寂しさや悲しさが心にありました。でもそれは仕方がないと思っていましたし、何より自分は十分愛され満たされていたから、心残りはないと自分に言い聞かせていたのです。病気は、自分の体や心にとってつらくはありましたが、それを機械的、自動的に受け止め、体感しながら耐えて過ごしていました。こういうものだろうと捉えて受け止めていました。そのような中でも、愛情に包まれていたので耐えられたし幸せな気分でした。


次第に死期が近付いて来るにつれ、そのことを悟り、多少心が不安になりました。自分は死んでいって、別の世界に移って行くと思うと、やはり不安であり、自分の行く末が案じられました。しかし人間のように必要以上に考えたり悩んだり深刻になることはありませんでした。そういうものだと受け止めて、その運命を辿っていきました。


自分が息を引き取る時の、人間の家族の反応や様子が印象に残りました。家族として愛されていることに幸せを覚えると共に、別れていく悲しみが、人間から自分に伝わって来ました。その時自分もまた、人間の家族を愛していて、思っていたことを自分でも悟りました。愛が最も大切であると改めて実感しました。


そして自分は愛をいただいて生きられたことに、幸せを覚えました。自分は愛されていることをとても光栄に思いました。自分が人間を癒し、人間に愛を与えていることはあまり自覚していませんでした。自分が愛をいただいているほうを実感し嬉しく感じていたからです。それでも愛は相互的であり、一方的に与えるとか、一方的に受けるとかではないことを、体験を通して知らされたのは、貴重な学びとなりました。


愛情に包まれ、また別れる寂しさを体験しながら、自分は肉体から離れ、霊界へと向かって行きました。特に苦しくはありませんでした。むしろふわふわと体から離れていく身軽さや自由さを覚えました。次第に人間からの思いが遠のいていって、霊界の様子が近付いて来ました。それでも生きていた時の家族を思い出すと、家族からの愛情や別れた寂しさが感じ取れました。


霊界に行くと、他の様々な生き物たちの魂や想念が漂っている中に、自分も浮かんでいました。生き物たちの想念が、自分の周りに漂っていて飛び交っていました。かつての自分の家族、犬たちの家族ですが、自分の両親や兄弟姉妹など、犬たちの家族と再会しました。また犬たちの自分の親戚にも出会いました。そのような犬たちに自分は迎え入れられました。そして次第に一つになっていきました。次第に自分を感じることが少なくなっていきました。


それでも時々は、自分という存在を実感しました。自分の犬だった時の、繋がりのある家族や親族との繋がりの中、自分はその一部であるという実感が強くなりました。人間の家族の一員である自分の部分は、自分の記憶に残っていました。犬たちの一部としての自分と、人間の家族だった自分と、その両者が自分の中で共存していて、それぞれの特徴や良さが感じられました。


人間の家族となっていた頃を懐かしく、人間から可愛がられ愛され、にこやかに笑顔に包まれていて、愛情に満たされている自分も懐かしく思えました。何と言っても、あなたに対しての印象が強く残っています。波動や想念として、またにっこり微笑んで優しく包んでくれたその思いが、今でも自分を満たしています。


そして犬たちの仲間に戻り、その中で一体感を覚えながらも、人間との懐かしい記憶が今でも自分を懐かしみ、支えてくれているのです。そのような思いを自分の胸に抱きながら、これからも霊界の犬たちの一部として生かされていくことでしょう。


そして犬は人間と種は異なりますが、大昔から人間と身近にいて、家族として共存して生きていますので、縁が深いです。今に始まったことではありません。日本だけで見ても、大昔から人間と犬とは家族として生きてきた縁があります。そのため霊界に行っても、犬たちだけで住んでいるのではなく、人間たちの死後の世界、霊界でも交わっていて共存しているので、縁がある人たちとは出会えます。いずれあなたとも会いたいと願っているのです。


【質問2】生前、私の心情や言葉をどのくらいわかり、どのような心情で私を見てくれていましたでしょうか。そして現在も。愛犬から私への思いや伝えたいメッセージをお教えください。


【ソース】自分のとても身近にいて接してくれたお姉さんであり、またお母さんのような存在でした。自分は犬たちの同類の家族からは離れ、人間の家族として加えられました。犬たちの家族から別れることは、悲しくつらい思いがありましたが、すぐに人間たちの家族に、その一員として喜んで迎えられたことは、自分にとって癒しになり、特にあなたが心から喜んで迎え入れてくれたので、とても嬉しく安心しました。


それからは犬の家族のことよりも、自分を人間のように捉え、人間を癒してあげていることもわかってきました。よく可愛がってくれたので、あなたのことはとても嬉しく思っています。いつもあなたによって癒され、満たされていました。


人間の言葉を細かくはわかりませんが、伝えようとしていることはほとんどわかっていました。大事なのは、日本語とか英語とかの人間の言葉ではなく、言葉の奥にある思いなのです。その思いのエネルギーが確かに伝わってくるのです。そしてそれはよく理解できます。細かくはわからなくてもほぼ、その本心や心の思いは伝わって来てわかります。霊界に来ても心を集中すると、この世からの人間の思いは伝わって来て受け止められます。


霊界もこの世も心の世界である点では共通しているので、この世であろうと、あの世であろうと、すぐに自分の心に集中し、相手の心にも集中すれば、次元を超えて心は伝わり合います。今でもあなたの思いを感じ取れています。そのような思いは強いものであり、はっきりしたもので、次元を超えて通じ合えます。それこそが尊く大切なものだと思います。


特にあなたからの思いは強く、自分の奥に響いて来て支え、慰めになって、また励ましになっています。愛情は尊く大切なものだと感じられます。この世でもあの世でも、生き物の種類を超えて、心の思いが大切です。特に愛情が尊く、有り難いものです。


具体的には、あなたからのものが最もひしひしと感じ取れて、嬉しく慰めになります。自分もあなたの役に立っていたなら嬉しいことです。これからも思いを通わし合いましょう。あなたの家族の一員になれて嬉しかったです。これからも心を通じ合うことができればと望んでいます。霊界に来てお会いできれば嬉しいです。


【質問3】私の霊界での様子、高次の方からのご指導、注意事項についての内容を、そして神様から今の私に最も必要なメッセージをお教えください。


【ソース】この宇宙で最も尊く大切にするべきは愛です。愛は命の元です。愛がなければどんな命も生み出されず、また生きていけません。愛によって命は誕生し、そして育ち、維持され生きていけます。


その愛が正しく働いて活かされるためには、お互いの理解と配慮が必要になってきます。自分自身のことも相手のことも、それぞれ何故そうであるのか、正しく理解し、それを考慮し、背景や事情を推し量って、気持ちを感じながら受け止め、優しく穏やかに接していくことが何よりも重要です。


愛がまずあって、それは生命エネルギーであり、生命に欠かせないものであること、その愛が活かされるためには、理解や知恵、正しい関わり方が必要になってくるということです。愛の中でも一番の元に、神の愛があります。創造主の愛は親の愛です。全ての生みの親だからです。人間の親であるばかりではありません。全ての命の、また存在の生みの親です。


愛を大切に生きていけば、道から外れることはなく、間違いありません。たとえ一時的に、自分の癖や正しい理解がなかったりで、外れることがあっても、愛さえあれば気づいて改めることが可能です。愛をこそ大切に、これからも生きていきましょう。愛は命の元にあるエネルギーです。それであなたも誕生し、生かされています。人々との関わりでも愛を大切にしましょう。そしてその愛が正しく働くように、学んだり、理解したり、考慮したり、感じたりしていきましょう。


神の愛が元にあり、その上でお互いの愛、そして自分自身に対する愛もあります。愛によって自分も見てあげて育てましょう。そして人や他の生き物のことも、愛を持って見てあげたり、育てたり、大切にしたり、思いやったり、活かしてあげましょう。
このようなことが生きていて最も重要です。これはこの世に人間として生きていても、あの世に霊となって生きている時も、変わらずに最も重要なことです。


この真実がONEであり、これを知って会得するために、ARIにあなたは導かれました。ARIでのONEの学びによってあなたが、このことを深く心に留め、大切にして習得すれば、救われることでしょう。自分が救われることで、今度は自分が関わっていく人や、生き物たちをも安心させたり癒したり、励ましたり労(いたわ)って、救いの一助となっていくことでしょう。


そのことをあなたに望んでいます。あなたはその方向に確かに向かい始めています。そのことに気づいて安心し、これからもその方向で生活したり、仕事をしたり、ARIで学んだりお手伝いをしたりすると、そのことが達成されることでしょう。神様を愛のエネルギーの純粋な塊(かたまり)だと認識しましょう。もし今あなたが愛のエネルギーを感じていて、生命が蘇生し元気になりつつあるなら、神様に触れている証拠です。あなたがそのようになることが望まれています。


自分がそのようになってきたら、今度は神様の媒体(ばいたい)になって、愛のエネルギーを周りにももたらして、愛の人として生きていきましょう。そうなれない時、動揺したり自信をなくしたりせず、どうしたらそうなれるかを検討して、諦めずにまた挑(いど)みましょう。その取り組みが尊いのです。


リーディングを終了します。
(ありがとうございました。)
〈了〉

2011年8月6日

過去は済んだことだとみなして解放し、これからはその瞬間瞬間を信じて100%生きること。

リーディングNo.12162

【質問1】47才の誕生日を迎えました。これからの課題、留意点をお教えください。

【ソース】自分の心の中に永遠なる者が宿っていることを感じ、確認しましょう。それによって平安と静かな確信が得られます。そして本来の自分が穏やかに自然に表れ出てくるようになります。これまでの人生を振り返って検討し、一体どういうことだったのか、自分の人生を検討することから多くを学べます。

そして今後の人生の旅に過去のこれまでのことを参考にして、また留意して生きていくと役立ちます。ただその場合でも、過去のことをあまりに意識したり、気にかけすぎないほうが良いのです。一度体験してしまえばそれで済んでしまった、遂げられた、ということがあるからです。その時その時で、その時点にふさわしいことが起きたというように捉えるのです。

振り返ってみるとわかることも多いですが、その時点はその瞬間を生きていて、自ずとそうなったということがあるのです。そしてそれで目的が遂げられた。そして解放されたということがあったのです。ですからあとで振り返って検討して、気付いたり学べることも多いですが、そして過去から学べたことを今後に留意することは必要で役立ちますが、それをあまりに意識すると、かえって過去からの影響や規定を受けてしまうということが発生してしまいます。

過去は済んだことだとみなして解放し、これからはその瞬間瞬間を信じて100%生きること。その時その時を大切にして、その時らしく精一杯生きる。またそれができるように信じて安心してその瞬間に身を任せましょう。そのためにも自分の中に永遠なるもの、命の本源に通ずるものが自分の中に授かっていることを感じ取って確認するとよいのです。

過去を検討して学ぶことはすると良いです。それと同時に過去のことを許し、解放してあげることもしてあげましょう。過去を振り返って1つ1つを調べていく際、どういうわけでそうなったかの理由を知って、改めて学び取る、そして今後のために留意していく。それとともに過去のそのことを解放してあげる。手放してあげる。癒してあげる。ほどいてあげるということもしてあげましょう。

例えば仏教では、後者の今述べられた過去を解放し、解消してあげるということに重きを置きます。過去を振り返って検討してレッスンを学び取るということはあまり仏教は言いません。その意味で仏教は癒し、解放ということに重きを置いているのです。起きただけで済んだ、終えられたということがあるからです。本来自由な生命として、命の本源から誕生させられたのが人間です。その無限の可能性や恩恵を自分の中に見出しましょう。またパートナーの中にも、そして他の関わっていく多くの人たちの中にも見出していきましょう。

あなたは今世において、体験から多くのものを頂きました。同時に体験によって多く傷付きもしたり、警戒したりもしました。起きたことは偶然ではないので、なぜそうなったのかの理由を知ってレッスンを学び取って、今後のために役立てていくと共に、起きたことで済んだのだから癒し、解放して本来のありようを取り戻すようにしてあげるということを、あなたは自分自身にも他の人にも教えてあげたり、施してあげることがあなたの使命になったのです。

体験によって何かが起きます。インパクトや影響が及びます。あとで振り返って気付いて学び取れることもありますが、起きた瞬間にすでに悟る、そして身に付くことが起きていることにも気付きましょう。体験するだけでも覚えて身に付くことがあるのです。人間の超感覚や身体にはそのような機能が与えられています。

身体や心を使って夢中で練習したり訓練していると、別に意識せずとも身について調整されるのはそのためです。これまでいろいろ体験してきた中で、自分が意識したり努力せずとも、体験しただけで身に付いて備わってきていることがある。そのことに気付けば、恐れたり構えたりする必要がなくなります。悲しかったりうまく行かなかったり痛い目を見たりしたことで、知恵や新しいパターンがその体験した瞬間に埋め込まれたからです。そして起きただけでカルマが果たされ解放されたということも、体験によって伴うからです。

そのように大いなる存在が愛と知恵によって計らわれている。その中を人間は夢中で生きています。自分がいろいろ体験したことで知恵が備わり、多くの生きる術(すべ)が身に備わりつつあります。本源がそのようにあなたを愛を持って訓練し育て上げ、使命に備えてくださったからです。それに気付いて安心して、目の前のことに身を委ねて無心になって行なうと、自ずと知恵が働き行なえるものです。

そもそも行なえるところまで来たから、行なうべきものが目の前に現れるのです。目の前に行なうべきものとしてあるものは、その時点の自分を出し切れば、行なえるはずのものです。そのように状況が設定されているからです。これは自分にはわからないとかできないとか、そういうことはないのです。不思議と妙なる御業(みわざ)によって絶妙に1人1人に仕組まれて、世の中が動いています。単に目の前のことができるばかりではありません。今の自分に最もふさわしく、自分だからこそ首尾よくできる、それほどまでに最善の状況設定になっているのです。

そのことに気付ければ今後とも安心して生きられるし、余計に気遣ったり恐れたり構えたりせずに済みます。人間関係も同様です。これまでの経験があったればこそ、今のパートナーとご縁が生じて、夫婦となっているのです。もちろん人間は考えたり自分で注意したり、自分の責任で選び取ったり、あるいは選ばなかったり、そういう人間的な技や、気を付けたり留意すること、あるいは反省することも必要です。

しかしそれらとて、以上のような大いなる存在の完璧なお計らいを前提とする上で、気を付けたり反省したり、選んだり選ばなかったりということがあるということなのです。そのような完璧な大前提に気付きましょう。そうすればとても安心して癒され、リラックスできます。その上で反省したり、過去を検討したり、自分に気を付けるべきを言い聞かせたりしていけばよいのです。そのような肯定的で完璧な大前提がONEです。

あなたにはそれが必要なのです。そうでなければ過去のことにあなたは耐えられないほどのものがあることでしょう。反省にしても傷ついたことにおいても。それらをいちいち自分の中で気にかけたり留意して今後生きていったら、とてもしんどくなります。ある程度過去のことから学んで留意したり、自分のパターンに気を付けることはして良いですが、それらもONEという完璧な大前提に支えられて、ちょっと留意する程度でよいのです。

大いなる存在のお計らいと仕組みが良いようにあなたを運び、完璧な状況を今後とも与え続けることでしょう。このような安堵感と安らぎ、静けさ、そしてそこから無限の感謝、喜びが湧いてきて、本来の自分が回復し、無理なく表せるようになってきます。そしてあなたにそのような態勢ができてくれば、他の人もそのようになれる1歩手前まで来ている人にあなたは出会わされます。宇宙のお計らいです。そしたらあなたは無心になって信じてその場に自分を投ずれば、ちょうど自分に起きたように他の人たちも、かつて自分に起きたように1人1人が安心して、自分らしく生きられるようになっていく。あなたはそのきっかけになれるのです。

このようなことを聞いて、それがあなたの中に埋め込まれれば、自ずと生きて作用を起こし始めます。特に意識せずとも、自分のヒーリングなどのやり方を通して、自ずと今説明されたようなことがその場で起きます。人間にはそのような能力や働きが与えられているからです。またそのような能力を通して、神様がそこで働かれるともいえます。どのように表現されるにせよ、偉大なる力があって、人間はそこから誕生させられたので、その偉大なる力が人間を通して他の人にも働く。それが愛の働きということです。

以上は日本語での説明でしたが、この説明で言われた事柄が実際にどういうものなのかをあなたはこれから見ていくことでしょう。生活や仕事の中で、「あ、これがあの時リーディングで説明されたことなんだ」。そのようにあなたは目撃したり体験者となり、証人ともなることでしょう。そしてそれがあなたの中でつかみ取れれば、自ずと自分の働きを通してあなたならではの効力を周りの人に発し、多くの人を癒したり解放したり立て直してあげたり、次の段階に入っていけるようにしてあげられるようになるのです。

もしこれまでのあなたの体験がなかったなら、それは充分には起きないことでしょう。しかしこれまでさまざまな体験をさせられてきたお蔭で、その上でこれを聞いたのでこれからそれが起きます。体験にしてもリーディングにしても、全部命の本源からやってきているあなたへの愛の訓練なのです。必要なことはタイムリーに起きます。嫌なことや不本意なことも含めて、必要でためになることが起きます。起きただけで済んじゃうのです。起きただけでためになり癒しにもなります。

人間には頭があり、理解を求めているので、リーディングでこのように説明も加えられるのです。体験自体がメッセージそのものなのですが人間には頭があるので、納得したり安心したいのでリーディングということも起きるのです。もちろん書物を手にしたり、人から話を聞かされるのも、大いなる存在の御業の一環としてのものです。

ダイナミックに現実の動きのただ中で、大いなる存在が生きて躍動し、その中に身を置いて生かされて生きています。こういうことがわかればわかるほど身に備わり、これまでのことも深く納得でき、全部が自分の身になり、また重荷の部分は解消し、自分が整い、次のありようが自分の中に訪れることでしょう。その場で働く勘を大切にして回りに対処しましょう。

これまで体験を通したりいわゆる勉強を通して学習したことはちゃんと身に備わっていますので、それを信じて安心してその場に委ねるのです。たとえ完璧にできなかったような場合でも、それを経て次はもっと完璧にできるところに至るのです。そう思えば途上も肯定できます。全てが命の本源による育成とお導きとして起きてくることです。

そのように全てを肯定的にみなして受け止める。そして安心して静かな感謝と喜びに生きる。それが本源からの教えなのです。それはいわゆる宗教を超えています。それがありのままの真実です。それをなんと呼ぼうと、それが宇宙の生命の根本の法則なのです。それを体験を通して確認し、自分の中に穏やかに浸透させて見の前のことに身を投じましょう。日々生活体験を通して大いなる存在じきじきに愛をもって鍛えられ、育て導かれて次の役目に備えられつつある自分を見出しましょう。

【質問2】今の夫、○○○○(昭和37.※.※※)とのご縁、互いの関係、カルマ、留意点があればお伝えください。

【ソース】今のあなたにふさわしいパートナーなのです。以前だったら合わなかったかもしれませんが、今ならぴったりです。では未来はどうかというと、なんとも言えません。未来はまだ確定していないからです。今後の捉え方や関わり方次第で、未来もお互いにぴったり合うかもしれないし、少しずつ合わなくなって疎遠になっていくこともないとは言えません。

仮にそれぞれが違ってきて合わなくなってもそれで失敗だったとか、良くなかったということではないのです。その時その時ベストだからです。あなたはいろいろ体験してきたためにカルマとか学びとか、改善あるいは反省などが必要だと実際以上に思っています。それらに敏感になってきて恐れやためらいもあって、自分らしさが出ることが押さえられています。

人間いろいろ体験すると、萎縮したり警戒し、充分自分を出せない、それは出してはうまく行かないという心配があるからです。過去を検討して学び取って反省して改善して、今後は過去のようにならないように気を付けていく。そのような学び方や生き方を否定はしません。しかしそこに焦点を当て過ぎると、肝心の最も大切な命の本質に関わる部分が損なわれます。人間は戒律や律法や道徳、あるいは裁き・恐れ・罪意識などによって、自分に対しても人に対しても表面を縛ることによって、そして恐れで威嚇することによって、肝心の最も大切な命の瑞々(みずみず)しさ、喜び、平安を損ねて来ているのです。

あなたもそのようになりかかっていました。あなたはそのような中でキリスト教に共鳴して、伝道活動もしました。しかしどこかで気付いたのです。何かおかしい。無理がある。本当のあり方ではないと。ではどういうあり方が本当なのか。あなたは探し始めました。
探すといっても分析的に探すだけでなく、直感を働かせました。また大いなる存在があなたを導きました。そして次第次第にどういうことかわかってきたのです。そしてそのことがほぼ掴み取れたところで、このように説明が与えられているのです。

あるところまで来て整理されると、自ずとこういうことが耳に入るようになるものなのです。霊的・神秘的に聞こえてくることが起きることもあれば、こういうリーディングで耳にすることもあるのです。あるいは書物や人の話から聞くことになるかもしれません。いずれにせよあるレベルまで来ると、そのことの解説が届きます。ということは、今度は別の人があるレベルまで来て探し求めているとそのためにあなたが使われて、あなたを通して相手に与えられることが起きます。あなたにぴったり来る人にはあなたが使われて、あなたがメッセンジャーになります。

このように人と人とがお互いに助け合って、大いなる存在に使われて導かれていくのです。とりわけその時点のパートナーは、かけがえのない唯一の存在です。お互い緊密に夫婦であるということでしか支え合えないくらい重要なことが夫婦という関わりで起きるのです。また現実は生きた多様な動きですので、夫婦といってもその時その人にとっての夫婦の形もさまざまになりえます。

モーセの律法や仏教の戒律はとりあえず1つの形にして留意するべき点を具体的にしたものです。それらも参考になりますが、生きた現実や人間は多様でさまざまなので、全てが当てはまって役立つとは限らず、かえって縛ったり損ねることも起きてきます。ましてそれを元に人を裁いたり自分を律しすぎると、不自然でおかしいことが起きてきます。それでイエス・キリストが登場して、最も肝心の命に関わることを解き明かして、モーセ以来の律法から人を解放してあげたのです。そして全ての人に大いなる存在の恩寵を与えました。元々そのように現実は動いていたのです。そしてそのようにしたことが、本当の意味でモーセの律法を成就したことになったのです。

あなたは今このような時代の端境期(はざかいき)に生きています。自分の人生経験を通してここまであなたは愛を持って育て導かれ鍛えられ、また試されてきました。それが全部あなたの中に愛と知恵になって凝縮してきているのです。それをもって使命を遂行できることがあります。それはあなたの周りに自分のヒーリングに関する仕事や、あるいはNPOとして、あるいはARIとしてあることでしょう。 

そしてあなたのそのような働きを家庭的に支える夫婦が今のあなたにふさわしい形として、また相手の人としてあることを確認しましょう。あなたにとってふさわしい支えとなる相手の男性です。同時に彼からすると自分に最もふさわしく自分の支えとなる女性があなたなのです。

ちゃんと愛のお計らいで絶妙に現実にことが起き、必要ならば結ばれるようなことが実現するのです。心を鎮め素直になって直感を働かせれば、確かに今言われたことが本当に起きつつあるのが現実だとわかってきます。わかればほっとして解放され、自分の波動が上がります。以上説明されたことが今年の新年会で頂いた色紙のメッセージに通じる意味です。

今彼とパートナーです。お互い今の自分たちにしっくりいく距離の取り方や関わり方で、お互いに慕い合い信頼し、時に寄り添い合い、しかし束縛し合わず、それぞれが癒され活かされるよう夫婦としての関係を大切にしましょう。前世で夫婦だったことはあまり認められません。友達とか理解者、相談相手、また一時つらい時に一時寄り添ってくれた人などとして、その時その時で相手の人が自分の人生に登場してきました。その意味でありがたい存在なのです。

ともかくも今の事実として夫婦であるならば、それをありがたく受け止め大切にし、充分夫婦として生きてみましょう。それによって一緒になった目的が遂げられ、自ずと次のありようが与えられることでしょう。もし夫婦としての目的が大きければ、結果として長く一緒で続けるようになりますので、先は心配せず今を大切に自分の本心に正直に、しかも安心して過ごすことが何よりです。

大いなる存在は至れり尽くせりで、先まで見通して一番良いように計らわれ、悪いようにはなさりませんので、人間は心配するよりは信じてその場に身を投じ、充分にその場を体感するがよいのです。そうするとその時最も最良のことが起きます。お互いに満足し解消し支え合えます。あなたがこれを聞いて自分の態勢ができてくれば、彼のために最良の妻となることでしょう。次の瞬間彼があなたの最良の夫となることでしょう。

【質問3】 NPO法人○○○○○という障害者自立支援作業所へのご縁を頂き、そこでの常勤として働くことは神様のご意志にかなったものであるのでしょうか?それとも自営でヒーリング・サロンを行なっていったほうが良いのでしょうか?物事の順序、時期について助言を下さい。

【ソース】そのNPO法人でお手伝いさせていただくこと自体は良いことです。ただ自分のヒーリングサロンを一時的にせよ完全に機能停止させることは好ましくない感じです。もし状況的に許されるなら、NPO法人のほうは常勤とはせず、週2日か、多くても3日止まりにするべきで、基本的には自分のヒーリングサロンを行なうところに軸足を置いて続けていきましょう。

もしどうしてもNPO法人のほうで常勤しかないと言うなら、自分の仕事を行い続けたほうがよさそうです。しかし状況や流れ、また自分の直感などから、一時期でも常勤でNPO法人を行なうのが良いと思われるのなら、短い期間、例えば3ヶ月とか6ヶ月、常勤でNPO法人の仕事をしても構いません。そして必ず自分の仕事に復帰して、途絶えないように続けていきましょう。もし動きが活発化してNPO法人のほうから強く求められているなら、早いうちにNPO法人をしてみましょう。

【質問4】新年会にて「自他を許し浮かばれる」というお言葉を頂きました。このメッセージを頂いたご神意をお伝えください。

【ソース】先ほどほぼ説明されました。あなたはどこか許していないところがあったため、自分で自分を縛っていたので、自分の才能とか魅力とかが充分に発揮されず、努力もしていてもそれほど成果が出なかったのです。

許すということはどういうことかと言いますと、了解するということなのです。自分自身に対しても人に対しても、出来事や状況や体験に対しても、先ほどの説明や原理からして、起きるべきして起きてそれで1つのことが遂げられたならそれはそれで了解し、受け止めて終わらせる。解放するということ。それが許すという意味です。

どこかであなたはそれに抵抗して完全には許していなかったので縛っていて、自分を留めてしまっていたのです。それを解放することで自ずと浮上して状況も好転し自分も楽になり次のステージへと入っていくことでしょう。それが必要な時期だったのでそのお言葉が授かりました。

リーディングを終了します。
(ありがとうございました)                            〈了〉